32話 真の力
高校からの帰り道、トレノの分も含めサツタ屋で3人分の甘物を買い、持ち帰る。毎週風曜にはトレノに買って行ってあげようということで決めたのだ。
トレノはもう包丁で指を切らなくなっていた。そして料理の腕前も、ユリカに近い味が出せるようにまでなっていたのだ。問題は覚えている料理の種別だが、トレノは本を読むのが好きなようで、アイデインが持ってきた以外にも料理本を大量に買い込んで毎日いろいろ新しいものを試して俺たちに感動を与えてくれた。
最初はどうなることかと思ったが、家事もきちんとこなすようになっていたし、俺たちの間には喧嘩など考えようも無く穏やかな日々を過ごせていた。しかし結局言葉遣いについては、家の中ではいいじゃないかとユリカからも言われ、俺も押し切られて家の中ではユリカへ敬語を使うのをやめさせられた。ただし、外に出たらちゃんとした言葉遣いにすることは約束した。家の中では王らしくしていて欲しいということなのだ。だがここは一応ユリカの家なのだが?
人間は、ここまで変われるのだ。最初の頃はどこか蔭のあった表情も、今では生き生きとしている。ユリカと同じように馬の尾のようにまとめた濃い茶色の髪を見ていると、なんだかユリカの姉妹になったかのようだった。この髪型を勧めたたのはユリカだという。俺が好きな髪型だから俺に好かれるようにという考えだったらしい。
体つきは細めだがユリカほど細くは無い、いやそれどころか出るところは出ていて、肝心なところは豊満なので見た目で分かるのだが、明るく活動的な雰囲気がとにかくそっくりだ。
たまに3人でどこかへ行こうかと、トレノも外へ連れて行ってやりたいと言ったのだがあっさり断られた。3年生は重要な時期なのだからそんな時間があったら研究しろというのだ。おふくろにも同じように、ウルで一緒に住まないかと提案したら断られた。親父の墓があるオガ=サワラから動く気は無いらしい。たまに帰ろうかと機伝で提案したら逆に怒られてしまった。事を成すまで帰ってくるな、という愛の鞭だった。
何か贈り物をしても、余計なお金を使うなと怒られるだろう。そういうわけで俺の地の加護を使って金属を加工した首掛けをカノミ社の物流で送ったが、機伝の向こう側からとても喜んでいる声が聞こえてきた。贈り物というものには、お金がどれだけかかっているかなど関係ないのだ。だが世間では高価なものほど心が篭っているものという、おかしな考えに汚染されている。確かに高価なものは見栄えが良いかもしれないが、普通は自分で作ったもののほうが素晴らしい贈り物とは思わないのだろうか? 地の加護がなければ意匠だけ考えて、知り合いの地の加護者にでも材料を渡して、作ってもらえばいいのだ。
トレノはついにアイデインから手刀を一度ももらわなかった日がやってきたと、両拳を握り締めて喜んでいる。会議のためにやってきたアル、ミュー、マスタの3人は、このトレノの変貌振りに驚いていた。初日にあんなひどい弁当を作っていたトレノが、この僅かな期間で来客に手作りの菓子を出せるようにまでなっているのだ。特にマスタは昔からトレノのことを知っているから、この変わり方を異常だという。しかしミューは「恋する女の子は変わるのよ」と言って首を縦に振っていた。
今日は木星行きの計画日程を大枠で固める日だ。飛空船で出発する日は、遅くても9月中旬までにしなければならないだろう。星の賢者が生み出した多重空間短縮加護を用いても、理論上は現在の惑星配列では火星まで約15日、そこで補給してから木星までもう60日はかかる。11月初旬に木星へ到着したあとは飛空船の中から地球との間に空間を開いて再度補給し、それから1ヶ月ほどかけて各衛星を調査するのだ。
12月初旬には調査を終えて、人類が居住できるような環境へ変更できる衛星を選出して環境変更実験を行う。いざとなれば俺の太陽王の力を使って大幅な変更ができるかどうかを試してみることになった。そして1月初旬までにその実験も終え、論文の執筆に入る。各種の調査内容は全てミューが書きとめてくれるということになった。
ミューは生物学の勉強中、遺伝子配列を写筆しているうちに速記ができるようになったというので、その役に相応しいだろう。やって見せてもらったら驚異的な速度で、俺たちがしゃべっているより早く紙に言葉を書き写している。試してみたがそんなことはミュー以外に誰も出来なかった。それを見たアイデインがミューに対抗意識を燃やしてか、天井から降りてきた。アイデインも相当な速記ができていたが、ミューの速度には適わないと見るや、無言でミューに頷いて煙のように消えていた。いやいや、貴方にはそんな仕事はさせられませんって。その状況がなんだか滑稽で、アイデインの行動に釣られてみんなで笑っていた。
会議が終わった後、トレノの作った夕飯を3人で一緒に食べる。とても奔放な2人を見ていると俺はなんだか自分が恥ずかしくてしょうがなかった。そうやって少し落ち込んだ俺を見て、またしても3人で一緒に風呂へ入ろうという提案をトレノがしてきたが、騎士にそんな堕落はと、とても承諾できなかった。それに俺には、そういう提案をしてくる意味が分かりかねた。
だがユリカはそれもいいと承諾していた。それは堕落ではないのか? いや、ユリカにとっては違うのだ、おそらく騎士に必要な、俺が考えているものとは別のものがあって、それは堕落ではないのだ。だが俺にはそれがまだ何なのか分からないでいる。おそらくそれが、俺の中で人間として欠落している部分なのだ。
どうやら俺は、親父の背中をずっと見てきたのが染み付いているのだろうが、何かどこかに勘違いがあるようだった。だが、自分が堕落することを恐れてそのようなことに踏み切れない。暖かい好意であるのは分かるが、そんなことをしても自分を保ったままでいる自信はまったく無い。
そしてこう考え事をしているとまた、トレノが風呂へ入ろうとせがむのだ。ユリカとトレノは2人でよく風呂へ入っているし、女同士だから別にいいのだが、契りを交わしてもいない男にそんなことをせがむのは、本当にどうかと思うのだ。彼女にとってはそれが何らかの解決策だという考えなのだろう。いやらしい意味で言っているのでは無いことは雰囲気で分かるし、真面目に子作りをしようという訳でもない。
どうも、俺の表情が近頃どんどん暗くなっているらしい。だから元気付けようとしてくれているようなのだ。トレノはユリカと2人で湯船につかると、とても元気になると言う。彼女なりに考えて出した結論なのだろうが、俺にはその感覚は理解できない。
何かが足りていない。おそらく、何かが。それはユリカとトレノの笑顔や、奔放さが糸口だ。それが理解できたら、俺も堕落など恐れずにいられるのだ。俺はその何かをも、自分に課せられた使命とは別に探していかなければならないのだ。だがそれもいつになることか。下手をすれば10年以上かかることなのかもしれない。
だから! 俺が入っているときに後から入ってこられると困るのだ! それも2人で? 目のやり場が無い。まったく動けないじゃないか。この状況をどう処理すべきなのか? 一昨日から2人で内緒話をしていたのはこれだったのか!?
「変なことをしにきたのではない。我らは背中を流しにきただけだ」
「エヘヘ~。観念しなさいカケル」
トレノはそう言って、目を瞑って固まっている俺の背中を洗い出した。ユリカは俺の腕を洗い出している。ぜんぜん動けないぞこれは。
「別に伽をするというわけではないのだぞ。お互いを深く知るためには触れ合わねばならぬのだ。ユリカに教えてもらったのだ」
「そうそう。私たちは家族なんだから、いいじゃない!」
「そ、そういうわけにも行かないだろ!? どうしたらいいんだ俺は?」
それは無茶な論理だと思った。何なんだこの状況は? せめて前は隠しているんだろうな? 諦めて目を開け、直視しないように視界の端で見るとちゃんと布で隠していた。ふう、よかった。でもたった一枚の布か? あまりに扇情的すぎないかそれは。
「カケル、最近ずっと悩んでたでしょ」
「え? たった今この状況に悩んでるけどそれとは違うのか!?」
「そうじゃなくて、心を詰めすぎなのよ」
ユリカは立ち上がって反対側の左腕を洗い出した。俺はずっと視線を風呂の奥に置いて直視しないようにしている。ただ静かに時間が流れる。動揺していた俺の心も、少しずつ落ち着いてきた。
「我らのことを、信頼するのだ。どこかでまだ疑っているぞ」
「そうよ、私たちを信じて。別にここでそういうことをするつもりで来たんじゃないのよ。カケルは家族なのに、私たちに心を隠してるのを開きに来たのよ?」
そうだ、俺は言われたとおり、心を隠している。だがそんなことは恥ずかしくて言えないことだ。弱さを見せないのが男なんだから。それに太陽王ともなれば、そんなことは絶対に許されることじゃないだろう。
「自分の弱さを隠しても、別にそれは強いわけではないのだぞ」
「? どういうことだ?」
俺がたったいま考えていたことを完全否定するような言葉に、俺の中の何かが打ち崩されそうになっていく。だがそれは大したものではなく、打ち崩されたところで対外的には何の変化も無い、俺のつまらない誇りの心なのだろう。
「本当に強い人は、自分の弱さを隠すことは無いってことよ!」
そうか、俺は自分の弱い部分をずっと隠していたんだな。7歳のときからずっと。少しずつ自分の心が判ってきた。俺は強がっていたのかもしれない。確かに太陽王としての力は初代にも、二代目にもおそらく全然届いていない。今すぐ、二代目と同じように運河を掘れと言われたって、いいところ50メートルも掘れば力尽きるだろう。ただ属性種が多いだけの状態なのだ。それでも、黒水晶から20メートルの遠さで加護を発現できたということは、それだけの潜在能力があって、しかし生かしきれていないということなのだ。
「俺は心が弱かったんだろうか?」
「ううん? 誰でも弱いんだよ」
「我も弱いのだ。でもカケルとユリカが居てくれるから、こうしていられるのだ。感謝しているぞ」
そうか、俺の弱さは俺自身が自覚していなかったが、強そうに粋がることだったのだろう。情けなくなってくる話だ。それは一人称を「俺」に変えたときからだ。
2人はゆっくりと素手で俺の背中を撫でる。手の暖かさが俺の背中に伝わって来て、心の温かさまで一緒に俺の中へ入ってくるような感覚があった。2人と肌が触れ合うことで、今まで自分が篭っていた殻にヒビが入る感覚がする。この2人は俺を助けるために今ここへ来たのだ。俺が潰れてしまわないように。
そうして今までのことを思い出すと、なんだか泣けてきてしまった。そうか俺は、本当は誰も信用していなかったのか。ユリカですらも。俺は、本当は弱かったのだと、やっと気がついた。
「すまない、2人とも。ひどく恥ずかしいだろうに風呂に来てまで俺に諭してくれて。分かったよ。俺は弱かったんだ」
「そうよ、でも私たちがいるから安心して!」
「我らはずっとカケルを支えるのだ!」
2人が泣きながら叫ぶ。俺も自然と涙が出続ける。こんな大事なことに、どうして今まで気づかなかったんだろうか? 俺は一人で生き続けているわけじゃないことは、アイラの頂上で気づいていたはずだったんじゃないのか?
2人の暖かい気持ちが、肌を通して俺に心の中へ伝わってきた。これはお互いの加護流がお互いの中へ入っているのだ。そうか、それで風呂に入ろうと勧めたのか。俺はきっと、ずっと一人で生きてきた気がしていたけれども、実はただ人肌が恋しかったのだ。
なぜ人肌が恋しいのだろう? 人は人とつながりたいのか? だから他人のために何かをするのか? ん? 人として大事なことは、これか? 人は他人のために行動してこそ、その力を得られるのか?
自分を痛めつけるためではなく、他人を助けるため。そうか、騎士は他人を助ける力を得るために自分を厳しい環境に置くのだ。太陽神は、民を助けるために最も厳しい環境に自分を置いた人間に、太陽王の力を授けるのだ。それが虹色水晶と黒水晶の意思なのだ。
「そうか! やっと分かった!」
目が醒めるような頭脳の爽快感が俺を突きぬいた。そして強烈な濃い加護流が俺を襲う。今までも強かったのだが、もはや比べ物にならない。これが、真の太陽王の力なのだ。
そうか、これが…親愛の力か。人間は、寄り集まってしか生きていけない生き物なのだ。社会性動物なのだから当然のことだ。俺は自分が裸だということも忘れて振り返り、涙を拭いもせずに2人を抱きしめた。こんな風に人を抱きしめることなんて今までなかったかもしれない。多分、心からの笑顔が出せていただろう。今やっと分かった。加護のもっとも強大な種類は、この親愛の力なのだ。あとで思い出せばこっ恥ずかしい状況になってしまったのは置いておこう。2人に弱みを握られてしまったが、嫌な気持ちじゃない。とても暖かい気持ちだ。
風呂場には巨大な4色の光球が、泣きながら抱きしめあう俺たちを優しく包むように廻っている。やっと俺は、10年前の呪縛から解き放たれた。かつてない危機に対抗するための真の力が、18年の熟成期間を経て、初めてこの地球上に現れたのだ。今こそ心から言える。俺はたった今、本当の意味で太陽王になったんだと。
第一章、これにて終了です。
カケルたちの冒険は第二章からが本番です。