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太陽王の世界 ―黎明―  作者: 檀徒
◆第一章◆
19/86

17話 冬山登山の敢行

 大量の装備を背負い、膝ほどの高さまで積もった雪を足先で掻き分けながら踏み出す。美しい白い粉のような雪が、足に纏わりつくと急に重い足かせとなっていく。しかしそれも強い風に飛ばされ、数秒後にはまた新しい雪が足へ吹き付く。その白く輝く粉は、見た目の軽やかさとは裏腹に、歩みを進める者の体力を奪う。


 山登りの修行というのは、アイラ山への冬山登頂行を完遂することだった。夏のアイラ登山とは、冬山の場合は別物であり別次元で、まったく違う山を登っていることになる。登山者の障壁となるのは標高の高さと気圧の低さ、高山病だけではなく雪、風、低温、吹雪、雪崩、そして方向感覚の途絶だ。


 現在頂上の気温は氷点下10度のようだが、頂上付近はこの季節、風速が20メートルを超えているので体感気温は氷点下30度以下となるのだ。風速が1メートル上がるごとに体感気温が1度下がるので、そのような極端に人間の限界を超えた冷気へ到達する。さらに恐ろしいのは天候の変わりやすさだ。三合目を超えると、そのような厳しい状況へアイラは変貌する。さきほどまで晴天だったのに、急に天気が悪くなってきた。このあと、吹雪くかもしれない。いや、既に地吹雪となっている。独立峰ならではの天候変化性が、登山者を苦しめる山なのだ。


 吐く息は頬を暖める間もなく風によって剥ぎ取られ、代わりに頬をかすめるのは砂粒のような細かい雪と強烈な空気の流れだ。顔面から体温を奪われすぎぬように地面と平行に落とし、可能ならば腕で風に対抗するが、次第に腕も疲れに勝てず、重力にまかせて腰の辺りに場所を定める。これでも北緯22度なのだが、高山ともなれば両極地方と変わらない。


 気がつけば前を行く師匠と方向が少しずれており、後ろを歩くユリカも、俺に釣られて方向をずらしていた。このまま気がつかないでいれば、まだ標高が低いところでも簡単に遭難する。師匠の後ろを歩いていたつもりが、いつのまにか都合の良い幻を頭の中に描き出して、その後ろを歩いているという信じられない現象が、常に戦い続けなければならない俺たちの敵だ。


 後ろを振り返ってユリカの肩を叩き、2人で慌てて方向を修正する。しかし、師匠が方向を間違えていれば俺たちにも気づかない間に3人とも遭難となる。道が続いているはずと思っていたところには、よく見れば深い侵食谷が口を開き、登山者がその奈落へ足を踏み出すのを待ち構えている。だが、この体力の優れている3人が協力しながら進むのならば、そう簡単に滑落遭難とはいかない。


 装備には3週間分の食料を中心として、少量の力石、仮設天幕や寝袋、調理用具、それから登山用鎌などを用意している。この鎌は登山専用で、氷面に突き刺して体を支えるために、丈夫な鉄でできているのだ。そうやって体を支えるのは六合目から先だという説明を受けていたが、今でも風で倒れてしまいそうだ。


「よし! 四合目だ! ここで休憩するぞ!」


 師匠の肩越しに、上部に大きく4本の縦線が書かれた石造りの巨大な門が見えてきた。その根元は、地吹雪が巻き上げる白い粉によってはっきりと見えない。まるで雲の中に石の門が屹立しているかのようだった。その石門のすぐ側に風雪をしのげそうな大岩を見つけ、師匠が後ろに向き直って俺たちに叫んだのだ。足取り重く、その岩のたもとへやっと辿りつくと、師匠は加護を使って障壁を張る準備をする。





「風の精霊よ、その力を貸し与え給え…この場に風をさえぎる壁を張り巡らし給え…」


 風だけを防ぐ、些細な下級障壁だ。この程度の障壁にはたいして加護は使わない。あとで消しなおさなくても、1時間もすると勝手に解けてしまうのだろうが、小休憩なので簡単な加護の障壁でいいのだ。


 仮眠するときのような、長時間障壁を維持する場合は、力石にある程度風の加護を込めて、力石を使って障壁を張らないと、長時間持たない。そんな無謀なことをして朝を迎えれば、俺たちも意識することのないうちに凍死体が3つほどできてしまうだろう。


 本当ならばもっと力石を持ってくるべきなのだが、俺が4属性、いや光を含めれば5属性使えるようになったため、当初の予定ではさまざまな加護を封じた力石を持ってくる予定だったのが最小限で済んだため、これでも装備はやや軽めなのだ。空いた容量には、力石の代わりに食料を詰め込むことが出来た。


「さて、今のところ登山計画書どおりに進んでいる。このあたりが四合目、標高2800メートル付近だ。今日中に六合目、標高3600メートルまで進んだら、そこで気圧に慣れるため2日過ごす」


「はい。六合目から上へ急に上がると、高山病にかかりそうですからね」


「そうそう! 前に登ったとき、七合目で完全にだめでしたぁ」


 急激に気圧の低いところへ上がると、体に変調が訪れる。頭痛、めまい、吐き気などだ。加護でも一瞬良くなるが、効果が切れるとまた元通りだ。


 結局、高山は時間をかけないとちゃんと登れない。冬山ならなおさらだ。まして、冬のアイラ山は遭難者が多く出ることで有名な山だ。記録上では、現代になってからの300年間で、のべ約11万人の冬山登山者中、781人の死亡者を出している。


 その死亡者の拡大原因の一つに、風下側の乱気流が上げられる。遭難者が発生すれば、麓の山小屋から小型飛空船が救助のために飛び立つが、この巨大な独立峰は強い乱流を生み出すために安定して飛行できず、二次災害を生まないために遭難地点への着陸を諦めざるを得ないことで、遭難者は死亡率が高まる。


 この乱気流が発生しているかどうかは、アイラの風下にできあがる雲の形で分かる。いくつもの雲の塊が連続的にできているときは、山岳波と呼ばれるほどの強烈な気流の上下動が生まれ、そこへ入り込んだ飛空船は空中で分解する。そしてその波動は時々四合目付近に到達し、瞬間的な爆風となって登山者を谷底へ突き落とす。


 山の頂上から降りてくる爆風と、山の左右から回りこんできた爆風が狭い空間の中で遭遇するというような条件下では、人間なぞ軽く吹き飛ばされるのだ。だからこそ、風が強くなってきたときにはすぐに岩陰に入らないと、大気のいたずらに体を持っていかれるようなことになる。


 俺たちは登山計画書をきちんと麓の山小屋に提出してきたし、いざというときには風伝板で飛空船の助けを呼ぶことができる。遭難・凍死はそうそう起きないが、それでも細心の注意は払う。計画書はサノクラ師範にも写しを渡してある。ダブス家の連絡係が来たときには、その写しを渡してもらうようにお願いしたのだ。





「さて、六合目から先だが…」


「はい! おまかせください! 私がカケル王を護り通してご覧に入れますともー!!」


「うむ。私はそこで下山して麓の山小屋で生活するが、2人とも2時間ごとの風伝の定時連絡を欠かさないように。定時連絡が無い場合、応答に応じない場合は、すぐに飛空船を飛ばす。ただし、山岳波が出ている場合は諦めろ」


「はい、心得ています」


 登山計画では、そのあと2人で頂上を目指し、頂上で“何かを得るか、食料が残り4日分になるまで”帰ってきてはいけない、という修行だ。師匠がともに頂上へ行かない理由は、緊急時のために常に待機する者が麓に必要なことと、俺もユリカも騎士を目指しており、2人きりであっても変な間違いは起こさないであろうからだ。


 元々、朝の組み手など、ずっと2人きりのことが多かったのだから、そんなことを気にするのも今更という感じだが、長い時間2人きりというのは今までなかったことだ。しっかりと自分の心を抑えていかなければならない。しかしユリカはそんなことはお構い無しに張り切っている。俺は苦労して心を抑えているのに、ユリカにはそんなものは必要ないようだ。どうしてそんなに奔放でいられるのに、強い加護を保てるのか。それは、俺にとって謎だ。





 王族にも伝えたとおり、俺は今後、可能な限り目立たないようにしていく必要がある。だから特に気になるのが言葉遣いだ。特例で三級騎士で賢者の称号まで与えられたユリカが、表向き五級騎士の俺に敬語を使うようでは、周囲は疑問に感じる可能性があるだろう。そこから親父を暗殺した犯人へ情報が伝わり、二度目の暗殺成功へと突き進んでしまうようではいけない。


「ユリカ、いまのうちから今後の発言に慣れておくために、名前の呼び方はそろそろ染み付けて行こう。俺に敬語を使わないようにするだけじゃなく、逆に俺がユリカに敬語を使えるようにならなければならない」


「うん、そうだね。うっかり口を滑らしたら危ないもんね…」


「というわけで、今日から俺は、ユリカに仕える者ということにしよう。だから表向きはユリカ様と呼ぶことになるが、これが当たり前になるようにしなければ」


「うっ こそばゆい…うむ、カケル。苦しゅうない」


「プッ、なんだそれ。いや、なんですかそれは、だな」


「カケルが私に敬語使ってれば、私は普通にしているだけでいいんだから、滅多なことではばれないもんね。それから私がカケルのことを王様、って言わなければ」


「そのとおりです、ユリカ様」


「うぅっ、なんかすごい恥ずかしいんですけど!?」


「そのうち慣れますよ。ユリカ様」


「ちょ、ちょっと快感かもしれない…!?」


「プッ」 「ハハハハ」


 2人で顔を見合わせて笑う。師匠も一緒になって笑っている。フリであっても、ユリカの下にだったらいくらでも付いていくさ。本当に一緒にいて楽しい人間となら、どっちが上でも下でも、立場は関係ないのだ。





「ハッハッハ、それにしても6歳までおねしょしていたユリカが、まさか闇の賢者様になるとはな。毎日毎日豪快にやってたとサーシャが」


「ぎゃーーー師匠それ内緒ぉぉぉーーーー! もうやってないし!」


「あ、そうだったのか? すまんすまん。ハッハッハ」


 とんでもないことを暴露してくれたものだ。全然悪びれてない師匠は、ものすごく楽しそうだ。師匠はきっと子供の頃、いたずらっ子だったんだろうなあ。


「……ワタクシメハ聞カナカッタ事ニシマスヨ、ユリカ様」


「なぜにカタコト!?」


「ハッハッハ。…風も少し収まってきたな。さてそろそろ休憩は終わりだ。次の休憩は五合目だ」


「「はい!」」


 夏には頂上まで一合ごとに山小屋があるが、冬は三合目の山小屋しか開いていないし、火力車のための道路があるのは三合目までなのだ。


 カノミ家は資産が豊かなので、加護の力を使った火力車ではなく、最新型の石油使用型の非加護式火力車を所有している。非加護式火力車は、火の加護で回転させるはずの動力板を、石油の爆発に置き換えることに成功したのだ。


 クルスタス開発副大臣率いる開発省の人員が、近年最も力を入れて開発していた機械だ。8年ほどかけて開発され、やっとクルスタス機械工業から発売された。だからまだ少々値が張るが、加護を使用しないことから、いずれ爆発的に普及して値段は加護式よりも安くなるだろう。





 さくり、さくり。痛烈な風が吹き抜ける間を、高さと比例して少しずつその固さを増して行く雪の中に足を進めていく。新しい雪は足が深く埋まり、体力を奪ってしまう。登山用の足底を拡大した靴でも、10センチは埋まってしまっている。3合目周辺では柔らかかった雪は少し重みを増し、氷片と言った方がいいようなものへ変貌しはじめている。


 登山道の周りは雲が立ち込めていて、まるで霧の中にいるような錯覚を起こす感じだが、幸いにしてそれほど濃くなく、なんとか空と山体の境界が見える。全面が白く見えるのは、舞い上がった雪のせいだ。


 時折、頂上側から吹き降ろしの突風が吹き、防寒着の隙間から出た顔に雪が激しくぶつかる。だが、山体を回りこんできた風はもっと別のところで吹き降ろしと合流しているようで、いつも一方向からしか風が来ないことを考えると、俺たちがいる場所は完全な風下ではないようだ。これならば山岳波を気にせずに登っていける。


 一合目は標高1440メートルから始まり、440メートル標高が高くなるごとに合目が変わる。だが実は合目はそのずっと前、標高1000メートルにある太陽神を祀る神殿から始まっている。神官はそこを零合目として考えているのだ。


 それぞれの合目には石造りの巨大な門があり、冬山登山でもそれが目印となるため、視界が完全に失われ、方向を間違えるようなことが無ければ、遭難はそれほど起きない。だが、たいていの遭難者は食料の備蓄が減っていくのに焦り、早く下山しようとして視界が悪くても飛び出してしまう。運が悪ければ登山道からはずれたときに足を滑らせ、死に至ることもある。まさか自分が遭難するとは、誰も思っていないのだが、遭難するのはそういう人間だ。


 逆に、自分は遭難するかもしれないからと考えて、常に周辺へ注意を払い、装備も遭難したときのことを考えたものにしている登山者の方が、結局は遭難しない。冬山を舐めていると、どんなに自信がある者でも命を落とす。山で臆病に行動することは、責められることではなく、生き抜く知恵なのだ。だから、過信は厳禁であって、これもまた騎士としての修行には最適なのだ。騎士は常に細部に注意を払いながら行動することが求められるのだし、それができない騎士は棺桶に入ることになる。





「カケル、交代してくれ!」


「はい!」


 風が強いので、大声で叫ばないと声が聞こえない。一番先頭を行く者は、完全な新雪の中を行くため、体力を消耗する。しかし後ろの者は、先頭が踏み固めた足跡をたどるので、やや楽なのだ。先頭が疲れてきたら、交代する。


 師匠は俺に道を譲り、ユリカの後ろ、最後尾に付いて再び歩き出す。これを何回も繰り返して、登っていくのだ。何度も何度も交代し、終わりが無いのではないかと錯覚するような上り坂を、足裏で一歩一歩確認して踏みしめながら進むこのような苦行は、騎士を目指そうと思うか、登山が好きでなければ、乗り越えられないだろう。


 四合目を出て3時間、4本の縦線に1本の横線が交差して書かれた五合目の門が、やっと見えてきた。どうやら、先は長そうだな。


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