49話 攻防一体
神官主はすぐに予知・予言・予兆の類をかき集め始めた。1月の段階では海に異変があるという予知情報しか集まらなかったのだが、現在では海にさらに強い凶兆が出ており、さらに噴火に関するような火の凶兆まで情報が寄せられ始めていた。
おそらく先に海で何かが起こる。それに付随して噴火が、しかし緩やかに始まるのだろうと推察できた。予知情報は速やかに伝聞社へ流され、アイラ周辺の国民には注意報が出されたが、まだ勧告や警報の段階ではない。
神官が研ぎ澄まされた精神によって先のことを見るだけでなく、偶然に予兆を見つけた者や予知夢を見た者たちからも情報を集め、それらを複合的に織り合わせて出た結論、それが神官主の予知なのだ。神官主自身が未来を見ることもあるし、一切分からないでいることもあるのだ。
温泉から帰った俺たちは紙伝に書かれたこの先の不安はさておき、神術の最終訓練に臨んでいた。地の加護で軽くした岩を2人1組になって投げあい、神術で破壊するのだ。
破壊した岩は再び地の加護で固める必要があり、ゼルイドも含めて何人かの講師が補佐として一緒に授業に携わっていた。
「ハハハ、執事殿は大変だな! 執事殿のご主人は手加減を知らないらしいな!」
激しい速度で俺に向かって岩を放り投げるユリカを見て、ゼルイドが冷やかしていた。いくら軽くしているとは言え、その速度は異常だ。よく見ると右手から黒い加護が出ているから、何かしているようだ。
闇の加護で物体を加速させるための詠唱を思いついたのか? つまり俺は実験台ということだ。猛烈な速度、ほとんど一瞬で俺に到達する岩を、必死になって大剣で切り裂く。軽い岩でもこれだけ速度が出ていると、気を抜いたら大怪我してしまう。
ただ切り裂くだけだと破片が当たるので、大剣に纏う加護の量を増やして、剣の軌跡を下から上へ持ち上げて、体は脇に避けながら振り抜く。うん、これなら魔獣の攻撃を避けながら剣を振るうのと体勢が同じだ。もうほとんど実戦的なものだ。
これが魔獣ならば、こうやって避けながら攻撃しなければ、細かい軌道の変動や腕から爪が伸びてきたりするだろうから、対処できないだろう。
可能ならば武器を当ててそれを軸に避け、そのまま体重移動で剣を魔獣へ押し付けて切り裂くのだ。
「カケル! 交代よー! 私と同じぐらいの速度でお願いね!」
「畏まりましたユリカ様!」
同じくらいの速度で? それは少々速すぎるな。よし、それじゃあと俺は少し考えた後、岩の前方にユリカの方に向かって落ちる重力加護を取り付けて、思いっきりぶん投げた。
ユリカも俺と同じように、脇に避けながら岩を切り刻んでいる。
「いい速さね! ちょうどいいよー!」
「はっ! どんどん行きます!」
ユリカが投げる速度以上のを投げたつもりなのだが、ユリカはちょうどいいという。この子は動体視力が俺より良いのだろう。次第に、岩は切り刻まれて後ろに落ちるのではなく、一部が俺の方まで跳ね返ってきていた。どういう原理なんだ?
「みな手を休め! 闇の賢者、カノミ殿の動きをよく見るんだ! カノミ殿、続けてくれ」
ユリカの動きは攻撃と防御が一体化した、お手本のような体捌きだった。ドラグセン騎士がそのユリカの動きを見るように生徒全員へ告げた。
「このように、魔獣と戦うときには攻防一体でなければ、攻撃に回る機会が無い。この執事殿が投げるような速度で接近してくるような敏捷な魔獣も多いので、攻撃を避けながらも致命傷を与えるという考えで戦う必要があるのだ」
皆、ユリカの動きを見て納得し、真剣な顔つきでその動きを目に焼き付けようとしていた。翌日までにこの捌き方が出来るようにならなければ、アトラタスで命を落とす可能性があった。
ゼルイドたち補助講師は、ユリカの後ろでバラバラになった岩を加護でもとのように固めなおし、俺のほうへ運んでいた。
今日と明日、この授業を続けた後は少しの休みがあった後、アトラタスへ旅立つ。この第一高校の校内で授業を受けるのも最後だ。その後は皆それぞれの研究に没頭するため、学校へ来る必要は無いのだ。もちろん校内は開放されているので、学校で研究しても良い。
だが俺たち木星団だけはアトラタスの後に御前加護戦に出場することになっていた。紙伝にはそれぞれの高校での校内戦の内容や選手の氏名が書かれており、圧倒的な決まり手がずらりと並ぶ木星団には、やはり賭ける人が集中してしまい、1.0倍の元返しになりそうだった。
つまり、負けたりしたら世界中の人から怨嗟の声が響き、えらいことになる。とても辞退しますとは言えないのだ。
他の生徒たちは再び、自分たちもユリカと同じように岩を切り裂けるかどうか試す為に離れていった。数名はすぐにできていたが、体捌きにはまだ時間がかかるようだった。
だが見本をその目で見たのだ。ここにいるのは選りすぐりの頭脳と体力を持った騎士たちなのだから、たった1日でもかなり形になる状態で修得するだろう。
ちらりとエスタの方を見ると、どうもうまく行っていないようだった。どうも雑念が多いし、加護流の操作がうまく行っていない。加護流が暴れているのだ。不審なことを考えている証だった。
それでも最後の校内授業の日には、ほぼ全ての生徒が上手な体捌きを修得していた。修得できなかった生徒は、アトラタスには行かないというので構わないのだろう。
最後に、全員校庭へ並び、ドラグセン騎士へ丁寧に頭を下げた。
「この中で、アトラタスに向かう組は一歩前へ出よ」
足を踏み出したのは、白鯨団、赤い火星強騎士団、華之団、木星団、そしてもう一つ、校内加護戦で白鯨団と同等の力を発揮した鳳凰団の5つだった。生徒数はとうとう、28にまで減っていた。
「ん? 今年は多いな。いいか、生存学というのは戦うための学問ではなく、死なないための学問だ。決して死ぬな。神術を使いこなして、逃げるべきときは逃げろ。生きていればまた戦えるのだから、逃げるのは恥などと考えず生き抜け。私からは以上だ。では諸君、祭典で会えることを祈ろう」
「「「ありがとうございました!」」」
再び俺たちが声を揃えてドラグセン騎士に感謝の意を伝えて頭を下げると、ドラグセン騎士は目を細めて少し顎を引いた後、踵を返して去って行った。
わずか5日だけの授業だったが、授業内容や講師の言動から得られたものは、とても濃かった。
その後、ゼルイドから補助的な説明があった。
アトラタスでは最初の1日だけ全員で過ごした後、そこから全員別々の目的地へ分散して進むという話だった。エスタが犯行に携わっている場合は、引率の講師までもその一味ということなのだろう。エスタの組を補佐する詠唱学の講師は、たしかに火星出身のようだ。
「支給される食料は3日分だ! それに対して、出発地からそれぞれの目的地までは約10日かかる工程だ。つまり7日分は現地で食料を確保すること! 各人とも、2週間は持って歩けるように大掛かりな荷物を持たずに、6月13日の朝9時に再びここへ集合だ! それまで3日ほどの休みの間に準備しておくこと!では解散!」
時間はもう夜7時に近かったが、日が長くなっていてまだ日没まで多少時間があった。薄く棚引く絹のような雲が、橙に染まる夕暮に浮かび、そこかしこで早めの羽化をした蜩が物悲しい声を上げていた。