夏 - 32
安喜第一は前山のワンマンチーム、それは今でもネットで書かれている事だ。
部員達は当然良い気はしない、下馬評を覆してやりたい、安喜第一の野球部は常にそんなモチベーションを持って練習や試合に臨んでいた。
昨年から四番を任せられてきた入井は特に強い反骨心でプレーをしてきた。
大した技術も才能もない、それでもただただがむしゃらに試合に挑み、白球を追ってきた。
とにかく得点を取る、点を多くとった方が勝つのが野球だ、ならどれだけ不細工なヒットでも、ランナーを返すプレーをやるだけだ。
そう心掛けてプレーし続けてきた結果、チャンスに強いという事で四番を任せられるようになった。
(ここでもう一点入らあ、試合は俺らのもんや!)
打つ、打つ、外野へ飛ばす、暗示するように集中力を高め、相手ピッチャーの球を狙ってバットを振るう。
ツーツーと追い込まれ、その後ファールで粘る入井。
狙い球などない、ストライクゾーンに来たら打つ、その判断だけが彼の行動を支配していた。
そして迎えた八球目、石中が投じた球はアウトコースへ、しかしバットの先が届くくらい内側に寄っている。
(俺が打ちゃあ勝てるんやろ!)
打てる、そう判断した入井は迷わずバットを勢い良く振るって打ちにいった。
直後、ガキンと鈍い音が響いて、入井は打球の行方を追った。
「よーしツーダンツーダンー!」
四番入井をファーストフライに打ち取り、乃村が気持ちの良い声を上げる。
(石中さんの制球は悪くない、強気で攻めていけそうだね)
落ち着きを取り戻し出す水美ナインに安堵する乃村、だが次のバッターがコールされると相手応援団が再び盛り上がり始めた。
『五番、ピッチャー、前山君』
右打席に迎えるのは相手のエース、クリーンナップに座るだけあって打力は侮れない。
「~、跳ねても良いですから!」
両手を広げて、乃村が石中に声をかけるが、何も変化球を相手に予告しているのではない。
少しでも前山の混乱を誘おうと、配球に関係なくブラフとして声を上げたのだ。
そして投じられた初球はアウトローへのストレート、外すつもりで投げさせたのだが、
「ふんっ!」
前山は思いっきりバットを振り抜き、一塁線ギリギリの強烈なファールを放ってきた。
(タイミング外せてないなあ……)
来た球に合わせたようなバッティング、簡単に空振ってくれそうにない。
乃村はインコース高めにミットを構え、頭に近い位置に真っ直ぐを投げさせる。
完全なボール球だが、前山は思わず上半身を仰け反らせる事は出来た。
そして三球目は外へ外して四球目、乃村は前山の表情を横目に確認してから、石中にサインを出す。石中は僅かに驚いたように眉を動かし、すぐに頷いた。
(裏をかけるなら……!)
ミットの位置はアウトコース低め、しかし投じられたのはゆるりとした遅さで孤を描くカーブで、芯で捉えられれば間違いなく長打になる力のない球だ。
ミットまでボールが届く刹那の時が、乃村には異様なまでに長く感じられた。
ぬるりと視界の中で動くボール、それは狙い通りの変化をして、
「……っ!」
そのまま乃村のミットに見事に収まり、アンパイアのストライクコールが響く。
(っ、さすがに予想外だったかな)
前山はバットを僅かに動かしただけで振りには来なかった、緩い球でストライクを取るとは思っていなかったのだろう。
これでツーツー、追い込んだ。
外へボールで空振りを誘いたいが、前山の選球眼が良い事は分かっている、フルカウントにしてランナー自動スタートの状況は、一失点も許されない水美には望ましくない。
(振らせる、ここで切るよ!)
乃村はインコース低め、バッターの足元にミットを構える。
サウスポーの石中のコントロールを利用した、沈むスクリューでバットを振らせる。
乃村はそれが試合に勝つために必要な攻めだと直感した。
(雄一や臣川の出番、作って上げないとね。同級生として…!)
同じ年代の部員で一番の出世株である乃村は、一年目から試合に起用されていた唯一や臣川とはよく話す機会があった。
だが二人共先輩の壁を越えられず、特に唯一はかなり伸び悩んでしまっていた。
気の合う仲間と徐々に距離感が開いたかもしれないと乃村は気にしていたが、彼はまた代打の切り札として戻ってきた。
乃村は中学までは体の小ささもあってレギュラーにはなれなかった。
先輩が卒業した二年目の秋を迎えるまでベンチを暖めていたのだが、正直半分腐っていたといっても良い。
結果的に出番が増えた事で調子を取り戻したが、唯一のように活躍して自信を取り戻した訳ではない。
だから、乃村は密かに唯一を尊敬していたのだ。
自力でチャンスを掴んでモノにした彼を。
(用意してあげる、雄一の出番!)
気合いをこめた目で石中に球を要求し、石中も迷いなく投げ込んできた。
放たれたスクリューは狙い通り右打者の足元へ、ストライクゾーンを舐めるような軌道で沈み込んでいく。
前山もバットを振ってきたが、ボール球をジャストミートできるとは思えない。
(貰ったよ!)
乃村が凡退を確信したが、直後に聞こえてきたのはボールを芯で捉える快音であった。




