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第2話「みんな大好きダンジョン講習(絶望)」(1)

 人参町役所出張所には入れられない。


 豚は、鷹溝家の湯花の私室で寝ることになった。巨体を風呂で丸洗いし、船を漕いでいた彼女を湯花は手を引きながら、あるいは肩を貸して招いた。


 1日の最後の重労働を終えた頃。


 豚は、電源を入れて温まったコタツの中へと狭苦しく丸まって眠ってしまった。器用なもので長い尻尾もまんまるにして見事におさまっている。


 炬燵をめくる。


 豚は起きていた。


 豚の威嚇がとぶ。


 炬燵を閉じた。


「……寝るか……」


 湯花は敷き布団を並べる。


 もぞもぞと入り灯りを落とした。


 豚が炬燵の中にいても気にしない。もしかしたら寝首を掻かれるだろう。それでも湯花は深く眠りに旅立つ。


 母猫の腹にくっつく子猫並み熟睡だ。


──しばらくして──。


「……」


 炬燵から豚が出る。彼女は完璧に足音を消し、体格の良さに見合わないほどしなやかな獣、イタチあるいはヘビのようにするりと寝込みの湯花に近づく。


 鉤爪が寝息をあげる湯花の首の触れる。


 豚の瞳が、カーテンの隙間から届く、僅かな月明かりと星明かりを増幅して、夜陰でも正確に捉えている。


 鉤爪が、ちょっと皮を破る。


 ぷっくりと血の玉が浮かぶ。


 小さな傷だ。


 寝ている湯花は、痛みよりも痒みを感じたのか、血の玉と小さな傷を掻いていた。


──翌朝──。


「豚、もしかして大きくなったか?」


 目覚めの1番、湯花は豚と目が合う。冷たい風に首を縮めながら目覚まし時計が最初の音を出した瞬間に止めた。


 豚が昨夜より大きく見えた。1回りは差があり、明らかにおかしいのだが、湯花はビンビン楼での豚の食欲の高さから「育ち盛りだな」と考えた。


 湯花は作業服に着替える。


 朝食は目玉焼き。黄身は半熟。ご飯は山盛り。目玉焼きを茶碗に載せれば朝ごはんの完成である。


「いただきます」


「? ……いただくわ」


 朝食途中のことである。


 豚が炬燵に入ることも椅子に座ることもできないので、湯花は「新しく作ってやらないと」とか考えていると目に止まる。


「忘れてた……」


 湯花は炊飯器の裏にチラシを見つけた。


 役場出張所にDダイバ新人が来る日だ。



「湯花せんぱーい!」


「僕17年は先輩だから先輩呼びやめてね」


 人参役場の出張所が、瑞々しい。


 ハイテンションガールの歓迎だ。


 彼女の名前が水堰美琴であることくらいは、湯花も知っていた。彼女は地元の沙花叉中学校の3年生だ。


 湯花の出身は人参町だ。沙花叉中学校の出なのである。彼の現役から17年越しの後輩である。


 同時に、人参町で2人めの正式ダンジョンダイバーになるかはともかく唯一の候補だ。湯花は1人よりも2人が1番と考えているし、手放したくない『逸材』だ。


「水堰さん、本当にダンジョンライセンスを所得したんだね。中学生には早すぎると思うけど……」


 湯花は老人に片足を突っ込んだおっさんみたいなことを言う。中学3年生、16の女の子だ。ダンジョンへ入るのに年齢の制限は無いが、暗黙の了解で15歳以下は原則弾かれるのがダンジョン委員会での通例になっている。


 だからこそ湯花は気を引き締めた。


「ダンジョンダイブの記録を見せて」


「はい!」


 と、水堰は威勢よく言う。彼女は待ってましたとばかりに防水された地図とも手帳とも見える物を出した。


 おダイブ手帳だ。


 基本的にダイブしたダンジョンや、講習やらを受講したら記録して、持ち主が現在どこまで“やれるか”の記録として残す。


 原則ではダンジョンへのダイブ前に行程表とおダイブ手帳を役所に提出して、という事前があることになっている。だが8割程のダイブではこの提出に意味はなく形式上だけのやりとりになっている。


 とはいえ、湯花はおダイブ手帳を見る。


 新人でソロダイブなどご法度だし、ベテランでもソロなんてやるもんじゃない。ダイブしていれば当面は座学だなと湯花は考えていたが、水堰は偶然か、手堅いダイブだけを経験していた。


 ライセンス所得の引率を受けてのダイブを除けば、2回、ダンジョンに入っている。どれも都会のほうの、ツアーと呼ばれるものだ。ベテランと共同のアルバイトだ。新人が安全にダンジョンで実務を積める。


 怪我は1回。


 ダンジョンで左腕に亀裂。


 正直だな、と湯花は思う。


「左腕は無事か? 骨折や怪我はどんなに小さくても後遺症がある。以前と比べれば能力が下がるぞ」


「全治1ヶ月でした。怪我をしたのは3ヶ月前で充分以上のリハビリを受けています。日常生活は当然で、ダンジョンへのダイブにも支障は無いと診断書をいただきました」


 水堰は病院からの診断書を出す。


 用意が良いな。凄く良い感じだ。


 きっと良いダイバーになるだろう。


「信じよう」


 湯花は診断書を受け取らずに、おダイバ手帳を水堰に返した。記録上は微塵もダイブに問題はない。むしろ優良物件だ。


「よろしくお願いするっスよ、せんぱぁい、へへ、あたし、なんでもするんで」


「へへへ」と、ごますりポーズで腰をかがめながら水堰は言う。


「初日だしな。旅支度は?」


「用意はしてるっスけど……」


 水堰の歯切れが悪くなる。彼女の足元には旅行鞄がある。中身はダンジョン用の装備だが着替えるのは今じゃない。


「ドライブに行こう。トイレに行け」


「ダンジョンはすぐ近くっすよ〜」


「何言ってるんスか」と、水堰は冗談を聞いている雰囲気だ。それに湯花は「そうか」とだけ返した。


──10時間後──。


「おしっこおしっこおしっこー!!」


「乙女がおしっこ連呼するんじゃない」


 駐車場に着くや、水堰は駐車場のあちこちにある仮設トイレの1つに飛び込んだ。派手な音が響く。湯花はカーラジオの音量を少しあげた。


「早かったな。まだ荷物も下ろしてない。漏らしたなら替えの下着があるよ、水堰さん」


「漏らしてなつス! ギリセーフ」


「僕はシートにかけるとか、ペットボトルにすることを覚悟してた。水堰さんは運が良い」


 湯花は、水堰の手が乾いているのに気がついた。ウェットティッシュを渡す。彼女は照れながらアルコールで湿ったかティッシュで手を拭く。


「クロスボウて違法じゃないんスか」


 水堰が湯花の下ろす荷物を見て言う。厳密には違法だ。ダンジョン内も日本の法律が適応される。


 原則、持ち込める武器は、ナイフやボアスピア、ボアスピアランスくらいだ。やや大きなモンスター相手の白兵戦には不利なときもある。


「違法だよ」


「ドローンも違法じゃないすスか」


「違法だよ」


「せんぱいて猟友会にいるんスか?」


「全然登録してない」


 湯花と水堰は、人参町から離れて、遠く遠征に出ていた。人参町ダンジョンのモンスターは問題ない。浅瀬の魔狼は罠に掛かっていたので食われる前に解体場送りにして、しばらくは安全だ。


 と言うことで東京ダンジョンに来ていた。


 関東有数の大規模なダンジョンだが、東京のど真ん中ということもあって『開拓』が進んでいる。下手な地方のダンジョンよりも安全で、しかもあらゆる能力を試せる良いダンジョンだ。


 人参ダンジョンは良いダンジョンだと湯花は断言するが、成長する為には、やはり、足りない物は決して少なくないのである。


 半日かけての大遠征の終着点で、水堰はすっかり固くなった体を伸ばし、みずみずしい若さを惜しみなくさらす。


 水堰の美しいスレンダーな胸部だ。


 人参町役場とペイントされたワンボックスから、湯花は装備を次々と引き出した。装備は標準的な物だ。ライトホルダー付きヘルメット、厚手のウェットスーツ、ボアスピア、ナイフ、応急キット、ブーツ、替えの下着やら食料などパッキングした物……日帰り予定なので数日分を生きられる程度の軽装だ。


 東京ダンジョンの係員に──水堰はおっかなびっくりに──おダイバ手帳や装備、行程表を提出した。装備には武器も含まれている。


 普通に非合法だ。


 だが、あっさり通った。


「な?」


「な? じゃあないですよ、せんぱぁい」


 水堰は半べそに泣きそうだ。


 あと1歩で自首する犯罪者だ。


 ドローンにクロスボウ。法治国家である日本では非合法な兵器であるが、それはそれ、別の省が規制した法律で、ダンジョンを受け持つ環境省とは大論争だ。


「環境省の、正確にはダンジョン資源調整局の国有地指定だからなダンジョンは。警察やらと相当揉めてる。警察はダンジョンのモンスターに対処できないのに武器が氾濫するからもっと締め付けようと政治してるし、自衛隊が内政に出張るのはお左翼もお右翼の政治家も嫌う」


 湯花はハードケースを閉じ、続けた。


「いろんなしがらみで、民間人や地方の小さな自治の範疇でダンジョンに対処するしかない。だから、多少の法は、ダンジョンの敷地内では黙認されるんだ」


「ここはもうダンジョンなんスね」


「そうだよ」と、湯花は見渡す。


 駐車場からして既に、高い塀と有刺鉄線、監視塔がぽつぽつとそびえている。監視カメラも多い。全て、内側こそ警戒していてダンジョンを向いていた。


 巨大な刑務所のような設備だ。


 東京ダンジョンだけが特別なわけではない。大都市にあらわれたダンジョンの多かれ少なかれは、武装されていた。


 危険だからだ。


「さて、ホームで少し休もうか」


「せんぱい、ダイブしないんスか」


「長旅で疲れたでしょ。体を休めてから」


 湯花と水堰は各々の装備を背負い、ホームを目指した。ぴょこぴょこと湯花を追う水堰は「ホーム?」と訊く。


「大きい都市のダンジョンは遠征組も多いから、まあ宿泊施設やらの複合施設がダンジョンに食い込んでるんだ。何日もアタックするチームもいるしな」


「楽しそうスね。冒険者ギルドみたいス」


「けっこうそのまんまだな冒険者ギルド」


 水堰の感じたものは正しかった。


 東京ダンジョンと出ている、巨大な駅にも似た建物の二重の自動ドアを抜けると、外とはまるで違う世界が広がる。


「わぁッ!」


 水堰が驚きで声をあげる。


 ダンジョンの外、普通の日本では見ないような異世界感溢れる景色が広がっているからだ。そこには日本人が行き交ってはいるし、日本語を話してもいる。


 だが、売られているダンジョン由来の惣菜や、剥製、専門書、装備の数々が並んでいるばかりか、観葉植物に見えていた物でさえダンジョンで採取されたものが使われていた。


 最も目を引くのは放し飼いのモンスタだ。


 水堰が目を光らせて走っていく。


 湯花はそんな水堰へ懐かしいものを見る視線を送りながら、装備をテーブルに置いた。ずしりと肩や腰に掛かっていた負担が、ふッと軽くなる。


 そんなことより、と湯花は手招きした。


 ホームに新しい人間ぽいものが入ってくる。とても大きく、尻尾があり、角があり、瞳がほんの少し人間らしくなくて、手足が恐竜とか鶏みたいで、下半身が……ほぼ人間になっていた。


「あれ? スズメサウルスは……」


 ともあれ、豚だ。


 豚は、あたかも女王様であるかのようにホームへと入ってくるが、ダイブ前で待機している人達の気を、僅かに引いたくらいで、特別に目立っているわけではない。


 堂々としすぎて受け流されていた。


「貴様は我のご主人様であろう!? 奴隷を飼うのであれば最後まで面倒を見よ、放置するな!!」


 豚、叫ぶ。彼女の叫びは流石にダイバの注目を浴びた。何事か、と、ホームの一部でざわつく。


「……亜人?」


「まさか。伝説だぞ、発見されていない」


「あぁ。亜人ならそこにもいるしな」


「コスプレだろありゃ。おんなじか」


「そゆこと。良くできてる。手足は竜皮かな。手袋も消耗品で高いからな。現地調達か」


「角や尻尾はなんなんだ?」


「尻尾はわからん。角はアンテナだろ。戦争でドローンオペレータがVRゴーグルから触覚みたいに出してるの見たぞ」


「尻尾は発電細胞が直列なのを使った生体電池だろ、高卒。亜人みたいに見えるがダンジョンの産物を使ってるだけだ」


「高卒バカにしてんの?」


 水堰がモンスターと戯れている。


 豚が涙目する。


 湯花は椅子を引いて座らせた。


「よしよし、ごめんね、豚。きみは勝手に帰るだろうと思っていたんだけど……しかし、よく東京ダンジョンまでこれたね、遠かったでしょ」


 湯花は気がつく。豚の到着は、湯花と水堰とほぼ同じくらいの時間である事実に、だ。


「まあいいや。水堰さーん」


「はーい、なんスかせんぱーい」


「この人の紹介。今うちに過ごしてる人」


「あッ、水堰美琴です!」


「私は湯花の奴隷をやっとる豚である」


 ホームの空気が凍る。


 地獄耳アンテナ向く。

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