10話 疑惑の凶報
――絶対におかしい。
俺は最初の14人が帰ってきた話を聞いたとき、すぐにそういう考えに至っていた。ナシュ火山を擁する、海峡を越えた北方にあるカマチェスカ半島は、ずっと魔獣が現れていなかったはず。ダイムー大陸を囲うように広がる環ダイムー海峡の沿岸は、その到達のしやすさから既に魔獣の生息域とはなっていなかったはずなのだ。
今でも多くの魔獣がいると考えられるのは、ダイムー大陸の西方にあるヤマタイ諸島のさらに西、ヤルーシア大陸の高山や砂漠、またはダイムー大陸の東方に位置する南北アズダカ大陸の奥地、そして地球の裏側であるアトラタス島やエザイプト大陸、あとは稀に南極大陸である。
最近の魔獣の発見報告は主にそれらの大陸、特にエザイプト大陸南部でしかなかったはずだ。ごく稀にダイムー大陸のすぐ南にあるミクロネ諸島やアボリグ大島でも、奥地で見つかる程度だ。ダイムー周辺、しかも沿岸部の魔獣は狩りつくされているのだ。
現在までに人類の多くはそれぞれの大陸の沿岸部に生活圏を開発し、地球はいよいよ人類の繁栄を謳歌し、月にはルネラス基地を中心として既に10万人が移住し、火星はというと赤道付近の渓谷のみと部分的だが地球化に成功し、180万人がその大気を吸ったり吐いたりして生活している。ヤマタイの小学校でも、まず最初に覚えることはそういった地理と太陽王たちの歴史だ。当時小学校1年生だった俺でも、そのおかしさは分かる。
その報を聞いたとき、おふくろはついにその時が来たかと、硬く拳を握って耐えていたが、子どもだった俺にはそのことを必要以上に気づかせないようにしていた。しかしそれはあまり意味を成していなかった。地球どころか火星で起きた事柄でさえ、その日のうちに風の加護で伝聞され、風伝板に表示されるのだ。3歳のときに親父が買ってくれた風伝板は、俺の見聞を広めてくれた。俺もそのときはまず最初に風伝板で情報を得たのだ。毎日、親父の報が載っていないかを確認していたのだから、おふくろより知るのは早かった。7歳になったそのときでも、その歳にしては「俺」という一人称を使って強がる、ずいぶん生意気な小僧だったのだ。
「母さん。父さんの風伝が…」
「カケル…」
「俺も分かってる。父さんの仕事がそういう仕事なんだって」
涙を浮かべながら精一杯強がる俺を、おふくろの細い腕が抱きしめてくれた。
それはおふくろが親父と結婚する前から、恋に落ちたその時から覚悟していたこと。騎士というものは、幼い子や妻を残して、いつか帰らぬ人となる日が訪れるかもしれないことだ。しかし騎士たるもの、それを恐れて己の欲望に執着することは許されない。なんらかの欲望に執着しすぎれば、加護は弱まり、やがて命を落とす事態となる。
過去に、恋に溺れてその加護を失った騎士がいた。金欲に溺れて戦いの最中に加護が得られなくなった騎士がいた。名誉欲に溺れて加護流が暴れ、命を落とした騎士がいた。金銭や地位、名声などという虚しいもののために心が闇黒面に堕ちた騎士は、二度と帰ってこない。
親父ほどおふくろを愛していた男はいなかっただろう。だがその愛情表現は、幼い俺から見ても、とても厳かなものだった。数ヶ月に一度ヤマタイに帰ってきては、二言、三言おふくろと交し、せっかく帰ってきた居心地の良い居間ですら、まるで修行僧のように瞑想を続ける親父。その、自分自身にすら妥協を許さない姿勢は、限りなく強い加護を生み出し、行く先に敵らしい敵はいなかった。親父がそうやって自分に厳しくいることで、騎士としての強さを保っていることが分かった。
おふくろは、そんな親父が自慢だとよく俺に言ったが、同じように俺も親父が自慢だった。親父が俺たちに冷たいのも、まわりまわって俺たち家族を養うため、騎士で居続けるためなのだと、幼いながらに気づいた俺は、一人称をなまったるい「僕」から「俺」に変えた。おふくろは最初、俺の口調が悪くなったのかと心配したが、そのうちにそういう歳になったのだと理解してくれ、それを矯正させるようなことはなかった。
親父はよく俺に言っていた。
「自分の力は、自分のためにあるわけではない。自分と、家族と、ヤマタイと、そして人類全体のためにあるんだ。強い力を持つ者は、決して自分のためだけにその力を使ってはいけない。人々のために使う力こそ、本物の力だ。分かるかカケル?」
「自分のために力を使うと、その力は弱くなる…?」
「そうだ、いい子だ。カケルも大きな力を手に入れたら、必ずみんなのために使うんだ」
「はい、分かりました」
親父の偉業が分かる年頃には、俺は親父に自然と敬語を使っていた。ヤマタイの英雄とまで風伝に載るこの人は本物の騎士なのだ、このような人間に自分もなりたい。そう考えるようになるのには、それほど時間はかからなかった。親父が俺たちに笑顔を振りまいたり、抱きしめてくれることなど無かったのだが、親父の心持は確実に俺に伝わっていた。俺を一人前の、心の真っ直ぐな人間ににしようと育ててくれているのだということがちゃんと俺にも分かった。
しかし、親父は俺に騎士への道を勧めなかった。優れた騎士の息子ですら、その父と同等、またはそれ以上の騎士となることが無いということもあるのだ。それでも、厳しい騎士によって育てられた子供は、その教育によって心が鍛えられ、騎士になることは可能なことが多いし、危険の少ない地域を探索する騎士としてなら、いくらでも仕事がある。騎士としての厳しい己への枷を息子の俺にまで味わわせたくなかったのだろう、親父は人を導く聖職者である神官や教師などの職業の良さを時々語っていた。そしてそのときは俺にも、騎士になれるという自信など無かったし、目指してもいなかった。
親父が作った騎士団の団員であったサノクラ師範は、時々王都に呼び寄せられたときに会うことができた。加護の強さは、騎士としては若干弱い風2であったが、極めに極めたカノミ流拳術を効果的に用いて、一級騎士の認定を受けるほどであった。その身のこなしから、拳術など一切分からない俺から見ても、サノクラ師範が一流の技を持つ者だとすぐに分かった。
親父の地8の加護による加護術攻撃と、サノクラ師範の体術による攻撃はシスカ王の治世では最強と謳われた。魔龍と名づけられた北方の魔獣に敗北するまで、倒した魔獣の数は数え切れるものではなかった。
親父が冒険に向かうときは2人だけでなく、常に20人の大規模騎士団を率いていて、親父は戦闘技術でも、人を率いるという面でも優秀な騎士だった。だから最大でも10キログラムの虹色水晶の欠片を核に持つ魔獣ですら、親父とサノクラ師範の前にはなす術も無く斃れ臥した。
発見当時は恐れられた魔龍も、おそらく10キログラム、多くても15キログラムの欠片だろうと推定されたのも、これまでに16.5キログラム以上の大きさの欠片は発見されていないからだ。
そんな、地球上の虹色水晶はこの2人であらかた取り尽くせるのではないかと思われた矢先の、突然の敗北だった。だから、その報はでまかせなのではないかと誰もが考えた。しかし、そういうこともあるのだ。大騎士が戦闘で命を落とすことだって、あり得ないことではないのだ。
俺が5歳の時にも一級騎士がアズダカで亡くなるという報があった。10キロ級の魔獣を倒したことのある一級騎士でも、油断すれば3キロ級の魔獣との戦闘で命を落とすことだってある。アズダカには時々、ダイムーの常識から考えれば不思議な生物が魔獣と化して襲い掛かってくる。アズダカの生物層が豊かなために起きることで、戦闘においては魔獣の攻撃が読めず、予測で行動するしか無い場面すらあるのだ。
「母さん、痛いよ」
「ごめんなさい…カケル、明日ヨシス叔父さんが来たら、一緒に飛空船で王都に向かうからね」
俺を強く抱きしめていたおふくろは少しその腕を緩めると、凶報の詳細を得るため、翌日すぐに出発することを告げた。
「今日はもう寝なさい?」
「うん…」
おふくろは俺を寝床へ連れて行き、優しく掛け布団をかけて俺が寝息を立てるふりをするまで、しばらくそこにいて布団の上から撫でていてくれた。しかしその晩は、悔しさに震える俺は眠れる訳も無く、こんなにも溢れるものなのかと疑うほどの涙を拭きながら、おふくろが出て行った後に起き上がり、新しい風伝が無いかと、俺は自分の部屋の風伝板をずっと更新していた。
ナシュ火山周辺では、そのときも飛空戦闘船数隻が行方不明の6騎士を捜索し続けていた。いくら待っても、夜が白んでも、風伝板に飛び込んでくる情報には、新しいものは無かった。親父たちは、消えてしまったのだ。俺はそのまま眠れず、生まれて初めて徹夜というものをしたが、それでも俺には疲れが無かった。
加護が発動する時独特の、ブゥンという低い音を立てながら飛空船が空港に降り立つ。この飛空船は、通常の水晶に加護の力を込めて作り出す“力石”の恩恵を最も分かりやすく受けている乗り物だ。船体後方に巨大な風の力石を32個も積み、前方には16個、側面にも4個ずつ搭載しているため、相当の速度がでる。船体前方の力石は減速や後退に、側面の力石は転進に用いるのだが、使用されているのはこれだけではない。地の力石が船体下面に配置され、船体にかかる地球の重力影響を調整して船体を浮き上がらせ、火の力石が冷暖房空調を担い、水の力石が洗面関係のために配備され、さらに気圧が変動しないように船の縁にも障壁用の風の力石が配置されている。地球上での長距離移動どころか、ここまでの構成なら実は星間移動が可能なほどの重装備である。
もちろん、本気で星間移動、特に火星を目指すならこの3倍の力石が必要で、動力は風ではなく火になるのだが、そもそも大きい方の風の力石は、いつもこれに整備士たちが加護を込めるのにどれだけの人数が必要なのか、少し考えれば恐ろしいお金がかかっていると分かる。人類はこの力石を使った飛空船を発明することにより、宇宙へと飛び出したのだ。これは、人類にとって圧倒的な移動技術の進歩だった。
「カケル君、大きくなったね」
「ヨシス叔父さん、ご無沙汰しております」
「お? まだ小さいのに挨拶がしっかりできるんだね、偉いな」
ヨシス叔父さんはそういって俺の頭をぐしゃぐしゃと撫でる。俺が泣き出さないよう、親父のことには触れないでいてくれた。小さい頃から何度か顔を合わせている親戚だ。従兄弟のセイタス兄さんも空港まで見送りに来てくれたが、一緒に王都へは行かないようだ。
セイタス兄さんとはなんだかいつもつまらないことで喧嘩してしまうのだが、この日のセイタス兄さんは俺を一目見ると、何も言わず軽く肩をポンと叩き、すぐに飛空船の方に顔を向けてしまった。いつもならからかわれてしまうほどの、真っ赤に腫れた俺の泣きはらした顔をジロジロと見られないで良かったのだが、セイタス兄さんも神妙な顔をしているので、血の繋がった者を喪った気持ちは同じなのだろう。
あまり雑談をしている時間は無いと判断した叔母さんが、ヨシス叔父さんに一言何か告げて、セイタス兄さんの手を引いて展望室の方へ歩き出した。
「ご搭乗されましたら、すぐに王都に出発できます」
飛空港の係員にそう告げられるとすぐに、おふくろと俺はヨシス叔父さんの後ろに付いて、足早に飛空船の乗降口へ向かった。
王都・ウルに到着後、すぐに宮殿の近くの宿泊施設に連れて行かれたが、こういう騎士の訃報が王都に入ったときには、よくこの宿泊施設が遺族のために利用されているのだろう、他の5騎士の家族も呼ばれていた。
伝統的な装飾が施された宿泊施設の柱が、この施設の建てられた年代が古いことと、本来は宿泊費が高いのであろうことを想像させた。このときは王族の負担だったから、俺はそんなことを気にしないでもいられた。この宿泊施設へ呼ばれた家族の中には、俺と同じくらいの歳の子が何人かいた。皆、俺と同じ境遇なのだとすぐに分かったのは、全員まぶたが腫れているか、現在も涙を流しているか、という状態だったからだ。皆、まだ若い父親を喪ったのだ。もっと甘えたかっただろうに、それもできなくなってしまった。
しばらくして、神官に連れられた14人の騎士たちが、俺たちの前に姿を現した。ここで彼らに対して怒鳴ったりしたところで、家族が帰ってくるわけではないことは、その場の誰もが分かっていたので、静かに彼らの言葉を待っていた。
こういう場面はよくあることだと、風伝板にもよく載る光景であることも理解しつつ、俺は14人の報告を、風伝で知っている限りの情報と整合させながら聴いた。その話の中に、わずかでも家族が生還する可能性があるか、必死になって聴いていたが、最後まで聴かずともその可能性はほとんど無いことが分かった。
14人が2つの飛空船で離脱しようとするときには、もう残り6人が致命傷を負っていたほど、魔龍が強すぎたのだ。魔龍は知性を持っており、狡猾に加護を駆使して騎士団を排除した。そのため、飛空船まであと数百メートルというところで4人ほど、確実に力尽きていた。恐るべきことにその後も魔龍は逃げる14人を追いかけ、2つあったうちの片方の飛空船が逃亡手段であると魔龍に判断されて破壊されてしまったが、もう片方の飛空船は無事だったのでそちらに14人とも乗り込んだ。
危うくその飛空船まで破壊されそうになったところで、特級騎士タケルと一級騎士サノクラが後ろから魔龍に追いついて攻撃し、食い止めたという報告だった。親父たちを待っていた14人に、親父は「いいから早く逃げろ!」と叫んだ。親父は自分より若い人間を優先し、そこで命尽きたとしても彼らを家に帰すことを試みたのだ。
親父の加護を振り切って魔龍が飛空船を睨んだとき、彼ら14人はその悔しさに咽びながら飛空船を起動し、なんとか離脱できたのだった。魔龍は空を飛ぶことができたので一つだけの飛空船だけでは攻撃力が足りないことは明白で、残された彼らにできることは、魔龍に見つからないようにある程度の距離のところで待機し、すぐにでも風伝板で王都にこのことを伝え、飛空戦闘船に救援を求めることだけだった。わずか1時間後には現場に4隻の飛空戦闘船を用意できたのだが、魔龍の姿はどこにも見えず、そこで戦っていたはずの親父たちの姿も、力尽きたはずの騎士たち4人の姿も無かった。
親父たちは撤退に失敗したのだが、それでも貴重な14人もの騎士を生還させることができた。そう、14人を生還させることすら一苦労、むしろ全滅を免れたのだから親父は大きな仕事を成し遂げたのだ。
騎士たちの話は風伝板にも大雑把に載っていたことなので目新しいことはあまりなかったが、わずか1時間後に飛空戦闘船が現場に到着したことは初耳だった。そしてその1時間の間に、死体も親父たちも、さらには魔龍も消えていたのだ。
魔龍に出会ってからのことをほとんど何も覚えていないサノクラ師範と、親父の亡骸がカマチェスカ半島の南端で見つかったのは、それから数週間後のことだった。俺の直感は、おそらく正しいのだとこのとき確信した。絶対に、これはおかしい。俺はその謎を明かしてみせようと、騎士となる道を選んだのだ。
そこには何かが隠されている。そう、おそらく知ってしまうと命の危険があるようなことが――