その三
いつもは部活で部長のセリフから問題が始まるのだが、今日は違った。朝教室に入るという初っ端から始まったのだ。
教室に入るといきなり地面に這いつくばっている黒髪美少女という衝撃的光景が目に映った。俺はいつも部活の庶務のため早く登校するので、教室には謎の美少女しかいなかった。
「すみません。教室間違えましたぁッ!」
とりあえず謝ってから教室のドアを勢いよく閉めるともう一度教室の番号を見る。二度見もする。しかし、やはりと言っていいか間違ってはいなかった。そして、もう一度ドアを勢いよく開ける。
――黒髪美少女が地面に這いつくばっていた。
顔をしっかりと確認する。目は少し吊り上っているが怒っている感じではなく、凛としたイメージを与えている。鼻はスラッとしており、口は薄く、まるで日本美人をそのまま写したような美人だった。身長はよくわからないが、見た感じでは低くはない。俺と同じくらいか、それより低いかといったところだ。髪の長さは肩まで。Tシャツにデニムパンツを合わせた季節らしい軽装をしていた。
「すみません、どちら様ですか?」
すると、彼女は驚いたように後ろに飛び退く。軽く三メートルは飛び退いて、壁にぶつかると思ったら三角跳び(壁を蹴って、更に上に飛ぶ技)をかまして、回転しながら華麗に着地した。
「すみません、この学校に落し物をしてしまって。手当たり次第探しているんです」
そして、何事もなかったかのように返答した。
「あ、そ、そうですか。何なら手伝いましょうか?」
ちなみに俺は呆気にとられている。三角跳びなんてみたことねえよ、みたいな感じ。
「いいんですか?」
「困っている人を助けるのは当然ですからね」
「そ、それは、ありがとうございます」
「じゃあ、ここを探してみましょうか」
とりあえずこの教室を探してみることにした。
「ちなみに何を失くしたんですか?」
「えっと、お――じゃなくてマスクです」
「花粉症ですか?大変ですよね、この時期は」
「あ、ええ、そうです。大変なんです!」
まだ春真っ盛りだから、マスクを失くしてしまうのは大変なのだろう。使い捨てではないところを見るとよっぽど質の良いものなのだろう。そう思いながら俺は教室の机の中を確認しはじめる。もしかしたら落ちていたのを机の中に入れている可能性もある。机の上に置いていたら何かの拍子で下に落ちてしまうと考える人も少なくはないだろう。
「これは。梓鴉の机か。正直確認したくないな」
俺はそう呟いた瞬間何かがが飛んできた。俺はそれをブリッジの体勢を取るように避ける。最近は風を切る音だけで回避行動が出来るようになってしまった。辺りを見回すと俺の右側の壁にナイフが刺さっていた。急いで左側を見ると、彼女が机の中を確認しているだけだった。その向こう側には窓がある。そこからだろうか。梓鴉なら可能だというのが少し怖い。
「ついに梓鴉のやつ、俺の視界外からも襲えるようになったか」
「三鷹さん!自分の同級生を悪く言うのは良くないですよ」
「あ、すいません。って、なんで俺の名前知ってるんですか!」
「え、いや、それは、あらすじ部の方の名前は有名ですから」
「はあ」
「そ、それにしてもここはもう無さそうですね」
「そうですね」
探し始めて、一通り探したが無さそうだった。まあ全部の机を見たわけではないのだが、俺が来る前から探していた彼女がそういうのなら間違いはないのだろう。
「次はどこに行きますか?」
「そうですね。校舎の中は全部回ったので外に出てみましょう」
「わかりました」
「流石に外は広いですね」
「すみません、付き合わせてしまって」
そう言いながら彼女は俺に頭を下げる。性格まで謙虚で本当に日本美人の鑑だな。
「いえいえ、そんな頭下げることではないですよ」
「優しいんですね」
「問題ないですよ。この学校は俺の庭みたいなものですから」
彼女の仕草に急に顔が火照ってしまった俺は逃げるように走り出す。
「あッ!そこは」
「え」
情けない声とともに足から上に登っていく無重力感覚を味わう。数メートル上がったところで今度は体が上下に引っ張られた。
「何だこりゃあ!」
「だ、大丈夫ですか」
気づけば足から木に吊るされていた。そんな俺を彼女は申し訳なさそうに見上げていた。
「ご、ごめんなさいッ!今すぐ助けますから」
「すみません」
彼女は気の上に登って、俺が急に落ちないようにゆっくりと縄を解いてくれた。
「よっと」
そのおかげで俺は無事着地することができた。
「ありがとうございます」
俺が木の上を見上げると彼女は飛び降りる準備をしていた。
「あ、危ないですよ!」
「え」
声を出した瞬間にはすでに彼女は飛び降りていた。俺は必至で彼女の着地点に飛び込む。
こんなところから落ちると怪我してしまう。
「きゃッ!」
そして、彼女は無事に着地した。俺の上に。
「ぎゃふん」
「大丈夫ですか?」
「ああ、大丈夫です」
彼女はすぐに俺の上から飛び退いて、手を差し伸べた。俺はその手に掴まって立ち上がった。服に付いたほこりを払う。背中がだいぶ痛むが、どうにか立てる。
「さて、ここら辺には無いみたいですね。体育館にでも行ってみますか?」
「そうですね」
体育館ではバスケ部が練習していた。とはいっても一人だけだったが。こんな真面目なやつは一人しか知らない。予想通り、そこには見慣れた人物が一人いた。
「おはよう、矢原。真面目だな」
「やあ、三鷹同輩。とその隣の人は初めましてかな」
「いや、初めましてというわけではないんですが。まともに話すのは初めてですね」
矢原はドリブルをして、きれいなフォームでレイアップシュートを決めると、汗を拭いながらこちらに来る。
「どうしたの、三鷹同輩?今日は朝練を手伝ってもらう日ではなかったと思うけど」
「ああ、この人がマスクを失くしたらしいんだ。で、それを探すのを手伝っているんだ。というわけで体育館にマスクらしきものは落ちていなかったか?」
しばし、矢原は悩むような仕草をした後で申し訳なさそうに頭を下げた。
「申し訳ない。見てない。力になれなくて申し訳ないよ」
「いや、頭下げなくても!こちらも練習の邪魔をして悪かったな」
「いやいや、そんな事ないよ。こっちで何か聞いたらすぐ教えるよ」
「悪いな。じゃあ、またな」
矢原に礼をもう一度だけ言ってから、体育館を後にした。
「三鷹さんは矢原さんと仲がいいですね」
「ええ、ずっと同じクラスでしたから」
「あの、えっと……付き合っていたりは、するのですか?」
「ええ!?」
そんな風に見えてたりするのか。俺は本気で驚いてしまった。
「いや、付き合ってませんよ」
「そうですか!学校でいつも一緒にいるのでそういう関係なのかと」
俺としてはそういう風に見られているのは悪い気はしないのだが、矢原はどう思うのだろうか。嫌がられたらそれはそれで傷つくな、とか思ってしまう。
「三鷹さんは優しいですし、かっこいいので女子にはモテモテでしょう」
「いや、そんな事ないですよ。俺が好かれるのはナイフとかハンマーとかですよ」
「それも愛情表現なんじゃないんですか?」
「いや、絶対ないです。殺意ですよ、あれは」
「愛情表現ですよ」
「うおッ!顔は笑ってますけど、何か梓鴉と似たオーラを感じる」
「い、いえ、私と梓鴉さんが似てるなんてとんでもないですよ!」
「すみません!つい」
「いえ、謝るなら梓鴉さんに」
「なぜに!?」
そこで彼女は正気に戻ったように頭を振り、一つ息を吐いた。
「すみません、次に行ってみましょうか」
そろそろ行くところもなくなってきた。グラウンドも校内も隈なく探したのだが一向に見つかる気配はない。どうしたものか。
「見つかりませんね」
「そうですね」
「何か力になれなくて申し訳ありません」
「いえ、こちらこそ。そろそろ朝のHR始まりますね」
すでに校舎の時計が八時を指していた。見つからなかったのは残念だ。
「そういえば、最後にいいですか」
「何ですか」
彼女はジッと俺を見据える。それだけで真剣さが伝わってくる。
「あらすじ部の同級生は梓鴉綾目さんしかいませんが、彼女はどういう人ですか?」
「それは俺から見てっていう点でいいんですね」
一息を入れて、俺は話し出す。
「そうですね。超がつくぐらい大事な存在です。正直いつも殺されかけて、こいつは俺のこと嫌いなんだろうとは思っていますが、俺は嫌いになれませんね。あらすじ部では先輩二人に後輩一人といった状況なんですが、やはり両方に気を使ってしまいます。その中で梓鴉だけは唯一気の遣わなくていい存在なんです。ある意味オアシスみたいなもんですね。その割に俺はいつも殺されて、本人の顔すらわかりませんけど。出会い方が最悪だったからですかね。
まあ、梓鴉綾目無しの俺の高校生活はあり得ませんよ」
「なるほど」
俺はすべてを言い切った瞬間に顔が真っ赤になった。何言ってんだ、俺!無茶苦茶恥ずかしい言葉並べて告白と変わりないじゃねえか?羞恥のあまり叫びたい気持ちを抑えて、悶絶している俺を見て、彼女は微笑んでいた
「……その言葉、いつか伝えてくれたら、うれしいです」
「?」
悶絶していた時に言われたので聞き取れなかった。その言葉を聞こうとしたところで彼女は頭を下げた。
「今日は本当にありがとうございました」
「ええ、ああ」
「では、またいつか会いましょう」
「ええ。また会いましょう」
そして、彼女は駆けて去って行った。
「名前、聞き逃したな」
――その後、部活にて
「そういえば何で面変えたんだ?」
「黙秘」
「ふーん、そういえば今日のあの人、マスクは見つかったのかな」
「……」
「ああああああああああ、恥ずかしいこと思い出しちまったぁ!」
「……うう」
「どうした、梓鴉?耳が赤いぞ。今日は風邪で遅刻したんだからゆっくり休んだらどうだ?」
「心配無用」
「ほんとにどうしたんだ?今日は一回もナイフ投げてこないし。本当に大丈夫か?」
「……」
「おーい。ってどこに行くんだよ」
「……。……お言葉に甘えて帰らせてもらうんですよ」
「そうか。って、喋った!いや、今までも声は出してたけれども、まともに話しただと!」
「……」
「あれ?気のせいか」
「さらば」
「おう、じゃあな」
「……」
「……本当に優しいですね、三鷹さんは」