夏 - 37
「あれ、今の何~?」
「フォアボール、ボール四つだから」
熱射降り注ぐスタンドで試合を眺めていた早希は、中々点が入らない展開に内心むず痒さを覚えていたが、水美野球部のランナーが二人溜まった事で少し離れた場所にいる応援に回っていた野球部員が盛り上がるのを見て、にわかに大事な場面が訪れたのを察する。
「チャンスよ皆ーもっと声送ってー!」
応援を仕切る上級生の女子に煽られ、他の生徒達もメガホンを叩いて歓声を上げる。
『バッター、畑川君に代わりまして、中光君』
そしてウグイス嬢のコールが聞こえた時、早希は一瞬様々な人間の声で埋め尽くされた球場から音が消え失せたような錯覚を感じて、気づけば小さく口を開けていた。
「あ……」
「あ―! 中光来たー!」
選手名にハッとした早希はすぐ近くにいた応援団をまとめていた上級生女子があからさまに大声を上げ、面を食らってしまう。
「中光行け!」
「打ってくれー先輩!」
続いてスタンドの野球部員達からも声援が飛び、異様な盛り上がりに包まれる。
「なんかすごいね~、急に野球部元気なったじゃん?」
「う、うん」
動揺するエリナに生返事をしながら、早希は呆気に取られていた。
あの先輩が出てきただけで周囲の空気が一変した、まだ打席に立ってすらいないのにどうしてここまで盛り上がれるのか。
理解出来ない早希だったが、なぜだか異様なまでの高揚感に襲われ、周りにつられて立ち上がりそうになってしまっていた。
「なんでこんなに……」
思わずそう呟いた時、それが聞こえたのかちょうど近くにいた応援団の上級生女子がちらりと早希の方を向いてこう声を発した。
「そりゃあ切り札だもん、中光はさー」
「え、中光……?」
そう! とカチューシャをつけた先輩は曲名がかかれたプラカードを持った手をバタバタさせながら、なぜか嬉しそうに言葉を続ける。
「初戦の大事な場面で打ちまくってねー、皆それで期待してるのよ、二回戦は全然駄目だったけどね」
「……よく、覚えてますね」
「当然! あいつの活躍に何かビビっと来ちゃってさ―!」
その先輩はとても嬉しそうに中光の事を称賛している、なんだが予想外過ぎる反応に面を食らい、同時に心がむず痒くなって表情が歪む。
「まるで自分のお気に入りみたいな言い方してるね~、あの人」
「……そうね」
何気ないエリナの言葉がやけに耳に残って、早希は素っ気なく言葉を返す。
「ん~?どうかした?」
「別に、それより試合でしょ」
平然を装いながら、視線をグラウンドに戻す早希。
(そっちが見に来いって言ったんだから、良いとこ見せてよね)
だが球場の異様な雰囲気にあてられたのか、早希もまた彼がここで打ってくれる未来を期待していた。
今日負ければ野球部の三年は引退だ、ここで彼が打たなければ試合は勝てないかもしれない。
先輩の夏が終わる姿を目の当たりにした早希にとって、そんな虚しい光景は見たくないと思った。
だから、打って。
自分と関係のない競技である筈なのに、いつの間にか彼女の目は試合に釘づけになっていた。




