二年目 春 ー35
「手首が痒いんや、九州はここより温いけん、乾燥するんや」
背を向けながら何気なく交わした言葉だが、乃村は空木が播磨の投球テンポを崩すためにわざと時間を空けている事をもう察している。
それでもあえて空木は時間をかけて手袋を嵌め直し、多い歩数でだせきに入る。
(察しが良いなら、そろそろ裏かいてきそうやけど……タイミングが外されんかったら……っ!)
そして投じられた三球目、癖のあるモーションから放たれた沈み込んでくるシンカーを、空木は肘を上手く畳むようにしてバットを膝の高さ辺りに出す。
鈍い音が響く中、弾き返された打球はスライスするような軌道でレフト前へと落ち、フェアとなる。
「井波ぃ、三塁狙え!」
バットを放りながら叫ぶ空木、言われるまでもないというように一塁ランナーの井波は速度を緩めないまま二塁を蹴っていた。
水美のレフトは先程までマウンドにいた臣川、ムキになったように三塁めがけて拾ったボールをスローイングするが、少し逸れて三塁手が慌てて止めにいっている。
「もらいもらい!」
その隙に空木もセカンドまで到達し、ワンアウト二塁三塁と勝ち越しの大チャンスが訪れる。
「いいぞ空木ー!」
「さすがいぶし銀!」
「ベテランバッター!」
ベンチから筑紫野球部のうるさい声援が飛んでくる。
「まだ十七じゃっての! おい!」
笑いながら言葉を返す空木は、視線の端でマウンドの方を見る。
ピッチャー播磨の表情はあまり崩れていない、というよりは緊張で固まっているように見え、乃村が落ち着かせようとジェスチャーをした後でナインにサインを出している。
(守備のタイムは後一回使えるやろうが……動かんか、水美は)
相手監督は甲子園での指揮を知る野間笠という老獪、勝負所がどこかは分かっているだろうが、動く様子はない。
(ここで決められて、後悔すんなや、じいさん……!)
空木は確信する、ここが今日の試合の分岐点であると。
『五番、ファースト、バルザ君』
犠牲フライでも勝ち越し、長打が出れば決定的な場面で、スラッガーのバルザが右打席に入っていく。
果たして、山場か否か、球場の視線がマウンドと打席へ注がれていくのであった。




