目を奪われた理由
彼女は野球を知らない。
別に嫌いな訳ではないが、興味があるわけでもない。投げたボールをバットで打つ、そんな最低限のルールしか知らない。
だからその日、その高校のグランドの前を通った時、高校球児達が野球の練習試合をしていても、一度目をやるだけで殆ど気にもとめていなかった。
前触れなく、甲高い歓声と共に、一人の少年が打席に立つまでは。
少女は所属する陸上部の練習で通う中学の周囲をランニングしている途中だった。
比較的部活動には真剣に取り組む彼女は、一度走り出すと集中して周りの事が気にならなくなる。興味ない事柄なら尚更だ。
なのにその時、その高校で行われていた野球の試合のある一場面に、彼女は目を逸らす事が出来なかった。イニングが何回だったか覚えてはいない、ランナーが何人いたかも覚えていない。
ただ、一人の選手が登場した瞬間、周囲の空気の熱が変わったのを、彼女は確かに感じ取った。
学校の外からその様子を眺めていたため、少年の顔ははっきりとは見えないが、体は決して大きくない。スポーツをするのに恵まれた体格ではないのに、ベンチで見ている野球部のメンバーや観戦している生徒達はやけに盛り上がりを見せている。
それだけの何が彼にあるのだろうか。
彼女はいつの間にか走る速度を落とし、興味ない筈の野球の試合に意識を向けていた。
その時攻撃しているチームは一点差で負けていた。しかしランナーは一人いて、ホームランがでれば逆転なのだが、彼女はどういう状況であるのかは分からない。
しかし打席に立つ少年から放たれる、熱気とも殺気ともとれない、引き締まった雰囲気は、否がおうにもも見ている者の気持ちを高ぶらせる力があった。
数十秒後、彼の振るった金属バットが白球を叩き、放物線を描いて少女の眼前のフェンスに直撃するままで、彼女は微動だにしなかった。
いや、グランドの、一瞬の、そしてなにより打席に立った少年の生み出す見えない闘争心と緊張感に魅力されていたのだ。
その後、彼が逆転となる起死回生のホームランを打っても、殆ど驚く事もなく、ただただ彼女は彼の作り出す空気に魅力されていた。