13話 出現
「さて、壁を閉めると一旦暗くなりますが、お気にせずに」
内側から壁に手を当てて漆黒の闇を作り出したシルス殿下は、加護の詠唱を始めた。
「火の精霊よ、その力を我に貸し与え給えい、小さき炎をともしびとして我のかいなに宿らせ給え」
波のように寄せては返し、弱くなっては強くなる光が坑道に満ちていた。殿下の両手が熱を持たない赤い光に包まれていた。シルス殿下は火の加護者だったようだ。
「さて行きましょうか」
「「「はい」」」
火の加護の場合は、純粋な加護の力を無詠唱で使おうとすると熱くて仕方ないだろうから、こういう狭い坑道で松明のかわりを作るには灯火の詠唱をしたほうが効率は良い。火の加護は本来熱の上げ下げをするのだが、その原理を使って熱を持たない光を作り出すこともできた。この手の周りを覆っているのは熱ではなく、常温の電離原子と電子なのだ。
「もちろんのことですが、この坑道のことは口外なさらぬようにお願いしますね」
「畏まりました」
王族の緊急避難用通路でもあるのだろうから、世間に伝えるわけにもいくまい。師匠は当然であるかのように答えていた。そんな重要な機密を明かすのだから、カノミ家自体を王族が信用しているであろうことがよく伺えた。今では民間企業とは言え、先祖はかつて闇の賢者として王族に仕え、多大な貢献をしたのだから当然だろう。
もちろんカノミ社も王家の命に従って毎年加護適正試験では、政府によって決められた計画どおりに物流や学生のための運行をしていたのだから、社員一同、王家への忠誠心は果てしなく高いし、それを誇りに思っていた。
だがこの殿下のことだから、サノクラ師範のことまで含めて、俺を監視するつもりで最初から怪しい動きをカノミ家がしていないかどうか、情報を集めていたのだろう。大手門でのことや近衛兵の動き、天井からの監視などを考えればそれはすぐに分かる。だが監視したところで俺たちにも一切の怪しい動きが無く、王家に忠誠を誓っていることが分かったのだろう。
2分ほど地下の洞窟を二の門の外側に向かって降りていくと、黒水晶の間の王族立会い席の近くへ出てきた。なるほど、一応坑道の出入り口はわざと壁が入り組んでいて、試験の間はそこには常に衛士がいて坑道の出入り口が開く瞬間を誰にも見せないようにしているようだ。
「すぐに試験といきたいのですが、陛下をお呼びしますのでここでお待ちを」
「陛下がいらっしゃるのですか!? 畏まりました」
少し慌てた師匠がそう答えると、シルス殿下はすぐにまた坑道へ戻って行ってしまった。なるほど、もうこれで結論は分かった。ついにここで、誰もが待ち焦がれていたことが行われるのだ。
「どっどどどどどどっ? どうしようカケル!?」
「落ち着け。あの瞑想を思い出せユリカ」
師匠が呆れた顔でユリカに諭している。そう、あれを思い出せばきっと落ち着くはずだ。やれることはやってきたのだから。
「ふーっ。ふーっ」
ユリカは落ち着くために深呼吸をしているようだが、子猫が威嚇しているようにしか聞こえない。どうしたものか。
「ユリカ、頭の中で極意を繰り返すんだ」
「う、うんわかったやってみる。…むーん、おこげ……」
おこげって何だ? それがユリカにとって瞑想の鍵になる言葉なのか。不思議な単語だが。ユリカが立ったまま深い瞑想に入った瞬間、立会い席から黒水晶へは30メートルほど離れているのでそう簡単に加護は発現しないのだが、俺はユリカの身に纏う空気に違和感を感じた。
ん。この感じは……ハハハ、どうやらユリカも相当の加護者になってしまうようだ。師匠を見ると目を見開いて驚いている。ユリカからビシビシと強い風が吹いているような感覚があるのだ。いや空気の流れは無いのだが体が感じている。とてつもない強力な加護だぞこれは。
次第にユリカの表情が柔らかくなっていく。おいおい、30メートル離れていても発現しそうだぞ。ユリカが落ち着くと同時に、ユリカの加護流は柔らかい風のようになっていた。もう既に発現しているのと同じじゃないかこれは? いったいどういう目標を持てばこんなに強い加護が?
「やるな、ユリカ…」
師匠もその様子に刮目して驚いている。もう落ち着いたから大丈夫、といった雰囲気のユリカは目を開いて師匠の言葉に首をかしげている。
本来、1日あたり50万人が通される広間。入り口は東西南北4つあり、受験者はそれぞれの入り口から列を成して次第に黒水晶へ近づいていく。右手をかざして進むために、一つ前の受験者の頭に手がぶつからないよう、受験者が通るための道として、4つの白い螺旋が黒い床に太く描かれている。黒水晶から同心円に距離が描かれており、本来は発現した瞬間に、試験官がその数値を記録した票を受験者へ手渡しする。黒水晶のすぐ側は床が抜けており、そこから下の階へ向かう階段がある。出口は下の階だ。
1時間で2万人強、1秒間に6人弱がここを通り抜ける計算だ。だから一人あたり1秒で1メートルは進まないといけない。そうやって相当な速度で歩いていかなければならないから、普通に試験を受けると落ち着いて瞑想する時間はないだろう。気がついたら加護が発現しているということになるのだ。だから、こうやって特別に試験を受けさせてくれるということは、その加護発現を理論上の最大値にするという意味もある。
黒で統一された広間では、厳格な雰囲気が内在する空気を硬く冷たく圧迫していた。シンと静まり返っていた広間に、いくつかの足音が壁の中から聞こえてきた。またしても、音も無く壁が開く。俺たちは足音が聞こえてきた段階で跪いてシスカ=ラー=ダブス王のご来訪に備えた。
「ヤグラ殿。カケル殿。ユリカ殿。ようこそいらっしゃいましたな。硬くならずに、どうぞ楽に」
床に目を伏せていると、太いが優しくのびのある声で、陛下が俺たちに声をかけてくださった。王家の方はどうやら、基本的に気さくなようだ。いや、このあと起こることを予想しているのなら、そういうことでもないのかもしれない。
「本日はご臨席いただけるとは思わず、恐悦至極に」
「カッハッハ、これはなかなか良い目をしておられますな。さっそく、試験を開始しましょう」
「「はい、よろしくお願いします」」
良質な生地で織られているであろう紫の着物、銀の太陽の形をした王家の紋の刺繍が施された、庶民には手の届かない価格なのだろうがおそらく普段着の陛下が、片手を俺たちにかざすように上げていた。そして何故かシスカ王は俺たちの目の前で王冠をはずし、王族が立会いのときに座って観覧できるための椅子へ置いてしまった。これはおそらく、彼の中で既に心の準備ができたという意味なのだ。
立会い席の後ろから、下へ向かう階段で広間の端、白い螺旋の始点に立つ。シスカ王から俺の姿がよく見えるように、王から見て右側から進むように黒水晶へ近づくことにした。
「では、自分から失礼させていただきます」
「うむ」
シスカ王は席につき、暖かい笑みを俺たちに向けていた。師匠はその横で直立不動の、まるで侍従となっている。
「じゃあ、ユリカはここでちょっと待ってろ」
「うん! 頑張ってね!」
他の受験者がいないので、まっすぐ進むことができる。俺は右手を黒水晶に向け、黒い大理石の床を一歩ずつ確実に踏みしめていった。
さて、せっかくだから試せることは試そう。20メートルまで近づいて、そこまで何も反応が起きないのを確認した俺は、そこで立ち止まった。
「む、どうしました?」
不審に感じたシルス殿下が声をあげた。立ち止まって目を瞑ってしまった俺に異変を感じたようだ。
「ここで、おそらく」
「そこまでの遠さで…分かるのですか?」
「はい」
シルス殿下が驚いているが、俺は静かに瞑想に入る。理解できた3つめまでの極意を頭に思い浮かべていこう。シスカ王は固く拳を握って、次の瞬間を待ち望んでいるようだった。
「おおっ! 20とは!」
立会い席から驚きの声が放たれる。極意を反芻した瞬間、黒水晶から黄色い光が右手に向けて伸びる。ここまでは予想通り、だが、これだけではない。地、水、火、風。加護はあの光の渦の力を分けた、ほんの表面的なもの。俺の加護の種類は、あのときの精神状況を再現することによって、確定するはずだ。
――すべては、ひとつ。
その瞬間、黄色い光の筋とは別に、赤、緑、青の順に光の筋が右手に届いた。そして4つの線が右手に吸い込まれていくと、右手の周囲を4つの光球が、それぞれの色光を放ちながら回転していた。
「うっわー! 綺麗! 凄い…」
ユリカが後ろで感嘆の声を上げている。4つの属性が同時に現れる。これが太陽王の特徴だ。立会い席が静かなのでそちらの方を見ると、シスカ王もシルス殿下も、完全に言葉を失っているようだ。だがその目にはうっすらと涙を浮かべているように見える。そうだ、彼らは俺をずっと待っていたのだ。
気がつけば黒水晶の間の壁やら天井、そこかしこから歓喜の念が伝わってくる。なんだ、みんな見てたのかね。おそらく彼らは王家の隠密だ。一つ一つの気配に顔を向け全てに礼をする。そのたびに歓喜の念は驚愕の念に変わり、また先ほど以上の歓喜に変わる。
そう、彼らはこれから俺のために働いてもらわなければならないのだ。配下を労わらないで、なにが王か。せっかく気配を消していたのに、天井から嗚咽が聞こえてきたので師匠はそれに初めて気づき、たじろいでいる。つまり、師匠も気づかないほどの気配なのだ。俺もそういう考えを持たずにいたら、きっと気づかなかっただろう。
嗚咽を出してしまった隠密については、礼をされたことがよほど感激だったのだろうから不問だ。彼だってこの瞬間を待ち望んでいたのだ。普段の仕事で成果を出してくれれば、今この場では何をしたっていい。実に2121年ぶりの、太陽王の出現なのだから。
…そうか、それにしても4つ同時だとこういうことになるんだな。驚かせてすいませんね。本当はこれ、実験してたら、できるようになっちゃったんですけどね。
だが俺は、もう1つ属性があるとすれば、それはこれらをひとつにまとめたものだと考えていた。それも試す必要がある。
――すべては、ひとつ。
もういちど強くそれを念じると、4つの光球がひとつに重なっていき黒水晶の間が強烈な光に包まれた。…やっぱり白だ。4つの力をあわせると、光は白くなったのだ。じゃあ光の賢者って太陽王だったんじゃないのか? 何故太陽王とはならなかったのか?
なるほど、もし彼がきちんと属性を理解できていたとしたら、王族が目を覆いたくなるような真実となる。既に現れていたのに、気づくことができなかったわけだ。ダブス家は長いこと、王家の座に居座っていたことになる。だが残念ながら、光の賢者は子孫を残さずに家系が途絶えていた。
だが4属性使えたという話はやはり聞いたことが無いから、この光の属性は特殊属性だと考えて他の属性については考えなかったのだろう。
「…見事、カケル殿。いやカケル王よ」
右手の中に白い光が吸収されていくのを見届けた後、陛下がやっと声を出した。この瞬間、陛下とは立場が逆転し、俺が陛下になっちまった。認定するのがやけに早いから、やはり予想していたのか、気さくだったのはそのせいだな。ユリカはどんな顔をしているのやら。後ろを見ると、満面の笑みを湛え手を胸元に当て、きらきらとした目で俺を見つめているユリカがいた。喜んでくれているようだ。よかった。
「実は前から4属性とも出せていたので」
「我々も、予知の結果で今年現れると出ていたんですよ。10年ほど前から間もなく現れるという予知はあったのですが、今年だと分かったのはついこの間です」
太陽王出現の予知がそのような精度でできていたのか? そんな予知が出ていたとは知らなかった。おそらく親父のこともあったから、王族の中でもさらに数を絞った人数だけの極秘事項としていたのだろう。それはさておき、次はユリカの番だ。俺は一旦ユリカのいる30メートル地点まで戻っていった。
「カケル! えっと、カケル様? のほうがいいのかな? のでしょうか?」
「今までどおりでいいってば。むしろ今までどおりでいてくれ。そうでないと俺には苦痛だ」
「えっとじゃあ、カケル! おめでとうー!」
キンと響く声で、わざわざ耳元で叫ぶユリカの声に、ああいつもどおりだと安心しながら耳を塞ぐ。
「照れくさいが、ありがとう。さて次はユリカの番だぞ」
「うん! 頑張るね」
しかし、この後どうしようかな…いきなり王様なんてのもガラじゃないからな。なんとかならないかな。いや、なんとかしてもらうしかない。すぐに即位することには、いろいろと問題があるのだ。