表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

キリマンジャロへ愛を届けて

作者: 桐生甘太郎

アクセス頂き有難うございます。お話をお楽しみください。

キリマンジャロへ愛を込めて




僕は磯塚透という。小学五年生の時に、ゲームでプレイキャラクターがまた死んでしまって外へ出た。寒い冬だったので、手慰みに雪だるまを作っていた。これはその雪だるまの話だ。いいや、僕と彼の話だ。とにかく長くなる。


その雪だるまは、小さかった。子供が一人で作ったんだから。空から降り積もった粉雪を、僕の手のひらで押し固めていき、丸く可愛らしい頭と体にする。地面に置いた雪だるまを見詰めて満足し、僕は部屋へ帰ろうとした。


「お待ちよ」


背後から聴こえてきた声に振り向くと、「こっちこっち」と雪だるまが喋ったのだ。驚いた僕は家へ逃げ込んで台所の勝手口を閉め、背中を押し付けた。


「どうしたの」


丁度台所に立っていた母さんが、寒そうにありったけの重ね着をしている。でもそんなのどうでもいい。雪だるまが喋ったんだから。


怖くて母さんには言えなかったけど、怖くなくなってみると、雪だるまを独りで残してきたと思い出した。僕は慌てて庭へと逆戻りする。


「驚かせた?」


雪だるまは何も気付いていないようにまた話しかけてきた。


「うん」


素直に答えると、雪だるまはどこからか笑い声を出して、これだけ言った。


「春までよろしく」




僕はその雪だるまとこっそり学校から帰った夕方だけ話をした。朝は母さんが玄関まで見送るから。


彼に〝シロ〟という名前を付けた。雪だるまは「光栄だな。名前を頂けるなんて」と格好つけていた。


シロはいつも僕を慰めた。


父さんにに叱られたと言っても。悪い成績を取ったと言っても。そして必ずこう言うのだった。


「また待ってるから。お話しにおいでよ」




二月になり、僕の住む地域は雪が少なくなった。ある朝外に出てみると陽の光が暖かく、びっくりして僕はシロの元へ走った。怖くて怖くて仕方なかった。シロが溶けてしまう。本当に居なくなってしまう。そんなの嫌だ!その気持ちで、シロを冷凍庫にしまい込んだ。


「おや、これは有難い。ちょいと狭いがね」


シロは照れているのか、素直にお礼を言わなかった。僕が泣かないように我慢していたからかもしれない。僕は、自分が弱いからだと思った。


春になったらシロは消えてしまう。僕には冷凍庫に入れてあげるしか出来ない。台所の椅子に座り、テーブルに顔を擦り付けて、僕は泣きに泣いた。


夕方、帰ってきた母さんが僕に気付いて慰めてくれた。


「透、どうしたの。泣いているの?」


いくらか涙は収まっていたけど、僕は顔を上げずに顔だけをテーブルに乗っけていた。でも、母さんに話したら何か変わるんじゃないか。僕はシロを助けたい。冷凍庫に閉じ込めたくなんかない!心細くて堪らない気持ちで母さんに顔を見せる。


「母さん…雪だるまが溶けちゃう。春なんか来なくていい…!」


母さんは両手で口を覆って僕を見詰めた。僕は焦ってもう一口こう言う。


「僕の友達なんだ!溶けちゃ嫌だ!絶対やだ!」


ヒステリックに叫んだ僕を見て母さんには解ったらしい。急いで僕の肩を撫でて、「わかったわ。お父さんにも相談しましょう。もしかしたら、冷凍庫に入れておくしかないかもしれないけど…冬には外に出せるもの」と言ってくれた。




「うーん、終わらない冬、かあ。もちろんここじゃ出来ないな、透が悩むはずだ」


父さんは厳しい顔をしていた。僕は友達の力になりたい一心で、父さんの目を逃がさないようにこう言う。


「名前もあるんだ。シロっていうんだよ。僕をいつも慰めてくれた。それなのに、冷凍庫に閉じ込めるなんてやだ!」


父さんはふむふむと何度か頷き、その後しばらく考え込んでいた。


「雪だるまが溶けない場所は確かにある。でも、行くのがとても大変なんだ。お金も時間も掛かる。本当に大変だぞ?」


僕はその時、喜んで返事が出来るのがどんなに嬉しかった事だろう。


「友達のためだ!」




根負けした両親は、僕が登山部に入る時も、アルバイトを始めた時も何も言わなかった。冷凍庫に居るシロを僕のアパートへ運ぶのに、車も出してくれた。


「シロ。新しい冷凍庫、どう?」


「何も入ってないから、匂いがなくてさびしいかも」


「じゃあアイスでも入れよう」


「それは有難い。もし君の好きなニューヨークチーズケーキアイスなら、少し齧っておくよ」


「お腹空かないのに?」


「バレたか」


シロはユーモラスで、僕が高校生になってからはいつも「気になるあの子なんてのは居ないのかい?もっとも、君が女の子の扱いを心得ているとも思えないけど」なんて茶化した。だから僕も気軽に返事が出来た。〝冷凍庫はさみしい?〟なんて、シロに聞かずに済んだ。




大学二年で出会った女の子に、僕は案の定フラれてしまった。今から考えると、恋に慣れてないだけなのに。


その日家に帰っても、僕は冷凍庫をなかなか開けなかった。寝る前に電気を消してから、シロに話し掛けていなかったのが胸を責めて仕方なかった。大きく溜息を吐き、笑顔になんてなれないのに冷凍庫を開ける。


「やあ。ハートブレイクな夜に冷気なんて浴びるもんじゃないよ」


驚いたのは、いつも通りの慰めが返ってきたからだけじゃない。僕が大人になってもシロが変わらないだろうと、僕に解ったんだ。


僕は一瞬怯えた。雪だるまと孤独に過ごす人生なのかと。でも、それでも僕はいい。シロが大好きだもの。


〝でもシロもそれでいいのか?〟


そんな胸の囁きがその日はいつもより辛かった。


「シロ…」


「また明日お開け。僕は待っているから」


何も言えず冷凍庫を閉めた。




大学三年の秋、僕は旅に出た。あらかじめ全ての辻褄を合わせて、旅行の間大学には行かずに済むようにした。


資金は僕のアルバイト代。何より大事なのは、シロを梱包出来る保冷バッグと、現地までシロを運ぶ船便だった。それから僕が往復出来る旅行代、ホテル代。最後に、キリマンジャロ登頂までのキャンプスタッフへ払うお礼だ。


僕は知っていた。シロは冷凍庫に不満なんか無い。外へ出たら溶けてしまう恐怖が勝るからだ。高い山なんて登ったら僕にも会えなくなる。それに怯えてシロが僕に冗談を言うのだとも、もう気付いていた。


でも、別れや死への恐怖だけで生きるなんて、僕はシロにはして欲しくない。自由な世界を見て欲しい。自分で行けないなら、僕が連れて行く。




透は僕を冷凍庫から出す時に、自分から「お別れしに行くんじゃないんだから」と言って泣いた。そして僕をバッグに入れて、笑って閉じた。


真っ暗な保冷バッグの中は、透の家にある冷凍庫の中のようだった。長い間、時たま揺れを感じるだけで僕は眠っていた。透と話した時の夢を見た。


「やめた方がいいんじゃないのかい、危ないよ」と僕が言っても、透は子供の頃のように尻込みしたりしなかった。


〝もう決めちゃったし、お金だってそこそこ貯まってるんだ。これを今さら遣う彼女も居ないんだよ〟


そう嘯く透は、すっかり僕に似たなと思った。




突然地面が大きく揺れ、僕は倒れそうになりながら起きた。でも大丈夫だ。透が詰めてくれたクッションがある。


なんとか心を落ち着かせようとしても、クーラーバッグは揺れ続ける。心配だから透に声を掛けたけど、気密性が高くて透には届かない。


不安だった。怖かった。透がどうしているのか分からない。でも僕は何かに小さく突っかかり続けるように、揺れていた。それは、透が肩へクーラーバッグを背負って僕を腰で揺らしているのだろう。彼は今、山を登っているのだろう。




数日間バッグは開かず、透は見えなかったけど僕は待った。しばらく揺れなかった時もあった。でもまた動き出した。


〝どうしてこんなに長い道を、雪だるまの為に…そんなに大切に思ってくれていたのか…〟


暖かいのか寂しいのか解らない。今から泣いたらもったいないのに、もう泣きそうだ。





突然バッグの隙間から青く激しい光が滑り込み、僕は目が覚めた。感じた事もない冷たい風が僕を包む。どうやら眩しく冷たいだけの場所らしい。僕は透の姿を早く見たかった。心配だった。


覚えのある手の感触が、僕を優しく抱えた。分厚い手袋に遮られているけど、透の手だ。彼は僕を自分の顔まで持ってきた。


嬉しそうに笑う透。その顔は黄色い防風着に半分包まれている。そんなに寒いのか。よく見ると、黒いフリースのパーカーフードも内側で引き絞られている。


「シロ。着いたよ。ほら、ごらん!」


何もかもを見下ろせる雲の上からの景色を見せ、透は更に僕を上へ差し上げて、陽に浴びせた。僕は怖かったけど、溶ける気配はなかった。


しばらく待ってみたけど、陽の光は明るくてもここは僕が溶けたりしない。そう気付いた時、不思議な感覚に襲われた。初めてここで、僕の命が産まれたような気がしたのだ。


「透、ありがとう」


そう言いたくて言いたくて、何度もは言えなくて。


安心して下へ降ろしてくれた透は、本当に嬉しそうだ。両手をいっぱいに広げ、然程距離も離れていない空と僕に一緒に叫んだ。


「シロ!君はもう心配なんか要らないんだ!ここで自由になれる!僕は…」


透は元気がなくなりかけて、言葉を止めた。彼は脇を向いて顔を隠すと、すぐに後ろを向いて蹲る。


〝泣かないで〟


僕にはそう声を掛ける事も出来なかった。僕だって寂しい。透と会えなくなってしまうのだから。ああ、自由の喜びが萎んでしまいそうだ。


でも僕は青い天井を見た。どこから見たって空は青い。それなら透と同じだろう。


そこは、神の山だった。地図の中に小さく収まっていたとは思えない、氷河の群れ。どんなに長い時間でここが出来たのだろう。肩に空が乗っているように青色が近い。


いつまで見ていてもこの景色を理解するなんて無理だ。そう感じてただ嬉しく、飽かずに空気を飲んだ。


そこへ透が戻ってきて、僕の隣に何かを並べた。見てみると、それは僕より小さな雪だるまだ。僕は思わず透の名前を呼ぶ。透は笑っていた。


「山頂には氷しかないかもしれないと思ったけど、雪もあって良かった」


隣で目を覚ました雪だるまは、事態が飲み込めず、僕達二人が泣いているので話せずに居た。透は雪だるまの頭に触れる。


「やあお嫁さん。僕のシロをよろしく」


「シロさんというの?よろしく。お嫁さんとして生まれるなんて嬉しいわ」


「いつも冷凍庫の中から僕に恋バナしてた癖にな」


僕は一瞬忘れていた小さな箱を思い出した。彼がそこを忘れていないのにもほっとした。


「まあ!冷凍庫から来たの!?それは大変だったでしょう!?」


素直に驚いてくれるお嫁さんに僕は嬉しくなり、なんという名前で呼びたいか考える。胸が苦しい。叫びたい。ありがとうと叫びたい。みんなを愛していると叫びたい。


透と僕は笑っていた。夢を叶えて。高い山の上で。彼と僕は生きている。広大な世界が僕にそう教えた。


「じゃあ僕はこれで。また会いに来るよ」


彼が僕に少し屈み込む。


「君も元気で。ここは任せたまえ」


僕は小さい胸を張ってみせた。


「雪だるまなら、一番任せられるね」


「そうとも」




「ねえあなた。お話しをしない?」


「ああ。ここは時間が長そうだ。長話に付き合ってくれ」


「ええ。もちろんですとも。私だって、ずうっとここに居た雪なの。やっと生まれられたから、たくさん話したいことがあるわ」


「そうだな…」




おわり

お読みくださり有難うございました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ