62話 目覚め
――王都のあちこちから悲鳴が上がる。映像撮像機によって捉えられた映像が、街中の巨大映像機に映し出され、彼らは信奉する者が力を失うその瞬間を目の当たりにした。彼女がいなくなれば大いなる災いはいったい誰が対処するのか? 時空加護が無ければ木星圏の調査はおろか、移動・移住もできなくなる。つまり彼女の死はこの世の終わりを告げるものだった。
「ああっ賢者様が! そんな…そんな!」
「なんてこと…! 信じられない…」
誰もその光景を信じたくなかった。執事と思しき男に抱きかかえられ、瞳を閉じた偶像はもう二度とその目を開けることは無い。回復加護はこの重い致命傷には効果が無かったのだ。
「待って、何かしようとしてる!?」
「あの男は何者だ!? そうか、彼は賢者様の部下か…」
「ううっ、こんな悲しいことって…」
巨大映像機には、雨の降り出した空に向けて雄叫びを上げる若い男が大写しとなっていた。その目は悲しみに溢れ、その悲壮感は画面を通して、街角のあちこちに設置された映像機の前に立ち尽くしていた300万人を、ともに涙へ誘っていた――
「ユリカーーーーーーーーーーー!!」
「ユリカ…」
誰もがやるべきことを見失っていた。ただ、その少女の名前を呼ぶことしかできず、降り始めた雨の中にその身を置いているだけだった。だが、俺だけは違っていた。
「5分だ! トレノ、5分を数えろ!」
「カケル!? 何をするつもりなのだ?」
「因果律を崩壊させる! みんな離れろ!」
「えっ!? わ、分かったのだ! 今たぶん、1分30秒ぐらい!」
俺の言葉に、これから起こることを理解した木星華之団の団員がすぐさまその場を離れる。
「離れて! 危険です! 報道記者も下がってください! 巻き込まれると死にますよ!」
「なっ!? 何を始める気だ!?」
半径30メートルほど離れたところで、皆が俺とユリカを見守る。因果律という言葉に、騎士たちは驚きの表情を見せた。報道記者にはその意味が分かっていないのだ。
「2分!」
トレノは、ユリカが攻撃を受けてから2分経過したことを告げる。因果律修正が許容されるまで、あと3分しかない。それまでに時空加護を発現させ、11次詠唱でユリカを取り戻すのだ。
考えろ! どれだけユリカを愛していたか。
考えろ! このあと世界がどんなことになるか。
考えろ! 俺の力が成すべきことを。
「なっ! 4色の…! たっ、太陽王だ!」
巨大な4色の光球が俺の周囲を回転する。その光球同士の間には紫電が走り、俺の、俺自身への怒りがそこに現れている。低く激しい音と電撃の音が合わさり、脈動するようにその場を包み込んでいた。
「あれは太陽王!?」
「彼が太陽王だったんだ! 賢者は死んでいるのか!? まさか、彼は復活させる気なのか!?」
「お願い…ユリカ様を助けて…」
民衆は固唾を呑んで映像機を見守る。本来、御前加護戦が王都のみでしか閲覧できないように制限されていた接続が解除され、次の瞬間には世界中の街角に設置された映像機へ映像が転送される。その突然の画面の切り替わりに驚いた者たちも、画面に映る4色の光球と、死んでいるように見える闇の賢者を見て状況を理解する。世界が今、太陽王を発見し、そして闇の賢者の復活を願った。
「3分経過!」
あと2分か。この4つの力を、ひとつに合わせる。完全にひとつにするのだ。今までに無い一致性を作り出せ!
「うあああああああぁ!」
加護の激しい圧力が体を軋ませる。これは激痛だ。だがそんなことは言っていられない。やっとひとつになったこの光を、今度は圧縮するのだ。ユリカは、狭い領域に押し込めればいいと言っていた。
「うぐうぅ、ううっ…」
「カケル…苦しいの!? か、髪が真っ白に…」
自分の手を見やると、体中から色素が失われていくのが見える。おそらく髪は白髪に、目は赤眼になってしまっているのだろう。体の中からあらゆるものが搾り出されていく感覚が俺を襲っているのだ。まだ力が足りない! 必要なのは…
「じ… 人類を救う心を… うぅっ」
「頑張って!」
「頑張れカケル!」
みんなが励ましてくれると、痛みが少しだけ和らいでいく。そうか、たった一人で全てを背負おうとするんじゃない、みんなで力を合わせればいいんだ。俺はもう一人じゃないんだ。
「…みんな、力を貸してくれ… 加護流を俺に…」
「どうやって!? とりあえず加護を流すぞ!?」
アルが俺に向けて加護流を緩やかに流すと、その緑光は白光球の中へ吸い込まれていった。これならいけるはずだ。
「これは、俺たちも力を合わせることができるのか!?」
「4分経過!」
「私も!」
「俺も手伝うぞ!」
色とりどりの加護流が、次々と白光球の中へ吸い込まれていく。そのおかげでもう、痛みはだいぶ和らいでいる。巨大化した球体は、あたりに稲妻を散らす。猛烈な量の加護が今、ここへ圧縮され始めたのだ。
「音が変わった… あっ、風が…」
低かった加護発動音に金属のような音が混じり始め、音はさらに明確に脈を打ち始める。あたりには激しい風が吹き始め、雨を降らしていた雲を吹き飛ばすうちに、太陽が姿を見せていた。太陽よ、俺にもっと力を、世界を救うために、この愛する少女を救う力を貸し与えてくれ…
「あと30秒!」
もう時間が無い。詠唱を開始しなければ。たった一度しか、試みは許されない。
「世界よ、その力を貸し与え給え! その力のさらなる深みを我に見せ給え! 時空の歪みを作り出し給え! 高次の隙間から力を引き出し給え!」
光は次第に小さく圧縮され始め、色が次第に黒く変わりだす。激しくなる脈動がやがてひとつの音になり、高音の大音響が声を掻き消し始めるが、不思議とトレノの声はよく通る。
「うまくいっているぞ!」
「折畳まれた次元を展開し給え! そこにある因果律を見つけ出し給え! 我の愛する少女の魂をそこから導き出し給え!」
「あと20秒!」
「そして世界よ、因果律を変更し給え! 我の愛する少女が傷つく前を導き出し給え!」
黒い小さな球が、ユリカの上に降りてくる。これで目覚めるんだユリカ。俺の、いや俺たちの愛で、世界の希望が詰まったこの力で。そして俺たちと一緒に、未来を切り開くんだ。
「あと10秒!」
「…その時間へ少女の体を戻し給え! そこに少女の魂を戻し給え!! これでどうだぁっ!!!」
黒球はか細い少女へ黒い光の筋を浴びせていく。ぎりぎり5分、だが本当に5分まで蘇生が効くのかどうかはユリカしか知らない。おそらく蘇生加護自体はうまくいったはずだ。これは確かにきつい詠唱だ。
「…どうなったの!?」
「うまくいった。あとは加護に任せる」
黒い靄がユリカから離れていき、あれだけの量の加護流があったのにもかかわらず、その全てを因果律の変更に使い果たされ、消えていく。するとユリカはぱっちりと瞳を開け、疑問の表情で俺たちを見回す。俺は愛する者を再びこの手に、取り戻すことができたのだ。ありがとう、太陽の力よ。
「あれっ!? カケル、蘇生加護使えるようになったの? 私、死んだんじゃなかったっけ?」
「ユリカ! やったぞみんな!」
「おっしゃあぁー!!」
「ばんざーい! ばんざーい!」
腹に空いた穴は消え、むっくりと起き上がるユリカにみんなが駆け寄る。もうみんな、顔がひどい状態だ。嬉し涙というのはどれだけ流したって気持ちのいいものだ。報道記者や近衛兵、隠密団、そして観客の中にいた見知らぬ騎士たちまで一緒になって、その喜びを体中で表現していた。
「太陽王、お見事でした!」
あっ、そうだった。もろにばれてしまっていたんだ。それも世界中に。これは即位とかすぐにしないといけないのだろうか?
「おいみんな、胴上げだ!」
「えっ、ちょっ!? うわっ」
「もう気持ちが収まらないべ! 胴上げさせやがれ! それから早く結婚しやがれこの野郎ぉ!」
「わ、分かったから! おわっ!?」
「うそっ 私もっ? きゃーっ! おろしてーっ!」
「わっはっはは」
頭をぐしゃぐしゃにしながら木星華之団の団員たちに胴上げされる俺とユリカの映像が、世界中へ発信されていった。ついでに、胴上げによって捲りあがったユリカの下着まで一緒に世界中へ配信されてしまったようだが、それもご愛嬌だ。