残忍少女
高周波ブレードを鞘に納めると、それはそれで空気
と音の流れが急激に変化し、耳鳴りと頭痛が襲ってき
た。
「なに、それ。工具?」
子供のように大きく首を傾け、返り血を全身に浴び、
きらきらと光るデコレーションされたナイフを片手に
持つ少女は聞いてきた。
赤黒く染まったシャツにワイドパンツという、大人
っぽい服装ではあるし、長身だが、童顔で、子供っぽ
い印象が強い。
藍。思い返してみれば苗字を知らないが、長身の女
性の正体は彼女だった。
確認すると、男は心臓から腹までを切断され、即死
していた。にわかには信じ難いが、これは藍の仕業で
ある以外に説明がつかない。
藍も孤独な人間であると確信してはいたものの、彼
女もまた、こういう方向性の人間だとは意外だった。
見くびっていたわけではないが、人間狂うにも限界
がある。正直な所、極度の女児向けアニメオタクであ
り、卓越した医療技術と、大人なのか子供なのか分か
らないちぐはぐな言動をするを彼女に、それ以上のも
のがあるとは思っていなかった。
しかも、これまで様々な創作と実験を繰り返してき
た僕の経験則からして、相当な手慣れに違いない。
人間の肉体は骨に守られているため案外頑丈で、本
来、ただのナイフで切断できるものではないのだが、
カラフルな彼女のナイフに、何か細工されている感じ
もなかった。つまり、全て彼女自身の技術によるもの
なのである。
それが彼女の身体能力によるものなのか、知識によ
るものなのか、それ以外なのかは分からないが、常識
外れの芸当なのは確かだ。
本人はこんなこと気にしてはいないのだろうが、藍
は僕等天才の中でも、特別な才能を秘める稀有な存在
であるのだと思う。
もっとも、その多彩な才能が藍を苦しめてきたこと
もまた、事実ではあるのだろうが。
凡人の演じるように、人間がこの世界で生きること
に最も適した才能は、一切の才能がないことである。
高周波ブレードを藍に見せながら、僕は質問に答え
た。
「工具じゃなくて、兵器だよ。僕の創作物」
鞘に刻んである、あおい、という文字を指差す。僕
のサインだ。
彼女は頭を押さえながら、訝しげにブレードを観察
した。無表情で、何を考えているのか想像もつかなか
ったが、諦めたようにまた、首を捻った。
何か分からない時に首を捻るのが、藍の癖なのかも
しれない。
「へえ、すごい。機械わかんないけど。けどそれ、具
合悪くなるから、すごい迷惑」
「ごめん。基本的に、独りで使うのしか想定してない
んだ、これ」
「別に、謝って欲しいわけじゃないよ」
藍は、高周波ブレードの刺さっていた電柱に開いた
穴の跡へ目を向けた。
「あの角度で、電柱に突き刺さる位だし、迷惑な分、
よく切れるんだね、それ。見た目もなんか、SF映画に
出てきそうな感じだし。誰でも作れるの?」
「いや、多分、この世で僕にしか創れないと思うけど」
「へえ」
興味があるのかないのか、藍は明後日の方向を見な
がら返事をした。だが、不思議と無関心そうにも視え
ない。
「あ、警察、呼んだほうがいいのかな」
「呼ばなくていい。警察、案外無能だから。色々聞か
れて、時間、食われるだけだよ」
藍は振り向きながら淡々と話す。
どうしてそんなことを知っているのか、という質問
はしなかった。彼女は殺人に関する天才である訳だし、
そういう方面の知識が豊富なのだろう。
それに、そもそも、僕の高周波ブレードも、藍のナ
イフも銃刀法違反法に違反している。法的な罰則を受
けてまで警察の力を借りたくはない。
「とりあえず、早く、帰ったほうがいい。私みたいの
と鉢合わせたら、大変だよ」
「そっちは、帰らないの?」
血塗れになった藍の全身を見つめる。夜、彼女が向
かいが歩いてきたら、幽霊か何かかと思ってしまうよ
うな様相だった。
何かに気付かされたみたいに、彼女は発した。
「あ、じゃあ、私も、帰ろうかな」
藍は言った途端、着ていたシャツのボタンを器用に
外した。ワイドパンツの中に入れていた裾ごとシャツ
を引っ張り、慣れた手付きで脱ぐ。
「え」
シャツを脱いだ先に現れたのは、黒色のタンクトッ
プ型のインナーだった。
確かに、そのシャツは血で染まっていて着ていると
不快な気分になるだろうし、他人に見られれば法的な
疑いをかけられてしまうかもしれない。
故に、シャツを脱ぐのは当然なのだが、初めて見た
自分以外の下着姿の女性の色めかしさに思わず声が出
た。
艶やかでしなやかな材質の薄いインナーが、藍の身
体を軽く締め付ける状態で、彼女の女性らしい健康的
な肉体を覆っていた。
きつく固定された豊満な胸、柔らかそうな腕の筋肉、
丸みを帯びた身体つき。薄い肌、角張った骨、血色の
いい肌の色。
そして何より、匂いがした。
これまで、人間からは嗅いだことのない匂い。
頭がぼやけるほど甘く、強い。それでいて淡白で、
湿っていて、誘うような凶暴性を孕んでいる。
匂い、とはいっても嗅覚だけを頼りに得ている感覚
でもない感じがした。
僕の五感、いや、それよりもっと奥にある、獣に似
た感性。何よりもそれが、僕を昂らせているのだと思
う。
藍は、血に飢えた肉食獣のように、野生的な美しさ
を身に纏っていた。強大な力と鋭い眼光、彼女の内か
らは、何か、果てしない欲求のようなものが溢れ出る
ようで、人間というよりは、動物に近い。
彼女はもはや、女性とは形容し難かった。
女性、なんて人間の都合のいいように定められた性
の檻で閉じ込められるような、上品な性をしていない。
雌。
彼女の性を例えるとするなら、その言葉以外似合わ
ない。
彼女はこの人間の支配する世界の中で生活出来てい
るのが不思議にすら思えるほど、人間らしくなかった。
動物でありながら、野生的であることが人間らしくな
いと思えてしまうあたり、人間という生き物がいかに
狂気的な生物であるかよく分かるが、藍の姿を見てい
ると、本来、人間はこうあるべきだったのではないの
か、と思わせられる。
それは、彼女が全身から生気を放ち、生きているこ
とを示しているようであるからだ。
もし、人間社会が理性的にではなく、野生的に発展
していたなら、この世界の凡人のように、人間は、自
分自身を殺してしまうこともなかったのだろう。
「何?」
藍の訝しげな声で、僕が彼女をじっと見つめ続けて
いたらしいことを悟った。幼さを残した顔つきの藍の、
大きく丸っこい双眼が僕を見ている。
「あ、藍は、いつもそんな格好で夜、外出てんの?」
咄嗟に質問すると、藍は質問の意図が理解出来なか
ったのか、また、首を傾げる。
「汚れるから、帰りはいつも、そうだけど?」
「いや、それ、やめたほうがいいよ」
僕ならまだしも、藍の身体で夜の街をそんな格好で
歩き回るのは、あまりにも危険だ。平然と答える彼女
を咎めると、表情も変えないまま、理由を聞かれた。
「どうして?」
「いや、ほら。分かるでしょ。藍だって女の子じゃん」
「わかんないよ」
藍は脱いだシャツを腰に巻き付け、幼い女児さなが
ら、頬を膨らませて聞いてきた。
「どうして?」
一瞬、からかわれているのかと思ったが、彼女の真
剣な表情を見るに、信じ難いが、そうでもないらしい。
本気で、自分が女であるということを自覚していな
い。
素直に回答するべきか、迷う。
余計な世話かもしれないが、藍の今後の為にも、丁
寧に理由を説明してあげたほうがいいだろうか。
いや、それは間違いないにしても、どう伝えるのが
正解なのか分からない。ストレートに、お前の身体は
エロいから露出は控えろ、とでも言えばいいのだろう
が、僕にも恥というものはある。できればそんなこと
は言いたくはない。もっと器用にやりたい。
「怒らないから」
不意に、藍は言った。
「正直に言って」
彼女は、僕が否定的な考えを持っていると思ってい
るのか、と考えながら藍の表情を伺うと、出会ってか
ら初めて目にする、彼女の新しい一面がそこにあった。
僅かな望みに縋るような、不安げな瞳が僕を捉えて
いる。僕に何かを期待しているのは、直感的に理解で
きた。恐らく、それは正直に言う、という行為を僕が
実行することなのであろう。
仕方ない、と僕は腹を括った。
藍にとって、正直に言う、という行為の持つ性質の
うちの何かが、僕には理解のできないほど大切な事象
である可能性が捨てきれない。
多少の羞恥を恐れ、初めて、友達になれるかもしれ
ない藍との交友関係の悪化させる訳にはいかなかった。
人間は、一人たりとも同じ価値観で生きていない。
誰もがそうかもしれないが、面と向かって、他人に
こんなことを言うのは初めての経験だ。相手は同性の
人間なのだし、こんなにも緊張することはないのでは
ないか、とも思ったが、それが逆に、同性の藍に自分
がこれだけ興奮させられている事実を突きつけてくる
ようで余計に恥ずかしかった。
深く息を吸い込んで、羞恥を身体の奥へ放り込む。
吸い込んだ空気に染み付いていた夜と藍の匂いにむ
せかりそうになりながら、僕は言った。
「エロいからだよ!」
「え」
藍の表情が不安げなものから困惑するようなものに
変わったのを見て、かっと顔が熱くなった。
それでも、僕は更に、具体的な話をしようと思索し
た。今、僕がやるべきなのは正直に言うこと、であり、
もし藍に変態だと思われてしまったとしても、自分の
意志と異なる言葉を発するべきではない。
恨むべきは、藍の無知ではなく、僕の性癖である。
勢いそのままに、僕は言葉を放出した。
「そのデカいおっぱい!二の腕!鎖骨!胸のほくろ!
全部エロいから服着ろって言ってんの!」
言い切り、酸欠気味の肺を抱えて藍の様子をみる。
すると、藍は恥ずかしがるでもなく、僕を気持ち悪
がるわけでもなく、困惑し続けているわけでもなかっ
た。
感動している。
目を大きく見開き、肩で息をする僕を見つめる彼女
の目には尊敬か、それに似た何かの念が宿っているよ
うに見える。
少なくとも、変態だと思われていないことは確かだ。
「紺は、本当に変な人だね」
藍はそう言って、小さく笑って見せてきた。
「そんなことまで、私に言えるんだ」
「藍が理由を聞いたんでしょ!」
「そんなこと、関係ないよ。紺は私に、性的興奮を覚
えていて、そんなことすら、私に明かしてくれたんだ
もん。すごく、私に色々なものを、許してくれてるん
だって、実感できる」
藍の声色は穏やかで、嬉しそうだった。しかし、多
分、彼女は自分が何を言われたのかよくわかっていな
い。
だが、彼女にとって、正直に言うこと、が重大な性
質を持っている、という可能性を捨てなくて正解だっ
た。こんな内容の言葉でも、いや、だからこそかもし
れないが、嬉しそうな様子を見るに、正直に言うこと、
は彼女にしてみればかなりの価値を持つ行為らしい。
ただ、藍には正直かどうか、を判断する肝心の情報
処理能力が欠けているのか、それとも察しが極めて悪
いのか、彼女の中で、僕は特殊性癖の持ち主とされて
いる雰囲気があった。
「話は、また後で。今は、帰ろう」
現に、藍はそのままの格好で僕へ言った。
インナー一枚で夜の街を出歩くのにはお前はエロす
ぎるからちゃんと服を着ろ、という僕の言葉の意味は
伝わっていない。推測するに、藍は僕だけがその肉体
で興奮するものだと思っているのではないだろうか。
「帰るのはいいけど、藍はこれ羽織って」
着ていた薄いパーカーを脱いで渡した。汗を多量に
吸っていたパーカーは少し湿っている気がしたが、イ
ンナー一枚で帰らせるよりはよっぽどいい。流石に、
藍はまだ若すぎる。
「あ、そうだった。紺、興奮するんだったね」
「恥ずかしいからそんな風に言わないで!」
藍は僕のパーカーを羽織り、嫌そうな顔をする。
「なんか、汗臭い、これ」
「我慢してよ、頼むから」
「まあ、うん」
渋々、藍は頷く。
しかし、風呂に二日入っていない女の言うには、少
し厚かましすぎる要求かもしれなかった。




