1話 日常
「はい、ここの第2代降臨。その直前のあたりは次の試験で出るからな」
教師がさりげなく期末試験に関連する言葉を発すると、居眠りしていた者たちもガタッと音を立てて起き上がり、一斉に教科書に何か書き込みを始めたようだ。カリカリという、黒鉛を絶え間なく動かし続ける音が、授業半ばにしてやっと聞こえ始めた。歴史学には誰も興味が無かったらしい。
この王立第一高校の生徒たちは、別に不真面目というわけではないのだが最近はもう試験勉強で忙しく、夜も徹して勉強しているのだろうから睡眠不足の生徒が多いのだ。そもそも、王立高校の入学試験に合格できた時点で相当真面目、学力も優秀だと分かっているのだから、生徒が寝ていたとしても教師は怒らない。そのかわりさっきのようなことを言って突然脅かすのだ。
「ねえカケル、この試験問題、予想できる? …ねえねえカケルってば」
腰に届きそうなほど長い黒髪と、濃い藍の瞳、そして白い肌が美しい少女が、細い腰を捻りこちらを振り返って聞いてきたが、俺は教科書を流し読みして、それよりも分厚い参考書に書かれた第2代太陽王降臨の歴史が書かれた章に執心していた。そうやって懇願されるのはいつものことだが、今は授業中だ。あまり相手をしてやることはできない。
「歴史学なら全部頭に入ってるよ。…どういう問題が出そうかは、教えないと言ってもユリカはしつこいからな。でも今は前を向いたほうがいいぞ」
結局いつも、面倒だと思っても試験対策をユリカにねだられるのだ。始めから教えると言っておけば休日の出かけた先まで金魚のフンのようについてこられずに済む。試験の傾向と対策はどんな時代、どんな国であっても少年少女を悩ませるものなのだろう。
「さすがカケルー! 頼りになるよー!」
「馬鹿っ 声でかいって!」
「こら! ユリカ=カノミ。お前の先生はカケル=ヤマトじゃないぞ俺だ。余所見するなよ!」
「す! すいません!」
この大陸では珍しい明るい栗色の髪は、授業の最中はよく目立つのであまり変なことはできないのだが、ユリカはそれを考えずに行動するのでこういうことになる。他にも髪の色が銀だったり赤だったりする者もいるが、この組には黒髪が多いから俺が頭を少し動かすだけでも、教壇から見れば目立ってしまうのだ。普段は怒ることのない教師だってさすがに、授業破壊につながるようなことは見過ごさない。
「…そそっかしいな。もっと未来予測をはっきりさせるんだユリカ」
ユリカが授業中に後ろを振り返って俺に話しかけて、それを見つかって教師から叱られるのも、それを見た同窓の少年少女たちがクスクスと肩を震えさせるのも、いつものことだ。カノミ家は賢者の家系なのに、こいつは勉強嫌いだからなあと、仕方なく肩を落とすしかなかった。
「未来予測って言葉…なんだか素敵な響きねー。一切できないけど」
「それができなければ、騎士の道も危ういぞ?」
ユリカは女の子にしては珍しく、虹色水晶の探索者『騎士』になろうとしているのだ。これは相当に珍しいことで、現在のところ女性で騎士の称号を得た者は、老年となった者を含めても、わずか3人しかいない。しかも冒険に出て行く職業騎士、200名の中には現在のところ1人もいないのだ。
この騎士を志望しているということは、ユリカは幼い頃から俺だけにしか言っていなかったが、王立第一高校へ入学する直前になってから父親のサノクラ=カノミへ伝えて、騒動を起こしていた。騎士というのは女性には勤まらないというわけではないが、体力勝負の局面が多いどころか、命を失うことまであるのだ。だから女性には不人気な職業ではあったが、騎士の男性に嫁入りできるかどうかの方が女性たちにとって重要だった。
「む、鐘が鳴ったな。では今日はここまで。しっかり復習しておくように」
まだ予定のところまで教科書が進んでいないはずだが、授業終了の鐘がゴウンと鳴る。進まなかったところは各自とも自宅で学んでこなければならないだろう。この教師は次の授業でどんどん先へ進むからだ。
「今度の試験はみんなに期待してるからな! 特にヤマト、お前は計算学もちゃんとやれよ」
「数字は苦手なんですよ。ヤマノチ先生」
「お前なら、計算学も本気になってやれば、相当できると思うんだがなあ…」
俺が眉を上げて教師の提案を受け流すと、少し悲しい目をした中年の歴史学教師でこの組の担任であるヤマノチは、つぶやくように残念さを口に出したあと、気を取り直して教室から出て行った。
俺は計算学以外ならば、試験の問題には間違えた解答を書いたことが無いほどの成績を修めていたが、過大な期待を教師陣からかけられても、数字の羅列だけは身が入らなかった。一応間違えた解答は書かないが、分からない問題は白紙のままだ。だから計算学の答案はほとんど白いままだ。計算学だけは、それでも間違いが多いわけだが。
結局、成績がいいのはそれぞれの科目の内容に興味があるから覚えてしまうだけで、数字に興味が無い俺には、そもそも成績を期待するのが間違いだと思うのだ。それでもなんとかついていけているぐらいには理解しているが、数字の羅列や数式の複雑さは俺にとっては苦痛だ。
「ヤマノチ先生は、カケルに教師になってもらいたいみたいだねー!」
「それでも俺は騎士を目指すよ」
だがそれに気づかない教師陣は、俺の知識量なら一流の教師になれると考え、騎士よりも安定的な職業だからと、ことあるごとに教師への道を勧めていた。もちろん、俺が教師になろうと思っているはずもないことが分かっていてもそう言うのだ。それは、俺の親父のことを考えてのことだとは思うから、別にそれで教師を蔑むといったようなことも無い。俺は職業騎士にならねばならないのだ。それは親父がやり残したことだからだ。
「カケルー! 私の加護はどれだと思う?」
「ユリカはきっと、まともな加護じゃないな。そそっかしいからトンデモないのが出てきたりしてな」
「うわっ、それ怖いね。とんでもない加護が出たらどうしよう。その時の立会いがもし陛下だったらどうしよう。…って、こんなお淑やかな女の子にそそっかしいとか言わないのー!」
「ツッコミが遅いな…まあ、予想外の加護が得られることなんて、滅多にないから大丈夫だよ。でもその昔、アーケイ様は適正試験で爆発起こしたらしいからなあ。ユリカも爆発は起こさないように気をつけろよ」
「えー。爆発するほど大きな力なんてあり得ないってー!」
確かに、爆発するということはそれだけ加護が途方も無い量だということでもある。だからそうそう、そんなことは起きないはずだ。
眉をしかめて睨んでいるユリカを見ないようにしながら、俺は鞄に教科書を入れ、かわりにユリカが作ってくれた弁当箱をいつものように2人分取り出してユリカにぽんと渡して席を立つ。作ったのはユリカだが、持つのは俺だ。
「さて昼飯だぞ。噴水の前は早く行かないとすぐ取られるぞ。はいこれ、ユリカの分」
「あっ、私も行くからちょっと待ってー!」
もうすぐ期末試験、その後は加護適正試験なのだ。人生が決まってしまう瞬間なのだから、誰もが高校2年生のこの時期に向けて、心身ともに鍛えてきている。
「火星にも行ってみたいなー! ねえカケル?」
「そうだな、まだ探索していない地域は無数にあるからな」
大きくなったら騎士になって、地球のあちこち、月や火星を探索して虹色水晶の巨大な欠片を探し当て、人類の未来に一役買う。俺も傍から見ればその人並みの夢を追う少年の一人だったが、その夢は簡単に成し遂げられるものではないことも分かっていた。
「でも地球の魔獣を倒す方が、実際には見つけやすいぞ?」
「埋まってるだけの虹色水晶より、魔獣になってた方が見つかりやすいってのもなんだか大変ねー」
「騎士の冒険は、過酷な旅だ」
騎士になり、都合良く虹色水晶の場所が神官の予知で得られてそこへ行ったとしても、その場所には異形の生物『魔獣』が生息しているのだから、そう簡単には手に入らない。魔獣の生息域には常に危険が身を潜めているし、何よりそういった場所で大きな虹色水晶の欠片を探し当てるまでの何ヶ月もの間、現地で食料を得ながら身を守らなければならないこともあるだろう。それは過酷な探索行なのだ。
「ヤルーシア大陸を全て狩りつくすっていうのはどうだ?」
「30年ぐらいかかるかも…」
「5年で」
「うわっ、大変そー。でも数十人がかりならできるかもね!」
そして魔獣が生息しているのは、人口の少ないところに限られる。既に街の近くや行きやすい地域では、魔獣はほとんど狩りつくされているのだ。残っているのは砂漠や高山、そして稀に分厚い氷壁に囲まれた極地方などだ。そのような環境で、魔獣と戦いながらたった一人では生き延びることはほぼ不可能だ。数人で行くにしても、仲間も騎士でなければならないから、適正試験に合格した数少ない適正者である同じ五級騎士たちの中から、仲間を探し出すのだ。
「でも、まずはお金を貯めないとね…」
四級騎士になれば準備資金も王族から援助されるとは言え、ほとんど生活費で使い切ってしまうぐらいしか出ないのだ。ある程度の資金は自前で必要になる。もちろん、旅に出て虹色水晶の回収量でそれなりの成果があれば、次第に援助額は増えるどころか、多すぎて困るようになる。
「5キロ級を数匹倒したらかなりの額になるぞ」
「それを元手にあちこち回れるようになるね!」
「資金が無ければ遠出もできないからな。数年は地道に有名な騎士団に入れてもらって、手伝いをするしかないかもしれないな」
「1000万ムー以上貯めれば遠出できるよね?」
「それはちょっと多いな。700万ムーぐらいで十分だろう」
5~6人の騎士団が1回の長旅につき装備や薬物そして食料、さらには回復や障壁などの加護の力を纏った『力石』の元となる水晶を大量に揃えるのには、王城勤務者の平均年収の3倍ほど、約1500万ムー程度はかかるのが当然だ。それだけの資金をかけて準備して探索に向かったとしても、ちゃんとした職業騎士でなければ生きて戻れるほど力は無いのだ。そういった力の無い者は、19歳になる前に職業騎士となることを諦めていく。
そして地球上では、虹色水晶は大地に埋まっているものもあると思ったら大間違いなのだ。人間に見つけることができる虹色水晶のほとんどが魔獣の体内で核として活動している。虹色水晶だけを見つける技術は、人類には無いのだ。
魔獣は並みの人間が束でかかっても倒せないほど加護の力が強いのだが、それも当たり前な話である。虹色水晶の欠片の力を、ただ一匹で使えるのだ。ほんの1キログラムですら、一般人なら大の大人が数十人も打ち倒されてしまうことだってある。特に開発中の地域ではよく魔獣が出没して命を失う人が出ることがあったり、5キログラム以上の虹色水晶を核に持つ魔獣に、騎士が敗北して行方不明となることもある。
「親父みたいに広域加護をぶっ放せるようじゃないと、群れになってるのを続けて狩るっていうのは難しいな」
「魔牛みたいなやつ? あれは出会ったら即終了な予感が…」
「相当修行しないとだめだな」
「その前に試験に受からないと、騎士にすらなれないけどね!」
ときに大きな欠片を内包している魔獣は、その力を他の魔獣に分け与え、巨大な群れとなって騎士たちに襲い掛かってくることだってあるのだ。その場合は中心となる魔獣には知性が宿っており、打ち倒すのは困難だ。しかし彼ら魔獣も、虹色水晶の力を手放すわけには行かないのだ。その力の虜となってしまった魔獣は、自分たちの存在を脅かす騎士に猛烈な攻撃を仕掛けてくる。
だから、探索を行うには加護適正試験で好成績を収め、加護の力が強いこと、それからそうした魔獣に対して立ち向かう強い心があることを王族に対して証明し、騎士として援助を受けなければならない。もちろん自分の集めた資金だけで探索に出ることも可能だが、加護の力が無ければ一般人は魔獣に瞬殺されてしまうため、結局、探索者は加護の力を得た騎士に限られるし、騎士にしか会得できない戦闘技術があるのだ。
月や火星の探索も同様にして、加護の力を継続して使わなければ生物学的に生存できないような、真空に近い場所へ出て行くために、これも騎士に限られる。しかも、大規模な騎士団でなければ加護が切れ、真空に放り出されて全滅する。
「カケルがどういう加護が得られるかは、ほとんど予想できるね!」
「まあ多分、誰が考えても地の加護だろうな。校内成績から考えても、試験もそれなりの結果になりそうだし。もしかしたら風の加護かもしれないけど、やってみるまで分からないのが適正試験だから。まあ俺のは…」
「ん? カケルのは?」
「…いやなんでもない」
なんとか噴水前のベンチを確保した俺とユリカは弁当箱を開けながら、適正試験の話を続けていた。王立第一高校の校庭には噴水があり、水の加護を込めた『力石』により、水を噴き上げ続ける設備がある。毎日一回、この水の力石に加護を込めるのは校長の日課になっている。
水晶は加護を込めると、力石となる。不思議な現象だが加護を貯蓄できるのだ。
噴水の周りにはほどよく枝打ちされた街路樹と、その木陰に設置されたベンチが多数あり、昼時には多数の生徒がここで食事を取るのだった。ただしその数は40人分ほどしかないので、毎日奪い合いとなるのだが俺たちには鍛えた足があるのでいつも先取りできていた。
2人とも騎士になるために、体力は相当つけてある。
「体は成長したけど、心はどうかが一番の問題ね」
「まだ修行が足りないのは一目見てすぐに分かるからな」
加護はいくつかの種類があり、ある程度心身ともに成長した者でなければ、子供たちから『加護の石』と呼ばれる黒水晶に属性が浮かび上がらない。その成長した者という特性が何故出るのかは不明だが、現に座学成績と体力測定の優秀な者しか加護が発現していない。
「どうして心が強くないと発現しないのかなー」
「太陽神とのつながりがあるかどうか、ということじゃないのか? 強い心でないとつながりは保てないだろう?」
「そうかもねー!」
この黒水晶は、知識の泉ほどの力は無いが、そこに手をかざした人間が持つ加護を認識し、顕在化させる力を持っている。虹色水晶の巨大な塊である知識の泉から力を引き出し、それを個人個人へ与えて直通させているようなのだ。古の賢者によってこの黒水晶を得られたことが、人類にとっての転換点だった。
加護を発現するのは性格が関係しているとも言われている。だが、信憑性はどうかと思えるようなものだ。
勇気・熱く燃え上がる正義心を持つ者は火の加護。
慈愛・自然を慈しみ優しい心を持つ者は水の加護。
流転・素早い気転と何事も受け流せる心を持つ者は風の加護。
知識・あらゆることを吸収し動じない心を持つ者は地の加護。
水晶に手をかざすと、それぞれの属性の色に手が光る。
稀にこれらの属性以外の加護も顕在化することがあるが、そんなことは滅多に無く、もし今までに無い属性が現れたとしてもどういう性質を持つ加護なのかは、最初は分からないだろう。過去に現れた特異属性は、光、闇、星の3つで、それぞれ顕在化させた適正者はのちにそれぞれ光の賢者・闇の賢者・星の賢者と呼ばれるほどの偉業を成した。だがその特異属性の適正者は新暦2115年の現在まで、一人ずつしか現れていない。
「賢者の称号がもらえるほどの人は、やっぱりすごい心の強さだったんだろうね」
「選ばれたごく一部の人しか、賢者にはなれないからな。特異属性っていうのはやっぱり、すごく頭の切れる人じゃないと出ないんだろう」
「その代わり、ものすごい偉業を成し遂げるのよね」
「そう、出現した時点でもう何らかの偉業を成し遂げる算段がついているような人たちばかりだった」
光の賢者。新暦301年に加護を発現。この黒水晶そのものを発見し、その効能を明らかにしたのだ。彼が試しに手をかざしたところ、白い光だったという。彼は経済学に明るく、世界の発展に寄与した。
闇の賢者。新暦1048年に加護を発現。当初はその黒い光により忌み嫌われたが、加護を発現してその年に、月を開発するという偉業を成し遂げ、闇の賢者という名は逆に光り輝くものとなった。
星の賢者。新暦1789年に加護を発現。闇の賢者と似た黒い光の中に、星粒が現れたという。そして彼は大規模な騎士団を組織して火星の地球化に成功し、人類初の火星移住者となった。
「ユリカはその、闇の賢者の末裔なわけだけど」
「ご先祖様みたいにはなれないよねー…」
「さすがにそこまでの加護の強さを得るというのは、常識では考えにくいな」
「でも私も結構頑張ってるんだよー?」
「さあ、それは試験結果次第だな」
黒水晶の発見は“第2代太陽王”サイカ=ラー=ダブス王の崩御後、300年ほど経ってからだったが、虹色水晶を発見した神話時代の初代太陽王家の世、このダイムー大陸の発展の歴史と対比して、地球規模、そして太陽系規模の発展、人類の歴史中の一大転換点となっていた。
第2代太陽王が即位した年から新暦が始まり、光の賢者が黒水晶を発見した新暦312年までが『古代』、闇の賢者が現れる新暦1048年までが『中世』、星の賢者が火星へ移住した1796年までが『近世』、火星移住開始から現在までの約300年が『現代』と呼ばれる。第2代太陽王よりも前の時代はあまり書物が残っておらず、『旧暦時代』または『神話時代』と呼ばれている。それぞれ、その時代の変わり目では人類が持つ技術は大きく発展した。
「シスカ陛下のために、可能な限り力を使うのが騎士の定めね」
「ああ、騎士とはダブス王家から認められた者に与えられる称号だからな。ダブス王家のために働くってことでもある」
そして賢者によりもたらされた予知により、大いなる災いを回避すべく、加護によって得られた力を使い虹色水晶の欠片を拡充する使命を帯びたのが、新暦2104年に先王から譲位された太陽王家・ダブス家の長、シスカ=ラー=ダブス王なのだった。
かつて、初代王家と第2代王家の政権移譲は比較的速やかに行われた。初代太陽王は自らの就任時に、今後の子孫による為政と、新しい太陽王の出現のときが来ることをあらかじめ民衆に公布していたためだ。民衆が新しい太陽王を求めるとき、次の太陽王が現れること、そして自らの子孫はその繁栄を助けるために全力を尽くすことなどである。つまり太陽王の崩御後は、王家は次の太陽王の時代が来るまでの、仮の為政者なのである。
「でもシスカ陛下も、いずれ太陽王が現れたら国王じゃなくなっちゃうんでしょ?」
「そう、ラーの称号は返上することになる」
「そのときに騒動が起きなければいいけどねー…」
「サイカ王のときには少しあったからな」
シスカ=ラー=ダブス王も次の太陽王が見つかれば、王家の称号であるラーの名を返上して、ただのシスカ=ダブスとなければならない。
「でも、きっと強い加護を見たらみんな従うよねー!」
「4属性を一人で使えたら、それはもう何でもできるだろうからな」
黒水晶によって、力のある者は誰でも加護が得られるようになってから現れた太陽王はいないが、歴史の伝承書物をひもとくと、そこにはまるで加護と思しき力を自由自在に扱う太陽王がいた。地・水・火・風の4属性をすべて使いこなし、民の生活を安定させるために治水・農地開拓・技術発展など、あらゆることを成し遂げていた。その加護は強大な力で、現在最強の騎士よりも遥かに強い加護を持っていることは明らかだった。
「次の太陽王が現れるとしたら、黒水晶の試験では、加護の色はおそらく4色混ざって現れるだろうという話がよくあるが」
「んむんむ。んむぐ。」
ユリカの作った弁当はとても良い味をしていて、いつも一気に食べ終わってしまう。俺は、まだ半分以上残っている弁当箱から満面の笑みでおかずを口へ運ぶユリカの手元を見ながら、一般論を口にした。ユリカもその言葉に、ゴボウの甘煮をほお張りながら頷いた。
「…でも色が混ざるってどんな感じなんだろうな。誰かそれを正確に想像できているんだろうか」
「んむ、きっと色が次々に入れ替わったりするんだよ…多分だけど」
「どうだろうな、混ざっているところを一度見てみたいが。光が混ざるとどうなるかが知りたいな」
民衆の間ではそれが当然であるかのように話され、伝承されてきた。4つの属性を使いこなす太陽王なら、4つの色が黒水晶から飛び出し、その手に4色の光を纏うはずなのだ。そしてここ100年、一向に進まない虹色水晶の拡充に焦りを感じている民衆たちの心には、第3代太陽王の出現を待望する空気が強くなってきた。何故ならば、“大いなる災い”はいつ訪れるか分からないからだ。災いを恐れながら生活を送る民衆の焦りが、ダブス王家に「早く太陽王の発見を」と急がせた。
「そろそろ、本当にもうそろそろのはずなんだろうけどね?」
「先のことはまだ分からないが、相当近いことは断言できるだろう」
初代太陽王の言葉では、民衆が待ち望めば新しい太陽王が現れるのだ。だからそろそろ現れてもおかしくない。それを裏付けるかのように、強い加護の光を得られた騎士がここ数年で激増していたのだ。この騎士増加の傾向に民衆の期待はさらに高まっていたが、肝心の太陽王出現の予知は発令されないままだ。
「適正試験も大事だが、その前の期末試験で赤点取るようだと、加護も大して得られないからな。途中まで良くても直前で腑抜けると、たいていは加護に見放される」
「計算学はカケルに教えてあげるから、他は頼んだよー!」
「自分で覚えなければ意味が無いだろうに…それに体術だけはユリカはしっかりしてるからな。ほっといても大丈夫だろ?」
「この可憐な少女を筋肉バカみたいに言ったら太陽神様のバチが当たるよ?」
「可憐な少女がどこにいるって?」
「むっ…ここにいるじゃないこの均整の取れた美しい体の少女が」
「筋肉モリモリの素晴らしい肉体だな」
「そんなについてないもん、脂肪が付いてないだけよ! ほらほら、女の子らしい腕の細さじゃない!?」
「いつも体術の授業で力加減を間違えて、相手に怪我をさせている可憐な少女だったらここにいたな」
「うグッ…力加減はそのうち覚えるから大丈夫…なはず…」
「やっぱり爆発起こしそうだなユリカは…」
その昔、闇の賢者と呼ばれたアーケイは、その巨大な加護によって適正試験で爆発を起こしたのだ。もともと大変そそっかしい性格をしていたと伝えられるアーケイは、適正試験中に考え事をしていたらしいのだ。
黒水晶の周りにいた侍従だけの怪我で済んだのだが、立会いの王族に怪我をさせてしまっていたらどうなっていたことだろうか。気をつければ爆発は起きないはずなので、アーケイ以後の受験者は力が暴走しないようにおそるおそる試験を受けるように変わったのだ。黒水晶に一気に近づかずに、ゆっくり近づけば力の暴走は無い。また、その距離によってその力の強さも測れるようになったので、加護は種類と距離によって名づけられるようになった。
「サノクラ師範は風2の加護者だったよね。普通に考えるならユリカも風なんだろうけど、ユリカのことだから風じゃないんだろうな。」
ユリカの父親であるサノクラ師範は、黒水晶から2メートル離れたところまで近づいたときに、風の加護を表す緑色の光が手に現れた。一般人としてはだいたい加護なしか、1~2メートル、そのぐらいである。
稀に4~5メートルを超えることがあるが、そういった能力を持つ者は、騎士を希望しなかったとしても通常の水晶に加護の力を込めた『力石』を作ることができ、それだけで生計を立てられるのだ。俺のおふくろは地3の加護者で、力石を作ることはできないが地の力を活かし、石材加工の短時間労働をしていた。本当は地3ほどもあれば騎士になることも可能だったが、女性で騎士になる者はもともとほとんどおらず、おふくろは騎士に嫁入りするという生活を選んだ。
加護の無い者は人口の7割で、ダイムー大陸の経済は加護を前提とするよりも、加護は補助材料に過ぎないように成長していた。以前は加護に頼りすぎてしまい、差別が生まれてしまったからだ。
「さて、午後はユリカお得意の体術の授業だな。行こうか」
「確かにお得意だけど唯一じゃないからねー!? カケルたちは今日は、器術だから修練場じゃなくて運動場の方だったね」
「ユリカは拳術か。今日こそは相手に怪我をさせないようにな」
「うーん…頑張る」
そう言ってしかめっ面をしたユリカは、修練着を取りに行くために教室へ走っていった。
「おーい! 弁当箱忘れて…ふう、またか。さーて、俺もいつもどおりやるか」
勢いよく走り出したユリカはもう見えなくなっており、ユリカの忘れていった弁当箱を一緒に教室へ持っていかざるを得ない俺は、けだるく両手を伸ばして大きなあくびをした。