古の魔女と黒い魔女
カラーン、カラーン、カラーン。
ここは町はずれの小屋に近い家だというのに、相変わらず教会の鐘の音はよく響く。大嫌いな音だが、この音を聞くのも最後かもしれないと思うと、少し感慨深い。
魔女から洗礼を受けて10年―――ハルは今日で17歳を迎えた。
本来ならば魔女は13歳で一人立ちしなければいけないのだが、ハルの場合は髪も目も黒いため、心ない人から身を守る術を完全にするまで、一人立ち出来なかったのである。
そして、今日はその旅立ちの日だ。小ぶりなトランクには、洋服と本とタオル、ブラッシだけを入れる。
『ハル、荷物それだけ?』
足もとで黒猫のリッシが尋ねた。リッシはハルの使いで、『言の葉の呪い』を掛けられているため人語を話す。
「うん、本当は手ぶらでも問題ないんだって。」
『クレヴィング家の屋敷でしょ?いーの?黒いのが二人も行って。』
黒いの、と自分とハルを前足で示す。
「ダメだったらおばあ様が行かせたりしないよ。」
答えながらも、実は少し不安である。
クレンヴィング家といえば、この国でも随一の名家である。その屋敷に行けというのはハルの保護者兼お師匠様である老婆の言いつけなのだが、それにしたって『黒い魔女』が足を踏み入れていいとは思えない。最悪、門前払いも覚悟しなければ、などと考えている。
「ハル、準備はできたのかい?」
しわがれ声がドアの向こうで聞こえた。ハルは急いで扉を開け、声の主である老婆に抱きついた。成長し、等に背を越してしまった老婆の体は、やはり温かい。
「おばあ様、どうしても行かなければだめ?行きたくない。」
涙ながらの言葉に、老婆はクツクツと笑った。
「怖がることはないのよ、ハル。貴女はもう立派な魔女。こんなところでババアの世話なんかしてたら、勿体無いわ。」
「ババアだなて!おばあ様と一緒にいるだけて私もリッシも幸せなのよ?」
ハルはそう言って老婆の体を解放すると、シワシワの手を取って頬をすりよせる。その甘えた仕草は幼子のようで、リッシは見てられないとそっぽを向いた。
老婆はそんなハルから手をやんわりと離させると、おもむろにポケットから銀色の包みを取り出した。そして、その中身をハルの口に突っ込む。
―――ショコラーデだ。
甘く柔らかな口どけに、ハルの表情がふわりと和らぐ。
「ハル、貴女の世界をこんなちっぽけな町と老婆だけで終わらせてはいけないのよ。私ももう長くはありません。それに、クレンヴィングは私の古い友人の家だから、きっと貴女を幸せにしてくれるわ。」
でも、と言おうとしたハルの額を、老婆はかるく小突く。
「さあ、もう行きなさい。リッシ、ハルを頼みましたよ。」
『おーけー。まかしといて。』
「ほら、早く行きなさい。もう下に馬車が来ているから、くれぐれも失礼のないように。」
その言葉にハルはもう一度だけ老婆を抱きしめると、いってきます、とトランクを持って小屋を飛び出した。
*****
『ほら、ハル見て!あんなに大きな建物がある!』
『あ!今の貴婦人見た?あんな帽子被って頭重くないのかな?』
『ハル!ハル!市場だ!ほら、魚が売ってる!』
リッシは馬車に乗ってから、終始こんな調子で外を眺めている。ハルはそれに「あぁ」とか「うん」とか薄い返事を返すのみで、話に乗らない。
『ハル、テンション低い。・・・そんなにイヤ?』
「あの町から出たことが無かったから、なんだか不安なのよ。」
『人間って慣れる生き物だっていうから、大丈夫だよ。』
おおよそ猫が言うべきでない慰めをするリッシに、ハルは頬をひきつらせる。
それからいくらか馬車に揺られ、そろそろ尻が痛くなるくらいになった頃、ようやく馬車は目的地へとたどり着いた。黒い燕尾服に身を包んだ初老の男性が、甲斐甲斐しく馬車の戸を開けた。
「お疲れ様でした。お気をつけてお降りください、『黒の魔女』様。どうぞお荷物はそのままに、家の者に運ばせますので。」
少しの嘲笑も含んでいない物言いに、ハルとリッシは首をかしげるが、促されるまま馬車を降りる。目の前には、見たこともない大きな屋敷が建っており、ここが有名なクレンヴィング家かと関心する。
「私は執事のカペルと申します。」
「ハルです。こちらは私の使いのリッシです。」
ハルの紹介に、リッシは「なぁーご」とひと鳴きする。人前では、普通の猫のふりをするのが、彼の常である。
カペルは黒猫にも眉をひそめることなく微笑み、重量のありそうな屋敷の扉を開くと、それでは中へとハルとリッシを招いた。
屋敷は白い壁にグリーンの絨毯という落ち着いた色合いで、ハルが思うような『金持ちの屋敷』というギラギラした派手さ―――壁に自画像をデカデカと飾ったり、金の壺を置いたり―――は一切なかった。
「まずは旦那さまへ顔を見せて差し上げてください。『古の魔女』様のお弟子さんがいらっしゃると、ずっとそわそわなさっているのです。」