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太陽王の世界 ―黎明―  作者: 檀徒
◆第一章◆
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7話 五つの極意

「これより、カノミ流精神修練の極意を伝授する」


「「師匠、よろしくお願いいたします」」


 朝6時半、道場の床に正座する俺とユリカに、ヤグラ師匠は低く重い声で極意伝授の意を告げた。総合試験の前に厳しい訓練をするということは以前から師匠が言っていたことだ。俺たちは長い冬休みに入ったので、これから毎日道場で修練を行い続けることが可能になる。だが、総合試験のための勉強もしなければならないので、教科書や参考書も念のために持って来てあった。


 他の生徒たちもこの冬休みの間にしっかりと勉強をするのだが、騎士を目指すのならそれだけでは足りない。本当に騎士を目指す生徒は、さまざまな精神修練を行う時期でもあるのだ。そして俺たちにはカノミ流の精神修練が身近にあった。


 これから伝授されるのは、カノミ流の精神修練法なのだろうし、他にもいろいろな修練法があるのだろうが、そうやすやすと教えてやれるものではないという雰囲気が師匠の声に含まれていた。俺たちがしっかりと腕を伸ばし、その実力が道場で師範代たちと肩を並べ、いや超えたからこそのことなのだ。


 師匠から直々に手ほどきを受けるのは、今まで一月に一度ぐらいだった。だからサノクラ師範が俺たちとの組み手を諦めてからは、ユリカと俺の2人だけで組み手を行う毎日だった。無理に師範と組み手をすると、師範に怪我をさせてしまうのだ。


 ありがたい。これから2ヶ月近くもの間、おそらくカノミ流師範代となるための試練と推測される精神修練を、師匠自ら執り行ってくれることに俺は心から感謝していた。この極意は、カノミ流拳術初代の、闇の賢者アーケイ=カノミから1000年も伝わる由緒あるものなのだ。そしてそれを伝授されるのは、一定以上の心、技、体力を持った者だけに限られる。つまり、師範代以上だけなのだ。まだ俺たちは17歳なのだが、師匠から見てもその基準に到達したのだろう。もし達していなければ、ただ組み手をするだけの毎日だったかもしれない。俺だけではなく、ユリカも俺とともに厳しい修練を続けてきたからこそなのだ。


「五つの極意があり、その五つを会得して、合わせて一つの極意となる」


「「……」」


 師匠の言葉を妨げないように、黙って聞く。


「第一に、恩を感じよ。この世は恩で成り立っている」


「「………」」


 第一の極意の意味がよく分からない。これは、黙って聞くだけでなく問答も行わなければならないのだろう。ユリカも押し黙って真剣に師匠の話を聞いているようなので、俺がユリカのかわりに師匠と会話しなければならないようだ。


「恩…ですか?」


「恩とは、ただの感謝ではなく、本来得られないものに対する感謝だ。この世のすべての事柄、人、物に対して、それ自体が本来得られないものだと認識するのだ」


「身の回りに当たり前のように存在しているすべてのものに、恩を感じられるようにならなければならないのですね?」


「そのとおりだ」


「分かりました」


 おそらくそれが加護と関係しているのだろう。そういう恩という考えに至ったことは今まで確かに無かった。加護の力は確かに、太陽神の力の恩恵を得るものなのだから、恩を感じるという方法は正当と感じる。おそらくその考え方が、最も強い加護を得られる方法なのだろう。





「第二に、恩に報いよ。すべての事象は、恩に報いる形が現れたものだ」


「…感じた恩に対して、それを報いようとすることで加護が現れるのでしょうか?」


「そうだ、だが加護だけではない。それ以外のすべての正しい人間の行動は、基本的に“報恩”で成り立っているのだ」


「…理解しました」


 つまり、報恩を考えずに行動したら、正しくないということか。陰の心で加護が跳ね返るのはこのへんが関係しているのだろう。自分だけのためにすべての行動を起こすならば、加護は得られなくなり災いで身を滅ぼすのだ。




「第三に、己を知れ。自身がどれだけ小さな存在であるかを自覚するのだ」


「…分かりました」


 これはだいたい分かる。身の程を知れということなのだ。だが、それは表面的にしか理解していない可能性がある。実感できるようなことは俺の身の周りには無かったから、理屈で分かっても意味が無いのだ。これは、後々修行の中で覚えて行くべきことなのだろう。


 この己を知れという言葉は、よく父親から子供へ向けて語られる道徳だった。身の程をわきまえない行動は必ず周囲に災厄を引き起こし、いずれ誰からも見向きされなくなるということは教育論の中の一節だったが、壮年になってもそれを守り続けている人間は少ない。特に地方の政治家は王家の目が届きにくく、腐敗していると聞く。王家もそういった腐敗の温床を許さず、賄賂などは禁止していたのだが、狡猾な者はそれと分からないように贈収賄を行い続けているのだろう。





「第四に、天を意識せよ。私たち人間は、天によって生かされている」


「……天とは太陽神のことでしょうか?」


「太陽神を“含む”、すべての大きな“意思”だ」


「大きな意思というものが分かりません」


「それは修行の中で分かってくる。今は分からずとも良い」


「はい」


 これは初耳だ。太陽神以外の超常的存在は、俺は知らない。そもそもそんなものが存在することすら、今まで気づかなかった。それは太陽神信仰に影響を及ぼすほどのものなのだろうか? いやそもそも、太陽神の存在自体、普通の人間ならば感じられることは無いのだ。


 ハッと息を吸い込む音がしたので横に座っているユリカを見やると、目を見開いて口を開けていた。何か思い当たることがあるのだろうか。後で聞いてみよう。





「そして第五に、守護せよ。自分以外の何かを護ることを成し得るようになるのだ」


「…分かりました」


「この五つの心を、常に精神の上層に置くことができれば良い。これから10日間、これらのことを心に置きながら毎日道場で10時間の瞑想を行え。11日目からは山へ行く。では修練開始」


「「ありがとうございました」」


 俺たちが形の整った礼を深々とすると、師匠は柔らかく優しげな笑みを浮かべて大きく頷き、道場から出て行った。後に残されたのは俺たち2人だけだったから、道場はシンと静まり返り、床から伝わる冷気が足を痛める。冷気というものは、度を越すと冷たいと感じるのではなく、痛いのだ。


 恩を感じ、恩に報い、己を知り、天を知り、守護する。これは難しそうだ。そして極意らしいなと思えるのは、自分では気づけないであろうことだ。だが、どうしてこの5つなのかは、おそらく会得してみて初めて分かるのだろう。





 道場に通っているのは近所の高校生や社会人たちだ。カノミ社の社員も仕事を終えると何人かが修練に合流する。学生は冬休みでも物流は止まらないのだ。物流が止まるとき、それは文明が死んだときだ。物流とは、人々の生活を支える縁の下なのだ。


 最も長く続けている門下生はヤグラ師匠の先代の頃から修練を行っていて、師匠よりも年上だったから長老などとふざけて呼ばれていた。長老はヤグラ師匠のことを坊ちゃんと呼ぶが、その長老も現在はカノミ社の相談役で、先代からも師匠のことを頼むと仰せつかったと言う。もうだいぶ歳を取ったのに、長老からだけは坊ちゃんと呼ばれる師匠は、家元になっても長老のことをおいちゃんと呼んでいて仲が良い。先代が急死した後も、ヤグラ師匠がすぐに社長の座を継いでカノミ社を切り回せたのも、この長老居てこそだった。小さな頃に祖父が死んだので、ユリカも長老のことをおじいちゃまと呼んで懐いていた。





 10時間の瞑想をするということだったが、通常、道場が開いている夕方以降はとても騒がしく、瞑想するには難しい。つまり騒がしくなり始めるまでは、その間ずっと瞑想する必要があるのだろう。


「10時間の瞑想だったら、午前に5時間、午後に5時間やって、夕方から普通の修練に参加すればいいかな?」


 ユリカが瞑想の時間割を提案してきた。そうすると、夕方に体を動かした後に座学の追い込みをやればいいから、だいたいそれでいいはずだ。師匠が考えていることと大差ないだろう。


「俺もそれでいいと思う。ところでユリカ、第四の極意のところで、息をのんでいたけど、思い当たることがあるのか?」


「あ、えっとあれは、前にアイラ山に登ったときに、ああいう表現をしたほうがいいものを感じたからだよ」


「ああ、ユリカとサノクラ師範だけで行ったときのことか。もしかして師匠が山へ行くって言っていたのは、アイラ山のことかな?」


「そうかもしれない。確かにあれは…カケルもあれは…見たほうがいい」


「…そんなにすごいのか。なるほど、楽しみだ」


 ウルの北250キロのところに、ダイムー大陸のほぼ中央に位置する、標高5400メートルの巨大な独立峰、アイラ山がそびえている。ヤマタイにあるフジノ山と同じく、独立成層火山だが、こちらのほうが規模は数倍大きい。火山と言えどもここ5000年は噴火活動をしていないと推測されるため、頂上までの安全な登山道があるのだ。現在、大規模な噴火活動をしているのはヤマタイのフジノ、アソ、カマチェスカのナシュ、ヤルーシア西部のヴェズヴィオ、グリヌ大島の南東にあるエイヤフィラ氷火山だ。


 エイヤフィラだけは特殊で、氷河の下から噴煙を上げているために、噴火規模の小ささからは考えられないほど水蒸気爆発が激しいのだ。だがエイヤフィラ周辺は北海氷壁がそのあたりまで根を張っているため、人間も魔獣も生活できる地域ではないので、特に影響は無い。こういうところにこそ虹色水晶が埋もれていたりするのだが、何百メートルもの厚い氷河の下にあると思われるので、採掘することは難しい。うまく掘り進んでも、そこに虹色水晶があるわけでもないので、さらに横へ掘り進んでいるうちに上から氷河が崩れてきてしまうからだ。


 ユリカは昔、アイラの標高4000メートル付近まで登ったことがあるのだが、第四の極意に関係するというのはそのときのことを言っているのだ。4000メートルはアイラの七合目だ。2年前の夏休みに思いつきで登山をすると言い出したユリカが、強制的に連れて行かれた師範と一緒に帰ってきた時、とても感動したと言っていた。本当は頂上まで登るつもりだったようだが、高山病が出て仕方なく途中で下山したらしい。


「ユリカは、前は失敗したからな。今度は失敗しないようにしないといけない」


「うーん、あれは大失敗だったねー。まさかあんなに頭が痛くなるとは思わなかったのよ」


 アイラの頂上は太陽神の化身がたびたび舞い降りるという伝承があり、王都の人々は夏季には列を成してアイラの頂上を目指す。ユリカもきちんと計画を立てて登れば頂上に辿り着けただろうに、計画性の無さが災いして登頂に失敗した。高山病についての見通しが完全に甘かったのだ。


 高山に登るには、しっかりと登山計画を立てて装備も完璧にしてからでないと、登頂には至らないのだ。しかも11日後に登山するのなら、今度は冬山登山になる。その難易度は跳ね上がり、冬には冠雪をその頂にたたえたアイラ山を、一般の人々はただ麓から眺めるだけだ。


 アイラ山はそうしてダイムーの民衆から讃えられ、愛され、長く共に過ごしてきた精神的支柱のようなものだった。幼児にダイムー王国の絵を描くように言うと、必ず王城と遠くに(そび)えるアイラ山を構図に入れるくらいだ。この山はダイムー、そして太陽神の象徴だった。


「もう55分だな」


「わ、いけない。瞑想の準備しようか。うーん、足がいたーい」


 少し話していたら、もう朝7時になりそうだった。道場の壁にかけられた振り子時計の針が、瞑想開始と決めた時刻に近づいていることに気が付いた。おしゃべりをしていて瞑想できませんでしたということでは修行も糞もなく、話にならない。気持ちを切り替えなければちゃんとした瞑想はできないからと思い、顔を両手ではたく。この寒い中で瞑想するのだから、体が冷えないようにしなければならない。それでも、わざわざ冬の道場で瞑想するということはこの寒さと戦え、という意味もあるのだろう。だが冷えた床に直に正座しているとさすがに足が痛くなる。少し瞑想してみて、修行ではなく苦行になってしまうようなら座布団を持ってこよう。苦行というのは一時は精神修練になるかもしれないが、結局それはただの自己満足に終わりやすいのだ。


「さて、それじゃ12時まで瞑想だ」


「おうよぉ!」


 うん、ユリカ。いい掛け声だ。なんだか山賊っぽいけど。


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