5話 最後の修目
カノミ流拳術の真髄は、加護を利用した認識のズレによる先制攻撃だ。そして、加護をまとった拳や蹴りによって魔獣を打ち倒す。騎士は従来、武器を使った攻撃を中心にするが、カノミ流は武器を失ったときでも戦えるのだ。
サノクラ師範も虹色水晶を探索していた職業騎士の頃、普段は長剣を使っていたが、いざというときは長剣を囮にして蹴りで戦っていたという。普通なら騎士は武器と合わせて加護による中・遠距離攻撃をするのだが、親父と組んで戦っている間にそういう形へ落ち着いたのだという。親父が詠唱を準備している間に魔獣へ襲い掛かり、注意をサノクラ師範がひきつけた後、親父の広域詠唱で一気に敵を沈める。敵が巨大だろうと、群れだろうと関係なく親父はぶちかました。かつて従騎記者が撮像に収めた親父とサノクラ師範の戦いの一幕は、紙伝にも載っていたが強烈だった。
10キロ級の魔獣、このときは13キロの虹色水晶が魔獣の核だったようだが、100匹以上もの野牛を従えた、魔牛と名づけられた北アズダカ大陸の巨大な野牛を、広域重力詠唱でいっぺんに捕らえた瞬間の撮像を撮った記者は、10キロ級の魔獣と戦う騎士たちの戦いを初めて撮像機に収めた者として、60年前から続いている権威のあるウル伝聞社撮像賞を取った。大地が広域にわたって黄色く光り、魔獣とその配下が強められた重力によって喘ぎながら地面へ突っ伏している瞬間だ。長剣を背に収めたサノクラ師範が陽動から退避して親父の後ろへ向かって走りこみながら、とどめのためであろう加護を右手に準備して緑色に光らせる。親父の騎士団<大地之団>の団員たち、このときは親父とサノクラ師範を含めて6人がいたが、それぞれ魔獣へ向けて色とりどりの攻撃詠唱を放ち始め、親父が両手を空へ向けて体中から鮮烈な黄光を発している躍動感に溢れるこの絵図は、世界中の人々に親父の特級騎士としての名を轟かせた。
サノクラ師範もその功績から特級騎士となれたはずなのだが、加護量もそれほど無く親父にはとてもかなわないとして、何度も王族から打診されたがすべて固辞したのだ。その逸話はかえってサノクラ師範の名声を高め、一級騎士たるものこうあるべきだという鑑だと言われた。それを聞いて親父も特級騎士を固辞しようとしたらしいが、このときは10キロ級の魔獣を倒すのが3回目で、さすがに地8の加護を持って騎士団の団長をやっているからにはということで、出身国のヤマタイ国主からも熱烈な要請があり、ついには王族から強制的に特級騎士にさせられたらしい。これは俺が3歳の頃だ。
その戦いの様子に憧れた騎士たちが次第に親父の騎士団へ加入し、俺が7歳になるころには20人の大所帯になっていた。創設時の騎士たちは何度も10キロ級の魔獣を打ち倒して全員一級となっていたから、そのとき世界で12人いた一級以上の職業騎士の半分が所属する、世界一の騎士団だった。魔龍との戦いによってこの創設時の6人以外の、若い騎士たちは命を長らえたが、サノクラ師範を残して他の5人は、二度と生きてダイムーの地を踏むことができなかった。
必要なのは拳を打ち込もうとする意思であって、拳を打ち込むことではない。最初は何を言っているのか分からなかったが、師範が見せてくれたのは、動かないはずの左腕による攻撃、かと思われるほどの体の動きだった。動かないのが分かっているのに、左腕により攻撃を受けたという体験をして初めて、それが加護の力と分かった直後には、いつの間にか後ろにいた師範から回し蹴りを喰らってしまった。つまり加護を体の延長として使うのだ。その技術を得るためには、高速度の移動だけでなく、強い意志を込めた虚像が必要になる。加護を得る前であっても、そういった修練は可能だ。
ユリカが目を輝かせ、腕を広げて俺に覆いかぶさってくる。なんで抱きついてこようとする虚像なのだ? しかし虚像は実体のように、小石も無いところですっ転ぶことが無いのですぐに虚像だと分かる。加護があればこの虚像自体が物理的攻撃力を持つのだが、俺たちにはまだできない。驚いたフリをして後ろに飛びのくと、やはりそれはただの虚像で、ユリカの気配はもう俺の後ろにあった。加護を得る前に修得しておくべき技術、このウツセミという技は、俺の方が先に覚えた。これがもし、躓きながらも攻撃をしようとする虚像なら俺も騙されていたかもしれない。だからユリカの甘いウツセミは半分読めていて、俺は振り返りもせずに左足を後ろへ伸ばした。
「ふぎゅぬっ…」
俺の足刀は、変な声をしたユリカの腰骨に当たったはずだ…いつものことだが変な声だ。ここで振り返ると、馬鹿の一つ覚えのようにもう一度ウツセミを出そうとするだろう。だから俺は、振り返るという行動をする俺を、ウツセミで作り出した。ウツセミというのは、もともとこうやって自分の行動原則に沿った形で使うものなのだ。
「たぁありゃーーーーあっ?」
「横だ」
「うそおぉぉー!?」
「ユリカ、使いすぎだ。動きが読めてしまってるぞ。あと、声を出しすぎだぞ」
俺はユリカの側面から、かかとを刈り取るように蹴りを出すと、支えを失ったユリカは床に手を突いて仰向けに転んだ。
「にゅがががっ」
「足元が留守…いやなんでもない」
「ううっ、それ師匠みたいなセリフ…」
「ハハハ、そろそろ終わりにするか」
俺もいったい何度「足元が留守だ!」と怒鳴られたことか、そのおかげで今では「留守」の意味が分かる。意思を足元にも常に置いておくことで、ある程度の物理攻撃に対する耐性が何故か高まることを知った時は、嬉しさのあまり何度も師範の攻撃を試しに受け、あざだらけになった。だから今では、刈り取るように足元を蹴られても、俺はユリカのように転げることはなくなった。むしろそれを起点として体を反転し、攻撃に入れるのだ。さらにはそうやって攻撃をしようとするウツセミを作り出して、実体は別のところへ向かうという芸当すらできるようになった。
ヤグラ師匠は俺たちに、朝の修練のためにだけ、カノミ物流社の高楼の鍵を貸してくれているのだが、そろそろカノミ社の社員達が出社し始める時刻だ、さっさと閉め直して俺たちも学校に向かわなければならない。
「ミュー! おはよおー!」
「ウフフッ、おはよう~、ユリカ。カケルもおはよう~」
「ああ、おはようミュー」
自然と波打った長い金髪の少女ミュー=カザタは、ダイムー大陸高校陸走大会の女子長距離走優勝者だが、別に体力だけが自慢というわけではなく、むしろ座学の方が優秀だ。彼女は生物学、それも遺伝学に深い造詣があり、おそらく並みの高校生では太刀打ちできないほどの知識を持っているが、彼女の夢は生まれ育った火星で穀物の改良を行い、収穫量を増やすことだ。人類は10億人といういまだかつて無い人口を抱え、火星にも進出したが、火星の地では穀物が簡単に生育せず、数多くの生物学者たちが火星で高い収穫量を得られる穀物の改良を研究し続けていたが、成果はあまり無かった。カノミ社が星間物流で食物の輸送を担うことで、火星の人々は食料に困ることは無いが、いつまでも地球からの輸出を続けていると、火星は赤字貿易となって火星経済が破綻してしまう。
それでも火星は経済が活発なので市民の総生産高は高く、火星でしか取れない鉱物がクルスタス機械工業へ納入され、それを使った生活必需機械が地球の各地で販売されている。火星表面は鉄が豊富なので、建築物もすべて石ではなく鉄を使って作られており、頑丈だ。だが重力が地球の三分の一しかなく、常に重力加護を発動させつづけなければ骨が弱ってしまい、二度と地球の土を踏めなくなる。だから火星では地球と違い、完全に加護に頼った生活をするしかないのだが、逆に加護が得られた者にとっては、火星は広々とした新天地なのだから、移住者はいまだに増え続けている。
それだけ加護者の割合が多いと、生まれてくる子供も加護適正者となる確率は高いようで、ミューのように火星から王都への留学をするというのは、火星人にとってよくある進学ルートだった。どうせ総合試験を受けに地球に行くのだから、高校は地球の高校へ、それもできるなら王立高校へとなるのが、火星人の親たちの考えだ。王立高校なら学生寮も充実しているし、火星からも王立高校への進学には補助金が出た。王立高校には火星出身者が2割近くいるほどで、人口比から考えれば相当な多さだ。つまり火星人といえば優秀、そう短絡的に言っても間違いではない。しかし、中には鼻持ちなら無い者もいるが、それはあまり思い出したくないものだ。
「ようヤマト、いつもどおり奥さんと同伴で出勤か?」
「んもおぉ、エスタ君冗談がだんだんひどくなってるよおー?」
「…やあおはよう」
その鼻持ちならないというのがこのエスタ=ユウチだが、こんな奴でも騎士になろうと言うのだから驚きだが、だいぶ遠縁とは言え、初の火星移住者である「星の賢者」イリガル=ユウチの一族の男子なのだから、多少は期待されているのだろう。長身で、赤い髪を気障ったらしくかきあげるエスタを見ていると俺の節制生活がなんだか馬鹿らしくなってきてしまうので、挨拶を返すのはいつもほどほどに、だ。ユリカも最初は目を点にして驚いていたが、最近は呆れているだけだ。
今日は試験前、最後の登校日なのだから、エスタと朝一番に顔を合わせるのも今日で最後かもしれない。だがエスタが適正試験に合格したら多分、そのまま第一高校に通い続けるだろうから、またこのどうしようもない他人を舐めたセリフを耳にしなければならない。今から気が重いが、これも試練だと思えばなんということはない。
騎士にはいくつかの型があるが、最も多いのが孤高の精神を持つ者で、俺もその一人だ。ユリカのように一般人と変わらない雰囲気を持っていても強い信念を持つ騎士もそれなりにいるが、一番少ないのはエスタのような何を考えているか分からないのに加護だけは得てしまうような人間だ。こいつはこいつで、家の名にかけて火星出身者たちの期待を背負うとか、そういうものがあるんだろうが、何かにつけて俺たちに絡むのはそろそろやめてほしいのだが。
最後の登校日は、授業があるわけでもなく、ただの進路相談があるだけだ。進路相談も一応は修目扱いだから、最後の締めというわけだ。俺は多分、教職員であったり「3年生」を受け持つ王立高校勤めの騎士を薦められるんだろう。
そうやって自分の運命から逃げることもできる。だが、俺はそうやって逃げることは恥だと考えているし、その重責に耐えられるように修行してきたのだ。だが、一般的に見ればそうやって逃げたとしても、誰も俺を責めないだろう。なぜなら親族が職業騎士として非業の死を遂げたのだ。そういう騎士の息子は、騎士を目指さないことの方が多かった。
担任のヤマノチ先生の父親が優秀な騎士だったため、ヤマノチ先生も子供の頃は騎士を目指していたらしいが、父親が再起不能の重症を負ったために、その夢は儚いものだと気づいたと言っていた。だが俺は諦めるつもりはまったくない。俺は、俺が知るべきことを知るための旅に出なければならないのだ。おそらく大変な旅になるだろう。たった一人でも成し遂げなければならない。それが、タケル=ヤマトの息子としての責任だと思っている。
時にその重圧に押し潰されそうになるが、ユリカの明るい声で正気を取り戻すことができる。そしてユリカと共に居ると、時々すべて投げ出してこの美しい少女と静かに二人で暮らそうかとも考えることがあるが、そうなればユリカは俺に失望するだろうからそんなことはできないのだ。ユリカに求婚しても、ユリカがそれに応えてくれるような男に俺はなりたかった。
一つ前の出席番号の男子に呼ばれてすぐ、廊下で待っていた俺は指導室の扉を開けて中に入り、差し出された椅子に座って静かにヤマノチ先生の目を見つめた。俺からは何も言うことは無い。
「騎士を目指すのか?」
「はい、絶対にこれは曲げるつもりはありません」
「王立高校づけの騎士という道もあるが」
「自分は、旅に出ます」
「そうか…ヤマトの覚悟は分かった。必ずやり遂げろよ」
「はい、ありがとうございます」
俺の進路相談はあっけなく終わったが、ユリカは多分ひと悶着起こすだろうから、長いだろうな。
「…いいえ! 絶対なります! 私はできます! そんなこと言わないでください!!」
長いな、と思ったら声でかいぞユリカ。心配になって廊下で待っていたら、予想通り先生に止められたのか、廊下まで聞こえる大声で叫んでいる。ユリカを止めることは俺でも無理だったんだ。そして俺も、ユリカと一緒に騎士への道へ旅立つことを望んでいる。小さい頃に、ユリカが騎士になるつもりだと打ち明けられた俺は、女の子に騎士は難しいと諭そうとしたことがあったが、思いっきり泣かれて延々と騎士になることの夢を聞かされて、その夢を止めるのは無理だと分かった。
クククと抑えきれず小さな笑い声を漏らしていると、怒ったようにガラッと扉を開けて仁王立ちになっているユリカがいた。
「むふー。女の子だって騎士ができるって証明してやるうー!」
ちょ、大声で進路をばらすな。次の子困ってる。
「えっと、次いいのかな?」
「あ、次どうぞ」
「ユリカちゃん頑張ってね…」
「いひひ、頑張る。はうっ! いててて…」
ユリカが出入り口の段差に躓きながら声をかけると、困った顔をした次の女子が指導室に入っていった。
「中の話、聞こえてた?」
「ハハハハ、声がでかいから聞こえてきたよ。予想通りだったけどな」
「んー。私はカケルに置いてかれないように立派な騎士になるよ?」
「置いてかないから安心しろ。むしろ俺が置いていかれそうだぞ」
「ぬっふふふふ、期待してるよー!」
その笑い方怖いな。けど、最近ユリカが奔放になってきたのは、見ている俺も楽しいからいいのだ。
「さて、帰ってから追い込みしようか」
「そだね! 何科目満点取れるかってところまで頑張ろう!」
「ほう、満点か。今のユリカなら結構いけるだろう」
「カケルには適わないよ。さっ行こー!」
適わないと言うが、それも計算学以外ならというところだ。計算学については俺はユリカに適わない。それにしても、俺もここまで真面目に、数字と相対したのは初めてのことだ。ユリカが教えてくれなければ計算学は赤点を取り捲っているに違いない。
「ほーら、数字は友達、数字は友達…」
「なるほど、俺には数字ほど苦手なものはないが、友達と思えば何とかなるってことか」
「そそ、数字は友達、数字は友達…」
「洗脳されそうだな」
こうして二年生最後の修目を消化した俺は、奇妙な手つきで俺に指を向けてくるユリカに洗脳されながら帰路についた。そうだな、友達だと思えば、数字の羅列もかわいいものだ。いや、本当はかわいくなどないのだが、そう思い込まねばならない。そう思わねばやってられないのだ。