33話 蠢く者
第二章開始です。物語は次第に第三章に向かって盛り上がって参ります。
―――――――ゴトリ
岩と岩が鬩ぎ合うその場所で、くぐもった振動が響き渡る。気の遠くなるほど大きな力を、ただ一時だけ支えていたその根幹が、その重みに打ち克つことに疲れていたかのような―――――――
――――暗い部屋の中央で、酒の入った器を手の中で転がす主人が、額にびっしりと汗をかいて体を小さくしている配下から報告を受けていた。
「で? まだ見つからないのか」
「は、はっ…王都は闇の賢者の情報で混…」
「言い訳はいらん」
「…はっ」
「選ばれた者のために、貴様がやるべきことはなんだ?」
「誰よりも早く三代目を見つけ出し、永遠に…眠らせることです」
「人類の未来がかかっているのだ。結果を出さねば貴様だけの問題ではなくなることは覚えているだろう?」
「か、必ず結果は出しますので! どうか娘には!」
「馬鹿め。貴様のかわりなんぞいくらでもいるのだ。早く結果を出してこい」
「…はっ」
そう言って背中を向けた主人を、配下は鬼の形相で睨みつけながら部屋を出て行った――――
――――愛している。こんな小恥ずかしい台詞が平気で言えるようになってしまった。長年共に過ごしたユリカだけではない。自分を曝け出して精一杯生きているトレノも、心から尊敬できる大事な家族となったのだ。愛は堕落ではなく、根幹だったのだ。別に肉体的に契りを交わしたわけではない。だが、心はすでにつながっている。アイラの頂上でだけ感じられた特別な気配が、俺の周りに充満していることに気づいた。
力の解放は4段階もあった。一つ目は謎の発光体による加護の開放、二つ目はアイラの頂上での開放、三つ目が知識の泉からの奔流による開放、四つ目が愛に気づくことによって得られた開放だ。もしかしたら、ここまできたらまだあるのかもしれない。
この先は分からない。だが、既に十分なほどの力を、この世界から借りることになっていた。この力ならば、初代や二代目の太陽王と同じことができるはずだ。親父は、ただ自分に厳しかったのではなく、俺たちを愛するが故に自分を厳しい道へ追い込むことができたのだということが、今更ながら理解できていた。
「カケル、すごい力が溢れてるよ!」
「本物の太陽王の力は、このようなものだったのだな」
2人を抱きしめて髪を撫でてやる。だがこれは堕落ではなく、愛の表現だ。この子たちがいるからこそ俺は頑張れるのだ。俺は生まれて初めて、本当に信頼できる仲間を得られた。大きすぎる加護が体からほとばしっていく。
「カケル、初めてカケルを見たときにね、これと同じ風を感じたんだよ。疲れとか痛みは全部吹き飛んだのよ」
「そうだったのか。これは水の加護が勝手に動いているのか? 道理で、昔から怪我が治ったり痛みが収まるのが早かったわけだ」
「一緒にいるだけで我もすごく心地良いぞ」
「カケル、みんなで一緒にたくさんの人を助けようよ」
「ああ、まだ災いは謎だが、木星への移住が可能な状態に…そうだ、最初からあきらめないで、絶対にやり遂げると考えよう」
「我も一緒に木星へ連れて行くのだ。船の中で食事を作ることぐらいはさせてくれ」
「ああ、それは助かるな! 一緒に行こう!」
「ユリカ。やっと報われたな。そちは10年か」
「トレノも予知夢でカケルを見てから、10年想い続けたんでしょ?」
「そうだったな。それにカケルも10年間よく一人で頑張ったのだ。これからは我らも一緒に歩むぞ」
「ああ、ありがとう。2人とも愛している」
俺は、華奢なユリカと柔らかなトレノを再び力強く抱きしめた。
高速学は、加護の詠唱を高速化するための学問だ。魔獣が飛び掛ってきたときにチマチマと詠唱をしていては、命がいくつあっても足りないからだ。その集大成は、高次詠唱の無詠唱化だ。強力で複雑な高次部分を、頭の中で絵として思い描くことによって、文字・言葉として発するよりも早く加護を発動させるのだ。口で詠唱すれば20秒はかかる五次詠唱も、絵を5つ思い浮かべれば1秒でできるだけでなく、加護の消費も一次詠唱と同じぐらいにまで抑えられるのだ。
無詠唱で加護を発動するときに消費する量を「1量の加護」と呼ぶが、二次詠唱をそのまま口で唱えると2倍の2量、一次詠唱へ短縮化するとさらにその2倍の4量必要となる。三次詠唱は短縮化しないでいると3量、二次へ短縮して6量、一次へ短縮すると12量だ。五次詠唱にもなると、仮に一次へ短縮すると5に2の4乗倍をかけて、80量も必要になる。
加護の強さが4だったら、だいたい40量ぐらいしか体の中に加護を貯めていられないので、途中で加護が切れて意識を失うのだ。俺は加護20、いや多分それ以上なので200量以上はあるからそんなことはないが。だから可能な限り無詠唱で加護を放つことが、高速化にも、加護の発動数の上限を上げることにもなるのだ。
だが無理をしないようにと無詠唱ばかり続けていても加護流は整っていかない。時にはわざと大幅に消費するようなこともやっていき、体内を流れる加護をうまく動かせるようにしていく必要もある。いずれ大規模な詠唱をわざと短縮して練習してみよう。
世の中には面倒な詠唱を発明してしまう変人がいて、ほんのくだらないことに八次もの詠唱を必要とする技を作ったりなどしていたから、それが授業の題材となる。地の加護で八次と言えば、土の撃ち出しだ。
一次で精霊から力を借り、二次でさらに大きな力として裏を発動し、三次でその力が石を包むようにし、四次で土が軽くなるようにする。五次で土の表面を硬化させ、六次で大地から土の棒を作り出し、七次で今度は棒を硬化していき、八次でやっとその硬化した棒を操作して、石を撃ち出し遠くまで飛ばすという、無駄に長い詠唱だ。
無詠唱化がどれだけうまくいったかは、遠くへ飛んだ石が証明してくれるし、途中で加護が切れればそこまでしか現象が実現しないので、どこでつっかかったかが傍目にも分かるのだ。石を飛ばすだけでずいぶんと、入り組んだ詠唱を作ったものだと半分感心しながら俺も取り組む。本当はよく使う加護を無詠唱化しなければ意味が無いのだが、無詠唱化に慣れさせるためにやっているのであろうから真面目にやるべきだ。
「…えいっ!」
ユリカが使う闇の加護には、こんなまわりくどい詠唱は用意されていないので、自分で考え出したようだ。植物が地面から空中へ瞬間移動し、気がつくとどんどん小さくなり種に戻っていた。
「ユリカ様、それは何次詠唱なのですか?」
一応外では執事のフリを続けることにしているので、ちゃんと様づけでユリカを呼ぶ。
「えとねえ、これは…6、7、8、9…」
おいおい!? どこまで上がるんだ!? 無詠唱で十次詠唱か?
「11だ! これがちゃんとできると、死んだ人も生き返るよ! ただし怪我をした人だけで病人や年寄りは多分無理」
「十一次…恐れ入りました」
爺様が持ってきた文献には蘇生の加護は無かったはずだが、自分で考えたのか? それにしても十一次とは、初代闇の賢者もだがユリカも化け物だな。
「この詠唱は因果律を一旦崩壊させる必要があって、微細空間に巻き込まれた次元の利用によって時間を巻き戻すのだけれども、巻き戻すのは4次元までで、残りはそのままにすることで因果律修正の抵抗力を抑えるのよ。ただし人間のような精神の強い生物を蘇生するには因果律修正量が多くなってしまうから、戻せる時間に限度があるのよ」
「…ユリカ様。5次元以上を利用しつつ4次元以下の変更に留めるのが、どれだけ大変なことか分かってやっておられましたか?」
「もちろん!」
すごいな、そこまで考えてこの詠唱を作り出したのか? 因果律と微細空間は最新物理学じゃないか。こないだ発表された物理理論の論文を取り寄せていたのか。ユリカが言う次元というのは詠唱の次元数のことではなく、縦・横・高さの3次元などの次元数のことを言っているのだ。
空間は3つの次元で構成される。だが、実は俺たちが生きている世界は時間が一方向に流れる1次元を追加した、4次元世界なのだ。5次元以上は虚数空間のようなもので微細空間に巻き取られており見えないというのだが、ここから先の物理理論が俺にはよく分からない。つまり見えない空間の力を借りて、見える空間だけ、それも4次元目だけを変えることによって3次元以下を変更させたということなのだろう。意味が分からないだろうが、俺にも意味がよく分からない。ここにはそれが分かる人間はいない。俺でも半分ぐらいしか分からなかったのに、ユリカは全て理解して実現までしてしまったのだ。
授業を受けていた全員ともユリカの発言に耳を澄ませていたようで、アルもミューも講師も含め、その場に見える者全員が手を止めて口をぽかんと開けているのはなんだか痛快だ。もちろん俺もその中の一人だ。講師だってユリカの言葉の意味が分かっていないだろう。賢者という称号どおり、理論が突き抜けてしまっている。こんなことは以前には考えられなかったことだから、ここ1年、いや半年でユリカの精神構造が大幅に変化したということなのだろう。
明日の紙伝にはここの生徒が伝聞社に伝えた内容が出て、初代闇の賢者の高次加護を再現に成功とか出るかもしれないな。だが闇の加護に蘇生があるというのはどうやら王族も秘密にしていることのようで、伝聞社もおおっぴらには記事にしないかもしれない。いやそもそも、この内容を理解できる者はいないようだから、伝えることも無理か。初代闇の賢者アーケイもこの技は世の中へ与える影響が多すぎると判断して、王族と協議しながら文字として蘇生加護を残さなかったのだろう。だが、いざというときのためにこの加護は完全に成功させられるようにしておいてほしい。使わないでいるほうがいいことなのだが。
こうして、高速学の授業は賢者様のありがたい、しかし難解すぎて意味の分からないご講義によって幕を閉じた。第一高校の校庭は、一瞬にして世界物理学会の、最高峰の頭脳たちを凌駕する論壇となったのだ。まったくもって痛快だ。
「それじゃあ、飛空船はカノミ社の中古船を5200万で買うってことで、大型化については決定でいいかい?」
その日の授業が終わった後、噴水がある池の淵を形作る縁石へ、研究団の5人で座って相談をしていた。マスタがまとめた言葉に、他の4人も頷いていた。
「いいよー! お父様にも言ってあるし、何隻か候補があるからじっくり見て選んでいいらしいよ!」
ユリカは既にサノクラ師範へ要望を伝えていたようだ。5200万ムーの範囲で買える中古船で、良さそうなものを見繕ってくれているようだ。サノクラ師範もカノミ社の副社長という重鎮なのだから、そのくらいはたやすいことだろうし会社にも利益のあることだ。
「宇宙空間が主な活動領域となるのだから、気密が最も保てる船体のものを選びたいな」
アルが堅実な意見を言う。アルが常識的な意見を忘れずに言ってくれるおかげで、うっかり見落として失敗することが無いのでありがたい。
「飛空船の保管場所だがね、考えていたより大きな船となってしまったので、火王家の庭ではいかがかな? うちの家族は私に全面協力すると言っているので遠慮はいらないよ」
「ああ、そんな広いところを貸してもらえるのはありがたい。王都周辺の空き地じゃあ、12月になると2年生のための仮設住宅を作り始めるからな」
「私も賛成よ~。ちょっと遠いけど私とユリカちゃんが頑張って運べばいいし」
俺もミューも、マスタのありがたい提案に遠慮せず乗ることを口に出した。
「そしてあとは物資の購入計画だ。中古船がどれだけ水晶が欠けているかによっても変わるから、それ以外のものを決めていきたいのだが」
アルがそう口にしてやっと俺たちも、中古船は力石の水晶がいくつか無くなっていることもあるのだと気づいて、それを発言したアルに感謝していた。
この調子なら万事、問題なく準備できるだろう。そしてあらゆる事態を想定して、念のため、念のためと準備していくのだ。この5人なら間違いなく木星圏へ到達できる自信がある。だが、目的はそこではないのだ。俺たちは人類の未来を背負って、最大の成果を出す必要性があった。
「サツタ屋に通うこと10日、我はついにあの味を再現することに成功したのだ!」
「「おおお!!」」
トレノは夕食後に、冷蔵機から皿を3つ取り出して机の上に置いていく。小麦粉に山羊乳と鶏卵、それから砂糖を混ぜてうすく延ばして焼いたものに果物や山羊乳の脂肪分を泡立てたものや、クラカウの実を炒ってすり潰したもの、それからよく分からない白っぽい粉やら、練状になったものが包まれている。
「この練状のものが苦労したのだ! ささ、食べてみるのだ」
トレノは胸を張って俺たちに皿を勧める。何度も味見したのだろうから自信満々だな。
「食後だけど…まあ、俺たちの胃は甘いものだけはいくらでも入るからな」
「いっただっきまーす! うわっ、トレノすごいこれ! うまうまだよ!」
サツタ屋の味そのまま、いや少しだけ違うのだがそれはおいしいという意味でだ。おそらく味は完全に一緒なのだろうが、親しい者が作ったという追加要素によって味まで変わってしまうように感じる。とにかくうまい。ただの甘みだけではなくクラカウの苦さが程よく加わり、果物は、これはキイの実か? 酸味も良い具合に混ざっている。む? サツタ屋の味には無い、ほのかな渋味まで感じるがこれは何だ? これはトレノが作ったからおいしく感じるというというような味ではない。たった一つの味の変化で、はるかに階級は上になる。
「あ、これはカンの実の皮をちょっと入れてあるの!?」
「おお、本当だ。どうりで渋味が入っているわけだ。これはトレノの独自調合だな。これはすごいぞ、店を出せるくらいだ」
「2人とも鋭すぎるのだ…」
トレノは俺たちの舌の鋭さに驚きつつも、ここまでベタ褒めだとさすがに照れるのか頬に左手を当てて腰をくねらせている。その仕草はユリカに習ったのか? だが可愛らしいのでアリだ。
「ごちそうさま、トレノ。おいしかったよー」
「愛するカケルとユリカのためなら毎日だって作るのだ!」
「いや、材料費とかいろいろかかるだろう? 週に一度にしよう。楽しみにしてるよ!」
「分かったのだ。毎週違う味にしてみよう」
「それは今から楽しみだな。そうだ、今日は3人で一緒に寝ようか」
「えっ、カケル、もう大丈夫なのね? 嬉しいけど無理はだめよ?」
「大丈夫、堕落してはいないさ。なんだか2人を抱きしめて眠りたい気分だ」
「我も無意識に変なことをしないように、頑張って気をつけるのだ!」
「アハハ、トレノが一番危ないねー!」
「だけど明日の授業は少し気が重い」
「カケル、生存学は大事な授業だよ。一語一句聞き漏らさないようにしないとね」
明日はそう、噂の生存学授業だ。脱落者が続出する授業ということで有名なのだから、気合を入れていかねばならないな。研究団の中の誰一人でも、脱落してもらっては困る。しかし5人で木星まで行くという目標があるのだから、少々つらい授業でも乗り越えられるはずだ。