36話 近づく終焉
夕食後、風伝に風王家についての情報が流れると、トレノが寂しそうな顔をして俯いている。その姿に、これまた俺の心臓が直撃される。
「ん? どうしたトレノ」
「カケル、ちょっと甘えたいのだ。ちょっと嫌なことを思い出したのだ。いいか?」
そういえばトレノは以前、風王城で酷い目に遭ったから、その時のことを思い出してしまったのだろう。この子も強く生きてきたんだ。
「うん、おいで」
「うひひ、思う存分カケルに抱きつけるのだ」
「あー。ずるいよトレノ。カケル、私もいい!?」
「ああ分かった分かった。2人ともおいで」
「エヘヘ…」
居間の柔らかい大椅子に腰掛けている俺の横に、2人がそっと座ると、俺は2人ともそれぞれの腕で抱きしめて胸に寄せた。こんなことで堕落の心は起きない。どうして今まで、こんな簡単なこともできなかったのだろう。俺の胸の中で2人は顔を見合わせて笑いあう。夫と妻たち、というよりは3人の兄妹たち、そんな感覚が湧き上がる。
「カケルの胸の中は気持ちがいいのだ。なんだか妹みたいな、妹を抱きしめているという感じがするのだ」
訂正しよう。どうやら3人の姉妹たちという感じで、しかも俺が一番下のようだ。
「カケル、今なら誰も見てないんだから、ね…?」
うん、確かにアイデインの気配も無いな。って、何をさせようとしているんだユリカ?
「ん? もう子作りするのだなユリカ。さすがにそれは早くはないか? やるなら先にいいのだ。我は心の準備ができていないので、今日は仕方なく別室で寝るのだ」
「何っ!? そういう意味か!?」
「ええっ!? ちっ、違うってばあー! 子作りもいいけど…。口付けぐらいいいかなと思って」
「なんだそういう意味か。我は勘違いしたぞ。ほら、カケルも驚いて鼓動がおかしくなってるのだ」
もはや俺の心臓は早鐘のごとくだ。勘違いにもほどがあるじゃないか。だがそれはお預けだ。
「ふう、驚かせるなよトレノ。でもそれはしっかり即位と結婚式をするまでは駄目じゃないか? そういうことには、けじめをつけるべきだと思うんだけど…」
「カケルは硬すぎるのだ。まあ、照れちゃってるカケルは可愛いからそれでもいいのだ」
「ぷぷっ、カケルらしいと言えばカケルらしいねー! まあ、我慢できなくなったら寝てる間に襲えばいいよね、トレノ」
「そういうことなのだ」
「襲わないでくれよ!? いや、もう逃げられないのか…」
夜は3人を包み込むように更けていく。気がつくと、大椅子で寝息を立てる2人を抱きしめながら、俺も安眠して朝になってしまっていた。だがこの心の平穏が、何もしないでいていつまでも続くわけではない。永年にわたる平穏へ導くには、いくつもの壁を乗り越える必要がある。この2人が安心して暮らせるように、俺は決意を新たにした。
火星でおかしな動きがあることが分かった――あれから週一度に抑えている爺様との打ち合わせで、火星の動向が分かってきた。火星では最近、選民思想というか、火星に優秀な人が多いからという理由で優れた者しか移民として受け入れない、という風潮が出てきていたようだ。
中には火星を追い出されてしまった人まで出てきたようで、シスカ王はユウチ宰相兼火星開発大臣へその真意を問い質したが、ユウチは火星上で太陽王を探しているだけで、自分はそのようなことは知らないとしか言わない。詳しいことは市長にでも聞いてくれということだ。
火星は一応自治を認められた地区なので、火星の大障壁都市・マズルの市長はユウチ宰相の兄なのだが、他の都市を従え、ほとんど一国の王のように振舞い始めていた。
動機がおぼろげながら見えてきたが、おそらく関わっているのはこれだけではない。コーエン=ユウチ宰相も、その弟のコライド=ユウチ市長もその氷山の一角なのだ。彼らだけで魔龍を出現させるようなことは考えづらいし、おそらく数十名規模で協力関係のある人間がいるのだろう。
闇の加護を研究したおかげで、魔龍と親父、サノクラ師範の間に起きた現象に説明がつけられそうになっていた。魔龍が使ったのは時空加護なのではないか、ということだ。黒い龍だったというのもその推測を支えるものとして考えられた。
つまり、親父とサノクラ師範は、魔龍が使用した時空加護によって別次元へ放り出され、別の時間にこの次元へ戻されたのだ。だがサノクラ師範は暗転が一瞬であったと認識しており、別次元では時間の概念が無い可能性が高まった。
だがまだ謎は多い。何故魔龍のような強力な魔獣が、それまで発見されていなかったのにも関わらず、カイザから目と鼻の先にあるカマチェスカ半島で、それも魔獣は狩りつくされたような地で都合よく見つかったのか。そして、何故死亡したと思われる4人の遺体が忽然と消えてしまったのか。さらには、魔龍はどこへ消えたのか。
「もしや魔龍は、作られた魔獣なのではないか?」
アルケイオスは普通なら考え至らないようなことを口にした。研究団はそのまま太陽王暗殺の陰謀を追う捜査団ともなっていた。彼らの知恵が俺には必要なのだ。さらに今日は、サノクラ師範にもユリカ家へ来てもらった。
「作るというのは、どうやってだ?」
「魔獣はもともと、虹色水晶を手に入れてしまった動物の成れの果てだろう? だから、魔龍はヘビみたいなものに虹色水晶の欠片を取り込ませて、無理に魔獣へ変化させたのかもしれないよ」
やはり、そういう結論になるはずだった。俺が考えていたことと同じ、虹色水晶の最も危険な使い方だ。だとすると、相当多くの欠片を取り込ませたに違いない。しかしその魔龍が現在見つからないこととはつながりがない。
「もし人為的に作り出した魔獣だとしたら、あの強さは虹色水晶20キロ、いや30キロ級だ。私の加護はまったく通じないが、タケルの加護も鏡のような銀の障壁で跳ね返されていた。さらに体術で近づいても損傷を与えられなかった」
サノクラ師範が当時のことを振り返って分析していた。
「銀の障壁…時空加護で障壁が作れるのでしょうか? しかも風の障壁と違って相殺するのではなく跳ね返されたのですね?」
ミューがサノクラ師範へ重大なことを聞き返した。そういえば、障壁のことなんて聞いていなかった。それに答えられるのは一人だけだ。全員の視線がユリカへ集まる。
「たぶんできると思う。次元扉を、入り口と出口を同じ方向に向ければ、入った瞬間に跳ね返ったかのように出てくるようになるんじゃないかな。鏡になっていたのは光も跳ね返ったからじゃ?」
「そういうことか!」
つまり時空加護はどんな詠唱も跳ね返してしまうのだから、ほぼ無敵だということだ。魔龍を圧倒するには魔龍を含む広大な空間全域を、一気に時空加護の流れで包み込んで別次元へ放り込み、宇宙空間にでも投げ出すしかない。
さすがにそれは、詠唱として行えたとしても、20メートルはあるという魔龍を、周りの空間もろとも包み込むのはユリカであっても加護量が足りない。詠唱で使う量とは別に、包み込む加護が必要だからだ。
「いずれ、俺も釣り餌に引っかかってやる必要があるかな」
「だめだ! カケルは…そんな危ないことは絶対にだめなのだ! 我は絶対にそんなことはさせないのだ!」
このままでは陰謀組はいつまでも尻尾は出さないため、一網打尽にするには現場を押さえる必要がある。だが俺が自分の身を危険に晒すことは、俺が良くてもトレノは許してくれなかった。今にも泣き出しそうな顔で、いやもう泣き出してしまった。
「ごめんトレノ。分かったよ、しないよ」
最近は家事にも慣れてきたので髪を後ろへ結わずに下ろしているトレノの頭を、俺は抱きしめながら撫でてやった。トレノは「うえーん」と泣きながら必死に抱きついてくる。
「だが、どうにかして一網打尽にできる方法を考えださなければならないね。カケルが囮になるのは論外だね」
マスタにまで却下されてしまった。だがみんなマスタに頷いているので囮案は全会一致で否決だ。そしてなぜかユリカまで俺に抱きついてきてしまっていた。そうだ、どちらかに偏ることなく、2人とも平等に愛さなければならない。だがいつまでも抱き合っているわけにはいかないのだ。
「すまないが、2人ともここまで。みんなの前であまりはしたないことはだめだぞ」
「いいのよ~ 王と王妃たちが仲睦まじいのは民にとって嬉しいことよ~」
俺は2人を嗜めたが、ミューは相好を崩して許諾する。
「そうだな、確かに微笑ましいな。ユリカも、トレノ姫も幸せそうで羨ましいぞ」
ミューとアルが肯定しているので2人とも離れないのだが、さすがにみんなの前ではと思い、悪いと思いながらも2人を引き離した。気持ちはありがたいので、きちんと礼を返すつもりで2人の背中をバンバンと叩いた。
男女の仲の良い姿を見せられてしまったミューは、アルの横顔を見て切ない顔をしている。アルは気づいていないのか? 背中を叩かれて顔を膨れさせているユリカとトレノを、アルはにこやかに見ている。どうやら気づいていないようだ。今度はミューを助けてやらなきゃな。
「あ、そうそうユリカ。社印は押しておいたぞ。こっちはユリカが控える契約書だ。引渡しは8月12日で良かったのだな。一応整備は、7月中には終わらせておくようにするぞ。もっと早く必要になりそうな場合も、ちょっと整備士を多めに入れれば可能だ」
「お父様ー! ありがとうございます! 振込みは加護戦が落ち着いてからにさせてね」
ぐへへとサノクラ師範の顔が崩れる。なんだこの顔は、とても元騎士とは思えない。ユリカが「お父様」と呼んだらいつもこうなのだ。だが嬉しいのだろう、大事に育てた娘が立派になって、人の役に立とうとしているのだから。
サノクラ師範が持ってきたのは飛空船の売買契約書だった。カノミ社との契約は正式に完了したのだ。使えなくなっている力石は1つだけと、なかなかいい飛空船だったのだが、代金は当初の口約束どおり5200万ムーで良いとのことだった。
中古市場で買うとおそらく6000万はするので、こんなに安くしてくれていいのかと思うだろうが、そもそも普通にカノミ社が業者へ売却すると、業者が中抜きをするために5000万も入らないのだから、直接売買は両者にとって利益が大きかったのだ。
おふくろが俺のために貯めてくれた巨額の資金は、有意義に、かつ節約して使われた。それに、まだ余っているぐらいだ。物資も半年で1000万ムー程度におさまるはずだから、研究団としてではなく、卒業後の騎士団としての活動のための資金も1600万ほどは残るはずだった。
「すまんがひとつだけ、悪い知らせがあるのじゃ。言い出しにくいのだが言わねばならんじゃろう」
爺様、つまりシルベスタ先王が急に話題を変えた。陰謀のこととは違う悪いことなのか?
「大いなる災いの時期は…相当近いことが、巫女の予知で分かったとイーノルスが伝えてきた」
「近いとは? いつごろなのでしょうか?」
アルが爺様へ、言いにくいのであろうその残りの年月を聞いた。
「…あと、2・3年じゃ…しかし時間が無さ過ぎる…」
そうだった、災いのことをすっかり忘れていた。それにしてもたったそれだけの猶予しかないのでは、どれだけ計画がうまく進んでも10億人の移住は無理だ。
「それだけしか残されていないの!?」
ユリカが絶望的な声で爺様に詰め寄るが、爺様は目を瞑ってユリカの目を直視することは避けた。そう、無理だ。いくら木星を開発したところで、火星だって移住には10年かかったのだ。もう間に合わない。気づくのが遅すぎたのだ。そんなわずかな猶予では、誰も救えないかもしれない。それでも挑戦するのか? いや、挑戦するのが俺の、太陽王の使命だ。それをここにいる仲間へ伝えるのが、最初の一歩だ。
「太陽王として、みんなに告げよう」
ユリカが泣きそうな目で、その他のみんなもすがるような目で俺を見ている。そうだ、今みんなは一時的に自信を失っているのだろう。俺だって不安だが、自信を取り戻させてあげなければ。それは王として、臣下に対して取らねばならない態度だ。
「太陽王は、10億人を木星へ移住させる。それが使命だ…俺は最後の最後まで絶対に諦めない。太陽王の力に不可能は無い!」
一人一人の目を見て、俺はさらに力を込めて言う。
「だが俺一人だけでは、もちろんユリカ一人だけでも無理だ。だからみんな、協力してくれ! 世界中の人々をみんなで救おう! やるぞ!」
その場に居るもののほとんどが、俺からほとばしる加護の量に身震いをしていた。いや、やる気が漲っての武者震いだったのかもしれない。俺たちは、喉が裂けるかと思うほどの声で応と鬨をつくった。まだまだ分からないことは多くあるが、俺たちにもう不安は無かった。




