66話 公開実験
「そんじゃ、重力子は別次元から漏れ出したものという概念の続きとして、逆に重力子を利用して別次元に接続するってことでいいべ?」
7月9日になって、クマソはついに出た結論をまとめて言う。なんとか飛空船の引渡し前日に理論形成が間に合ったのだ。
「そうすれば、4つの力の辻褄が合うねぇ。重力だけは弱すぎておかしかったからねぇ?」
エイルキニスの言うとおり、核力や雷磁力などに比べて明らかに異常なほど小さな力である重力の、真の理由が分かったのだ。
「理論式は、重力の11乗÷重力の4乗=時間の3乗×空間力場=一つの力。ずいぶんとすっきりした式になったものだよね、エイル」
「真理は単純だってことだねぇ、殿下」
マスタとエイルキニスの夫妻はにこやかに見つめ合いながら会話しているが、その内容はとんでもないことで、新婚夫婦の会話ではない。式にしてみれば、想像を超える力の大きさなのだ。そもそも、空間力場=重量×光速の2乗という、大きな力を生み出すための公式があったが、それをはるかに超える大きさとなる。つまり、重量×光の2乗に、さらに時間の3乗をかければ一つの力、つまり時空加護が導き出せる最大力となる。
「にゃはは、我にはちんぷんかんぷんなのだ」
トレノは首を傾げながら笑っているが、トレノだってその力を使って時間のずれた軸を見ることができる予知の加護を持っているのだが、きちんと理解して使っているわけではない。
「そりゃそうよ、ミューがまとめてくれてなかったら私たちだって同じよ。結局はミューのまとめが上手かったってことだよね」
「あら、ありがとうアイカル」
「そうするとトレノ姫の霧の加護というのは、次元のいくつかを部分的に破壊して並行世界を覗いているという、恐ろしく強力な加護だということになるべ?」
「だから並行世界の分岐があるせいで、予知が変動するのだな。おそらく理論的な理解度が低ければ、分岐が近い並行世界しか覗けないのだろう。予知とはすごいものだな」
クマソとゼルイドはとんでもないことを平然と言い放っている。
「これが次元崩壊と言われてもピンと来ないのだ」
そう言ってトレノが右手から出した霧の中には、噴煙を上げるアイラ山が映っていた。
「未来のアイラだね」 「噴火が大きくなってるね」 「それはいつごろの予知?」
「ちょうど1年後の今日なのだ。噴火も、これぐらいならまだ大したことはないのだ」
クマソの3人の妻たち、エアル、ノーレ、カルクラムのヤタミノ一家が噴火の時期を確認すると、トレノは正確な日付まで答えている。感覚的に、切りのいい日時なら加護で映し出せるのだろう。
「2年後は分かるかい?」
「うむ、出してみるのだ。ん? 霧しか見えないのだ」
「不確定ということかな?」
「ということは、アイラ山に対して誰かが何かをするんだねぇ?」
「何か? なんだろう?」
「カケルが噴火を抑えようとするんじゃないのか?」
「そうかもね? そしてその結果はまだ不明、と」
未来はまだ、分からない方がいいこともあるのかもしれない。絶望的な未来を思い描きながら仕方なく行動するよりも、希望を持ちながら最後まで諦めずに行動した方が、結果が変わりやすいのだろう。
「そのへんは一旦置いといて、理論式もできたんで加速詠唱を考えよー!」
「そういえばカケルがユリカを復活させるとき、闇の精霊じゃなくて世界に直接呼びかけてなかった?」
「あっ、そう言えば。普通と違ってた」
「え? そうだっけ? 当の俺が覚えてないよ」
ミューはあのときの俺の詠唱を全部覚えているのか、不思議なことを言う。俺も緊張していてよく覚えていないことだった。
「うんそうだよ、世界よその力を、って」
それであの加護が圧縮できたのか? 我ながら危険なことをしたものだ。それでも詠唱がうまくいっていたというのが奇跡的だ。
「じゃあ加速詠唱も世界への呼びかけで、一度やってみるか?」
「ああ、実験だな。外へ出ようか」
「それじゃ、お弁当を作るのだ! みんなちょっと待ってるのだ」
せっかくだからと、弁当を持って中央公園へ行こうということになった。ここのところ王城にこもりっきりだったのだ。たまには外に出ないと体がなまってしまう。ついでに報道陣も呼んでおこう。
「じゃあ、トレノがお弁当を作っている間に詠唱文を考えよう」
「一つの力を呼び出すところの前に、やはり折りたたまれた次元を展開する文は必要だべ?」
「蘇生加護みたいに11次元とかにならなければいいだろう。できれば連発できるような短さで」
その後マスタが作り出した詠唱は5次に短縮された詠唱だった。
「それじゃあ、こんな感じで。世界よその力を貸し与え、さらなる深みを見せ給え。ここ、短縮ね。時空の歪みを作り出し、高次の隙間から力を引き出し給え。ここも短縮。折りたたまれた次元を展開し、時と空間の力を開け放ち給え。ここまでで3次。これで力を引き出してその次に固定に入る」
すべてを短縮するわけではなく、区切りをつけて短縮することで詠唱をしやすくしているようだ。
「で、その次。この物体に力を分け与え給え。ここで、一つの力を加速目標物体に包み込ませる。この物体を加速し、それを持続させ給え。最後もう一回短縮。これで何量使う?」
「えーと、1・2が短縮、3・4が短縮、5・6が短縮、7そのまま、8・9が短縮? ごめん、俺はパッと計算できないや」
「ハハハ、カケルは計算が苦手だったな。短縮を4回使うから9かける4の2乗で144量だね。ちょっと加護量を使いすぎじゃない? 短縮は最初と最後の2回だけにすれば36量しか使わないよ。7次なら精神的にもまあまあ持つでしょ」
「じゃあそうしよう。ミュー、今のを変更できるかい?」
「ええと、うん、これでどう?」
ミューが差し出した紙には、7次詠唱が書き出されていた。これならユリカだけでなく、俺にも使える詠唱になるだろう。みんなでその出来に満足して頷いていると、トレノが近衛兵3名を伴って会議室へ走りこんできた。
「お待たせ! お弁当ができたのだ!」
「「「はやっ!」」」
「ハハハ、トレノ。最初に作ったお弁当からは考えられない成長ぶりだね」
「マスタ、あれは大失敗だったのだ…」
「カケル殿、それはあんまりです!」
「いやあ、やっぱりだめ?」
「せめてこれだけでも…」
外に出るのに執事服はやめてくれと近衛兵たちに懇願されて、せめて羽織だけでもと、手渡された金の刺繍がされたものにしたが、中身はただの黒い執事服だ。もう最近はこれが気に入っているので手放したくない感じがしている。
「そういえば二代目のサイカ王も着飾っていたという伝承は無いな」
「税金で食べてる身としては、国民の皆さんに示しがつかないしね」
「言われてみればそれはそうだ。ハハハ」
太陽王直属の特別研究騎士団、略して太陽団は合計15名を擁する大騎士団となっていた。俺は団長という扱いになり、ユリカ・トレノの王妃2人、アルケイオス・ミュー夫妻、マスタリウス・エイルキニス夫妻、クマソとエイル・カルクラム・ノーレ夫妻たち、イリス、アイカル、そして第一高校の講師だったゼルイドと隠密のアイデイン夫妻だ。
近衛たちは想定外の外出に慌てながらついてくるが、護衛など必要ないと言っても彼らは突っぱねるだろう。わざわざ近衛たちの分まで弁当を作っているのはトレノの心遣いなのだろう。
道を歩けば人々が手を振ってくれる。どうやら賢者2名と太陽王の合計3人が、強烈な加護風を感じさせるらしく商店の中に居る店主たちまで外へ飛び出してくる。気づけば俺たちの実験を一目見ようと後ろに長い行列ができていて、何かの式典のようになってしまっていた。
「あわわ、えらいことになってるよカケル…」
「ハハハ、しょうがないんじゃない…。もうのんびり遠足なんてできる身分じゃないな」
「想定外」 「道を歩けば行列に」 「太陽王の実験行列」
3人娘たちはなんだか詩のような言葉を続けて口にしている。既に中央公園は先回りしていた民衆によって人だかりができていた。
「みなさんー! 危ないですからもうちょっと下がってくださーい! はい、そのへんでー! そっち側は加護の射程になるのでよけてくださいねー! それじゃ実験を始めまーす!」
ユリカが王都の人々にお願いすれば、彼らはすぐにそのとおりに行動してくれるのだ。そして実験開始の声に大きな拍手が沸き起こる。ずいぶんと大人数の公開実験になってしまった。報道陣もちゃんと集まっているが、着の身着のままで高楼から出てきたのだろう、その場で荷物を広げて撮像機の部品を組み合わせている。
「さて、それじゃ何か重いモノを打ち出すか。地の加護で何かカタマリを作りますよ、カケル殿」
「あ、ゼルイド先生お願いします」
「むーん。ほい。ついでに重量を50倍ぐらいに重くしておくか。これで飛空船と同じぐらいの重さになるだろう?」
ゼルイドがずいぶんと簡単に地面から作り出した立方体が、宙に浮いた状態から地面に落ちると、激しい地鳴りがした。これは、相当に重たい物体になっているのだ。
「それじゃカケル、やってみる?」
「2回目の時空加護か。頑張ろう」
心の枷を解き放つと、ユリカを蘇生させたときと同じ強さの加護流がいとも簡単に噴出する。それでも加護流の圧力に体が負けてしまうようなことは無い。これならできるだろう。
「カケル殿、現在のところ王都直上に星間飛空船も、軌道上衛星もありません! 垂直上昇させてください!」
「ありがとう、アザゼル近衛兵長。じゃあ、無詠唱化はしないで、とりあえず口頭詠唱で行くよ」
「おー!」
「世界よその力を貸し与え、さらなる深みを見せ給え。時空の歪みを作り出し給え。高次の隙間から力を引き出し給え。折りたたまれた次元を展開し給え」
あの時と同じように、4色の光球が接近して一つになる。ただし前回と違うのは地の加護だけが他の10倍の大きさだということだ。詠唱を続けるうちに光球は黒く変色していく。報道記者たちはあわてて撮像を連射している。
「時間と空間の力を開け放ち給え。この物体に力を分け与え給え」
激しい低音を鳴り響かせながら、ゼルイドが作り出した土の塊へ加護流が纏わり付く。あの時のような稲妻は無く、なんだか穏やかな状態だ。無駄の無い時空加護の発現だ。そしてここからの2次部分は、先ほど確定した理論式を頭に思い浮かべながら詠唱する。
「…この物体を加速し、それを10分間持続させ給え!」
俺が想像したのは、最初はゆっくりと加速し、次第に加速度を上げる。さらに少し経ったらその加速度だけを維持して飛び続ける塊の姿だ。詠唱を終えると、シュウウという音とともに、物体が少しずつ浮き上がり始め、高度を上げていく。やがてその浮上速度は次第に上がっていき、はるか天空へ飛び出し、見えなくなっていった。持続時間指定は10分、あの加速度の上昇状態ならとてつもない早さまで加速していくだろうから、大気圏外までは確実に吹っ飛んでいくはずだ。
「派手さは無いけど、成功したみたいですね? あのまま加速し続けるなら木星への到達まで、5日ぐらいというのもできるかな? 思ったより早く行けそうだね」
俺の言葉に、人々は驚きの声を上げながらも、それは歓声へと変わる。ついに人類は、木星圏への到達を理論的に突破したのだ。だが実証には観測も必要になる。
「アザゼルさん、軌道上の観測機で、あの塊の状態って追えますか?」
「それはもう簡単に追えますよ。星間飛空船だってあれで管理していますから。観測状況を風伝で見られますので、その間に食事でもどうですか」
「じゃあお昼にしようか」
皆で車座になって弁当を広げる。トレノ自慢の特製弁当だ。これがもう、本当にうまい。今度はちゃんと人参もしっかりと煮てあるし、おかずの豊富さは高級弁当のようだ。
「トレノ、本当にこれをあの時間で作ったのか?」
「実はおかずはいつも、ある程度は仕込んであったから詰め込んだだけなのだ」
なるほど、そういうカラクリだったのか。道理で早すぎると思った。
「カケル殿! 実験体は第一宇宙速度を突破しました!」
ということは、既に衛星軌道すら飛び越えたのだ。あれはもう地上へ落ちてくることは無い。すぐに第二宇宙速度も突破するだろう。それが木星への必要最低限の速度だ。でもそれだと時間がかかりすぎてしまうので、それ以上の速度が必要だ。
「10.9……11.0……11.1……11.2。カケル殿、第二宇宙速度に到達です。これだと実験体には加速度がかかりすぎて、中に人がいると圧力で潰れてしまいますよ。この加速度の3割ぐらいでちょうどいいです」
「うわあ。それじゃあもう少し加速度は抑えないとだめだね。3割なら大丈夫だ。でもそれだと30分以上は加速しなければならないか。まあ、足りなければ再加速すればいいね」
しばらくすると10分が経過し、最終的な速度は毎秒17.6キロメートルとなり、太陽の重力を振り切ることができる速度となった。つまり、あの物体は二度と太陽系に戻ってくることは無くなった。アザゼル近衛兵長の速度報告に、人々は首をひねるだけだったので説明が必要だろう。
「えーと、皆さん。ただいまの実験は、飛空船と同じ重さの物体を時空加護によって加速する実験でしたが、太陽の重力を振り切る速度まで加速できましたので、自由軌道での木星への到達が可能となりました。つまり実験成功です!」
立ち上がって説明すると、やっと意味が分かったのか拍手が巻き起こる。報道記者たちも必死に何か書きとめているようだ。
「明日からがまた楽しみだのう」
トレノは弁当のおかずをほお張りながら明日以降の旅に想像を膨らませている。そう、明日からは飛空船で遺跡回りだ。ついでに飛空船を大気圏内で加速させる実験も同時に行えば、高速で移動できるからちょうどいいだろう。