11話 門の中
翌朝、ヤグラ師匠と、ユリカとともに、落ち着いた歩調でゆっくりと歩きながら一の門、通称大手門に向かう。ヤグラ師匠とサノクラ師範の家は第三郭にあるから、歩いていくと何時間もかかってしまうので、公共交通機関を使う。
それぞれの堀の周囲には金属でできた軌条の上を火と蒸気の力で走らせる火力機関車が走り回り、4本の環状線として王都を駆け巡る。この火力機関車は以前、火と風の加護を動力としていたのだが、クルスタス機械工業が長年の研究の末に加護を使わずに走らせられるようになったのだ。
クルスタス機械工業はそれだけでは飽き足らず、小雷を使って走らせられないかという研究をしている。水力発雷所や火力発雷所から大量の小雷を引き込んで、その動力を使うことが出来れば、補給なしでダイムー大陸中を走り回れるのだ。それもほぼ実験は終わっており、あとは軌条をどこに引くかという作業に入っているという。カノミ物流社もこの計画には一枚噛んでいるので、サノクラ師範がときどき進捗具合を教えてくれるのだ。
王城へ向かうにはそれぞれの火力機関車の停車所同士を結ぶ大型火力車に乗り換える。これは機関車よりもやや小さいが、小回りが利いて軌条が必要ない。馬で引くよりもずっと早いし、力もあるのだ。つまり王都の交通機関は円周方向は機関車、王城への垂直方向は火力車が賄っている。
大手門前停車所へ向かう火力車がやっとその音を止め、停止する。乗客はほとんどが会社員のようで、これから取引先へ向かったり自社の高楼へ帰ったりするのだろう。第二郭を走るのは、乗客が男性ばかりの暑苦しい火力車だ。
会社員といえばほとんど男性で、女性には会社での難しい仕事などできないだろうと蔑視されている。正直言うとそんなことはないはずだとは思っているが、社会全体が女性が働くのには向いていないからどうしようもない。おふくろだって本当は普通の会社員と同じ時間だけ働けるはずなのに、短時間だけしか働けていないのだ。女はさっさと結婚して子供を産み、家庭にいろというこの風潮は、あまりよくないことだと思っても、それを変えるための手段を俺はまったく持っていない。だから、それを無理に変えようなどとは、おこがましくてとても思えなかった。
火力車を降りて大手門を停車所から眺める。加護の力を使って削られた美しい巨石が、一切の隙間なく積み上げられている石垣が続いたその先に、高さ15メートル、幅13メートルの、巨木から削り出された分厚い板が、青銅の留め具で装飾されている重厚な門構えが近づいてくる。
石垣に使われている巨石と巨石の間には針一本通らないほど正確に積み込まれているという。おふくろが就いているとしている仕事と同じく、加護を使った石材加工の真骨頂だ。それも最高の技術がつぎ込まれていて、侵入者がこの継ぎ目に指をかけようとしても不可能なほど、石垣が美しく組み込まれている。ほとんど一枚岩に黒い線が入っているようにしか見えない。
「今日はだいぶ暖かいですね」
前を行く師匠が、あまりにも険しい雰囲気でいる。緊張か何かのせいで動きが硬く、歩き方がぎこちない、いやそれどころか右手と右足が同時に出ているので、緊張をほぐしてもらうつもりで声をかけた。
「……そうだな、…いい陽気だな」
それでも師匠の緊張はほぐれていないようで、完全に上の空だ。王都は北緯22度に位置しているから、冬というのは暖かくすごしやすい季節だ。逆に夏は太陽が完全に真上に来て雨も多く暑苦しいのだが、それもほんの少しの期間なので大した苦痛ではない。秋になるとすぐに北から涼しい風が吹いてきて、湿度は一気に下がるからだ。
「…あったかいねぇ~。眠くなりそうにょ…」
にょ? 変なセリフが聞こえたので横を向くと、ユリカは既に睡魔に襲われているようだ。眠くなりそうではなく眠そうである。いや、もう寝ている。寝ながら歩いている。瞼が重そうだが、意思の力でそれを持ち上げようとしていないのは、半分意識が無いのだろう。
ユリカは緊張という言葉を知らないのだろうかと、まるで疑いたくなるような大物ぶりだ。俺はこんなユリカにはとてもかなわない。ヤグラ師匠なんて完全に歩き方を忘れてしまっている。右足を出したあとに右手を出し、左足を出す前にまた右足を出して転びそうになっている。
「ユリカ、髪が…」
ユリカは馬の尾のように髪を後ろに束ねていたが、即頭の髪が顔にかかってきていたので、思わず手で梳いて耳にかけてやる。柔らかく肌触りの良い絹のような髪だ。
「はうにぁるっ!」
どうやら、急に目が醒めたようだ。それほど驚くことでもあるまいに。それから、それは何語だ?
「大丈夫か? ほとんど寝ながら歩いてたぞ」
「ぅあえぅ、いやだいじょぶ、だいじょぶじゃない?」
まるで兄妹のように育ってきた仲だから、このぐらいは動じないだろうと思っていたがだめだったようだ。それもそうだ、多感な年頃だ。これ以上はユリカに毒だ。何故、いつも更衣室では俺の前で着替えるのは平気、というか自分が裸でいることすら忘れているのに、こんな些細なことで驚くのか。その仕組みがよく分からなかったが、全てはユリカがそそっかしいという一言で片付けられてしまうのかもしれない。
「いやすまんな、髪が気になって」
「あ、有り難き幸せにござる……はうっ、ござるってなんですかー!?」
何ですかと聞きたいのはこっちだぞ。
「…ござる!? …ハッハッハ!」
眉間に皺を寄せながら後ろを振り返った師匠が、奇妙な言葉に疑問を感じ後ろを見やった後、慌ててかぶりを振ったユリカを見て顔が弛緩した。歩き方も元に戻っているようだから、どうやら師匠の緊張は、俺ではなくユリカが解いてしまったようだ。
王城に出向くのだから正装、と言っても学生の身分なので学生服なのだが、その白い着物の襟から見えるユリカの美しいうなじが、白がだんだんと透けて見えるようにほのかに桃色を帯びていく。これ以上見ていると俺にも毒だな。雑念は捨てよう。
「そこの者、王城にいかなる用か申し立てよ」
門に立つ近衛兵が師匠へ問いかけると、師匠が頭を下げたので俺たちも同じようにお辞儀した。
「昨夜、宮城よりこの時間に参内するように仰せつかりました、カノミ流拳術当主、ヤグラ=カノミとその弟子の者でございます」
「中へ取り次ぐので、しばし待たれよ」
「…畏まりました」
昨日の今日だから連絡が届いていないのか、それともわざと伝えていないのか、いや伝えられているのに確認しているふりをしているのか。近衛兵4人のうち1人が機伝をどこかにかけているように見える。
「カノミ殿。確かに予定が組まれていたと確認できた。どうぞ中へ入られよ。目的の場所まで案内しよう」
「ありがとうございます」
やけに早いな。ということは最初から予定を知っていてもったいぶっていたのだ。その間に残りの3人が俺たちの様子を見ていたのだろう。俺たちは深々と近衛兵たちに頭を下げ、すぐに歩き出した一人の近衛兵の後ろに付いて、大手門の中へと足を踏み入れた。
しばらく二の門に向かって歩いていくと、近衛兵は歩きながら後ろを振り返った。
「…シルス殿下がお会いくださる予定となっている。迎賓殿へお通しいたす」
「はっ、ありがとうございます」
シルス殿下はシスカ王の弟のはずだ。まさに王家の重鎮だな。つまり、加護適正試験前の発現というのはずいぶんと大ごとなのだ。
やがて近衛兵の肩越しに見えてきた二の門は大手門より一回り小さかったが、厳格な雰囲気は遥かに上だ。二の門の一つ手前に小さな内堀が張られ、門に向かって橋がかけられている。堀には水が入っていないから、装飾的な意味ではなく完全に防衛的なものだ。門というよりほとんど楼閣のようなつくりで、門の上は建物のようになっており、壁にところどころ穴が空いている。今もそこから誰かがこちらを覗いているかのようだ。
教科書に書いてあったのは、この穴から侵入者を矢や加護で攻撃するためということだったが、50近く開いているこれだけの数の穴からいろいろ飛んできたら、侵入者は瞬時に肉塊と化すだろう。堀を渡ってもやられるし、橋を渡っても無駄だ。侵入者排除のためによく考えられた構造だ。ユリカの方を見ると、上を見てブルッと身震いしている。どうやら同じ考えに至ったようだ。それにこの感じは本当に監視されているのだろう。あの暗い穴の向こうにはおそらく、監視者たちの目があるのだ。
「あちらが迎賓殿である。あとはあちらの門に迎えがいるので、私はこれにて」
「どうも、ありがとうございます」
まるで何かの動きを繰り返しているかのように澱みなく腰を折って頭を伏せた近衛兵は、すぐに後ろへ向き直って大手門へ向かっていった。よく訓練されている。
さきほど近衛兵が指し示した建物は、絵画で何度も見ているから見間違えようがない。地球上の諸国の首長たちを迎える目的で建てられた、王城迎賓殿だ。この少し離れたところで案内を終えるということは、あちこちで誰かが監視しているということをこちらに伝えているのだ。ここで何かしたらお前たちに命はない、ずっと見ているぞ、少しくらい離れても関係ない、と言いたいのだろう。ユリカはそんなことはお構いなしに、初めて目にする王城の内側の美しさに感動していた。
「すごい……綺麗だねカケル」
「ああ、絵のまんまだが、実物はやはり…雰囲気がまったく違うな」
絵画とまったく同じく、石造りの壁には白い塗料が覆い、金色の屋根が太陽の光を反射して光条を目の中に描き出していた。そしてその向こう側に太陽王在世のときのための王閣と、普段王家が使用する王家楼が、同じように白い壁と金の屋根を輝かせている。あの絵を描いた画家はここで筆を振るったのか、とすぐに分かった。
「もうすぐ時間だ、急ぐぞ」
「「はい」」
師匠に急かされて迎賓殿へ向かっていく俺たちの足は、綺麗に敷き詰められた砂利を音を立てて踏みしだいていた。
「殿下、カノミ殿とヤマト殿が参内されました」
「ご苦労。下がっていなさい。カノミ殿、それからカケルさん。…ん? それと女性もいますね。どうぞ、こちらへ」
迎賓殿の中へ入るとすぐに、奥からシルス親王殿下が姿を現された。上品な雰囲気はそのままに、それでも普段からそうしているのだろう柔らかい口調で配下に声をかける。
「はっ。近衛さん、ありがとう」
近衛兵にも礼をして、促されるままに殿下の後をついていく。近衛兵は俺が礼をすると、重厚な兜の奥で片目をつぶって舌を出し、肩を竦めておどけていた。近衛なんかに礼をしてどうするのさ、という意味か。それにしてもずいぶん若い近衛兵だ。これだけ若くてもこんな王城の奥にいるのだから、この兵士は優秀なんだろう。
自ら案内をしていただくとは、ずいぶんと気さくな方のようだ。普通はこういうのは、近衛兵が奥の部屋へ案内して、俺たち下賎の者はうやうやしく殿下と会うための部屋へ入って、だいぶ待たされてからやっと殿下が現れる、というようなことがあってもおかしくないのだ。だからこれは王家が民を心から愛し、民のために身を尽くしていることの証明だった。
シルス殿下はシスカ王の歳の離れた弟で、今年で28歳になり第二王位継承権を持つ。継承権の第一位はシスカ王の子、アルシス親王だ。何も間違いが起きなければシルス殿下は王位を継承することはないため、奔放に育たれたのだろう。だが俺たちにはまだ発言を許す言葉をかけられていないので、礼を失しないように会話は師匠にまかせることにした。
「他の建物は祭典の準備で使用しているので、迎賓殿でご勘弁をいただきたいのですがね」
「迎賓殿自体、初めてお伺いいたましたが、不肖カノミ、連れの者どもをお招きいただくのにこれ以上の素晴らしい建物はないであろうと」
「いやいや、そう言ってもらえると助かりますよ。それから、言葉遣いはもっと気軽なもので良いですよ」
うーむ、どうやら予想以上に気さくな人だ。こちらも肩が凝らなくて済む。こういう感じだと、王族だと言われなければ気づかない人もいるかもしれない。なんだか庶民派なのだ。
「はい、殿下のお申し付けならば、そのようにさせていただきます。もしや、昨日機伝に出られたのはシルス様でしたか?」
「ええ、そうですよ。外からの連絡で重要な物は、私が一度直接聞くことになっていますのでね」
「そうでしたか、今の殿下と同じように気さくな言葉でしたので、てっきり近衛の方かと」
「ハッハッハ! それはそうですね、いつも、誰も気づかないですよ。先王の助言でそうさせてもらっていましてね。さて、こちらの部屋へ。会議室ですから気兼ねなく」
シルス殿下が足を止めたところには、美しい木目の大きな扉が鎮座していた。
「さてと、そろそろおしゃべりをしましょう。そちらがカケルさんですか?」
「はい、自分です」
議場の中の、一番奥ではない横にある一つの席におもむろに座って、指を組んで机の上に置きながら身を乗り出した殿下に、俺は静かに答えた。これは、私は偉くないよという意味だ。議長席を開けているということはそういうことだ。
「では、そちらのお嬢さんは?」
「私の姪です。この子もカケルと同じ歳ですが、なかなかの才能がありますので、カノミ家の人間として連れてまいりました」
「ユリカ=カノミと申します」
「なるほどね。では、みなさん適当に座ってください」
「「はい」」 「はっ」
俺たちが着席するのを確認した殿下は、すっと息を吸って、少しもったいをつけてから俺を見た。
「さて、カケル君。君は………光を、見たか?」
いきなり、そう来たか。誰も知らないはずなのだが。この人は、どこまで知っているのだろうか…
ここまで書いてきて、夢で見ていた映画のような光景は相当長いことに気づきました。
全体で300話ぐらいになりそうで、第一部が100話ぐらいでしょうか。
まどろみというのは一瞬のこと、しかしその中に見たもの一つを描写するだけで、かなりの情報量になってしまうのですね。
内容も結末も既に頭の中にありますので、今後もハイペースで物語を書き綴っていく予定です。
数日ほど出張しますので更新が止まりますが、代休を使ってじっくり書いていきます。