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夏 - 36

 インコースの真っ直ぐを乃村は打ち損じ、打球はセカンドの方向へ。

 最悪のゲッツーが水美野球部員達の脳裏を過るも、打球は何度かグラウンドを跳ねた事で勢いが弱まり、ファーストランナーの沼山はアウトになるが、打った乃村は一塁を駆け抜けかろうじてセーフとなった。

「ナイスラーン!」

「ランナー残ったぞ!」

 乃村は一塁上で悔しそうな表情を浮かべているが、ここで併殺が出るか否かでは空気が全く違ってくるためよく間に合ったというべきだろう。

「おしっ」

 まだこのイニングは終わらない、そう思って小さく握りこぶしを作る雄一。

「おぅい、中光。バット持って出ろい」

 そこへ監督がやや口調を強めてそう指示を出し、雄一はすぐさまベンチから腰を上げ、自分の金属バットを手に取った。

(来た……!)

 この場面で呼ばれる意味を理解出来ない訳がない、待っていたとばかりにグラウンドに躍り出る。

「はやんなや、お前さんが出るのは広岡が繋いだ時や」

「分かって、ます」

 答えながらも早足でネクストバッターズサークルへ向かう雄一。

 と、彼の前にもう一人、バットを持って出番を待っていた部員が見え、進めていた足が思わず止まる。「畑川、さん」

「…っ」

 畑川は無言で苦虫を噛み締めるような顔でこちらを見つめていた。

 今日は七番で起用されていた畑川だが、前山を相手に全打席凡退、全くタイミングが合っていなかった。

 この回七番打者に打順が回るとすれば、六番広岡が出塁した時、それはチャンスが生まれた時である。 

 ツーアウトでのチャンスで凡退は許されない、監督は畑川よりも雄一に任せる事を選んだのだが、畑川にとっては屈辱でしかないだろう。

 後輩に出番を奪われる、その悔しさは後輩の雄一には想像が出来ず、目の前にいる畑川に声を発する事が出来なかった。

「っ……中光」

 やがて、畑川は苦虫を噛み潰したかのような苦しげな声でこう語りかけてきた。

「今日はお前に、譲ってやる。出たくて仕方がない、んだろ?」

「……はい」

 雄一が小さく答えると、畑川は左手の拳を雄一の肩口に押し当てるようにして、

「半端なスイングだけはすんなよ、俺みたいにな」

 一言言い残しながら、雄一の横をすり抜けベンチへ戻っていった。

 その恵まれた体格を誇る彼の後ろ姿には隠しきれない悔しさにまみれ、悲しさにも怒りにも見える感情に雄一は思わず身が震えそうになった。

「……っ」

 そして一つ息をついて気持ちを落ち着けると、ネクストバッターズサークルに向けて歩みを進めた。

 バッター広岡が打席で粘る間、雄一はマウンド上の前山を見つめながら、投球モーションに合わせて素振りを繰り返す。

 途中何度も視線が交わるが、意に介せず凝視し続けた。

 目を逸らして気圧されたとは思われたくない、奴より優位な立場で打席に入りたい、雄一は慣れない睨みを効かせて、ただただ自身の出番を待った。

「フォアボール!」

 そして聞こえてきた主審の声に球場がどよめく中、雄一はバットを強く握り直して肩に担ぐと、打席に向けてゆっくりと歩き出した。

 自分と試合そのもののにとって大一番となるであろう、勝負の打席へ。

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