春 - 33
(リードの見せ所って奴だね)
打席に立つバッターの前山を横目に、キャッチャーの乃村は心の中で気合いを入れ直す。
ツーアウトながらランナー一塁三塁、一点ビハインドの7回、しかもクリーンナップ相手と追加点を許したくないこの場面では敬遠という選択肢もあったが、(こういうとこでアピールしないとね)
その考えは石中も同じようで、目には勝負したいという意思が静かに漲っている。
(今のところノーヒットだけど、スイングは良い、慎重にいかないと)
前山は春季大会ではホームランも打っている、エースでクリーンナップを任せられているのは伊達ではないだろう。
初球は外角低めへのストレート、置きに行った球だったが、前山は迷わずバットを振ってきた。
先端に掠った球は一塁線際へのファールになる。
「タイミング合ってるぞー!」
「打てる打てる!」
安喜の部員の声援に、前山は涼しげな顔を崩さない。
(真っ直ぐにヤマ張ってる訳じゃないよね?)
確かめるため、先程よりやや外に寄せた位置に真っ直ぐを要求し、石中も頷く。
そして投じられた二球目の直球に前木はバットを僅かに動かすだけで見逃す。彼の反応に眉をしかめた乃村は、若干間を置いて今度はインコース高めへ直球を要求、早いテンポで投じられた三球目もまた真っ直ぐだが、今までよりもノビのある速球だった。
それは意識したのか否かは分からないが、前山に対してのインコース攻めを半端にする事が危険である事を承知していたからだろう。
「っぷ!」
前山は迷わずフルスイング、打ちづらいコースへ差し込まれたにも関わらず、打球は強く三塁の後方へライナー性のファールになる。
(内角を狙っていた? にしては大ぶりだったような……)
追い込みながらも乃村が怪訝そうにしているのは、前山の狙いが汲み取れないからだ。
追い込まれても、見逃しても、ファールになっても、彼の表情には変化がない。それも無表情ではなく、微妙な笑みを絶やさない、底知れぬ不気味さのある表情であった。
ともあれワンボールツーストライクと追い込んだ、次で仕留めるか一球置くか、乃村は考えた末、ミットを外に構えた。
(リスクを犯す必要はありませんよ)
乃村も石中も落ち着いている、テンポよく四球目が投じられた。アウトコースへの直球、空振りを誘うためのボール球、の筈だったが、
(っ、甘い!)
僅かにだが、内側に寄ってしまった。
ストライクは全て振ってきた前山がそれを見逃す筈はなく、高い金属音が鳴って乃村はハッと目を丸くする。
だが球の下半分を叩いたせいで、右方向へのファールとなった。
ベンチからは危なかったという溜め息が聞こえる。
(……真っ直ぐでもちゃんと決めないと危ないね)
見極めも良い以上、安易なストライクボールは放れない。
決めるなら、今までの球に何らかの変化がなければ。
乃村は数秒間思案した後、ある変化球のサインを出す。それを見た石中は一瞬だけ驚いたように目を丸くして、
「っ」
首を横に振った。
(ならカーブ?)
しかし乃村の要求はまた拒否される。
真っ直ぐで押す気なのかと思ったが、そこで気づいた。
(ここが勝負所って訳ですか)
敬遠する気はない、ならば何で抑えるか。石中の持つ球種、球の質、今日の調子を考えて、乃村は結論を導く。
(球威も制球も悪くない、なら石中さんにとって一番良い球種を……!)
そうして選び出したサインに、石中の首は縦に動く。
投じられた五球目、エースの左腕から繰り出された球の軌道は、前山の腹に突き刺さるような内角への鋭いものだった。
「んおっ!?」
前山が戸惑うよいな声、しかしバットは素早く振り抜かれる。
直撃に響いた金属音は重く鈍い響き、打球はサード畑川のグラブに収まった。
彼が当てた球は内角への真っ直ぐではなく、懐で僅かに揺れるスクリューボールであった。




