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夏 - 45

 夏の日差しが降り注ぐ昼下がり、早希は休暇中の若者や家族で賑わう市街地の駅前広場のベンチに腰を下ろしていた。

「鈴浪ー!」

 自身を呼ぶ声がして振り返ると、半袖にハーフパンツと健康的な装いをした部活の先輩町谷の姿が目に映った。

「先輩、どうもです」

「あれぇ、もっとお洒落しないとナンパしてもらえないよー?」

 久しぶりに見た先輩は気持ちよさそうな笑顔を浮かべていて、会うまでは緊張していた早希も安堵しながらはにかむ。

「お断りですから、そんなの」

「あはは、じゃあ行こうか?」

 町谷に促され、早希は彼女の後に続いて歩き出す。

 駅前からしばらく歩いて二人が訪れたのは、川沿いに伸びる一本道。

 地域の美化を目的に整備され、市民の散歩コースとして使われ、早希も何度かランニングで訪れた事のある場所だった。

「ここに来ると走りたくなるなーっ」

「……あの、先輩」

 両腕を天に向けて伸ばす町谷の背中を見ながら、早希が話を切り出す。

「先輩は、県大会の時、先輩の走りを私に見て欲しいって言ってましたよね? あれはどうしてですか?」

「うん? そうね、私が鈴浪に見せる最後の走りだから……って言うと綺麗すぎるけど、鈴浪なら私がどんな風に走ったかちゃんと覚えててくれるかなって思ってね」

 町谷は伸びをしながら顔を早希に向け、笑いながらそう答える。

「覚える?」

「そう、後輩の中で走りをちゃんと見てくれてるのは鈴浪だった。鈴浪は一回の走りにかけてる気合いの度合いが違うでしょ?」

「ん、どうでしょう」

「だから、私の最後の全力の走りをちゃんと覚えててほしくて」

 最後、その言葉がいやに耳に残って、早希は町谷のトラックを疾駆する姿がもう見られないと思うと胸が僅かに軋むような痛みを感じた。

「大学に行ったら、どうするんですか」

「行けたらだけど、勿論続けるよ、陸上は。でも高校ではあれが最後、でしょ?」

 そう、町谷の高校での部活はもう終わった。

 彼女の学生生活の中で一つの区切れがついたのだ。

「わ、私っ! 野球部の試合見てきたんですっ!」

 気づけばそんな事を口にしていて、町谷はきょとんとした顔をこちらに向けてくる。

「私、ルールとかよく分からなくて……でも負けたら終わりだってのは分かってて、見てて思ったんです。まだ終わりたくない、部活を続けたいって思いながら、皆プレーしてるって、何が言いたいのかと言うと……」

 言葉を詰まらせながら、早希は喉の奥から言葉を絞り出す。

「先輩も、まだ続けたいっていう強い思いで走ってたんだなって、理解したつもりですっ!」

 早希は声を裏返すくらいに力を込めて、町谷に気持ちをさらけ出した。

「……負ければ引退なのは分かってました、でも一年の私には実感がなくて、遠くから見てて……先輩の走りに懸ける気持ちの強さ、ようやく分かった気がしたんです」

 県大会の町谷は、高校生活で培った短距離走の技術と経験の全てを出しきったに違いない。

 それが終わった、敗れた、早希はその事実がショックで、先輩の部活生活が終わりを告げた事を、受け入れられなかった。

 だがようやく理解した、どのような結果であれ、町谷は走ったのだ。

 誰もが同じ想いで走り、誰かが勝って誰かが負ける。

 その現実は変わる事はない。

「あっはっは、やっぱ鈴浪と会って正解だったわ」

 町谷は気持ちよく笑ってから、ふうと息を吐き出す。

「走れるのは一瞬、だから後悔しないように。鈴浪には、伝えておきたかったの」

 なぜ、と聞く気は起きなかった。

 町谷が早希の走りへの想いを理解していると分かっていたから。

「じゃ、走る?」

「そう、ですね」

 町谷に促されるがまま、早希は歩く速度を徐々に上げていく。

(はっきりして、良かったかな)

 一回のレースに懸ける想い、分かっていたつもりで実感していなかったそれを、野球部の試合を見て、プレーと熱気を感じて理解した。

 あの先輩に誘われたからこそ、自分の考えに新しい発見があったのだ。

 しばらく炎天下の路上を走った後、携帯していたタオルで汗を拭い終えると、二人は別れる事となった。

「部活にはちょいちょい顔出すから、励みなさいよ」

「はいっ、頑張ります」

 町谷はからからと笑いながら、手を振って立ち去っていった。

「……」

 そして早希は家に帰る途中、ある事が気になってしょうがなかった。

「野球部、今日も試合だっけ」

 正確には野球の結果よりも、ある部員がどうしているかが気にかかっていた。

 試合を見るように誘ってくれて、試合の中で見た者の心を震わせる活躍をしてくれた彼に次会ったらどういう顔をしようか、結局会わないまま日数が進んだが、変に悩み続けるのも馬鹿馬鹿しい。

(今度、探してみようかな)

 そんな事を頭の片隅で考えながら、帰宅してシャワーを浴びた後、冷房を入れておいた自室に入った早希はベッドに仰向けに寝そべりながらスマホを手に取る。

「あ、」

 そして乾ききっていなあ髪を弄って画面に目を向けた時、彼女は思わず声を漏らした。

 映っているのはスポーツニュースサイトの高校野球の欄、今日の試合結果が載せられているところ。

 四回戦のうちの試合の一つ、水美高校と常有館じょうゆうかんの試合は、五対七で常有館の勝利が静かに示されていた。


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