69話 見えない敵
鋭く、痛みを感じるほどの加護が肌へ突き刺さる。だが敵対的なものではなく、これはおそらく何かに対する激しい怒りの感情のようなものだと分かる。一体どうしたというのか? 最初の巫女の加護とは明らかに違う。
「これはずいぶんと強い水の加護だね」
同じく強い水加護を持つアイカルが、その感覚から導き出したのはこれが水の加護だということだ。青い光が見えるわけではなく、非物理的な風のようなものなのだがアイカルには分かるのだろう。
「同じ扉の装飾だね。さあ、開けようか」
マスタが躊躇せずに扉を開くと、そこには激しい怒りを撒き散らす、青光に包まれた龍がいた。すぐに、太陽王の証である5色の光を右手から差し出して龍に見せてみる。すると、龍はおとなしく床へ身を伏せていく。
「アトラタスの巫女に導かれて、ここへ来たよ」
“太陽王、久しぶり、だが、時、経ちすぎた”
突き刺すような厳しい加護流は少しだけ収まった気がする。皆、俺と巫女が話をするのを邪魔しないように後ろへ控えている。
「俺は、君が知っている太陽王ではない。12000年経っているんだ。なぜ君は怒っているんだ?」
“アトランティス、巫女、気配、消えた、我、アステカ、因果、戦う”
アトランティス、アステカ? アトラタスとアズダカのことか? それともこの巫女はアステカという名前なのだろうか。因果・戦うという意味が分からないな。
「因果というのはどういう…」
“我、伝える者、ひとつだけ、それは、因果律、戦い”
「因果律と戦う必要があるということか? 因果律に意思なんてあるのか?」
“我ら、人間、因果律、踊らされる、ただ、それだけ”
「人間は因果律に踊らされるだけの存在だということか?」
“そう、因果律、それは、敵、我、戦い、続けている、太陽王、一緒、戦う、災い、それは、因果律”
この巫女は肉体を失っても、因果律と戦い続けているということのようだ。だが、因果律自体が戦いの対象になるというのは、俺たちの世界の概念とはかけ離れすぎていて、意味が分からない。確かに、人間の魂というものは因果律と結びついているという概念はある。だがそれは大きな海のようなもので、別に敵対するものではなく、ただそこに存在しているだけのもののはずなのだ。
ユリカを復活させたときだって、因果律の海へ消えていこうとしたユリカの魂を、修復させた後のユリカの肉体に戻させただけのつもりだった。だがどうやら、大いなる災いと因果律にはなんらかの関連性があるようだ。そもそも、俺たちは『因果律』というものをしっかりとした概念で捉えていたことは無かった。
「俺たちも戦う必要があるんだな。どうやって戦うんだ?」
“ルーシア、巫女、知っている、聞きに、行け”
「君が知っているのはそこまでか。分かった、ありがとうアステカの巫女」
“太陽王、我、共に、居る、共に、戦う”
「ああ、ありがとう。君の加護流は、これからいつも一緒だ」
言葉を伝えきった青い龍は、細かい粉のような光となって、彼女が生前に身に着けていた腕輪にはめこまれた、虹色水晶の中へ吸い込まれていった。
「また腕輪に…」
「ああ、またユリカが着けてくれ」
「うん」
顔を上げると、龍が伏せていた奥には、最初の遺跡にあったものより大きな虹色水晶が、しかしやはり同じように祭壇に掲げられていた。
「今度は200キロぐらいだべ…?」
「だんだん大きくなるのかしらね~?」
「そういえばルーシアへ行けと言ったよな? ルーシアってどこだ?」
「この地図を見ると、どうやらルーシのことのようだね」
「ヤルーシア北部か…。ウラルー山地のあたりか」
祭壇の手前には机のようになった世界地図があり、北アズダカとヤルーシア北部のルーシ地方に四角錐が刻み込まれている。
「どうやら遺跡は、安定地塊に設置されているようだね。何万年も遺跡が侵食されずにいるところを選んでいるのかも」
イリスが出したのが、おそらく答えなんだろう。
「みんな、因果律との戦いという概念について、意見を聞きたい」
俺は改まって振り返り、その謎の概念を議題とした。
「踊らされているって巫女が言ったよね? 私たちの行動は踊らされているものということなの? 因果律ってそんなに、なんでもできるものなの? よく分からないねー」
ユリカにもこの概念は理解がしにくいようだ。
「なあ、俺たちの加護って高次元から導き出されている素粒子、だったよな」
ゼルイドは何か思いついたようだ。
「回転数が整数で、質量が0、雷荷が0、寿命は無限大の素粒子、光子や重力子、中間子と同じ種類の、加護子だ。本来は物体に干渉しにくいはずの加護子が、なぜ現実的には干渉できるのかを、今まで誰もちゃんと考えずに加護を使っているはずだ」
「ゼルイド先生、もしやその先が…?」
「そう、本当は加護子は、原子には干渉していない。干渉しているのは加護子が影響を与えた、『次元』だ。次元に影響が出ることで、間接的に原子へ影響が及ぼされるのではないかというのが、統一理論の先に見えてくるものとして考えられる、高次元理論だ」
「ということは、重力子が空間を歪めるように」
「そう、加護子は次元を歪めるんだ」
「なぜ、そんな途方も無いものを、人間は使えるのでしょうかね~?」
「人間も、その魂は加護子でできているからだろう? 太陽神だって加護子でできている大きな意思情報体だと分析されているよな。だから高次元の加護子によって、低次元が動かされている。踊らされているようなものだ」
「つまり、俺たちが見ている世界というのは低次元の虚構だということですか?」
「そこまでかどうかは分からない。だが、加護子よりも上の次元が存在するとしたら? もともと時空加護は11次元の高次元空間を展開することで使えているだろう。加護子よりも上の次元のものが存在するとしたら、加護子自体だって踊らされるようなことがあるかもしれない」
「その高次元概念が、本当の因果律という概念だべか? 物質の上には空間があり、空間の上には次元があり、次元の上には因果があるという概念でいいべか。確かに辻褄が合うべ」
「つまり因果律は加護子を操れるということですか。それならば同じ加護子でできている人間の魂も…操れるのか…」
「でもそれが敵になるというのは、よく分からないねぇ」
「いやカケル、我には今その、敵という概念が分かったのだ」
「どういうことだトレノ?」
「2年後のアイラが見えなかったではないか」
「うん? あれがどうかしたのか?」
「あれは、因果律によって妨害されていたのだ。今の話を聞いて、我には因果律の意味が分かったのだ。あれは未来を作り出すのだ」
「…つまり?」
「因果律の描いた未来にしか、我らには進むことができないのだ。これは捻じ曲げられるものなのだ。だから、2年後のアイラは単純にまだ、因果律が描いていないだけなのだ」
「そんな…」
「それが、『敵は因果律』という意味か…」
「そしてこうやって俺たちが気づくのもまた、因果律によって仕組まれたことなのか…?」
「どうやって戦うんだ…。太陽神以上の存在じゃないか…」
「ゆっくり考えよう。今日、今ここで出すべき結論ではないかもしれない。それに俺たちが気づいてしまったことを因果律が意識するならば、何か仕掛けてくるはずだ。おそらく火星のことだったりするんだろう。火星に関係する人物たちが、やけに俺たちに敵対的すぎると思わないか?」
「そう、おかしいほどに敵対的だねぇ。彼らとは戦う因果にあるのかしらねぇ?」
「そういうことだろうさ」
「風伝で爺様に確認してみてくれ。何か動きが無いか」
「うん、急いで確認するよ~」
ミューは俺専用の風伝をシルベスタ爺様へ接続する。接続番号001-300-3303、高度に暗号化された風伝を送ることができる、特別風伝板だ。アイラに登る前にもらっていたのだが、結局使い始めるのは今回の冒険からだった。しばらく待つと、ミューの顔が青ざめる。
「どうしたミュー?」
「火星から8000人が送り出された後、火星の街でいくつも爆発騒ぎがあったようね。まだ次元扉は開いたままだから、爆発がダイムーの仕業だと火星が勝手に断定したようだわ~」
「自作自演」 「火星の街は」 「いい迷惑」
「火星はそれをダイムーの敵対行為とみなし、宣戦布告の準備に入ると…」
「戦ったところで、一体何になるって言うんだ! まったく無意味だ! ダイムーは戦う意思は無いと伝えてくれ!!」
「カケル、どうやらさっきの巫女が怒っていたのはそれだ」
「なるほど、だからあんなに激しい加護だったのか」
彼らは、何かに踊らされている。そうしなければならないように仕向けられているのだ。それこそが因果律の仕業だった。だが因果律は俺たちに何をさせようとしているんだろうか。ユリカが一度死んだのも、俺が成長するための関門だったのか? わざわざ成長させたのに、その俺たちを潰そうと敵を作るのか? 俺たちは本当に、自分の意思で動いているのだろうか? それすらもはや疑問だ。俺たちが思うことひとつひとつまで、因果律によって形作られているのだ。
もう、どれだけ火星と友好的にやっていこうとしても、彼らとは必ず戦いになるのだろう。
「見えない敵は、やっかいだね」
ユリカは悲しそうに呟く。これから戦が始まる。だが惑星間でどうやって戦うのか、何が起きれば勝利条件となるのか、一切分からない戦いなのだ。
「ああ、だけどどうにかしてこの鎖を断ち切る。どうにかして…」
俺たちはその日のうちに全ての遺跡を回りきり、ウルへ帰還した。ルーシの遺跡にいた第三の巫女は大きな猫のような姿をしていたが、因果律との戦い方を教えてくれた。それは、加護子の上位概念で体を包み込む必要があることだ。俺たちはそれを、因果子と便宜的に名づけた。それができるようになれば因果律と戦えるようになるようだ。
デガノの東にいた第四の巫女は、亀と鰐を合わせたような動物の姿だった。因果子を使いこなせない場合に地球から飛び出す方法を教えてくれたが、それは俺たちも手に入れていた加速詠唱の概念だった。その行き先は第五の巫女に聞くように促された。
最後のアボリグ中央部には、人間の姿をした第五の巫女がいた。因果子を使えるようになるのは難しく、ほぼ不可能に近いことが知らされた。彼女は、木星に用意した加速転移装置を利用して、ヴェガルまで人類が到達したことを教えてくれた。あの北極星、ヴェガルだ。そこには地球と同じような環境の惑星があり、12000年前の民たちは、当時の太陽王の力を使ってそこへ避難したのだ。
「やはり、木星というのは正しかったのね」
「ただし移住先はどうやらヴェガルのようだね」
ユリカの腕には4つの腕輪が光っている。俺の手にも入りそうだった1本だけは俺が持つことになった。
「さあカケル、王閣へ行こうか。火星との戦いをどうするか決めなければ」
「何千年ぶりの戦争だ? 俺たちが持っている常識の、まったく通じない戦いになるだろうね」
王城に着陸した飛空船から降りた俺たちは、駆けつけてきた近衛たちに囲まれて少々疲れ気味に王閣へ向かって歩く。
「アザゼルさん、虹色水晶を見つけてきましたよー! 1400キロぐらいはあるはずです!」
ユリカが闇の加護の中から、回収した虹色水晶を放り出すと、近衛たちは目を丸くしていた。
「せっ、せんっ!? よんひゃっ!?」
騎士になったら一緒に冒険しようとあれだけユリカと楽しみにしていたのに、因果律の起こした事態によってそれもたったの1日で終了だ。
だが俺は気落ちしているわけではない。それはこの俺の人生そのものが、冒険と同じようなものになってしまっていたからだ。困難な壁ほど、立ち向かうことに意義を感じられるのだ。