84話 切断
移住を拒否されるという状況は苦しいことだと思いつつも、俺の心の中には、このままうまくいけば何も起こらずに済むのではないかという甘い観測も生まれていた。あれだけ言ってもこの人たちは移住しないのだから、もしかしたら本当に大いなる災いは完全に回避できてしまったのではないかと錯覚するほどだ。
だがメクスで起きている異常な事態はその甘い観測を打ち砕くものだった。黒尽くめの男たちが民衆を扇動しているという話とともに、移住政策反対の声が大きく聞こえだしたのだ。これは以前から行われていたのだろう、その扇動がかなり浸透したからこそやっと聞こえてきたのである。彼らは別に太陽王を批判しているわけではないのだが、移住することにはとにかく反対している。その主張はもっともらしく聞こえるもので、太陽王は移住しなくて済むように民を導くべきだというものだ。
黒尽くめの男の正体はよく分かっておらず神出鬼没で、同じような傾向が各地で見られているという。これはどうやら組織的な動きなのだろう。これがどうやらヴェガルへと移住を完了した人々の不安の原因なのだ。移住を済ませてしまえばその扇動の声は聞こえないのだが、いつまで経っても知り合いが移住してこないという人から順に不安を訴え始めていたから、ヴェガルでは大いなる災いに関する不安が増大し続けているのである。
その男たちを捕まえねばならない。残り1か月をその捜索に費やそうとするのだが、太陽王が来たとなれば扇動も鳴りを潜めるようで尻尾を掴ませない。最終的には残り5億人の移住は、世界各地に次元扉を開けば1日で完了できるような体制はサノクラ大臣が整えている。まさか5億人を死なせるわけには行かないのだが遅々として進まないということに葛藤が生まれている。
どうしたらいいんだろうと途方に暮れながらも、風の加護で拡声して地道な説得を各地で続けているのであるが、俺が声を何時間張り上げてもその日次元扉をくぐるのは100人に満たない。それでも、100人ずつでも救えればと、今日も俺はヴェガルから次元扉でやってきて移住を訴えるのだ。
「皆さん、大いなる災いはもう来ないのではないか、と思っていらっしゃるかもしれません。でも、まだ闇黒神はその姿を見せてすらいませんから、念のために一旦ヴェガルへと引っ越しをしていただき、何もなければまた戻っていただければいいんです!」
人々は自宅に籠って出てこない。さすがに津波の予測が立ったために海沿いの街はあらかた移住が完了したが、山沿いの街や内陸は惨憺たる状況だった。あまりにも反応が無いので白い眼で見られているのかと思えるほどだ。どんなに拳に力を入れても想いは伝わらない。
この間、ヴェガルでは騎士たちが安定大陸を生み出すための魔獣との戦闘を続け、トレノールの王城では臨月のユリカが俺の帰りを待っているが、彼らに持って帰れる土産話は何もないのである。
だが途方に暮れてヴェガルへ戻ると、トレノと、生まれたばかりの第一王子がその疲れを癒してくれるのだ。だから明日も地球へ行き、100人ずつでもいいからヴェガルへの移住を決断させようと思える。しかし時はただいたずらに過ぎていく。
「黒尽くめの男たちの目的は何だろうかと考えたんだ」
地球中を行き来し、トレノールの王城へ疲れ果て戻ってきた俺に、アルケイオスは優しく肩を叩き声をかけてくれた。
「これまでに予想された敵よりはるかに弱々しく感じる敵だ。それなのに最も太陽王の力を削ぐのに成功している。これはおかしい。カケルは間違っていないはずだ」
「ありがとう、アル。少し疲れていたみたいだ」
毎日のように加護を使い切るほど使って、倒れこみたくなるほど疲れているであろうのに、そのアルケイオスの口調は俺の心に染みわたる。だからありがたい、と感じていた。どれほど強くなろうとも、家族ができようとも、親友は無くてはならない存在だ。
「黒尽くめの男たちは闇黒神の影響を受けていると考えた方がいいのではないかと思うのだが。ヴェガルと地球を分断して、せめて人類の半分でも滅亡させようとする魂胆があるのではないか? 闇黒神の力の源は、非業の死を遂げた者たちの魂だからな」
そうか、既に闇黒神の影響は表れ始めているのか。だとすれば、手遅れなのかもしれない。それでも俺は闇黒神が地球の民を陥れるための手段を少しずつ潰していく。これはそういう戦いなのだ。
白銀色の巨大飛空船が、環ダイムー海峡の南端部上空に浮かんでいる。そこからわずかに北に目を向けると、王都が見下ろせた。ダイムー大陸を浮上させる日が来たのだ。ただし、正確には標高は一切変わらない。惑星ヴェガルでダイムー大陸をそのまま設置できる海底地形が、同じく惑星ヴェガルのヤマト大陸に隣接海域に存在することがこの日までに調査されていた。運のいいことに、南東の岬がそのままヤマト大陸に接続し、細い陸橋を作り出すことができることが分かったのだ。
その惑星ヴェガル上にある対象地域の海水と、地球にあるダイムー大陸をまるごと入れ替えることで、海水面の上下動、そして津波など一切起こさずに、大いなる災いの源と断定されたダイムー大陸の沈下という現象を完全に抑え込む。その必要力量は、直径10kmの中規模小惑星が高速で地球へ衝突したときに発生する力量と同等。つまり、地球を破壊するほどの力をもって、この地球と名付けられた星を守るのだ。
かつて、環ダイムー海峡は一つの大きな海だった。それがこのような大きな大陸を抱える海となったのは、発火点と呼ばれる謎の溶岩噴出孔があったからだ。それはアイラ山の真下にあり、ある時一気に溶岩を噴出した。その溶岩は一気に噴出しすぎたため、溶岩内の気泡をそのまま内に秘め、次第に冷えて固まった。それが「浮遊大陸ダイムー」の成り立ちだということが、ここ数か月で判明した事実だ。
気泡を含んだまま固まるようなことがあれば、比重は通常の岩石に比べて軽くなる。もちろん海に浮かぶほどではないが、わずかな支えだけで洋上にとどまることができる。この気泡は転移時に大きなものをすべて潰す予定で、だいたいの位置は既に分かっていた。
一番大きなものを潰すのは簡単だが、小さくなっていくごとに位置が把握しづらくなる。そういったものは岩盤を崩して空間を潰すのではなく、海底から砂を転移させて空間を潰すというような工夫が必要になる。すべてを完全に潰しきることは難しい。
サユリ・ヤワタ大臣が転送作業のために用意してくれたのは2つの大きな球体。ダイムー大陸の形がしっかりと分かるようになっている地球の模型と、ダイムー大陸を設置する予定の惑星ヴェガルの海底地形。そこにはわずかな相違があり、ヴェガルの海底からは多少土砂を浚わねばならない。しかしほとんどダイムー大陸を設置するためだけに用意されたようなその海底地形を見るに、もしかしたら12000年前の民が同じことをしようと準備したのかもしれないと直感的に理解した。
その時、その当時の太陽王が大陸を転移する直前、何かが起きたのかもしれない。
ダイムー大陸の海岸線を、光の筋が覆っていく。まったく同じ輪郭を辿った線が今、惑星ヴェガルの洋上でも観測されているはずだ。その計測はお産を終えたばかりのユリカが行っていて、すぐ横に開いた次元扉から笑顔を見せてくれるので、今のところ問題が無いことが分かる。
今回行うのは、3段階の転移領域固定だ。一つ目、海岸線沿いの細い、帯のような空間に転移の橋頭保を置く。二つ目、上空を一つ目の橋頭保につなぐ。三つ目、細心の注意を払いながら転移の帯を下へ伸ばし、アイラ山直下まで下して行き、完全に包み込む。俺が意識するのは大陸すべてではなく、あくまで海岸線と、そして上下だけだ。
ただし、一つだけ特別なことをしなければならない。それはアイラ山直下の火道は、岩石でふさいだままにしておくということだ。ダイムー大陸を転送した後にはそこに島がいくつかできあがるはずだが、そうやって蓋をしておかなければ、急に重しが取れたということが原因になって火山の噴火が始まってしまうから、これは必須事項だ。
この手法ならば大陸すべてを転送するよりも負担は軽く、その後に控える空間置換に加護をすべて費やせるのだ。
「転送領域の固定が終了したようでつ。もう行けまつか?」
「よし、行こうか」
「お願いしまつ!」
もはや、誰もこのダイムー大陸の上にはいない。すべての民が移動済みだ。そしてこの大陸は、地球からダイムー大陸へと居所を移す。それは、ほんの一瞬のことだった。ただし使用された加護量は史上最大で、その瞬間に大量の加護が太陽から俺に流れ込んでいた。俺自身の加護を使うことは、一切無い。今なら地球を丸ごとヴェガル星系に移設することすら可能だろう。ただ、それをこの太陽が許すかどうかだけだ。
王都・ウルを擁したダイムー大陸は俺の目の前から消えたわけだが、すぐ横の次元扉の向こうにいるユリカの眼下に現れているはずだ。
「カケル! ちゃんとうまくいったよー!」
俺はもう何も言うことは無い。すべてが静かに進み、すべてが完全に終わった。これで闇黒神の目論見は破壊したはずなのだ。それを理解している者たちは、両惑星の飛空船の上で、歓喜の叫び声を上げた。そう、これで終わったはずだ。
ヴェガル全体が喜びに打ち震えていた。数年から数十年をヴェガルで過ごし、問題が無ければまた民の半数が地球へ戻るという計画は、何事もなく進行していた。そして地球に残った民も、胸を撫で下ろしていたのだが……。
しかし翌日、突然のうちに異変はやってきた。
ヴェガルへ戻っていた俺たちの身に起きたのは、想像を超えた事態だったのである。それは民のほとんどは加護が使えなくなったという現象だった。
地球との間に開いていた次元扉は強制的にすべて閉じられており、加護は特級騎士である太陽騎士団のうち、数名だけがかろうじて使える状態であった。もともと加護量が多かった者だけであるため、これは地球の虹色水晶「知識の泉」がその知識を閉じたのだということが分かる。今使えている加護はヴェガルにある虹色水晶の力だ。
次元扉が開けないため、地球へ行くことも、そもそも地球側で何が起きているのかも分からない。5億人の民がこの瞬間、危険に晒されているかもしれないのに、だ。
俺がいくら加護を込めても、もう次元扉は開かなかった。もちろんユリカにも開けない。せいぜい簡単な詠唱しかできず、それもすぐに加護切れとなる。
異変が発生した次の日、ヴェガルで既に手に入れていたすべての虹色水晶を一つに固める方策を採用した。加護量が激減しているのは主となる虹色水晶の絶対量が地球に比べてあまりにも少なかったからだ。俺も含めてわずかに地の加護が使える者たちが協力し、虹色水晶を無理やりに一つの大きな塊へと固めた。
それでやっと、簡単な詠唱なら誰でも使えるような状態にまではなった。ヴェガルの黒水晶は地球に比べて大きいから、加護の発現率がはるかに高かった。ほとんど誰もが、地球で加護が使えなかった者までが加護を使える状態にはなった。
だが地球にいたころに比べ、加護の強さは比べるまでもなく弱かった。次元扉はやはり、俺にもユリカにも開けなかった。
異変の2日後。ユリカが生まれたばかりの子を抱きながら、小さくつぶやいた。
「加護の強い人たちが協力すれば、次元扉を開けるかも……」
だがそれで地球へ向かったとして、誰もがあちらで加護が使える保証は無い。むしろ、誰も使えない可能性が高い。ただし、太陽王である俺を除いて……。
向かうか否か。俺はそこに居た会議出席者全員の反対を押し切り、向かうことで即決した。知識の泉からの力を一切借りずに、闇黒神から5億人を救う。それが、太陽王に課せられた因果律だったのだ……。