切れた綾取り糸
綾子さんは、綾取りが大好き。
綾取りを知らないの?じゃあ一緒にやってみよう。
糸が無いの?しようがないなぁ。
じゃあ、あなたの体から、糸を取り出しましょ。
灰色の糸は脳みそから、白色の糸は神経から、そして赤色の糸は・・・。
その男の子は中学生。
お盆休み。両親に連れられて、田舎の祖父の家へとやってきた。
祖父の家はちょっとしたお屋敷ほどの大きさで、
地元では名家として知られている。
親戚も多く、事あるごとにこうして祖父の家に集まっていた。
では、親戚同士で仲が良いかと言うと、実はそうでもない。
その男子中学生の親戚は、どこか人格に問題がある人が多かった。
血も涙もない人、無神経な人、そんな人たちばかり。
親戚同士で顔を合わせる度に諍いが絶えない。
そんな中で、従姉弟のおねえさんだけは別だった。
従兄弟のおねえさんは、身内のその男子中学生から見ても美人で、
手足はスラッと長く、スタイルは良く、気立ても良い。
その男子中学生にとっては憧れの初恋の人だった。
この春から都会の大学に進学したそうで、ますます美人になったという。
そんな憧れのおねえさんに会うのが楽しみで、
その男子中学生はこうして両親に付いて祖父の家まで来たのだった。
「いらっしゃい。遠くから来て、疲れたでしょう?」
そう言って出迎えてくれた従兄弟のおねえさんは、ますます美人になっていた。
自分自身も遠方から来たはずなのに、笑顔で親戚たちを出迎える。
「あなたも久しぶりね。元気だった?」
「う、うん。おねえさんも元気そうで良かった。」
憧れの人を前にして、その男子中学生は顔を赤くしてしまった。
しかし、そんな甘ったるい空気を吹き飛ばすように、大人たちが声を荒らげた。
「何だ、今頃のこのこやってきて。
お前もそんなに遺産が欲しかったのか?」
「そう言うそっちこそ、随分お早い到着じゃないか。
遺産は早い者勝ちじゃないぞ。」
顔を合わせた親戚の大人たちは早速、言い争いを始めていた。
せっかくの再会を邪魔されて、その男子中学生は苦々しい表情。
従兄弟のおねえさんは、大人たちの間を取り持ちながら、荷物などを運んでいた。
夏の日も傾き始めた夕方。
祖父の家に集まった親戚たちは、大きな食堂で一堂に会していた。
楽しい夕食、とはいかないようで、やはりそこでも言い争いは続いていた。
何のことはない、話の内容は祖父の遺産をどうするか。
体調が思わしくない祖父が遺す遺産の分配の話だった。
それがお互いを非難し、果ては子供の躾にまで話が及んでいた。
「爺さんの面倒を見ているのは誰だと思ってるんだ?」
「子供の躾もできん奴に、この家は任せられんな。」
そんな険悪な空気が居た堪れなくなったのか、
従兄弟のおねえさんが、お茶を配膳しながら、こんなことを言った。
「ところで、この辺りって、幽霊が出るって言いますよね?
小さな子供たちは、きっとそういう話が好きでしょう。」
そうして、従兄弟のおねえさんは話し始めた。
綾取りの綾子さん。
綾子さんは女の子の幽霊で、ちょうど今くらいのお盆にやってくる。
一人でいる子供に、綾取りをしようと誘う。
しかし、絶対に綾子さんと綾取りをしてはいけない。
なぜなら、幽霊の綾取りは、普通の綾取りではないから。
綾子さんは、糸の代わりに、人の体から糸を抜き取る。
体から糸を抜き取られた人は、すっかり人が変わってしまうという。
おどろおどろしく話してから、従兄弟のおねえさんは笑顔で尋ねた。
「幽霊の綾子さん、大人の皆さんは見たことがあるんですか?
わたしは見た覚えがないんですけど。」
子供っぽい怪談など、何を言っているのか。
そう大人たちは怒鳴るかと思ったが、しかし、大人たちの反応は違った。
「ああ、綾取りの綾子さんの話か。
もちろん、ここにいる大人は全員、見たことがあるだろう。」
「そうだな。今年も綾子さんが出る時期だ。
小さな子供たちは、絶対に大人から離れるなよ。」
大人たちは青い顔でそう言うのだった。
まるで幽霊を見てきたかのような反応に、
その男子中学生と従兄弟のおねえさんは顔を見合わせていた。
それからも親戚の大人たちの言い争いは続いた。
幽霊の綾子さんの話があってから、
大人たちは小さな子供たちのことを離そうとせず、
哀れな子供たちは言い争いの場から逃げることも許されない。
従兄弟のおねえさんほどの若い者は、お茶汲みや雑用に忙しそう。
では、小さな子供でもない、かと言って大人でもない、
間に位置するその男子中学生はと言うと、
大人たちの目を盗んで食堂を抜け出していた。
「あんな険悪なところにいられないよ。
何か用事を言いつけられないように、外に出てようっと。」
その男子中学生は家の玄関から外へ飛び出した。
田舎の夜は街灯も無く真っ暗で、しかし月や星が照らしてくれていた。
気温は高いが周囲の川や森を抜ける風は涼しげで、
都会とは違う夜が広がっていた。
「田舎の夜は涼しいなぁ。
どれ、ちょっとそこまで散歩にでも行くかな。」
田舎の夜にちょっと胸を踊らせて、その男子中学生は歩き始めた。
家の明かりが遠くなって、周囲は僅かな森の中。
川のせせらぎを聞きながら木々の間を歩いていく。
月と星の明かりを頼りに、木の根や石っころを避けていく。
やがて、家の明かりが届かなくなるほど遠くまで来たところで、
その男子中学生は腰を下ろした。
目の前には夜の明かりを含んだ小川が流れている。
自然はこんなにも穏やかなのに、どうして大人たちは争うのだろう。
しんみりと物思いに耽っていると、やさしい風が頬を撫で、
隣には一人の女の子が座っていた。
その男子中学生は隣を二度見て、それから尋ねた。
「君は、いつからそこにいたの?どこの子?」
隣にはいつの間にか女の子が座っている。
女の子は白いワンピースを纏っていて、透き通るような肌をしていた。
その男子中学生が話しかけると、その女の子は柔らかく微笑んだ。
「あっち。あっちにお家があるの。」
その女の子が指差す先は、その男子中学生の祖父の家がある方向と同じだった。
「僕もそっちから来たんだよ。お爺ちゃんの家があって。
君はご近所さんかな。」
「そうかも。
あなたはどうしてこんなところに?」
透き通るような目で、その女の子が見つめる。
その顔がどことなく、憧れの従兄弟のおねえさんの面影があるからだろうか。
その男子中学生は素直に話し始めた。
「大人たちが言い争ってるのを見たくなくて、抜け出して来たんだ。」
「そうなんだ。わたしもそうだよ。」
「どうして、大人って仲良くできないんだろうね。」
初めて逢ったはずなのに、その男子中学生と女の子は肩を揃えて微笑み合った。
そうして、その男子中学生と女の子は語り合った。
親の事、家族の事、学校の事、友達の事、流行っている事。
まるで古くからの知り合いのように、その男子中学生は素直に話すことができた。
その女の子の話は、ちょっと古くって、女の子の事情はよくわからなかった。
そうしてお互いの口が一服して。
でもまだ一緒にいたくって、その男子中学生は女の子に言った。
「なにかして遊ぼうか?」
話題に困って、その男子中学生が言った言葉。
なにかして遊ぼうか。
その言葉に、女の子は屈託のない笑顔で応えた。
「本当?じゃあ、綾取りがしたい。」
その応えに何か違和感を感じる。
気をつけなければいけないことがあった気がする。
しかし、何も考えられないほどに、その女の子の笑顔は美しかった。
「綾取りか。君は古い遊びが好きなんだな。
でも、糸が無いな。
綾取りは糸の輪っかが無いとできないよ。」
「糸ならあるよ。」
「どこに?」
「あなたが持ってる。ちょっと借りるね。」
途端、その男子中学生の意識が消えそうになった。
頭が空っぽになって、気が遠くなっていく。
「はい、糸の用意ができたよ。」
女の子の声に呼び戻されると、
その女の子の手には、確かに糸の輪があった。
くすんだ灰色の糸。
どこから取り出したのだろう。
その女の子は、その糸の輪を使って、手と手の間に模様を描いていた。
綾取りなどやったことがないその男子中学生には、知らないものだった。
「あ、ああ、綾取りだったね。
えーっと、どうやって取れば良いんだろう。」
「わたしが教えてあげる。」
そうしてその男子中学生は、その女の子から手取り足取り、
綾取りを教えてもらった。
綾取りなんて子供の遊び、途中で止めても良かった。
でも、その女の子ともう少し一緒にいたくて、その男子中学生は綾取りを続けた。
しばらくして、その女の子は小さく手を叩いて言った。
「うまいうまい。
おにいちゃん、綾取りは初めてなのに上手だね。
じゃあ、記憶の糸はこのくらいにして、次の糸で遊ぼうか。」
途端、その男子中学生の全身に激痛が走った。
目の前が歪むほどの激痛、しかし痛みが瞬間で収まると、
女の子の手には、真っ白な糸が張られていた。
その女の子が柔らかく微笑む。
「次はおにいちゃんの神経の糸。さあ、取って。」
差し出された白い糸に、その男子中学生は寒気を覚えた。
頭がぼーっとしていたのが覚めて、記憶が鮮明になる。
代わりに全身の感覚が曖昧に感じられた。
そういえば、大人たちが言っていたではないか。
お盆に、この辺りで子供が一人でいると、幽霊の綾子さんが出ると。
綾子さんと綾取りをしては絶対にいけないと。
女の子の美しさについ見とれて、大切なことを忘れていた。
こんな夜遅くに、森の中に女の子がいるはずがない。
早く逃げなければ。
そんな内心を見透かしたのか、その女の子が話しかけた。
「おにいちゃん、途中でいなくなったら嫌だよ。
綾取りを途中で止めたら、借りた糸が切れて返せなくなっちゃう。
そうしたら、おにいちゃん、無神経な大人になっちゃうよ。」
その女の子の様子は、とても心配そうで、
その男子中学生のことを案じているようだった。
信用して良いのだろうか。
逃げた方が良いのだろうか。
その男子中学生は選ばなければならなかった。
夜の森の中で女の子に出会って、
その男子中学生は、その女の子と綾取りをした。
幽霊の綾子さんと綾取りをしてはならない。
そんな大人たちの忠告を忘れて。
途中で逃げるべきか否か。
その男子中学生はしかし、逃げることはしなかった。
確信があったわけではない。
「綾取りを途中で止めては駄目。」
そう話す女の子は本当に心配そうで、
騙そうとしているとは思えなかったから。
思えば、その女の子は自分から綾取りをしようとは言わなかった。
ただその男子中学生と一緒に話をしていただけ。
綾取りをすることになったのは、その男子中学生の方から持ちかけたこと。
もしも、騙すつもりなら、こんな手の込んだ事はしないだろう。
そんな朧気な理由だった。
気が付くとその男子中学生の手には真っ白な糸が張られていて、
綾取りの複雑な図形を描いていた。
女の子が嬉しそうに微笑んで言う。
「おにいちゃん、うまいうまい。
本当に上達したね。じゃあ、次が最後。
おにいちゃんの血の管を借りるね。」
その男子中学生の全身に感覚が戻り、今度はすぅっと血の気が引いていく。
体が痺れて、目の前が真っ暗になって、再び視界を取り戻すと、
目の前の女の子の手には、真っ赤な糸の輪が張られていた。
今度の糸は滴るほどに真っ赤で、幾分太いものだった。
やはり女の子は嬉しそうに言う。
「今度の糸は太くて丈夫だから、ちょっとコツがいるよ。
さあ、一緒に綾取りしましょ。」
そう話す女の子の顔は慈愛に満ちていて、まるで母親のようで、
その男子中学生にはやはり騙しているようには思えない。
大人の忠告と、目の前の女の子と、
その男子中学生が選んだのは、自分の目で見て感じた方だった。
「わぁ、おにいちゃん。綾取りがすっかり上手になったね。」
女の子が感嘆を上げている。
その男子中学生が視線を落とすと、
手の中には、夜空に瞬く星が落ちていた。
真っ赤な糸で作られた星は美しい図形で、
その男子中学生が上達したことと、女の子の指導の賜物だった。
手を掲げて星を夜空に返す。
星を透かした遠くの夜空は薄っすらと白み始めていた。
空と同じく、女の子の体も白く透けていく。
透けていく口から、その女の子の声が聞こえる。
「最後まで綾取りしてくれたのは、おにいちゃんが初めて。
おにいちゃんと遊べて良かった。
これでもう、おにいちゃんは、血も涙もない大人になったりしないよ。
わたし、もう帰らなきゃ。」
「家に帰るのかい?」
「ううん、今日はお家の様子を見に来たの。
帰るのは違うところ。」
「そっか、また逢えると良いな。」
「うん。
そうだ。これ、みんなに渡しておいて。
きっと足りなくて困ってるだろうから。
みんなにもよろしくね。」
そうしてその女の子は、朝の光に溶けて消えていった。
残されたその男子中学生の体にはもう異常は無かった。
それからその男子中学生は、森から出て祖父の家に戻った。
いつの間にか一晩の時間が経っていたようで、
辺りはすっかり朝の光に満ちていた。
大人たちはまだ言い争いを続けているだろうかと思われたが、
しかし、そんなことは無かった。
その男子中学生がひょっこり戻ってきて、大人たちは泡を食っていた。
「お前、一晩中どこに行ってたんだ!?」
「怪我は無いの?」
「我々大人たちが目を離したせいで、悪かったなぁ。」
つい昨夜まで言い争っていたはずの大人たちが、
今はその男子中学生の無事をお互いに喜び合っていた。
その姿は長年の友人同士か、あるいは同族同士に他ならない。
あの女の子からは、ついぞ名前を聞くことは無かった。
しかし、あの子が何者だったのか、その男子中学生にはわかる気がする。
女の子と綾取りを最後までやらなかったがために足りなかったもの、
それは今や大人たちの元に届いたはずだ。
集まった親戚たちはすっかり打ち解けあって、
その男子中学生の無事を涙を流して喜び合うのだった。
終わり。
お盆とは、先祖が家に帰ってくるのを家族でお迎えする時期。
とはいえ、実際には親戚が集まって仲良くするには困難も多い。
ということで、せめて想像の世界だけでも、
先祖の霊が帰ってきて、親戚が集まって仲良くする話にしました。
人格に問題があるとされる人も悪気があるわけではなく、
今までの経験や環境によって人格が形成された可能性もあります。
出来上がった人格だけを見て人を評価するのも酷なように感じます。
現実でも綾子さんのように、
足りないところを補強してくれる存在がいると良いのですが。
作中で人格に問題があるとされる親戚の大人たちは、
子供の頃に綾子さんと綾取りをして、途中で止めてしまったために、
体の糸が切れて人格に影響していたとも受け取れます。
綾子さんとの綾取りは、記憶の糸、神経の糸、血管の順番に行われていました。
血管の綾取りで止めた場合は、血も涙もない大人に、
神経の糸の綾取りで止めた場合は、無神経な大人に、
最初の記憶の糸で止めた場合は、記憶の糸が切れた大人になっていました。
もしかして、親戚の中で綾子さんに一番薄情だったのは、
綾子さんのことを忘れているあの人だったのかも。
あるいは一番の怖がりで、先に逃げてしまっただけかもしれませんが。
お読み頂きありがとうございました。