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太陽王の世界 ―黎明―  作者: 檀徒
◆第一章◆
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19話 氷上を行く

 山小屋にあった物干し竿を使い、黙々と洗濯物をばねに挟んでいく。このばねを使えば風が強くても洗濯物は飛んで行かない。そうしてぶら下げた洗濯物のすぐ近くへ火の力石を置けば、直接赤外線が投射されるので水分が凍り始めるようなこともない。ユリカの下着も心を無にして、何も考えないようにしながらばねに挟んでいたが、背後からぎゃあという悲鳴を聞いて作業を止めた。


 全ての部屋の掃除を終えて雑巾を洗おうと俺のところに来たユリカは、見事に首まで真っ赤に染まっていた。俺も恥ずかしくてまともに見られなかったから、心を無にして作業していたんだと伝えると、ちょっとほっとしたようだ。


 結局、明日から洗濯はそれぞれ別々にやることになった。俺は雪を溶かしてお湯にした水と、火の力石をユリカに用意するのだ。なんだかこうやって分担を決めているというのは、妙に気恥ずかしいものだ。新婚というのはこういう気分なのかもしれない。


「定時連絡、12時、六合目山小屋清掃完了、昼食のあと勉学予定、っと」


 風伝板に文字を書き込んだら、接続対象001-320-8364の番号を順に押していき、ヤグラ師匠の個人所有風伝板へ接続する。最初の3桁は国を表しており、ダイムーは001だ。002がヤマタイ国で、003が中央アズダカ王国、004がヘブライ共和国、005がインダス議会主義国と、5大国家だけが特別扱いで他の国は011以上となる。ただし月と火星はダイムー王国内でも個別に割り振られており、901と902だ。


 次の3桁が使用区分で、300番台は個人使用だ。普通は個人使用だと400以上の数字が割り当てられるのだが、政府要人や、重要経済人の個人所有風伝板は300前半の数字となる。310番台は政府要人で、大臣や官庁の長などが占められている。そして309以下は、ダイムーでは王族しか使用できない。


 ヤグラ師匠はカノミ物流の社長という立場なので、320という国家最重要個人のうちの一人という扱いだ。320を使う人間と言えば、やはり大手門前に本社を構える大企業の重鎮ばかりで、サノクラ師範もカノミ物流の副社長だから320が割り当てられている。他にも一級騎士などは330番台が新しく割り当てられたりする。


 使用区分が200台のものは伝聞社や広告機関が備える大規模な風伝機が割り当てられ、日々の出来事や商品の宣伝などを表示している。100台は警備隊や政府機関の公務員が業務で使用するので、一般人の目には触れることが無い。


 そして最後の4桁は、自分が好む番号を希望することができる。この番号は何の関連性もなく、類推もできないものにしておかなければ、いたずらで風伝が送られてしまうのだ。だから、キリの良い数字は誰も使わない。


 だがこれは、実は個別の風伝板に接続しているのではなく、諸地域に置かれている風伝社の接続交換機へ接続し、やりとりを仲介してもらっているのだ。接続交換機は大気圏外にも置かれているので、アイラ山や極地、砂漠のど真ん中などのような周囲に接続機の無い地域では、地球周回軌道に合計184台ある軌道上接続交換機と交信するのだ。


 表面から俺の書いた文字が消えて「接続が受理されました」という文字が変わりに浮かび、続いてすぐに「接続対象001-479-6117への返答がありました」と出て、それを押すと「了解・こちらは現在4合目半」と文字が浮かぶ。この返答先の番号が、俺が所有するこの風伝板の固有番号だ。


 どうやら師匠も無事に下山中のようだ。しかも相当に早い。風の加護を使って、登るときとは逆に気圧が上がる状態に体を慣らしながら、飛ぶように降りているのだろう。


 俺にはもう一つ、王族から渡された風伝板がある。その番号は001-300-3303というもので、第3代太陽王という意味の番号で最近作っておいたものなのだろう。だがそちらは風伝社へも使用者が現れたことを伝えていないし、それを使うと、太陽王が現れて王族から贈られたことを風伝社の番号管理業務を行っている社員へ教えてしまうことにもなるから、一切使えない。シスカ王ともそのことを話し合って、起動すらせずに家に置いたままだ。ただし、緊急時にはもしかしたら、使うことがあるかもしれないのでもらっておいたのだ。





 総合試験と加護適正試験の順番が変わってしまったが、本来先に受けるべき総合試験は標準の日程で他の学生たちと一緒に受ける。この冬山登山には重量の都合で参考書は持って来られなかったが、俺の頭には多くの知識が詰まっているので勉強に使える。半分以上の意味で、ユリカに対する講義みたいなものとなってしまうのは、それはそれで面白い試みだし、講義をする側になるという訓練、と考えればいいのだ。


 結局、総合試験というのは深い深い学問の、ほんの表層に過ぎないのだ。深いところまで知っていれば、浅いところはある程度類推できてしまう。知識を掘り下げるほうが今回は有効だろう。だから部分的な表層知識を幅広く覚えるより、各学科で2~3点の集中深度学習を行えば、それが広範囲に渡って知識の底上げができる。


 ただし、計算学だけはそうもいかない。俺にとってはまだ、こつこつと積み上げる必要があるのだ。基幹的な項目というのが見つからないのだから仕方が無い。


「まず細胞の完成。生物の進化は結局、細胞内の進化を長い時間、待たなければいけなかった。酸素呼吸をする生命体と、遺伝子を格納することが得意な生命体が同居したのが、最初の大きな転換点」


「次の転換点は?」


「細胞連絡の完成。ひとつひとつの細胞が別の細胞と連絡を持ち、まるで一つの多細胞生物かのように振る舞い始めたときが二つ目の転換点」


「ふむふむ、まず細胞が完成されて、次に細胞連絡が完成されて。うーん。それぞれに時間がかかったのはどうして?」


「いい質問だ。他者はだいたい喰ってしまっていたのが細胞進化の障壁、だけど食物が不足して同居せざるを得なくなった、次の細胞連絡は、各細胞をつなぐ細胞間繊維の発現までは、細胞同士が付着することはできなかったからだ。集団である程度寄り集まることはできたが、密着する状態を維持できなかった」


「あっ、分かった! 繊維質ね! その繊維は人体学にも応用できるのね! 皮膚が強靭なのはその、繊維質よね?」


「そう! 筋肉や腱、さらには骨もその繊維質でできているから丈夫だし弾力を持っている。繊維質は細胞同士の大規模な構築を可能にした。皮膚が強靭なのを利用した皮革産業だって、繊維質の恩恵だ」


「すると繊維質は生物にとって重要な食物資源ね。植物も繊維質だったっけ?」


「植物は別の体系の繊維質を持っている。これは、動物・植物・菌類・微小類が異なった系統樹へ進化した後に獲得したものだという証明。だからつまり」


「多細胞化は系統樹が分かれてからってことね! 進化時期が覚えやすくなったわ。単細胞の段階で各系統はそれぞれの細胞小器官を獲得していたのね。細胞小器官の獲得は、たった一度だけ起きたことじゃなくて、何度も起きたのね」


「その通り。共生は起こるべくして起きた。偶然なんかじゃない」


 こんな調子で講義が進んでいく。教科書だとそれぞれの情報が結びつかず、個別に丸暗記するしかないのだが、きちんと物語に沿っていけば、すんなりと覚えられるのだ。さらには別の学問まで結びついて、一緒に覚えていってしまう。


 だから俺にとって、参考書はまるで小説なのだ。ただし、章が入り乱れた乱丁本のようなものだ。自分で物語の次の章を見つけ出さなければならない。しかし見つけられれば、そこには壮大な物語が浮かび上がる。時には教科書から参考書へ飛び、また教科書へ戻り、さらには科学研究所の教授が書いた論文へ飛んだ後、小学校の教科書へ戻るという不思議な物語だってある。他人にこの面白さを説いてもほとんどの場合、理解はされない。カケルは変人だ、頭の構造が違うとよく言われてしまうのはそのせいだ。だからこそ、計算学に物語性を感じず、苦手なのだ。数字はまるで異国の現地言語のようだ。





 こうやって覚えていけば総合試験の為の勉学についてはもう不安は無いようなものだが、実は喫緊の問題はカノミ流精神修練の第四極意なのだ。明後日には頂上へ到達する。いったい何が起きるのだろうか。そもそも、その何かは起きるのだろうか。


 そして、既に確定したとは言え、春からは三年生の新しい生活が始まる。ボロを出さずにうまくやれるかどうか、今から心配だ。


 それにしてもユリカはよく吸収していく。俺のような勉強の仕方をしていないのに、どうしてあそこまで点が取れていたのか、俺には逆に分からない。ユリカの方がおそらく頭が柔らかいのだろう。だとすると加護の詠唱も、ユリカのほうがうまくやるに違いない。





「定時連絡 1月14日 3日目6時、八合目へ向けて出発」――――「了解、七合目付近から斜面が急なので気をつけよ」


 風伝板で簡単な定時連絡を行い、俺たちは意気揚々と山小屋を出発した。もはや、高山病の心配は無いだろう。風伝板はその裏に、風の力石、それも遠距離伝達の詠唱が込められたものが込められている。文字は加護に乗り、空気中を伝わっていく。だが空気は必要なく、これが真空中であろうと伝わる。火星とだって交信できるのだ。ただし、最も近いときでも4分以上の時間差が生まれ、火星が太陽の反対側にあるときなどは21分もかかる。


 それともうひとつ、実は地の力石が板の中に入っている。この力石には加護が込められておらず、詠唱しか入っていない。風の力石が受け取った文章を、地の力石によって板の表面に表示しているのだ。この地の力石は特殊で、風の力石からの加護が切れても詠唱が残るようにできている。これの作り方が難しいようで、現在風伝社の独占事業となっている。170年前、この風伝の仕組みを論文にした学生が騎士となって興した事業だ。


 風伝板の仕組みが出来上がるまでは、風の加護を使って大都市間を情報伝達係同士がやり取りすることで、やっと伝わっていた。一般市民には紙伝以外に情報取得方法が無く、紙伝の売上は今の3倍はあった。


 王城にあった加護を込めるだけで開く扉も、おそらくこの風伝板の中の力石と同じ仕組みを利用しているのだろう。属性に関係ないとなると高価な力石も加護を込めなおすだけで済むわけなので、売れなくなったりすることもあるのだから、おそらく機密技術なのだろう。


 一般人は水晶屋か総合商店で、加護入りの力石を購入しなければならない。使い終わった後の水晶を持って行くと三割還元される。だが、高価な詠唱の入った力石は、還元率は低い。俺の場合は実験の結果、自分で風の力石を作ることができたので、3年前からは金銭を消費せずに風伝板を使い続けられる。


 加護の消費は必要資源だったのだが、クルスタス家の政策によりその状況は一変した。加護を必要とせず、同じようなことができるようになったのだ。機伝についても、風伝と似たように情報を伝えるものだが、こちらは小雷を利用している。


 この機伝は画期的だった。風伝と違い、声が伝わるのだ。問題は小雷の供給を受けることだが、既にダイムー大陸全体には小雷線の設置が完了しており、アズダカなどの主要都市も、中心地はほぼ設置が完了している。この小雷線は、機伝以外の小雷を必要とするからくりを多数生み出すための起爆剤となった。いまや、王都ウルの一般市民は、生活必需品として機械を買い求めるようになった。それによって今までは力石を買うことのできなかった低所得者層の生活水準が一気に向上し、治安は桁違いに良くなった。機械文明を作り出したクルスタス家の功績は計り知れない。


 だが、肝心なところで加護を使うのもいまだに抜けきれない。力石の流通というのも一つの経済だからだ。しかし近年、高価な詠唱の込められた力石を買い求める層が増え、結局力石作りというのは成長産業となっていた。予想外の副次効果だ。高価な詠唱を込めるには、やはり加護の数値が高くなければ不可能だ。高収入が期待できる力石職人は、加護適正の高いものにほぼ限られる状態になってしまった。





 ここのところ天気が良い日が続いている。雲が出てきても瞬間的に吹雪くが、すぐに晴れ間が出るので登山への支障は無い。


 六合目あたりからは、雪も風で吹き飛ばされやすいのか、積雪深はそれほどでもない。むしろ固まって氷の塊のようになっているので、滑らないように靴に付けられた棘をしっかりと雪面へ突き刺して歩かなければならない。


 風の強さは、晴れているときはそれほどでもないが、強くなってくると雲が出て、視界が悪くなる。そういうときは無理をせず、すぐに岩陰で休憩し、雲が切れてきてから動き出す。ここからは油断すれば、即、命を落とす。高楼と高楼の間に張られた細い綱の上を渡るかのような作業が神経をすり減らしていく。


「ユリカ様、足は痛くありませんか!」


「足痛いけど、もうちょっと先まで休憩なしでいけるー! それより腕がいたーい!」


 …うん、頑張ってるな。


 俺もこれほど腕が痛くなるとは予想外だった。なんせ、体を支える為に登山用鎌を常に突き刺し、突き刺しながら進むのだ。二の腕の裏あたりが筋肉痛になる経験というのは、あまり記憶にない。ユリカと俺は六合目からは、二人を縄で括っている。どちらかが足を滑らせても、片方が踏ん張れば滑落しない。ユリカも慎重に足を進めているようだ。もう既に八合目の門が遠くに見えている。ここで定時連絡だな。


「定時連絡を入れますよー!」


「おーう!」


 登っている間はお互いが少し離れている。耳は防寒具で覆われているし、風も多少吹いているので大声でのやりとりだ。荷物を下ろして岩陰に少しだけ腰を下ろし、定時連絡を打つ。計算していた予定より早く八合目へ到達するようだ。八合目の先にも野宿に適した大岩があると返答が来た。先まで行けということだな。


「八合目の少し先に、野宿に適した大岩があるらしいです」


「よっし、そこまでがんばろー! でも見えてるのになかなか近づかないね~」


「見えているだけで、結構遠くにあるようですね」


 実際、奇妙な感覚だった。すぐそこに門があるのに、登っても登っても近づかない。おそらく周囲に距離を測るための対象物が無いので、目の錯覚で近く見えるのだろう。気を取り直して、八合目へ向かう。






 ここの事を言っていたのだろうが、着いてみれば、どう見ても無茶な場所だ。これなら八合目の山小屋周辺の方が良かったが、もう既に暗くなってきている。今から八合目へ戻るのは体力的につらいから、ここで野宿だ。


「うわー、これ風除けにもならないよ」


「仕方が無いですね。力石で風の障壁を作りましょう」


「そういう修行のつもりなのか、間違っていたのかどっちか分からないけど、修行だからいいよね」


 俺はユリカへ同意を伝えるために首を縦に振ると、岩を起点にして風の加護と障壁の詠唱を力石に込め、三角錐の障壁を作り出した。少々大きめな障壁を作る為、障壁を維持するためにも力石には少し多目に加護を入れた。


「それにしても便利だねカケルの加護は…」


「なんでもアリですね、これ」


 さあ、一眠りして明日はいよいよ頂上だ。風伝板の天気予報は、相変わらず晴れだった。これは運が良いぞ。

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