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太陽王の世界 ―黎明―  作者: 檀徒
◆第一章◆
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30話 新規詠唱

 初代闇の賢者アーケイ=カノミは、自身の空間加護を使い、地球から月への軌道で問題だったその途絶を短縮した。だが初めて宇宙空間に飛び出そうとした瞬間、気圧のあまりの低さに気がつき、再度仲間を伴って空気の障壁を作り月へ降り立った。


 だが彼は、一度降り立った月にもう一度立ちたいと考えた。それも、多くの人を伴ってという考えで、同じ感動を他の人たちにも分け与えようとしたのだ。空間加護を使わずとも月へ行ける装置を、大量の力石を組み合わせて使うという発想で成功させた。


 あろうことか空を飛ぶより先に、月へ飛び出したのだった。しかし後からこれは空を飛ぶことに使えると彼も気づいて、今ではむしろそちらの使い方が一般的となっている。つまり飛空船の発明だ。その技術転化から考えると、いくつもの既成概念を一気に飛躍した証拠だった。


 そして彼はさらに、飛空船からの落下事故でその妻を失ったその瞬間、命の火が消えたはずの妻をその手に取り戻すための詠唱を練習もしていなかったが果敢に試し、再び夫婦で穏やかに過ごす日々を獲得した。それから彼は多くの人を死の淵から救った。このへんは公にされていないことらしく、授業の中で初めて知ることができた。


 星の賢者イリガル=ユウチは、月までが空間加護の限界であると考えられていた概念を破壊し、多重空間加護を形成することにより火星へ到達した。だがそれだけでなく彼は、それまで飛空船で使われていた風の石による推進ではなく、火の力石を使うことを試して宇宙空間で莫大な推進力を得ることで、闇の賢者と同じように加護を持たない人をあたらしい世界へ連れて行くことに成功した。


 さらに火星の地球化を行い、そこで人が住めるようにまでしてしまったのだ。谷の間に障壁を張り続けて火星の砂や水から分解して作った空気を保ち、火星の地の底から水分をくみ上げて植物を植え、自立生活が可能となったのだ。同じ技術は月へ転化され、同様に月の地下にも大規模な基地が作られた。


 偉業とは、既成概念の破壊なのだ。だが、どれだけ空間加護を多重に重ねても、木星まで到達することは容易ではないばかりか、一般人まで一緒にそこへ行くことは絶対に不可能・・・・それが今の既成概念だ。それをあと11ヶ月で行うというのか?


 だが、ものは試しだ、どのようにして到達するか考えるのも一興。その論文は最終的には木星に到達はできなかったが、新しい技術が得られた、と結ばれてもいいのだ。考えるのなら俺は得意だ、ユリカにとことん協力しよう。





 河原から学校まで戻って、俺たちと一緒に研究してくれると言ってくれていた王族のマスタリウスを呼び止めた。マスタはさきほどの授業は別の組だったので木星のことについてはまだ知らないのだ。帰り支度は済んでいたが、俺たちを待っていたようだった。もう既に他の生徒が帰ってしまった教室で、俺たち5人で緊急会議だ。


「…というわけで、木星を目指すことになっ…」


「どういうわけだ!?」


 それはその反応で正しい。どういうわけか話さずに結論を出したのだから。


「…ユリカ様、ご説明を」


「んと。連絡係のおじいちゃまが1000年前の文献を持ってきてくれたの」


「それは聞いていなかったな」


 先王のことは外ではおじいちゃま、と呼ぶことにしたようだ。なるほど、それなら他人に聞かれてもごまかしやすいからいいかもしれない。だがアルが言ったとおり、ユリカはさっきそんなことを言っていなかった。だが俺たちが絶句してしまってその先が言えなかったのだろう。


「正確に言えばおじいちゃまから文献を受け取った隠密の人から渡されたのね」


「ああなるほど」


「そこに書いてあったのは、時間と空間を同時に調整する詠唱だったの。その詠唱を見たら、私が新しい詠唱を思いついて。その詠唱を使えば空間を捻じ曲げることができるはず」


「「空間を…捻じ曲げる!?」」


 マスタとミューが揃って声を出し、驚いている。そんな概念は聞いたことが無い。


「空間加護はもともと空間を捻じ曲げる詠唱であって、距離を短くする加護ではなかったんじゃないかなと」


「それが空間加護の本質なのかい? しかし、空間が曲がるというのは意味が分からないなあ」


 マスタが俺たちの考えを代弁してくれた。そう、意味が分からない。空間は空間であって、曲がったところで空間? そもそも曲がるものなのか? 加護を使う本人しか分からない、加護流が教えてくれるのだろう。


「そんでそんで、さっきの授業で石を撃ったときに」


「まさかユリカ様、さきほどの裏加護は…まさか無詠唱で?」


「そう! できちゃったのよー! で、その石は、えっと、多分もうすぐそこに…」


 無詠唱ということは随分と単純化された詠唱なんだろう。だからあんなに喜んでいたのか。…ん? もうすぐそこにと言ったか? 何が? と思っていると突然、廊下の方でゴスンと大きな音が鳴った。扉を開けて全員で廊下に飛び出すと、綺麗に球形にくりぬかれた石が廊下に落ちて砕けていた。これはさっきの石か!


「「「「瞬間移動!」」」」


 意図せず、全員で口を揃えて叫んでしまった。驚きと興奮に全員が包まれていた。これは闇の加護の基礎的な、新たな一面の再発見なのだ。





 さきほどの的石の成れの果てを、俺が地の加護で軽くして校庭へ持ち運んだ。紙のように軽くしたので風で転がっていってしまうことに気づき、慌てて解除の詠唱を唱える。


 さて、この研究団最初の実験だ。マスタが実験の概要を思いつき、実証してみようということになった。校庭のはるか向こうの地面に円を描き、そこへまるまるこの直径50センチのなかば砕けた石球を移動できれば実証できたことになる。さきほどはくりぬいてしまったのだが、今度は全部一緒に持っていくことをやってもらう。


「この詠唱の概念は、時間と空間の隙間を利用する感じで、意思でそれを制御するのね」


「隙間なんてあるのか?」


「うん、そこらじゅうに隙間みたいなものがあるみたい。でもそれはとても小さくて私たちの目に見える大きさじゃないのよ」


「目に見えない大きさの隙間…?」


 隙間と言われてもよく分からないのだが、そこらじゅうにあるというのは感覚的には分からない。どうやってその隙間を見つけるのか、そして制御するのかが謎だ。


「闇の精霊よ、その力を貸し与え給え。その力のさらなる深みを我に見せ給え。時と空間の狭間にこの形ある物を隠し給え。我の思うときところにそれを現し給え!」


 ん? 四次詠唱じゃないか。さっきはこれを無詠唱でやってたのか? ユリカの精神力がかなり強いということか、もしくは無詠唱化がよほどうまいのだ。


 石球と同じほどの大きさの黒い靄がユリカの体から放出され、石球にまとわりつき、消える。顔を上げると円を描いたあたりに黒い靄が現れ、すぐに石球が地面から1メートルほどのところへ現れた。そしてまたゴスンと地面を鳴らす。実験成功だ。


「うむ! これを使ってなら木星に行くことができるだろう!」


 アルが口元を緩めながら頷いている。別に一般の人が行き来できなくても、俺たちだけでも行ければいいのだから、論文はこれでいけるだろう。周囲では2年生たちが実験に気づき、アルが叫んでしまった「木星」という言葉を聞いて大騒ぎをしていた。





 家に戻ると、灰色の忍び装束を身に纏った隠密が来ていて、トレノに料理を教えていた。男性かと思ったらどうやら女性のようで、てきぱきと食材を処理していく手際は主婦を超えて料理人のようだった。隠密をやっているということは加護が使える、騎士のはずだから女性騎士なのだ。


「…いらっしゃい…ませ…」


「……」


 隠密は無言でこくりと頷く。信頼があれば無駄な言葉は必要ないということか。この仕草、晩餐会のときに加護線を引いてくれたのもこの人なんだろう。


「カケル様、こちらはアイデインさん。見てのとおり隠密が普段のお仕事なのです。マスタがここに来るように指示を出しましたのです」


「よろしくお願いします、アイデインさん」


 そしてまた無言で頷くアイデイン。ああ確かに、早急に教育係を、って言っていたからな。トレノの花嫁修業が中途半端なままで来てしまったのだろうから仕方の無いことだ。先ほどからどうやら煮物を作っているようだが、トレノの手は傷だらけだ。包丁の使い方にまだ慣れていないが、臆せずに挑戦し続けているからこその傷なのだろう。


 アイデインの教育方法は単純だ。途中までやって見せて、同じことをやらせようとする。言葉で理解するより体感しろということなのだ。間違ったことをすると手刀が脇腹に飛んでいる。なるほど、これほど厳しく教育するならすぐに上達するだろう。居間の机の上には30冊ほどの料理本が高く積まれ、いくつかは開いたままだ。先ほどからトレノは小麦粉の扱いが手荒すぎて、少しこぼしてしまっていた。すぐにトレノの脇腹に手刀が一発食い込む。


「ふぐぐっ。痛いのだ」


「……」


「分かった、丁寧にやるんだな」


 アイデインは静かに首を縦に振る。小麦粉は飛び散りやすいので、決して手荒に扱うなということだ。そうやって体で覚えるのだから二度と同じ間違いは犯さないだろう。一切口出しできないその様子を、俺とユリカは棒立ちのまま見守っていた。この教育風景はかなり衝撃的だったから固まってしまったのだ。


 こういうのをなんと言うのだろう。鬼教育というのか? おそらく料理だけでなく掃除などについても厳しく教えているのだろう。なんだか食器棚もいつもより整理されている。アイデインの前では、甘えは絶対に許されないのだ。


「アイデインさんはご結婚されていらっしゃるのですか?」


 ユリカの言葉にアイデインは目元だけでにこりと微笑み、左手を俺たちに見せる。薬指に指輪がはまっているから夫がいるのだ。あれ? そういえばアイデインという名前は確か・・・


「もしかして昔、女性騎士ということで紙伝に載っていた方じゃありませんか?」


「えっ!? じゃあ私の大先輩?」


 俺の質問にぶんぶん首を縦に振る。ああそうだ、この人が紙伝を賑わせていた張本人だ。同級生と大恋愛をして、旦那と2人で活躍したのは彼女だ。つまり子どもを産んだ後、こうしてまた騎士の道に、今度は隠密として戻ってきたのだ。旦那は誰だったか、ちょっと思い出せないな。


 ある程度料理が出来上がると、アイデインはトレノに頷いて、いつの間にか煙のように消えてしまった。王城に帰ったのか。どのようにして消えたのかは分からないが、ウツセミと同じ概念の技なのだろう。





<闇の賢者、木星への到達を研究題材に――火王家マスタリウス殿下も共同研究>


 また紙伝がえらいことになっている。いや、今日もいい朝だ。家の外が騒がしいこと以外は。本当は庭で朝の組み手をしたいのだが、これではどうにもできない。どこかの伝聞社の記者たちが10人はいる。やはりカノミ社屋の道場に行った方がいいか。


「カケル様、これでいいのか?」


「モロコシは砂糖に漬けたら味が悪くなるぞ? 塩だよ塩」


 今日の朝も3人で弁当を作る。教育係のアイデインは昼しかいないのだ。ついでに朝ごはんと、トレノの分の昼ごはんもだ。トレノは微妙に言葉が入り混じっているが慣れてくるまでは仕方ないだろう。


 俺たちが高校に行っている間、トレノはいままでずっと食材と格闘していたようだ。自分の財産で食材を買ってきて実験しているから生活費は圧迫しないと胸を張っていたが、手は新しいものから古いものまで、とにかく包丁傷だらけだった。だが古い傷は多いが新しい傷はかなり少ない。見ていて少し痛々しいが、これは彼女が学んできた証なのだ。


 そこまで熱心にやっているのだから、成果はすぐに現れた。小麦粉を練った餅を、焦がさずに焼けていた。しかも味付けも良い。ところどころ血が滲んでいるが、それはトレノの努力の味だから気にしない。すぐに弁当も家での食事も、まかせられるようになるだろう。トレノはとても生き生きとして包丁を振るっていた。


 トレノから直接、風王家の話を聞いて少し意外だった。晩餐会の場では、心を隠していたのだろうか? 陰の気はあまり見えなかった。だが乙女が自分に向けられた黒い心を感じたのなら、おそらくそれは本当なのだ。心臓をえぐられる感覚、と言っていたので間違いない。陰の気は心臓をえぐろうとする。実際には加護流を他人から奪おうとするのだ。だからそういう感覚になる。


 この子も、と言っても年上だが、決められた人生に沿って、かなりつらい思いをしてきたのだなと気づいた。そしてけなげに生きていこうとし、やっと自由になったのだ。


 なかば強引に承諾したとは言え、まだ婚姻は確定していないはずだった。俺が即位までに気変わりすれば、トレノの要望どおりには事が進まない。だがこの子は俺に媚を売ろうとかそんなことを考えて行動しているわけではない。この子は今、生きていること自体が楽しいのだ。


 俺は、ここまで生きていることに楽しみを感じているだろうか? いや、楽しめていない。自分を追い詰めるばかりで、楽しむことはあまり考えていなかった。甘物を食べることだってちょっとした気晴らし程度、すぐにまた自分を修行へ追いやっていた。


 トレノがまぶしく見えた。ユリカと同じで、今を生きて楽しんでいる。俺もこの子のようになりたいと願うのだが、まだ解決策は見当たらない。

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