物語
という話でありました。と、作品紹介に書いておいたか、或いはデータバックの日付がそう告げる。何にしろ、当の写真はどこにも無い。けれどもやっぱり、そんなハイテクではない。
国語は有言実行を許さないから、ひたすら前言撤回のみが正しく成り立って、即ち次のことは正しい。
どのようにではなく、何がうるかったのかが分からない。その当のものを私は知らないはずなのに、それは今やっと鳴り止んだ様な気がしているのである。
窓際が落ち着き払っていた。
私も同じで、立ち上がって玄関へと向かう。次いで電車に乗る。これは劇であった。静寂は飲み干してしまえばそれだけだから。
「」が有った。よく見てみれば確かに有る。新発見のこれ、或いは新発明か。まだ待とう。すぐにそれは必要となるはずだから。
私はここまで来た。随分と移動した。一時間の半分における壮大な運動、ミクロ的な諸移動を私は知らないが、蔑ろにはしない。はず。
何を期待しているか。期待されているか。娯楽である。よってただ今対話編を開始するために喫茶店へと入る。駅前の喫茶店である。といってもやっぱり、駅は存在しない。
けれどもやはりドアは開く。重苦しく、様々の摩擦や静電気やドアをドアたらしめている設計を伴って。ちなみに今開いたのは電車のドアであるから、私はまだ降り立っていない。
けれどもやっぱり降り立った。ここはそういう場所であった。