キリマンジャロへ愛を届けて
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キリマンジャロへ愛を込めて
僕は磯塚透という。小学五年生の時に、ゲームでプレイキャラクターがまた死んでしまって外へ出た。寒い冬だったので、手慰みに雪だるまを作っていた。これはその雪だるまの話だ。いいや、僕と彼の話だ。とにかく長くなる。
その雪だるまは、小さかった。子供が一人で作ったんだから。空から降り積もった粉雪を、僕の手のひらで押し固めていき、丸く可愛らしい頭と体にする。地面に置いた雪だるまを見詰めて満足し、僕は部屋へ帰ろうとした。
「お待ちよ」
背後から聴こえてきた声に振り向くと、「こっちこっち」と雪だるまが喋ったのだ。驚いた僕は家へ逃げ込んで台所の勝手口を閉め、背中を押し付けた。
「どうしたの」
丁度台所に立っていた母さんが、寒そうにありったけの重ね着をしている。でもそんなのどうでもいい。雪だるまが喋ったんだから。
怖くて母さんには言えなかったけど、怖くなくなってみると、雪だるまを独りで残してきたと思い出した。僕は慌てて庭へと逆戻りする。
「驚かせた?」
雪だるまは何も気付いていないようにまた話しかけてきた。
「うん」
素直に答えると、雪だるまはどこからか笑い声を出して、これだけ言った。
「春までよろしく」
僕はその雪だるまとこっそり学校から帰った夕方だけ話をした。朝は母さんが玄関まで見送るから。
彼に〝シロ〟という名前を付けた。雪だるまは「光栄だな。名前を頂けるなんて」と格好つけていた。
シロはいつも僕を慰めた。
父さんにに叱られたと言っても。悪い成績を取ったと言っても。そして必ずこう言うのだった。
「また待ってるから。お話しにおいでよ」
二月になり、僕の住む地域は雪が少なくなった。ある朝外に出てみると陽の光が暖かく、びっくりして僕はシロの元へ走った。怖くて怖くて仕方なかった。シロが溶けてしまう。本当に居なくなってしまう。そんなの嫌だ!その気持ちで、シロを冷凍庫にしまい込んだ。
「おや、これは有難い。ちょいと狭いがね」
シロは照れているのか、素直にお礼を言わなかった。僕が泣かないように我慢していたからかもしれない。僕は、自分が弱いからだと思った。
春になったらシロは消えてしまう。僕には冷凍庫に入れてあげるしか出来ない。台所の椅子に座り、テーブルに顔を擦り付けて、僕は泣きに泣いた。
夕方、帰ってきた母さんが僕に気付いて慰めてくれた。
「透、どうしたの。泣いているの?」
いくらか涙は収まっていたけど、僕は顔を上げずに顔だけをテーブルに乗っけていた。でも、母さんに話したら何か変わるんじゃないか。僕はシロを助けたい。冷凍庫に閉じ込めたくなんかない!心細くて堪らない気持ちで母さんに顔を見せる。
「母さん…雪だるまが溶けちゃう。春なんか来なくていい…!」
母さんは両手で口を覆って僕を見詰めた。僕は焦ってもう一口こう言う。
「僕の友達なんだ!溶けちゃ嫌だ!絶対やだ!」
ヒステリックに叫んだ僕を見て母さんには解ったらしい。急いで僕の肩を撫でて、「わかったわ。お父さんにも相談しましょう。もしかしたら、冷凍庫に入れておくしかないかもしれないけど…冬には外に出せるもの」と言ってくれた。
「うーん、終わらない冬、かあ。もちろんここじゃ出来ないな、透が悩むはずだ」
父さんは厳しい顔をしていた。僕は友達の力になりたい一心で、父さんの目を逃がさないようにこう言う。
「名前もあるんだ。シロっていうんだよ。僕をいつも慰めてくれた。それなのに、冷凍庫に閉じ込めるなんてやだ!」
父さんはふむふむと何度か頷き、その後しばらく考え込んでいた。
「雪だるまが溶けない場所は確かにある。でも、行くのがとても大変なんだ。お金も時間も掛かる。本当に大変だぞ?」
僕はその時、喜んで返事が出来るのがどんなに嬉しかった事だろう。
「友達のためだ!」
根負けした両親は、僕が登山部に入る時も、アルバイトを始めた時も何も言わなかった。冷凍庫に居るシロを僕のアパートへ運ぶのに、車も出してくれた。
「シロ。新しい冷凍庫、どう?」
「何も入ってないから、匂いがなくてさびしいかも」
「じゃあアイスでも入れよう」
「それは有難い。もし君の好きなニューヨークチーズケーキアイスなら、少し齧っておくよ」
「お腹空かないのに?」
「バレたか」
シロはユーモラスで、僕が高校生になってからはいつも「気になるあの子なんてのは居ないのかい?もっとも、君が女の子の扱いを心得ているとも思えないけど」なんて茶化した。だから僕も気軽に返事が出来た。〝冷凍庫はさみしい?〟なんて、シロに聞かずに済んだ。
大学二年で出会った女の子に、僕は案の定フラれてしまった。今から考えると、恋に慣れてないだけなのに。
その日家に帰っても、僕は冷凍庫をなかなか開けなかった。寝る前に電気を消してから、シロに話し掛けていなかったのが胸を責めて仕方なかった。大きく溜息を吐き、笑顔になんてなれないのに冷凍庫を開ける。
「やあ。ハートブレイクな夜に冷気なんて浴びるもんじゃないよ」
驚いたのは、いつも通りの慰めが返ってきたからだけじゃない。僕が大人になってもシロが変わらないだろうと、僕に解ったんだ。
僕は一瞬怯えた。雪だるまと孤独に過ごす人生なのかと。でも、それでも僕はいい。シロが大好きだもの。
〝でもシロもそれでいいのか?〟
そんな胸の囁きがその日はいつもより辛かった。
「シロ…」
「また明日お開け。僕は待っているから」
何も言えず冷凍庫を閉めた。
大学三年の秋、僕は旅に出た。あらかじめ全ての辻褄を合わせて、旅行の間大学には行かずに済むようにした。
資金は僕のアルバイト代。何より大事なのは、シロを梱包出来る保冷バッグと、現地までシロを運ぶ船便だった。それから僕が往復出来る旅行代、ホテル代。最後に、キリマンジャロ登頂までのキャンプスタッフへ払うお礼だ。
僕は知っていた。シロは冷凍庫に不満なんか無い。外へ出たら溶けてしまう恐怖が勝るからだ。高い山なんて登ったら僕にも会えなくなる。それに怯えてシロが僕に冗談を言うのだとも、もう気付いていた。
でも、別れや死への恐怖だけで生きるなんて、僕はシロにはして欲しくない。自由な世界を見て欲しい。自分で行けないなら、僕が連れて行く。
透は僕を冷凍庫から出す時に、自分から「お別れしに行くんじゃないんだから」と言って泣いた。そして僕をバッグに入れて、笑って閉じた。
真っ暗な保冷バッグの中は、透の家にある冷凍庫の中のようだった。長い間、時たま揺れを感じるだけで僕は眠っていた。透と話した時の夢を見た。
「やめた方がいいんじゃないのかい、危ないよ」と僕が言っても、透は子供の頃のように尻込みしたりしなかった。
〝もう決めちゃったし、お金だってそこそこ貯まってるんだ。これを今さら遣う彼女も居ないんだよ〟
そう嘯く透は、すっかり僕に似たなと思った。
突然地面が大きく揺れ、僕は倒れそうになりながら起きた。でも大丈夫だ。透が詰めてくれたクッションがある。
なんとか心を落ち着かせようとしても、クーラーバッグは揺れ続ける。心配だから透に声を掛けたけど、気密性が高くて透には届かない。
不安だった。怖かった。透がどうしているのか分からない。でも僕は何かに小さく突っかかり続けるように、揺れていた。それは、透が肩へクーラーバッグを背負って僕を腰で揺らしているのだろう。彼は今、山を登っているのだろう。
数日間バッグは開かず、透は見えなかったけど僕は待った。しばらく揺れなかった時もあった。でもまた動き出した。
〝どうしてこんなに長い道を、雪だるまの為に…そんなに大切に思ってくれていたのか…〟
暖かいのか寂しいのか解らない。今から泣いたらもったいないのに、もう泣きそうだ。
突然バッグの隙間から青く激しい光が滑り込み、僕は目が覚めた。感じた事もない冷たい風が僕を包む。どうやら眩しく冷たいだけの場所らしい。僕は透の姿を早く見たかった。心配だった。
覚えのある手の感触が、僕を優しく抱えた。分厚い手袋に遮られているけど、透の手だ。彼は僕を自分の顔まで持ってきた。
嬉しそうに笑う透。その顔は黄色い防風着に半分包まれている。そんなに寒いのか。よく見ると、黒いフリースのパーカーフードも内側で引き絞られている。
「シロ。着いたよ。ほら、ごらん!」
何もかもを見下ろせる雲の上からの景色を見せ、透は更に僕を上へ差し上げて、陽に浴びせた。僕は怖かったけど、溶ける気配はなかった。
しばらく待ってみたけど、陽の光は明るくてもここは僕が溶けたりしない。そう気付いた時、不思議な感覚に襲われた。初めてここで、僕の命が産まれたような気がしたのだ。
「透、ありがとう」
そう言いたくて言いたくて、何度もは言えなくて。
安心して下へ降ろしてくれた透は、本当に嬉しそうだ。両手をいっぱいに広げ、然程距離も離れていない空と僕に一緒に叫んだ。
「シロ!君はもう心配なんか要らないんだ!ここで自由になれる!僕は…」
透は元気がなくなりかけて、言葉を止めた。彼は脇を向いて顔を隠すと、すぐに後ろを向いて蹲る。
〝泣かないで〟
僕にはそう声を掛ける事も出来なかった。僕だって寂しい。透と会えなくなってしまうのだから。ああ、自由の喜びが萎んでしまいそうだ。
でも僕は青い天井を見た。どこから見たって空は青い。それなら透と同じだろう。
そこは、神の山だった。地図の中に小さく収まっていたとは思えない、氷河の群れ。どんなに長い時間でここが出来たのだろう。肩に空が乗っているように青色が近い。
いつまで見ていてもこの景色を理解するなんて無理だ。そう感じてただ嬉しく、飽かずに空気を飲んだ。
そこへ透が戻ってきて、僕の隣に何かを並べた。見てみると、それは僕より小さな雪だるまだ。僕は思わず透の名前を呼ぶ。透は笑っていた。
「山頂には氷しかないかもしれないと思ったけど、雪もあって良かった」
隣で目を覚ました雪だるまは、事態が飲み込めず、僕達二人が泣いているので話せずに居た。透は雪だるまの頭に触れる。
「やあお嫁さん。僕のシロをよろしく」
「シロさんというの?よろしく。お嫁さんとして生まれるなんて嬉しいわ」
「いつも冷凍庫の中から僕に恋バナしてた癖にな」
僕は一瞬忘れていた小さな箱を思い出した。彼がそこを忘れていないのにもほっとした。
「まあ!冷凍庫から来たの!?それは大変だったでしょう!?」
素直に驚いてくれるお嫁さんに僕は嬉しくなり、なんという名前で呼びたいか考える。胸が苦しい。叫びたい。ありがとうと叫びたい。みんなを愛していると叫びたい。
透と僕は笑っていた。夢を叶えて。高い山の上で。彼と僕は生きている。広大な世界が僕にそう教えた。
「じゃあ僕はこれで。また会いに来るよ」
彼が僕に少し屈み込む。
「君も元気で。ここは任せたまえ」
僕は小さい胸を張ってみせた。
「雪だるまなら、一番任せられるね」
「そうとも」
「ねえあなた。お話しをしない?」
「ああ。ここは時間が長そうだ。長話に付き合ってくれ」
「ええ。もちろんですとも。私だって、ずうっとここに居た雪なの。やっと生まれられたから、たくさん話したいことがあるわ」
「そうだな…」
おわり
お読みくださり有難うございました。




