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夜空を見上げる少女等は孤独  作者: 九頭坂本
6/30

野良猫少女


 僕を先導していた彼女は、他の家と比べて多少大き

な、一軒家の前で走るのをやめた。

「ここ」とだけ言って、彼女は家の玄関のドアの鍵を

開け始める。

 胸に抱える猫の様子を伺うと、目を瞑り、じっとし

たまま動かなかった。体温は温かいが、弱っているの

は目に見えて分かる。

「早く」

 彼女の僕の急かす声に、飛び込むように家の中に入

る。

「お邪魔します!」

「うん」

 家の中は、一見、僕の家と大して違いないほどの、

ごく普通の内装をしていた。彼女の両親が医者である、

という言葉の現実味が一気に薄くなる。

 加工品らしい甘い匂いがこの家の匂いらしく、慣れ

ない香りに軽い眩暈を覚えた。

 彼女は玄関から見えていた階段を指差し、無感情に

言った。

「二階に上がってすぐの部屋。その子を運んで」

「わかった」

 僕は彼女の言葉に従い、猫を抱え階段に足をかける。

平凡な段数と高さの階段の登り切り、目の前に現れた

部屋のドアを開いた。

「うわ、すごい部屋」

 僕も他人のことは言えないが、異様な部屋だった。

 壁中に貼られた女児向けアニメのポスター、綺麗に

飾られたフィギュアの大群に大量のキーホルダー。

 設置されている学習机はグッズ置き場と化しており、

ベッドの上は幾つもの抱き枕が占拠してしまっている。

明るい色使いの作品が多いからだろうが、目がちかち

かして過ごしにくそうではあった。

 しかし、少女の純粋な気持ちが具現化したようなこ

の部屋は、どこか幻想的ですらあり、部屋の主が僕と

年の大して変わらない彼女であることを考えると、い

つか忘れてしまった大切な何かの跡が、心に浮き彫り

になるようであった。

「何、ぼーっとしてるの」

 遅れてやってきた彼女の声が聞こえ、はっとする。

 大きな手でぐいぐいと背中を押され、部屋の中へ入

るように促された。されるがままに部屋の真ん中に立

ち、彼女の方を振り返る。

「直接の手当は、私がやるから」

 彼女はそう言って、持っていたらしい大きな救急箱

を床に置き、開いた。中からよく分からない布や、針

と糸、ガラス瓶に入れられた透明な液体などを手際よ

く取り出していく。

 明らかに、手慣れていた。

 彼女の前の床に猫をゆっくりと横たわらせると、彼

女は僕を一瞥し、口を開いた。

「ねえ。えっと。名前は?」

「だから、まだ、決めてない」

「ん、猫じゃなくて」

「あ、僕の名前、か。紺。鈴懸紺」

 あおい、と、彼女は確かめるように呟いた。何かに

納得したみたいに、満足気に頷いた後、床を指差し僕

へ言った。

「紺。一階のキッチンで、ぬるま湯作って。あ。後、

洗面所に何枚か白いタオルあるから、それ持ってきて」

「分かった」

 僕が彼女に背を向け、部屋を出ようとした、その時。

背後から、冷たく、不気味な何かが、僕の肌に触れた。

 刹那、脳内が得体の知れないものに関わったことに

よる恐怖心に支配される。

 反射的に振り返った。

 しかし、そこには猫の前に正座をして、医療箱から

道具を取り出す彼女の姿しかなかった。

 

 僕達の目の前には、白い包帯でぐるぐる巻きにされ

た黒猫が、ぐったりと横たわっていた。体中に噛み跡

が見られ、その全てに処置を行った為、全身が包帯で

覆われてしまっている。

 どことなく上品な雰囲気を醸し出していた黒い体毛

は機械的な白色に完全に隠され、野良猫のわりに肉つ

きのいい体のラインが白いシルエットのようにカラフ

ルで眩暈のするようなこの部屋の中で浮かんでいた。

「治療はした。後は、ご飯食べさせて、安静にしてれ

ばいい」

 彼女は床に正座をしたまま、隣に立っていた僕を見

上げて淡々と言った。僕は何度も階段を往復し、体力

のなさも影響して疲れ切った顔をしていたのだろう。

言い終えた後、彼女は付け加えて聞いてきた。

「あ、大丈夫?」

「なんとか」

 苦笑いする僕を彼女は無表情に見つめた。 

 手当はほとんど彼女がやってくれた。僕には彼女の

治療が正しいものなのか判断は出来ないが、終始動き

に迷いがなく、手付きもしっかりしていて、その手際

の良さは、彼女の技術の高さに裏付けされたものであ

ることを簡単に想像させられた。

 猫の状態は、少なくとも、素人の僕からは相当酷い

ように見えたのだが、恐るべきことに、全ての治療を

終えた彼女に一切の疲労の色が見えなかった。

 僕はひたすら彼女の指示に従い、ぬるま湯を作った

り、タオルを持ってきたり、包帯を巻いたり、手伝い

に徹した。結果、家中を走り回った僕の肉体は悲鳴を

あげ、彼女とは正反対に疲労困憊であった。

 猫のおなかがゆっくりと動いているのを確認して、

僕はその場に座り込む。途端にのしかかってくる疲労

感に、今日だけで一生分走ったかもしれない、と考え

ながら天井を見上げると、昔、僕も見ていた魔法少女

の一人と目があった。改めて異質な内装に脳内が混乱

し、自分が本当に疲れているのかよく分からなくなる。

 首を傾け彼女の方へ目を向けると、何を思っている

のか、夜を閉じ込めたような瞳で横たわる猫を凝視し

ていた。

 僕と年のそう変わらない女の子が日常的にこんなこ

とをしているとは考えにくいが、その目から感情を読

み取ることが出来ない。安心した風でもなく、嬉しそ

うでもなく、疲れも感じさせない。

 やはり、彼女も僕と同じだ。

「その、大変だったね」

 言うと、彼女は僕の方へ振り返った。

「うん」 

 彼女はそれだけ言って、小さく頷く。その際、長い

前髪が目に入ったらしく、不快そうな顔をして目を瞑

った。

 猫の容態が安定し、僕の心境的にも余裕が生まれた

こともあり、彼女という人間について、いくつか思う

ことがあった。

 彼女は、間違いなく天才である。

 見て分かる通り、凡人とは何もかもが違う。

 この部屋についてもそうだが、着ている衣服も、言

動も、卓越した医療技術も、明らかに普通ではない。

 大人らしさと子供らしさの入り混じった容姿も相ま

って、彼女と対面している時には猛烈な違和感を感じ

させられる。

 だが、その違和感こそが、凡人としてではなく、彼

女が彼女として、彼女らしく生きてきた証なのだろう

と思うのだ。普通でないことは、誇っていい。

 どうもこの世界の大衆である凡人達は、普通であり

たがる傾向が強い。絶対的な普通、なんてものは存在

しえないわけで、常に揺れ動き続ける普通に合わせる

ために、凡人達は自分を殺し続けることになる。

 世界としては、一人一人の人間が個性を持って生き

ることよりも、同じような人間がさながら機械のよう

に死ぬまで働く方が手間も掛からず効率も良く、何か

と都合がいいのかもしれない。しかし、そう考えると、

凡人達はあまりにも哀れになる。

 凡人は面白くない。魅力的でもない。美しくもなけ

れば、色もない。ただ、正しいだけである。

 その点、彼女のような天才はどうだろうか。

 正しくなくとも、自分であり続ける。

 それがどれだけ儚く、強く、美しいことか。

 僕は彼女と出会って、それを知った。

「ね。名前、教えてよ。僕、教えたんだから」

 彼女は邪魔そうな前髪をヘアピンで止めていたが、

僕が話しかけると同時に動作を中断して、視線をこち

らへ向けた。無感情な彼女の目は、僕の心を覗き込み、

僕という人間を読み取ろうとしているような感覚がし

た。それでも、学校のクラスメイトと目が合った時と

は違い、緊張も、恐怖も、襲ってはこない。

 僕にとって、彼女の視線は決して不快ではなかった。

むしろ、心のどこかで心地良さすら覚えていたかもし

れない。

 もしかしたら僕の気の持ちようかもしれないし、勘

違いかもしれないが、直感的に、彼女は僕を物として

ではなく、一人の人間として、見てくれているようだ

と思った。彼女の目の中には、凡人が値踏みするかの

ごとく人間を見るときの殺人的な眼光が無い。それは

つまり、彼女が都合や価値といったつまらない価値観

で僕を見ていないということである。

 生きにくいだろうが、僕には好感が持てる。

 彼女は僅かながらに、口角を上げて答えた。

「藍。私の名前」

「いい名前だね。可愛らしくて、よく似合ってる」

「そう」

 藍は俯き、上目遣いでこちらを見て、言った。

「変な事、言うね」

「そうでもないよ」

「いや、変だよ。なんか、変」

「逆だよ、逆。僕が変なんじゃなくて、僕以外が変

なんだよ」

 藍はポカンとした表情をした直後、小さく笑った。

「やっぱり、変だね」

「ニャー」

 賛同するように、部屋の中央に横になっていた猫

の鳴き声が聞こえてきた。

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