二年目 春 ー28
乃村が小学生の時に野球を始めて、キャッチャーをやるようになったのは間もなくだった。
理由は単純、他にキャッチャーをやりたがるチームメイトがいなかったからだ。
元々野球の試合における流れやシフト、采配による展開の違いを見るのが好きだった乃村は、試合において二番目の監督とも呼ばれるキャッチャーをやる事に抵抗感は無かった。
多くの男子はピッチャーやショートに憧れる中で、乃村は冷静な思考を活かして確かに存在感を示す選手になっていった。
いくつかの高校からスカウトもされたが、体験で練習に参加した際に感じたのは、日常の時間の大半を野球に費やす熱心な高校球児達ばかりいたという事。
乃村は野球をプレーする事を楽しんでいたが、勉学や休日まで捧げるつもりもない。
近所の無名の公立校も選択肢に入っていた中で、当時の乃村が連絡をとったのが、中光雄一であった。
彼の通っていた学校とは中学三年の地区大会で一度だけ対戦しており、その時は八対三で乃村のいたチームが勝った。
だが、その試合で唯一打点を許した選手こそ雄一、三番ライトで先発しており、三度のチャンスで三回ともタイムリーを放ってみせたのだ。
そんな彼に一目置いた乃村が試合後、雄一に声をかけた。
「僕の配球、読みやすかった?」
「は? そんな訳……合わせただけだから」
「合わせる?」
「打てる球の時に打ちに行く、全部キャッチャーの考え読みながらバッティングなんて出来ないだろ」
あっさりと答えてみせた雄一だったが、その日のタイムリーは初球打ちもあればフルカウントからの右打ちもあり、決して楽に出来る内容ではない。
彼は才のある者なのかもしれない、かなり努力をしている者なのかもしれない。
そう期待、ある意味落胆していた乃村だったが、
「休み? さぁ、休みは軽くストレッチするぐらいで、練習なんてしないし」
「え? でも……」
「休日ぐらい休まないと。俺は野球好きだけど、野球選手じゃないから」
雄一は、とにかくサバサバとした印象の学生だった。
野球に生活の全てを捧げる、そんなステレオタイムの高校球児とは正反対の、野球はただ学校の部活と考えているような学生。
「……君……雄一は、どこかの高校にスカウトされてるの?」
「高校はー……別に。あぁ、水美のじいさんが練習見に来た事はあったかも」
「かも?」
「向こうの選手目当てだったらしかったんだが、帰り際に言われたよ。水美ならサボっても怒らんぞって」
「サボってたんだ」
乃村が問うと雄一はバツが悪そうな顔をして、
「……終盤で十点負けてて、ランナーなしで先頭バッターの時に外野フライ打ったら監督に怒られた。なんで大振りするんだってよ」
「長打狙ってたの?」
「もう試合は決まってたし、強豪相手の練習試合だし、その試合俺しかヒット打ってなかったし……どうせ散発なら長打狙っても良いだろ」
近くにチームメイトがいるにも関わらず、吐き捨てるように答える雄一。
その気だるげな喋りと、それでも野球を退屈には感じていない性格のアンバランスさに、乃村の頬は緩んでいた。
「負けてもしょうがない試合って、あるよね」
「ある。全部全力でなんか、やってらんねぇよ」
「……水美なら、サボってもいいの?」
「え? あぁ、あの監督は言ってたけどな」
「そっか」
乃村が進路を決めたのは、それから一か月ぐらい経った後。
結局、家からの近さ・学費・学力・野球部の強さを鑑みて、水美高校を選んだ。
ただ、水美より甲子園出場に近い高校は他にもあったものの、乃村にとって決め手になったのはそこではない。
「真面目じゃない雄一を、誘うようなとこなんだ」
「……ディスってる?」
「まさか、驚嘆してるんだよ」
そう言って立ち去った乃村と雄一が次に顔を合わせたのは、互いに中学を卒業してから数日後。
入学予定の野球部志望の学生が初めて練習に参加するために、水美のグラウンドに集まった時であった。




