18話 力石作成方法
六合目へ到着すると、師匠はすぐに山小屋を鍵で開け、その鍵を俺たちに投げるように渡してすぐに休憩室の革敷の上へ体を転がした。標高については今日だけで1300メートルしか上がっておらず、俺たちはこの後1800メートル登っていくのだから、たいしたことないじゃないかと思うかもしれない。しかし裾野から六合目までは標高を上げるというより、距離を歩く必要があったから、師匠の体は限界に近いと思われた。
「ふう、着いたな。少しだけ休んで、すぐにメシにしよう。く、足がかなりきてるな」
「「はい」」
今日は一日中登り続けていたのだ。俺たちも足が棒のようになっている。今日はこの山小屋で3人で過ごす。カノミ家の力を使えば、本来手に入らない山小屋の鍵まで手に入るのだ。あまりいい使い方ではないが、修行のためだからと言えば山小屋の主人は気兼ねなく貸してくれた。そのかわり、という交換条件で山小屋内の清掃をすることになっている。しかし、鍵を貸す交渉に乗ってくれたのは、六合目と頂上の山小屋の主人たちだけだった。だが、それでも十分すぎるほどありがたい。
休憩室の革敷の上に足を伸ばす。太股が筋肉痛だ。ちょっと休憩したところで、どうせ痛みは引かない。ならば体を休めるより食事の準備をしたほうがいい。疲れたからと言って休憩していると心が弱くなり、体が動かなくなってしまうからだ。俺はすぐに食材と鍋を取り出して、調理に入った。水分は外の雪を溶かせば事足りる。火の加護で水を沸騰させ、その中に乾燥させた穀物と野菜の切れ端を入れる。ものの数分で粥の出来上がりだ。
「師匠、どうぞ。ユリカ様も」
「ああ、助かる」
「うっ、カケル…全然慣れないよその呼ばれ方…」
「早いところ慣れてください。ボロが出たら犯人探しもクソもありません。ユリカ様はやりがちですから」
「ううっ、そのうち、そのうちね…」
「どうせ、数週間もすれば慣れてきます」
体が動くうちにと、粥を勢いよくかきこんで平らげ、すぐに寝具を出して寝床の準備を始める。師匠は明日の朝、筋肉痛が引かないうちに俺たちを残して下山するのだ。先に休んでもらおう。
「師匠、疲れているでしょうから、お先にお休みください。あちらに寝床を作りました」
「ああ、お前達もすぐに寝なさい」
「はい、鍋を洗ったらすぐに寝ます」
「うむ、それではお休み」
「お休みなさい」
ユリカはまだ食べている。少し会話がしたいが、師匠はもう高いびきを上げているので、起こしてしまってはまずい。できるだけ小声でしなければ。
「食べ終わったら、持ってきてください」
「は~い」
先に俺と師匠の分の鍋を二つ持って外に出る。雪で鍋の汚れをぬぐった後、それを火の加護で燃やし尽くす。後には消し炭しか残らないわけだ。
「カケル~ これも~」
「はいどうも。自分は少し、火の力石で暖房を作りますので、ユリカ様も先にお休みください」
「あ、力石作るの、ちょっと見てみたいかも!」
「では、一緒に作りましょう」
「うん!」
ユリカの使っていた3つめの鍋も綺麗にして、休憩室に戻って背負い袋に鍋を入れ、代わりに力石を3つ取り出す。透き通った水晶で、表面は綺麗に磨かれてほぼ完全な立方体になっている。角は怪我をしないように丸く削られ、6つの面の中にひとつだけ窪みを持つ面がある。この力石は過去に買った加護入りのものを使い切ってしまった、空っぽのものだ。
「力石は、単なる加護の蓄積ができるだけではありません」
「詠唱も込められるのよね?」
「そうです。今回は暖房なので、加護を込めておくだけで十分ですが」
「うんうん、で、どうやるの?」
「簡単です。力石に触れて、自身の加護の力を石に流すように考えれば…」
俺の手が赤く光り、透明な水晶に光が流れ込んでいく。次第に、水晶が赤く染まっていく。表面が光るのではなく、水晶の内側に赤く光る染料を落としこんだかのように、加護流が渦巻くことで内側が光るのだ。固体の中で液体のような加護流が渦巻く様子は、何度見ても不思議に感じる。
「急激に力を込めると、破裂しますのでゆっくりと入れていきます」
「おおお~ 綺麗~~」
「蓄積が終わったあとは、このくぼみに一定以上の衝撃を与えれば加護があふれ出し始めます。だから別に落としたとしても、急に加護が発動したりすることはありません。これは普段使っているから分かりますね」
「うんうん」
「この場合は、朝まで長時間熱を発していてほしいので、5分ほど加護を込めます。加護を発散中の力石を止めたいときは、もう一度くぼみに衝撃を与えるのは知っていると思いますが、もう一つやり方があって、加護を再び込めるようにすると、発散が止まります」
「へえ~ そうだったんだ」
「闇の加護だとどうなるの?」
「闇の賢者の記録を見ると、どうやら闇は時空に関係する加護なので、おそらく食材を腐らないように時間を止めたりとかできるかもしれませんね」
「うっわーそれ便利~」
「でも多分、実験しないと分かりません。それに実験で暴走すると危険ですから、注意しながらやらないとですね」
「お肌の手入れ…しなくても済む…エヘ、エヘヘ……」
ん? なにやら不穏な発言をしているが、また頭の中で考えていることが口から出ているんだろう。聞かなかったことにしよう。
「さて、できましたよ。あとは衝撃を。ただし衝撃は台所にあるみたいな、火力調整用のばねがついたものではないので、自分の手でちょうどいい強さに打たないといけません」
「それじゃあ、私がやったら、たぶんえらいことに…」
「ええ。強すぎて瞬間的に加護流をぶちまけてしまう可能性がありますので、自分が打ちますから見ていてください。見ていればきっと、ちょうどいい強さというのも分かるでしょう」
部屋を緩やかに温める程度の熱量でいいので、棒で力石に空けられたくぼみに、コンッと軽く衝撃を打つ。力石が少し発光を強くし、熱が出はじめた。ずっと持っていると熱くなるので、暖房用の力石置きへ置く。
ユリカは力石を打つべき強度がだいたい分かったようでふんふんと鼻を鳴らして感心していた。ユリカぐらいの年齢の者なら、本当は自宅でやっていたはずなのだが、ユリカは小さい頃に力石を触っていて加護流を勢い良く噴き出させてしまったことから、危険だからとサノクラ師範に力石打ちを長い間禁止されていたのだ。
そのとき開けてしまった大穴がサノクラ家の壁にまだ空いていて、これは何かと聞いたときにサーシャさんが教えてくれたのだ。
「さて、ユリカ様。明日も朝早く師匠を見送りしないといけませんから、我々も寝ましょう」
「ほーい。カケル、おやすみっ」
「お休みなさい」
寝袋へ飛び込むと、あっという間に睡魔に包まれて意識を失った。いや、すぐに意識を失ったことに気づいたのは、朝になってからだった。
「それじゃ、カケル。ユリカ。後は頑張れよ。定時連絡は今日から開始だ。朝6時から夜10時まで、2時間ごとの連絡を欠かすな。」
「おっまかっせくっださーい!」
「ええ、ご心配なく。何か危険があった時は定時連絡外でもすぐに連絡します」
「うむ、第四の極意について、何かを感じたら、何か分かったときも連絡してくれ」
「「はい、分かりました」」
「それにしても助かったな。カケル、水の加護を使ってくれたのか?」
「いいえ? 水の詠唱は何故かうまく使えません。自分は何もしておりませんが」
「む? 筋肉痛どころか足の痛みがまったく無いので助かっているのだが。まあいい、後は2人で力を合わせて頑張れ」
師匠は足を両手でバンバンと叩くと、落ち着いた歩調で山小屋から離れていく。運良く、今日はいい天気だ。風も少なく、高気圧が上空を覆っていることがはっきりと分かる。風伝板の天気予報も今日はアイラ地方は快晴だった。
昨日はすぐに寝てしまったので、体が汚れているままだ。下着や肌着の類は着替えなければ汗疹ができたりして不衛生だ。数日で下山するのならまだいいが、今回は10日以上過ごすかもしれないのだから、衛生面は最高状態を保っておきたい。
「ユリカ様、雪を溶かしてお湯をお作りしますので、体を清めてください」
「おおー! もしかして加護でお風呂場作れるの!?」
風呂場までとはさすがに考えていなかった。せいぜい、火の加護で温めた湯に布を浸して体を拭うぐらいしか思いついていなかったのだ。確かに、加護を駆使すれば風呂場などいくらでも作れるだろう。
「そうですね、では外に囲いを作って、風呂場を作ってみますか?」
「作ろう作ろう!」
山小屋の外へ出た後、地の加護を使って氷の状態になった雪を退かし、地面を露出させ、穴を穿ち、人間が入れる深さの窪みを作る。このくらいなら詠唱を使わずともなんとかなる。
「これだと、おそらく泥水になりますね」
「地の加護で固められる?」
「地の加護で固めた後に、火の加護で焼き入れをすれば、強度も出て良いですね」
口でその解決方法を示しながら、その通りに作業する。あっという間に土壁が石のようになっていく。そこへ周囲の雪を手でかき入れると、土壁がまだ熱いのでどんどん溶けていく。
「ではユリカ様、周囲から綺麗な雪をかき集めてきましょう」
「それも地の加護でできるの?」
ああ、そういえばそうだ。手を使う必要など無かったのだ。俺は自分の発想力が至らなかったことに溜息をついて、山小屋の屋根からごっそりと氷混じりの雪を地の加護ではぎとって風呂釜の中へ放り込んだ。風呂釜はもう冷たくなっていて、雪は溶けなくなってしまっていた。
「ちょうどいい温度になるように、ちょっとかましますよ?」
火の加護を風呂釜へ大量に放つと、雪は一気に溶け、そこには湯の張られた風呂場が出現した。あとは地の加護で周囲を覆って入り口の穴だけ作れば、1人用の風呂場が完成だ。俺がもっと慣れてくれば、これより大きい風呂だって作れるはずだった。ついでに、風の障壁を大きく張り、風が吹き込まないようにする。
「もうできちゃった! 加護ってすごいねー! じゃあお先にいいかな?」
「はい、どうぞユリカ様。着替えをしてもこの囲いで周りからも見えず、周囲一帯に風を防ぐ障壁も張りましたので、寒くもありませんよ」
「ありがとうカケル! じゃあ早速早速―!」
その位置で着替え始めると、周りからは見えないと言っても俺からは丸見えなのだがユリカは気にせずに脱ぎ出す。ユリカの上半身がすぐに露になるが、これはあまりにも奔放すぎる。
「ユリカ様、私は見ないように山小屋の中にいますので」
「ごめん! はしたなかったね。脱ぎ散らかしちゃった服はあとで片付けるからほっといてね!」
幼馴染だから警戒感も何も無いのだろう。だが俺はそんな奔放なユリカに惹かれている。繕ったり媚びたりせず、生きるべきそのままに生きているように見えるユリカは、俺にはまぶしすぎるほど魅力的だった。山小屋の中で横になっていると、ユリカはしばらくして風呂からあがってきたようだ。
「何をしてらっしゃるんですかっ!?」
目を向けた瞬間に異変に気づき、首をユリカと反対方向へ急激に退避させる。く、首が痛い。あられもない姿でユリカが何故か山小屋に入ってきているのは、ユリカが換えの下着を持たないまま風呂に入ってしまったからだろう。
「あっ、ごめーん! またしてもはしたない格好で。カケル、私の袋取ってくれる!?」
「換えを持たずに入ったのですか? ならば先ほど脱ぎ捨てた服を一度着てから取りに来れば良いのですよ」
「そっ…そうかー! 焦っちゃって気づかなかったよ!」
一応前は隠していたが、風呂から上がったそのままの姿だ。ユリカはこういうところがドジなのだ。もしかしたら俺の前に出てくるまで、換えのことばかり考えていて自分が裸だということを忘れてしまっていたのかもしれない。心を抑えようと苦労している俺の前で、さすがにそれは勘弁してほしい。
このユリカの傾向はもうどうにもならないのかと、半ば諦めてふうと溜息をつき、ユリカの方を見ないように気をつけながら重い袋を渡す。
「カケル、ありがとー! さっさと着替えなくちゃね、風邪ひいちゃうね」
そしてまた俺の目の前で着替えるか。俺がそっちを向いていないからいいのだが、あまりにも周りが見えていなさすぎる。
「ユリカ様、きちんと後のことを予想して行動しないといけませんね」
「カケルのいつも言ってる大局観っていうのが、私には全然分からなくて。これはどうやったら覚えられるのかなあ。あ、もう着替えからこっち向いていいよ!」
促されてユリカの方を向いたが、俺はまた溜息をついてすぐユリカに背を向けた。
「ユリカ様? 着替えをしたのは下着だけのようですが…」
「え? …あらっ!? 上着も着なきゃね!? ご、ごめんなしゃい!」
これは重症だ。今頃やっとユリカは顔を真っ赤にしている。何故裸で山小屋に入ってきたときは平気で、下着を見られたら恥ずかしいのかが俺にはよく分からない。さて、これで俺もやっと風呂に入れるな…
「さて! 山小屋の掃除ですよ!」
「よぉしっ 綺麗に磨こう!」
俺は掃除はあまり好きではないのだが、ユリカは嬉々として取り組んでいるようだ。うん、掃除好き、綺麗好きはいいことだ。
今日、もう一泊して体が高山に慣れたら、3日目は八合目まで登り、そこで野宿。4日目は頂上へ。5日目から、頂上の山小屋の清掃、6日目から頂上でずっと瞑想の修行をする予定だ。
思えば、ユリカとこんなに長い時間、二人きりになることは無かった。一番長かったのは、10歳のときにサノクラ家の別荘に泊まりに行って、はしゃいでしまって一人で外に出たユリカが森で迷子になったときだ。
俺も捜索に加わったが、大人たちが探しに行ったのとはまったく違う方向へ走った。ユリカが気に入りそうな植物や、景色を追って行けば見つかるはずだと思ったからだ。その推測は正しく、俺と同じ背丈だったユリカは1時間ほどして見つかった。ユリカは泣いていたが、それでも力強く帰る道を探していた。だがその方向は逆で、森の奥へ向かっていた。
結局、俺がユリカを見つけたのは夕方だったので、暗くなってきたから大木の根元で一晩やり過ごしたのだ。風伝板を持って行ったので、ユリカを見つけた報告をしたら、もう暗いからそこから動かず朝を待てということだったから、俺もそれに納得していた。
子供二人で暗い森を彷徨うのは危険だというのは俺にも分かった。夜の森に子供2人だけというのはユリカも心細いだろうと思っていたがそんなことはなく、泣いていたのも嘘だったかのように明るく2人で話をした。そこでお互いの夢、将来何になりたいかを打ち明けた。
――カケル君、騎士になるんだね! 私も、騎士になるよ!
まさか、と思った。女の子の夢でそんなものを聞いたことがない。いいところ普通、騎士のお嫁さんになるとかそのぐらいだ。ユリカが騎士になるのは無理だと思っていた。それは難しいんじゃないか、騎士は命を懸けて戦う職業だと言ったら、ぽろぽろと涙をこぼしながら、自分が騎士になるのにどれだけの想いを持っているかを語られた。
ユリカは常に、周りから魔獣が襲い掛かってきていると想像しながら毎日を過ごしていると言う。そのせいで実際の周囲のことはおろそかになっているのだが、それは気づいていないようだった。
その想像力は壮絶だった。振り向けばすぐ横に、唾液を垂らして自分の頭へ噛み付く直前の魔獣がいる。街を歩けば突き当たりの角を曲がったところに魔獣が潜んでいる。誰かと話していてもその人の背後から魔獣が襲ってきている。寝ている間も部屋に忍び込んでくる魔獣がいる。実際、そこまで厳しい状況というのは存在し得ないのだが、ユリカは自分を想像の中で極限状態に置き続けたのだ。そこまでしてでも成し遂げたい目標があるが、力を得るまでは言えないといった内容だった。
正直、見くびっていた。この子も心の中は既に騎士のようだった。森の中に一人で入っていったのも、騎士なら一人で入って、魔獣を倒して出て来られなければいけないからだというのだ。実際は出て来られなかったのだが、挑戦する意思と、夕方になってもあきらめずに最後まで歩き続けようとしていた行動力は、騎士のそれだった。
このとき俺は決めた。俺もこの子も2人揃って騎士になったときには、一緒に旅に出ようと伝えようと。この子を護ってあげたい。そうだ、そう思ったんだ。何かを護るというカノミ流精神修練・第五極意は、これでいいのではないか? 少し複雑に考えすぎていたかもしれない。いやいや、だが、おそらくこの山の頂上で得られるもの、第四極意の意味が分かってから、やっと第五極意も形を成すはずだ。短絡的に考えすぎてもいけないだろう。
「台所終わったぁあー!!」
「はやっ! さすがです。あと休憩室しか残っていませんよ」
「昼前に終わらせるぞおー! カケルは洗濯物をよろしくー!」
俺は天気もいいので、先ほど風呂に入るときに脱いだ服を、火の加護により雪を溶かした水でさっと洗って外に干す。すぐ側で火の力石で熱を送るし、風も強いのですぐに乾くだろう。
ユリカから投げ渡された洗濯物を見ると、見慣れないものが目に映る。うん? これは…うん。下着だ。どう見てもユリカの下着だ。あまり見ないようにしながら洗う。なんだか主婦になった気分だ。いや、主夫か。