野良猫小女
我が家へ走りながら、胸の中の儚い命を救う手立て
を考える。
医療に関しては全く無知な僕が、家にあるものだけ
で自力で治療をしてみせるか。いや、やはりそれでは
危険だ。消毒して、包帯で体をぐるぐる巻きにするし
か治療法が思いつかない。
それとも、獣医に駆け込むか。いや、それも駄目だ。
専門家に任せるのが最適解で、最も確実だが、いかん
せん金がない。核爆弾の作成に金を使い果たして、僕
の財布には百円玉が数枚しかないし、親を頼ろうにも
そもそも家に居ない。というか、父親からしてみれば、
そこら辺にいた野良猫を助ける為に何万も金を払わさ
れることになる。彼にとっては、たまったものではな
いはずだ。
「もう、沢山ご飯食べさせて根性で治してもらうしか
ない!」
結局、僕の感覚医療術と猫の再生能力に賭けるしか
ない、という結論に至ってしまう。
しかし、頼る術がどんなに頼りなくとも、まずは猫
を安全に治癒出来る場所へ移動させるのが先決だ。僕
は猫をしっかりと抱え、歩道を駆けていく。
自宅が見えてきた頃、胸の中で猫が微かに動いたの
が分かった。
「ニャー」
「ん、どうしたの?大丈夫だよ、多分」
「ニャー」
「ううん、何て言ってるんだろう」
「ニャー」
「大丈夫、大丈夫。心配しないで」
「ニャー」
猫はなんだか心配そうに僕の目を見る。
確かに僕が猫側だったら、僕みたいな奴に拾われて
しまえばたちまち不安で逃げ出してしまうかもしれな
い。でも、一応は猫を窮地から救ったヒーローのはず
なんだけど。
そんなくだらない思考が頭をよぎっていったからだ
ろう。僕にはこの時、全力で疾走しながら前方を見て
いなかった。
「わ!」
勢いそのままに何か柔らかい、恐らくは通行人だと
思われるものに衝突した。驚き飛び上がってしまった
こともあり、その場に尻もちをついた。ただ、しっか
りと抱えていたから、猫は無事に僕の胸の中だ。
「ごめんなさい!」
この件に関しては前方不注意だった僕が完全に悪い。
謝罪しなが立ち上がりら前を向くと、そこに立ってい
たのは僕と同い年くらいの、女の子だった。
百七十センチはありそうなほど背が高い。僕は彼女
を見上げる形になる。
彼女は背の割に子供っぽい顔立ちをしていて、女性
らしさを感じさせる長髪になんとなく違和感があった。
彼女の着ていた白いパーカーには、ぶつかった拍子に
付着したと思われる猫の赤い血がべっとりとついてい
た。しかし、それよりも僕の目を引いたのは彼女の履
いていた黄色い、女児向けアニメのキャラクターがプ
リントされたロングスカートだった。
子供なのか大人なのか、ちくはぐでよく分からない。
だが、現代アートとかで高校生を表そうと芸術家達
にイラストを描かせれば、一枚くらいこんな少女が題
材のものがあるかもしれないと思わされるほど、猛烈
な違和感の中に、どこか腑に落ちるところがあった。
「猫。可愛いね。名前は?」
彼女は低音の、色気を感じさせる声で、どこか子供
らしい口調で聞いてきた。
「名前はまだ、決めて、ません」
これまで出会ったことのないほどの強烈な個性を前
に口調がたどたどしくなる。彼女は汚れたパーカーの
ことなど気にしていない様子で、口を開いた。
「そう、なんだ。ところで、そのままじゃ、死んじゃ
うよ。その子。いいの?」
「よくない!僕はこの子を救おうと思って」
「出来るの?」
彼女は僕の言葉の途中で割り込んできた。
質問に、僕は力無く答える、
「分からないけど、やるしかない」
「じゃあ、私が、やってあげようか?」
「え」
彼女は一切表情を変えず、平然と言う。
「だから、私が、やってあげようかって」
「出来、るの?」
「開くのと、反対のことをすればいいんでしょ?大丈
夫」
開く?何を言っているのかはよく分からないが、無
表情のまま淡々と話す彼女からは絶対的な自信を感じ
させられる。少なくとも、彼女には彼女をそうさせる
だけの技術なのか知識なのかが恐らくあるのだろう。
素人、いや、素人にも満たない僕が猫の治療を試みる
よりは、相当な変わり者ではあるが、せっかく協力し
てくれようとしている彼女に任せた方がいいのではな
いか。
「言い方、変えるけど。私に任せてって言ってるの」
考えていると、少し苛立つような彼女の声が聞こえ
てきた。見ると、彼女はまるで子供のように、僕より
も大きな手を強く握り、その場で地団駄を踏んでいた。
「パパもママも、医者だったから。私にも出来るから」
「分かった。その代わり、僕にも手伝わせて」
思考の末、僕は彼女を頼ることに決めた。
彼女自信の技術は計り知れないが、両親が医者だと
いうのが本当なら、何かと都合がいい。それに、仮に
彼女が僕と同じくらいの、全くの素人だとしても、一
人よりは二人の方が、治療の成功率は上がるはずだ。
「ありがとう。じゃあ、急いで、私の家に行くよ。近
所だから、走ってついてきて」
「うん!」
僕等は走り出した。