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【ハイファンタジー 西洋・中世】

悪魔の歌

作者: 小雨川蛙
掲載日:2024/07/15


荒涼とした乾いた大地を私は歩いていた。

人が住むどころか、歩くことさえも難しい場所。

こんな世界を独りで行かなければならない。

それが使命だったから。

「待ってよ」

誤算があるとしたら一つ。

今、この瞬間の私は一人ではない。

後ろから十にもならない幼い少女が苛立った様子で駆けてくる。

「置いていく気?」

私は立ち止まり少女に笑いかけて言った。

そんなつもりなどない。ちょうど立ち止まろうと思っていたところだと。

「絶対嘘だ」

嘘などついていない。

「はいはい」

そう言って少女は私に追いつくと頭を軽く叩いた。

「こんなところに置いていかれたら、今度こそ本当に死んじゃうから」

私は無言のまま少女の額を軽く小突いた。

彼女はいつだって私の隣をついてきた。

聞けば行く場所がないのだと言う。

「あんただって分かっているでしょう?」

ケラケラと笑いながら私の頭を軽く叩く。

「私なんて別に生きていなくてもいいんだって」

その言葉を聞いて私はため息をついて少女の体を抱きしめて頭を何度か撫でながら伝える。

そんなことを言うものではない。

命は尊く、大切にしなければならないものなのだと。

「やめてよ」

少女はそう言うと私を突き飛ばした。

「命が大切? 馬鹿じゃないの? 今、この瞬間にも多くの命が失われているのに」

一瞬、私は言葉を失いどう答えるべきか迷った。

少女の話したことは真実だ。

事実、彼女自身も野垂れ死にする寸前だった。

二年前に通りかかった森の中、枝のように瘦せ細った状態で木の根にもたれ掛かり辛うじて息をする。

きっと、いや、間違いなく私が通りかからなければ死んでいただろう。

あの時、私は彼女を見捨てることが出来なかった。

本当ならば見捨てるべきだったのに。

「あんたはさ、偉いから分からないんだろうけどさ。生まれたら生きて死ぬだけなんだよ。それが短いか長いかなんて誰も気にしない。それが幸せか不幸かなんて誰も気にしない」

そういうものなのだろうか。

私が問うと少女は私の額を軽く小突く。

「少なくともあんたより私の方が人間については詳しいはずよ。何せ、あんたは生きていないんだから」

滑稽な表現だ。

だが、適切かもしれないと私は思った。

「ねえ、あんたはさ」

少女に押し倒される形で私は大地に座り込んだ。

「私にしたように手で触れればなんだって治せちゃう。どれだけ死にそうな人間でもあっさりとさ」

あの森での出来事を思い出す。

今、無邪気に笑う彼女は、あの日、苦し気な視線で私を見つめていた。

声も出せない。指一つ動かすことも出来ない。

まさに今、死にゆこうとしていたから。

私には彼女を救うことが出来た。

「その力を持ってどうしたいのさ? こんな風に命が当然のように失われていく世界で何をしたいのさ?」

私は答えられなかった。

脳裏に浮かぶ私の使命。

自分が生まれた理由にして存在意義。

何よりも大切な果たさなければならないもの。

「あんたは世界を良くしたいみたいだけど」

少女は笑った。

「別に世界は良くなることを求めていないと思う。だって、自然なことだもん」

違う。

そうではない。

このままでは世界は確実に滅びへ向かう。

彼女が死んでからずっとずっと先の未来。

移動と言えば精々馬しか知らない彼女は想像出来ないだろう。

人が空を飛ぶようになるなど。

棒で打たれ、石を投げられて殺される人間を見たことのある彼女では想像出来ないだろう。

千、万、億の数の人間が一瞬で死ぬような武器が出来ることを。

「あんたはさ、気にしすぎなんだよ。あんたが思っているほど世界はやわじゃない」

笑顔で語る彼女を見つめながら私はあの日を回想する。

あの時、森で死にかけている彼女を見捨てることが出来た。

いや、見捨てるべきだったのだ。

「それともなに? どうしたって世界を救いたいとでも言うの?」

私はようやく答えることが出来た。

それが私の使命だから。

彼女はため息をつく。

「馬鹿らしい。なら、そんな馬鹿なあんたを称えて歌でも作ってあげる」

そう言って彼女は歌いだす。

直前まで私を半ば馬鹿にしていた彼女が歌う、その歌は。

言葉を知らない彼女が、自身の愚かさを晒すのを知りながらも、それでも私への感謝を歌う歌だった。

音程は乱れ、リズムは狂い、そもそもがただの子供である彼女が即興で歌うもの。

聞くに堪えない歌。

ただ、それでも最も伝えたいことはしっかりと歌っていた。

即ち、私への感謝と賛美。

彼女の歌は数年後に完成され、彼女だけでなく多くの者から歌われるようになる。

その歌は私を語るものとしては文字よりも古く、言葉よりも分かりやすいものとして残り続ける。

彼女が亡くなった後も、百年・千年・万年……と永遠に。

私の名を語り続け、私の存在を証明するものとして残り続ける。

そして、人々は私を自らの大義を主張するものとして使い続けるのだ。

人間が滅び去るその日まで。世界が終ってしまうその時まで。

だからこそ、今。

私は彼女を殺さねばならない。

この歌が、この讃美歌が世界に広まる前に。

今、産声をあげたこの瞬間に。

「どう? 神様?」

しかし、私にはそれが出来なかった。

助けた命を奪うことなど、どうして出来ようか。

私は一瞬、目を閉じる。

人が『神』の名の下に他者を殺す未来。

自分たちの『神』を信じぬ者たちを殺しつくす未来。

そして、最早形骸化しながらも良心を払拭するため、最後の一押しとして『神』が使われる未来。

けれど。

「リリス」

私は微笑みながら立ち上がる。

「もっと美しい言葉を使ってほしい」

「お生憎様、もっと下品には出来るけど、上品になんて出来やしない」

そう言って少女は、リリスは、後に悪魔と呼ばれる女性は讃美歌を歌う。


この歌は後に多くの人を死に至らせ、やがて世界をも滅ぼした。

しかし、そんな悲惨な未来を知る由もなくリリスは今も歌う。

私を。

神を称える歌を。

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