春 - 24
「よぅし全員終わったな? 10分休憩!」
飯川の言葉を待っていたかのように、陸上部員の安堵と疲労からくる溜め息と気の抜けた声が一斉にグラウンドに漏れ出す。
「ふぃ~疲れた~」
先に木陰のベンチで体を休めていた早希に、エリナが手で顔をバタバタ扇ぎながら歩み寄ってくる。
「うち一応大会は走り幅跳びでいくから、あんま走らなくていいと思ってたんだけどな~」
「基礎体力作りだって言われたでしょ、あんま愚痴漏らさない」
走るだけが陸上競技ではないが、体力筋力をつけるのには走る事は必要である。
顧問飯川は陸上に関する知識は一般人と大差ないレベルらしいが、一応ネットや本で調べた上で無難な練習メニューを作り上げていると言っていい。
毎回競技に関係なく部員全員一定量走り込まされるのが、この部の日課だ。「疲れを発散してるだけだって~早希は真面目ね~……んあ~ちめたい! 」
暑さに歪めた顔をスポーツドリンクの冷たさで爽やかな笑顔に変えるいつも通りのエリナに、苦笑を漏らす早希。
「ゴールデンウイーク休みだってね~、土曜以外」
「……そうね」
エリナは何気なく言ったが、早希の返事は尻すぼみになった。
部活前、顧問飯川がゴールデンウイーク中の部活は明日土曜日以外は休みにすると言った。
来週末にある記録会、そしてその次の週にある地区大会と実戦が続くことを見越して、あまり練習し過ぎない方が良いという判断に基づく決定で、部活の大半はゴールデンウイークが部活で潰されない事を喜んだ。
「もう、そんなに練習したいの~?」
「え、そんな訳じゃないわよ」
その際早希が浮かない表情をしていたのをエリナに見られていたらしい。
「単に、あんま良い記録が出てないなって」
「出てるでしょ! 早希、1年の女子で100メートル選んだ人の中じゃ一番速いじゃん!」
「そうだけど……」
といっても、1年の女子部員は早希以外では3人、うち二人は中学時代は帰宅部と吹奏楽部だったという。
残る一人もエリナや大半の部員のように楽しみながら頑張るという感じで、どことなく早希とは空気が合わない。
なんというか、ピリピリしていないのだ。
「不満がある訳じゃないんだけどね」
ぼそりと呟いて、後三分の一まで減ったドリンクを一気に飲み干す早希。
「お疲れー鈴浪」
そこへ向こうから歩いてきた先輩町谷に名を呼ばれ、エリナと共に小さく会釈する。
「疲れてるねぇ。やっぱ持久走は慣れない?」
「……そうですね」
スタートしてからの加速になら少しは自信もある。
だが距離を長く走る事は中学時代から苦手で、100メートルでも終盤失速するのが課題でもあった。
同じ距離を走った先輩の町谷と比べれば、肩の上下が激しい事からもスタミナの差が見てとれる。無論エリナや他の一年に比べればマシな方なのだろうが、同じ100メートル走の町谷との差が気になってしまっていた。
と、よく聞けば自分以外の強い荒い呼吸が町谷の後ろから聞こえてくる。
「うわっ」
よく見ればもう一人、陸上部の女子の先輩である鞍来がボゥッと突っ立っていた。
「あーまたそうやって隠れて、後輩相手にしっかりしなさいって」
「……ん」
「ども」
鞍来は長距離専門の選手で、長く安定して走る事には定評がある。
ただ基礎練習での短距離ダッシュや反復飛びなどでは誰よりも早く音を上げてフラフラになるなど、得意苦手の差が極端でもあり、疲れた時の千鳥足する様子から、
「ピヨリ先輩じゃん!」
エリナが早紀の耳元で囁いた、このような若干失礼なあだ名がつけられている。
「ど、も」
町谷の背後をキープし、霞がかかったかのようなもやもやとした声で挨拶を返してくる鞍来。
「全く、あんだけ走った後なのに、声の暗さは変わらないんだから」
町谷の言うとおり、300メートルはあるトラックを5周はしたというのに息切れをしている様子はない。
頬を赤く染めて肌が熱い早希とは対照的に、鞍来は至って落ち着いて疲れているようには見えない。
「鈴浪はもうへばってる?」
「っ……ちょっとだけです」
町谷の表情に、疲労を見透かしたいやらしさ笑みが垣間見え、早希は変に強がる。
「べ、つに。長距離、疲れにくいし」
「いやいや疲れるでしょ。一瞬でパッと終わる100メートル走の方が気が楽でしょう」
「……あんな瞬間的に動いたら、筋肉切れる。長距離、ずっと楽」
簡単に言ってのける鞍来だが、彼女の長距離走での『安定感』は本物で、大会では優勝こそした事ないが、ほぼ毎回入賞はしているらしい。
「走るメートルが4ケタ以上とか考えられないですよ~ピヨリ先輩」
「そ、そのあだ名、あんまり好きじゃない」
鞍来の控え目な指摘を、エリナは気にせずケラケラ笑う。
早希は素直に鞍来のような持久力のある人に感心の念を抱いていた。
短距離走の選手ではあるが、早希は自分自身の欠点を終盤の踏ん張りだと自覚している。
種目は違えど、羨望してしまう。
「次の記録会や大会は春だからいいけど、もうちょい体力つけないと、そのうちバテるよ二人共」
は~いと気の抜ける返事をするエリナ。
「……体力、か」
短距離ランナーとして自分は足りない部分が目に見えている。
「スタミナは一週間ちょっとでつくものじゃないから、考え過ぎなくていいって」
その考えを見越した町谷にそう言われ、いつの間にか俯け気味だった首を上げる。
「まずはスタートダッシュ、それが出来るだけでも十分よ」
「~、けど4日も休んだら、体がなまってしまいそうで」
ははは、と町谷は軽く笑って、
「そんな事言う後輩は去年はいなかったわね、それだけでもどこか嬉しいよ」
「先輩~早希ってば私と休みに遊ぶ事より練習したいって言うんですよ~?冷たくないですか~?」
「ん、そうなの?」
エリナの言葉を聞いて目配せしてくる町谷は、どことなく嬉しそうに見えた。「別にしたいとは言ってないですけど……」
「たまにはゆっくりするのも大事よ。高校生は勉強と運動で日々心身を消耗してるの。たまには遊びなさいな。鈴浪、休みはインドアっぽいし」
「っ、放っておいてください」
「私も永子には何回も遊びの誘いフラれてて、理由が眠たいとか寝たりないからってつまらないものだからショックでねー。友達は大事にしないと」
さらりと鞍来に棘を刺す町谷。
「……まっちゃん、外出たがる。運動したがる。ついていけない」
「体動かさないと落ち着かない質なのよ」
その町谷の言葉が本当なら、やはり町谷は運動がしたい性分なのだろう。
「……先輩、休みの日は練習ってしてますか?」
「え? んー、一応ね。特に大会前は。体がなまっちゃいそうだし」
「じゃあ、大会前4日何もせず休むと、よくないですよね?」
遠回しに顧問飯川の決定に反対してみる早希。それに対し町谷は、
「鈴浪、休みを自分にとってどう過ごすのが良いかは、自分が決める事よ。休みってのは部活が休みなだけで、運動したければすればいい。でも自分にとってためになるかどうか、判断出来るようにならないと」
意図を読み取られていた上に、自分で考えろと指示された。
「んじゃ、次は種目別に練習だから、先にトラック行ってるよ、鈴浪」
「あ、はい」
だる、と練習再開を嫌がる鞍来を連れて、町谷は早希達から離れていく。
「……」
「ま~無茶しちゃダメだからね、早希」
エリナも軽く気遣うような言葉をかけて、飲み終えたペットボトルをバックに戻し、幅跳びの砂場のところへ歩いていく。
(……馬鹿、何焦ってんだか)
もっと良い記録をだしたい、だがそれは漠然とした気持ちだ。
自分の考えをまとめる前に、その半端な気持ちが顔に出てしまっていたのだろうか。
エリナの遊びの誘いを断りもせず、しかし休みは練習に費やしたい気持ちもあって、そんな複数の小さな感情を持つ自分がなんだか無性に優柔不断に思えて、苛立ちを覚える早希。練習したいから練習する、でもそこまでやる必要があるのかとも思う。
ともかく今はしたい練習をして、そのもやもやとした感情は後で思い出そうと、一度頭を左右に振って気持ちを切り返えてから、早希はトラックへ走るように向かっていった。




