28話 予知夢
――我は9歳のとき、素敵な夢を見た。4色の光を従え、その中心に強く白い光を輝かせながら駆ける青年が、我を迎えにきてくれる夢だ。そのことを神官主に話すと、それは太陽王出現の予知だろうという。何故神官でもない我が予知夢を見ることができたのかは謎で、神官主もそれは分からないと言っていた。
その青年は中性的な顔つきで、女性のようにも見える美しい顔立ちで、なんだか少し可愛らしい感じがした。白く美しい肌、そして栗色の髪と目は、あの時からずっと頭の中に焼きついている。その右手に纏う光はまるで太陽のように眩しく、その青年がかつてないほどの強さで加護を発現していることを表していた。我は、予知夢に出てきた青年に一目惚れしてしまったのだ。
あと4年、13歳になったら、太陽王の后になるつもりでいろ――父上からそのように仰せつかった我は、あの夢に出てきた青年が迎えに来てくれる日を待ち続けた。13歳から18歳の王族女子が、太陽王と契りを交わすことができるという決め事が作られていた。ときどきその年齢の者が生まれないこともあるが、我も王族女子として生まれたからには太陽王の、あの夢で見た青年の后となるつもりでいた。
だが15歳、16歳になっても、太陽王は現れなかった。17歳の頃にはもっとも期待していたが、それは翌年、落胆に変わった。我が感じたのは出現の予知だけで、別に我が若いうちに現れるのではないのかもしれないと思い始めていた。18歳の後半になって、さらにそれは諦めとなっていた。ふさぎ込む我を見て父上は風王家の長男との縁談を進めた。血は遠いので、濃くなることもないからだという。このまま19歳になるまで待っていても、さらにふさぎ込んでしまうだけだと父上は考えたのだ。
王族としてずっと思うがままに育ってきた女子が、王族以外に嫁ぐことは不可能だろうと言われた。自分でもそうだと思っている。9歳の頃からずっと太陽王に嫁ぐつもりでいたので一般常識的なことなど一切学んでこなかったツケが、一気に吹きだしてきてしまっていた。料理は作られたものを食べることしかしなかったし、身の周りの世話は侍従たちがしてくれた。
仕方の無いことだ。我はただ予知をするのが使命で、彼の后になる使命はなかったようだ。ずっとそのために生きてきたはずの我は、一旦その人生すべてを否定された。青空に浮かぶ太陽を見ながら、そこへ到達するために果てしない道のりを歩いていたのに、突然地面が崩れていくような感覚だった。いや、地上を歩くしかなかった我には、決して太陽に到達することなど無かったのだろう。
その男の目を見て、我は寒気がした。顔つきは美しい、いや美しすぎるほどだが、とても冷淡な目だった。何か、くだらぬものを見ているかのような目で我を見るその男は、心臓をえぐるような言葉を吐いた。
「ほう、こうして見るとなかなか美しい顔、体つきも良いな。これなら夜も楽しめそうだ。さっそく味見をさせてもらおうか。お前も欲求が溜まっているのだろう? お互い楽しもうじゃないか」
そう言ってすぐに我の服を脱がし始めるその男が近寄ると、我の心臓は鋭く反応して絞られるような感覚が意識を遠ざけようとする。だが気絶すると我の貞操は奪われてしまうから意識を強く持たねばならない。こんな男に嫁ぐために、我は生まれてきたんじゃないのだ!
「ウイング! 破廉恥な下衆か貴様は! 王族の恥め、去ね!」
可能な限りの力で彼の頬を平手で叩くと、信じられない勢いで吹っ飛んで行ってしまった。我は腕も細いしそこまで力が強いわけではないのだが、現に彼は壁に頭を打ちつけて気絶している。ならば今のうちに逃げなければならない。こんなところには二度と来たくない。結婚はすぐに解消、いや無かったことにしてもらうのだ。こんなくだらない男と一度でも籍を入れていたなどという汚点は我の戸籍に残したくない。手違いでしたと言って直してもらうのだ。
我はその場から走って逃げた。風王城の侍従たちが追いかけてきて我の服を掴んで捕まえようとするから、我の服はところどころ破けてしまう。何をするのだ、と張り手を応酬すると、さきほどのくだらぬ男と同様、まるで紙のように遠くへ吹き飛んでいく。人間は危機が迫るととんでもない力が出ると父上が言っていたから、きっと我も今その力が出ているのだ。途中で靴も脱げてしまったが、追ってくる侍従を振り切って王都の北西のウィステ地区から、泣きながら裸足で王城へ向けて走り続けた。
足から血を流し、服はところどころ破けて、いやそれどころか上半身は服を纏ってすらいない状態で肌が顕になり、背中には侍従たちに後ろからひっかかれた傷から血が滴るぼろぼろの格好となったが、やっとのことで夜中に王城に着いた。ずっと走り続けていたから体中が痛い。息も切れ切れで汗まみれの惨めな姿に、道行く人々は一瞬ぎょっとしていたが、まさか王の娘とは思わなかったようだ。近衛に背負われて王家楼に着くと、父上は「すまなかった」と言って泣きながら抱きしめてくれた。足と背中の痛みも近衛たちが必死に回復加護をかけてくれたのですぐに引いていた。
翌日風王家から苦情が来た。息子の頚椎が損傷しているのはそちらの馬鹿娘が平手打ちしたからだというのだ。そんなお転婆娘はいらないという書状を、父上は激昂して我の目の前で破り捨てた。いやいや、我こそそんな破廉恥な馬鹿息子はいらないのだ。だがここで非難をやりとりしても意味がないのだ。父上には放置するようにお願いをした。
我は、何のために生まれてきたのだ? 何ヶ月も部屋に篭り、19歳の誕生日も気がついたら過ぎていた。あの太陽王に会いたい。生きているうちに会えるのかも定かではない。我はどうしたらいい? 我は苦悩した。このままでいるよりは、結婚しないで生涯を神殿で過ごすのも良いかもしれない。我には予知夢を見ることができる能力があるのだ。巫女のエリオスのように、そうやって過ごすのも考え始めたほうがいいだろう。
そのうち相談しようと思っていたイーノルス神官主が、ある日我の部屋を訪れた。そこで彼の放った言葉に、我は歓喜したあと再び苦悩した。あと3ヶ月で太陽王が現れる。天にも昇るような気持ちだった。だが、我はもう19歳となってしまった。火王家にいるマスタリウスの妹、13歳のマルテスが后の正式な候補だ。
一目だけ、たった一目だけでもいいから、その姿をこの目に焼き付けたい。声が聞きたい。どんな仕草で歩くのか知りたい。数ヶ月ごとに夢に出てくる彼と、本当に同じ姿なのかを何としても確認したかった。
シルス叔父上が夜半、明日おそらく太陽王が来ると教えてくれた。明日はこっそり、黒水晶の間で柱の陰に隠れて見ていなさいということだ。シルス叔父上は我の気持ちを理解してくれていた良き相談相手だったから、我も大好きなのだ。公務の外遊から帰ってきた叔父上の話を聞きながら、肩を叩いてあげるのがいつの間にか当たり前のようになっていた。9歳ほど年上の叔父上とは、まるで兄弟のような仲なのだ。
シルス叔父上の命令を受けたアザゼル近衛兵長が、我をこっそりと黒殿の中へ引き入れてくれた。普段は鍵がかかっていて外からは絶対に入れないのだが、例の隠し通路を使っているので中からは入れるのだ。我は適正試験を受けたことがなかったので、生まれて初めて黒殿の中に入り、太陽王と推測される人物がそこへやってくるのを待ち続けた。
あまりにも長い時間黒い大理石の床の上に座っていたので、いつの間にか体も冷えて眠くなってしまったが、ここで寝たら真冬なので凍死してしまう。寝てはいけない、彼を一目見るまでは! そう思いながらもいつの間にか寝てしまっていたようで、またしてもその場で太陽王の予知夢を見ていた。我の周囲を不思議な暖かい風が吹き抜けたところで目が醒めると、我の周囲を灰色の不思議な光、まるで妖精のような小さな光が舞っていて、この光が我を凍死させないように暖かい風で包んでいるようだった。黒殿というのは加護の本流が流れる場所だから、こんな不思議なこともあるのだろうと思ってその妖精に右手を差し出すと、ふわりと右手に飛び乗って、すぐに消えてしまった。
気がつくと数人がそこへやってくる足音が聞こえたので慌てて柱の陰に身を隠す。そして現れたあの方は、本当に夢に見たままの姿だった。そしてこれも夢のとおり、4色の光を従えた白い光をその腕に吸い込んでいた。本当だった、本当に太陽王が迎えに来てくれた。だが、その横にはすでに女性がいた。我を迎えに来てくれたわけではない。
ただの幼馴染なのだろうか? だが雰囲気はそんな生易しいものではない。恋人同士のような心の繋がりが我にも分かった。またしても、この手に入らぬ希望を一瞬だが抱いてしまったのか? 父上に後で聞いてみると、すぐに叔父上が怒られていた。本来知るはずのない我が太陽王のことを知っていたのは、叔父上が教えたからだとすぐにばれていた。
残念ながら、太陽王には既に心に決めた人が、あの女性がいるようだというのは、父上も気づいていた。だが父上はニヤリと笑って「では側室になれ」と言う。一瞬、理解できなかったがそういう手段もあったのだ。太陽王となるなら確実に子孫を残さねばならないから、側室も数名いたっておかしくはない。それは太陽王として存在する人間の義務だからだ。
今度の太陽王は一般人だということで、花嫁修業が急遽必要になった。すぐに我は敬語の使い方を侍従から教わったが、気を抜いているとすぐに地が出てきてしまう。それでもいろいろな人が我に敬語を使うのを聞いていたのだから、敬語についてはだいたいできるはずだ。
料理の仕方も簡単に教わった。穀物は炊き、野菜や肉は切って煮たり焼いたりすればいいのだ。一般人がどのような家庭生活をしているかも教わった。服を洗うのがそんなに大変なのは知らなかったが、やってみたらできるだろう。最近はクルスタスの会社がいろんな機械を出しているから、それさえあればそれほど苦労はしないのだ。
万端の準備を整えてある日の夜、闇の賢者の自宅へ向かう。太陽王はそこで、住み込みで執事の真似事をしているというのだ。おじいさまと同じように変装が好きなのだろうか?
出てきたのはあの女性だった。とても明るく、女である我ですら惚れそうな女性だ。聞くと、たった今実家に帰ったというではないか。ああ、ここまで我は運が無いのかと思って肩を落とすと明日の夕方には帰ってくるらしい。なんだ、脅かすでない。おじいさまはこの女性の父親のところへ話をしにいくと言ってすぐに行ってしまった。
「えと、新しい侍従の方ですか?」
「は!? 我はシスカ王の長女、トレノである」
「へ!?」
しまった、思わず地の言い方になってしまった。どうやら侍従を待っていたようだ。疑問に思って聞いてみるといろいろ話してくれた。
夜が更けても、ユリカ殿はずっと太陽王カケル様との関係を、隠さずに話してくれた。この子は、我よりはるかに強い。今もこうして同じ家に住んでいるというのに、妻としてもらえていないのだ。愛している男性に抱きしめてもらうことすらできず、ただそこにいるだけというのは女性にとっては地獄のような苦しみだろう。だがそれをおくびにも出さず笑顔でいつづけられるこの子の精神力は、我の想像をずっと超えたところにあるのだ。
この子の気持ちが我にも痛いほど分かり、涙せずにはいられなかった。だから、我も隠さずにすべてを話した。我の境遇にはユリカ殿も泣いてくれた。そして、ふわりと抱きしめてくれた。温かい。まるで母上に抱かれているようだった。
「ねえ、いっしょにお風呂はいろっ!」
「え? は、はい。ご一緒しますのです」
自然と敬語が出ていた。この子の侍従になったつもりでいよう。この子と、家族になりたいと本気で思っていた。我のほうが年上でも、ユリカ殿がお姉さんだ。そんな気がした。
風呂は広かった。この家も相当広いので、侍従が必要だったのだろう。ならば我が、ユリカ殿とカケル様のいない昼は、この家を護る奥方になろう。家事も覚えたがまだ心もとないので、花嫁修業というつもりでやれば良いだろう。ユリカ殿が背中を洗ってくれる。お返しにと、我もユリカ殿の背中を洗う。
一緒にぬるめの湯船に入ると、ユリカ殿はまた抱きしめてくれた。柔らかい肌が重なり、少し変な気分だ。我もユリカ殿の気持ちが分かるので、抱きしめ返す。そうしていると2人の運命の切なさに泣けてきた。そのまま、2人で抱き合って泣き続けた。
風呂から上がると、ユリカ殿は覚悟した目つきでいた。覚悟が早すぎる。我にはそんな早い切り換えは無理だ。だが、ユリカ殿についていくことならできそうだ。切なさは、時間が忘れさせてくれるだろう。
「カケルには責任を取ってもらおう!!」
「ど、どういう責任ですか?」
「2人の乙女を恋に落とさせた責任よー!」
「プッハッ」
思わず笑いがこぼれた。それからしばらく、今度は笑いあった。もう、我らは姉妹なのだと感じた。その後ゆっくり寝てユリカ殿と料理を作ったりしながら穏やかに過ごしているとカケル様が帰って来られたが、我も堂々として話をすることができた。
慌てているカケル様はかわいいのだということに気がつき、父上の楽しそうな顔の意味が分かった。そして、なかば強引に承諾してもらった。それにユリカ殿と、心から手を取り合って喜べたことが嬉しかった。
そんなことを思い出しながら、朝早く眠い目をこすって弁当を作った――料理はうまくいった。だが、味が悪い。2人が学校に行っている間、自分で作ったものを我も一緒に食べる。人参はこんなに硬かったのか。2人ともすまぬ、これは不味い。料理がうまくいったというのは幻想だった。
肉の味付けも間違えた。焦がしただけだから大丈夫だと思ったのだが、こんな味の肉は食べたことが無い。味見の大切さが今頃よく分かった。ユリカ殿に料理を教えてもらわなければこれは大変なことになる。太陽王を食中毒で打ち倒した最初の女と、不名誉な伝説になるわけにはいかない。
とりあえずは洗濯、それから掃除だ。まだ家が新しいようで綺麗だから掃除はいいか。洗剤を洗濯槽に入れてこの四角を押すだけ、これで洗えるから、あとで干すのだ。その間は本でも読んでいよう。料理本をちゃんと読まないと、大変なことになるのだ。2人が帰ってきたら、本屋へ買い込みに行かねばならないな。とにかく知識がぜんぜん足りていないようなのだ。む? 洗濯槽から変な音が聞こえてくるな。見に行こう。
な、なぜだ!? この泡の量は異常だろう? 既に洗面所全体が泡に包まれて、外に漏れ出している。適切だと思われた量を入れたはずなのだが、桁を間違えたのか?
ガタッと玄関で音がする。2人が帰ってきたのだ。そして、泡に包まれて呆然とする我を見てカケル様が「予想通りですね」とつぶやいていた。むう、見るでない。ちょっと失敗しただけなのだ。