二年目 春 ー36
旗川がキャプテンに指名されたのは、性格だった。
入学から二年間、公式戦でレギュラーになった事は皆無であり、練習試合でも下位打線を任せられる事が殆どであった。
打撃に思い切りがあるものの、守備に難があり基本的にファーストか外野しか任せられなかったのも起用難の一因である。
だからとにかく声を出した。
練習では返事も掛け声も大きく、試合では勝っている時も負けている時も仲間を鼓舞した。
最初は恥ずかしさもあったが、気にならなくなってからは練習にもプレーにも集中出来るようになった。
近年でも稀にみる豊作世代と呼ばれた一学年上の先輩達が卒業後、繰り上げられるように試合出場が増える中で、旗川の存在感は日に日に増していった。
打率も打点もホームランもチームの中では中盤の成績だが、ビハインドの場面や勝ち越しの場面でよくヒットが出た。
夏休みが終わる頃、旗川はキャプテンに指名された。
四番ファーストとして、おそらく端から見れば成績は芳しくないかもしれない。
それでも、彼の主将就任に異を唱える者はいなかった。
部員が彼に求めたのは、精神的な支え。
練習や試合における、モチベーションが下がるような苦しい場面での、鼓舞する姿であった。
だから旗川は叫んだ、例えチームが劣勢になった瞬間でこそ。
「ナイスカバー! 播磨ぁ!」




