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夜空を見上げる少女等は孤独  作者: 九頭坂本
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残忍少女

 一瞬、何が起きたのか理解が追いつかなかった。

 何かに腕を引っ張られた感覚がした直後、視界が飛

んで、気づけば星も一切見えない、真っ暗な夜空が目

の前にあった。

「やあ、お嬢ちゃん」

 すぐ右隣から低い男の声が聞こえてくる。彼の存在

を意識した途端、右手首を締め付けるような熱い体温

に気がついた。

 反射的に理解が及ぶ。

 手首を掴まれている。

 脳内を、閃光のように過去の記憶が駆けていった。

ニュースキャスターの無関心そうな声が、僕に警鐘を

鳴らす。

 どうやら僕等は、出会ってしまったらしい。

 現在進行形で、僕を襲っているのは例の天才、この

街に現れた連続殺人犯で間違いない。

 いや、そう決めつけるのも早計かもしれないが、僕

の直感が訴えかけてくる。この男は危険だ。この異常

性は、孤独なものににしか持ち得ない天性の才能であ

ると。

「こんばんは」

 続けて、何気ないように挨拶する声がすぐ隣からし

た。その凡庸な台詞の中に、到底包みきれない狂気が

内包されているのが清々しいほど明確に解る。

 このまま、何もしなければどうなるのだろう。

 不意に、疑問が浮かんできた。

 もしそれを本当に実行すれば、彼が、何のために人

間を殺しているのか知ることが出来るだろう。興味は

猛烈にある。本質的には、僕と彼は仲間のはずなのだ。

同じ、孤独な人間同士である。

 だが、例えば彼が加虐趣味の持ち主だとして、何の

反応もしない僕に飽きてしまったとしたら、あっさり

と反対の手に握りしめているのであろう刃物で切り裂

かれてしまうかもしれない。それではいけない。

「高校生、だよね。ニュースとか見ないの?こんな時

間に一人で外に出たら、危ないと思うけど、ねえ」

 思考を巡らせていると、吐息混じりに、耳元で囁か

れた。男の熱い口内の息が耳を撫でる。ぞわっと鳥肌

が立ち、不快感に心がざわめく。

 いくら同類とはいえ、調子に乗りすぎだ。

 行く前はダメ元で計画していた高周波ブレードの実

験だが、実行することにする。

 もし、話せる人間だったらなら友達になれるかもし

れないと、どこか期待している部分もあったのだが、

実際に会ってみて、こいつと友達になりたいと思い込

むことすらが出来そうにない。

 もっと紳士的な態度で犯行に臨んでもらわなければ。

 僕とはいえ、女子高生を恐怖で煽るようなサディス

ティックな性癖を持った人間と関わりたいとは思わな

い。

 僕も天才であるが故に、狂気の魅惑と恐怖を知って

いる。

 仮に彼と仲良くなったとしても、何をされるか分か

ったものではない。

 僕は天才である以前に、一人の少女なのである。

 両足に力を入れて、体の重心を後ろにずらしながら

男の方へ目を向けた。

 ニュース通りの、黒いパーカーにジーンズ姿の中肉

中背の男と目があう。その体で隠してはいるようだが、

右手の先に月光が反射して、十中八九刃物を構えてい

るのであろうことがわかった。

 彼としては、責めても一切動じなかった僕が、遂に

反応を示したのである。これで興奮しないわけがない。

 目を細め、僕を観察していたようだった彼の瞳孔は、

急激に大きく開かれた。その目は、やはり凡人のもの

とは全く違う。熱い、温度があった。

 凡人とは異なり、僕を僕として、都合や不都合何も

かも関係なく、一人の人間として、女として、心の奥

まで見られようとしているのだと感じた。

 胸の中で、恐怖と、煌めくときめきが半分ずつ巻き

上がる。

 彼が何を考えているのかは見当もつかない。僕の怖

がっているところを観察したいのかもしれないし、痛

がらせてみたいのかもしれない。

 それでも、ここまで熱心に、僕を解ろうとした人間

は彼が初めてだった。この胸のときめきは、それによ

るものに違いない。

 男は、じっと僕の目を見つめながら、口を開いた。

「学校、楽しい?」

 リュックに挿してある高周波ブレードを引き抜く為、

左手を後ろに隠しながら回答する。

「全然」

「そう」

 男が僕の右手首を締め付ける力が、一層強くなった。

 獲物である僕を絶対に逃さんとする意志がありあり

と伝わってくる。

「将来の夢とか、目標とか、ある?」

 男は聞いてきた。僕には、その質問をした意味がよ

く理解できた。

 体の全神経に意識を向けて、僕は答える。

「お嫁さんかな」

 次の瞬間、凶刃が飛んできた。月光を吸い込んだ刃

が、まるで自ら発光しているかのように魅せながら、

横殴りに振り切られる。

 が、残念ながら、その斬撃は僕の頭上で空を切った。

 これは、僕の超人的な反射神経によるものでもなけ

れば、ましてや運動神経によるものでない。そもそも、

僕は運動がからっきし出来ない。

 彼の狂気の性質を、予測したのだ。

 将来の夢を聞き出すこと。それは、危険が伴う為に、

極力短縮したい犯行時間の中で、獲物に最大限痛みを

味合わせるための手口。恐怖に陥れられた人間に、咄

嗟に嘘をつける機転が効くことはほとんどない。

 目的は、刃によって、未来に抱いた希望を目の前で

潰えさせることだろう。

 そんなことをされた人間がどんな表情をみせてくれ

るのか、彼と同じ性癖を持っている訳ではないが、僕

ですら少し興味が湧いてくる。

 僕が、お嫁さん、と回答したのは、そう答えれば、

男は必ず顔を狙ってくると踏んだからだった。

 予測は的中し、男が右手を振りかぶるのと同時に軽

く屈むことによって、回避に成功したのだった。

 顔に酷い傷をつけることによって、未来を奪い、心

の底から痛みで満たしていく。

 いかにも彼が好きそうだ。

 軽く膝を曲げ、左手で高周波ブレードの柄を掴むと

同時に見上げた男の表情は、信じられないものを見た

ようだった。

 ようやく彼も、僕が天才であることに気がついたら

しい。が、既に手遅れだ。

 力を振るうのはいい。人を殺すのもいい。

 だが、芸術的でないものはいけない。美しくないも

のはいけない。そんなもの、気に食わない。

 高周波ブレードを鞘から引き抜く。 

 周囲の大気と音波がブレードを中心に渦巻くように

歪んだ。

 不規則な耳鳴りがする。

 脳の揺さぶられる感覚がある。

 しかし、ブレードの刀身は光を放ち、使用者の危険

を一切考慮していないだけに圧倒的な破壊力を纏った。

 ロマン第一。威力が第二。ルックスが第三。安全性

などその次だ。

 保守的な創作など面白いわけがない。

 芸術は爆発だ。

「ひ」

 男は明らかに異常な僕の曝け出した狂気に気圧され、

逃走を図るため背を向けようとした。

「待て、モルモット」

 先程までは男の方から掴まれていた右手で、逆に彼

の左手首を掴んでやる。

 ブレードを握る左腕を大きく振りかぶって、実験開

始だ。

 高周波ブレードは、人体にどれだけの被害を及ぼす

ことが出来るのだろうか。

 全身をバネにして、思いっきり、左腕を振り抜いた。

 勢い余って体勢が崩れる。

 壊滅的な運動神経によって繰り出した斬撃には、驚

くほどに手応えがなかった。ただ、明後日の方向へブ

レードを振ってしまったような感じもないが、まるで、

空を切っているかのような感触ではあった。

 だが、これで正常なのだと思う。

 かつて電柱を切り裂いた時だって、微塵にも手応え

を感じなかったわけだし、それに、今回の実験対象は

人間だ。人間、というから特別に思ってしまうかもし

れないが、要するにただの肉と骨の塊だ。よく考えて

みれば、手応えなど無く、簡単に一刀両断して当然か

もしれない。

 しかし、それにしても手応えが無いような気もする。

 加えて、何故だかすごく嫌な予感がする。

 高周波ブレードを握っていたはずの左手に違和感を

感じると同時に、遠心力という言葉が脳内に浮かび上

がってきた。

 生じた不安感をいち早く払拭する為に、崩れた体勢

を立て直し、男の方を向く。

 僕の視界に広がったのは、想像も出来ないような実

験結果であり、ある意味で、予想通りの光景だった。

 嫌な予感というものは、不可解なほど当たるもので

ある。

 僕の右手の先には、全くの無傷の男の姿があった。

酷く怯えてはいるものの、一切の傷がない。

 そして、何かが少し遠くの電柱に突き刺さっている

のが見えた。

 細長い刃物のような形状をしていて、刀身と思わし

き部分が夜の闇の中で光り輝いている。

 間違いなく、僕の高周波ブレードだ。

 どうしてあんなところに、と思った次の瞬間、僕は

自らの激しい発汗に気がついた。思考に深く集中しす

ぎたため、身体の状態にまでは気が回らなかった。

 夜は冷えると思い、パーカーを羽織ったのも結果的

に裏目に出ていた。夜は意外と生温く、極度の緊張状

態であったために汗で全身が濡れていた。

 実験は僕のミスで大失敗だ。

 僕と男を繋ぎ止めていた右手を急ぎ離す。

 その時、右手の手のひらが覚えたぬるぬるとした感

触で、僕は悟った。

「そうか!僕は緊張すると、手汗が酷い!」

 遠心力も少なからず働き、影響はあったと思うのだ

が、高周波ブレードをありえない方向へ投げてしまっ

たことの一番の原因は、僕の手汗。

 思いっきりブレードを振り抜いたこともあり、手汗

で滑り、途中ですっぽ抜けてしまったのだと確信する。

 後ろに下がろうとした刹那、男の表情は一変し、僕

の胸ぐらへ手を伸ばしたのが見えた。が、勿論、破滅

的な運動神経を持つ僕に避けられるわけがない。

 胸から上に持ち上げられる。

 足が地面から宙に浮く。

 血走った目をした男と目があった。その目にあるの

はどうも、激烈な憤りと異常なまでの性的な欲求らし

い。

 形成逆転だ。

 僕は高周波ブレード一本しか武器を持ってきていな

い。

 どうしようもなくて、考える要素が何も無くなって

しまったからだろうか、不思議と落ち着いていた。

 男の右手には、相変わらず小型の刃物が握られてい

るのが目に入る。

 これから、彼のお楽しみの時間が始まるのは、容易

に想像できた。半分冗談だったが、今から男の刃は僕

の顔を何度も切り裂き、お嫁さんという子供みたいな

夢を打ち砕くのだろう。

 これまで生きてきた僕の全てが、男の性的快楽に変

わる。孤独死よりはいいかもしれないが、どうせなら

もっと美しく死にたいし、そもそもまだやらなければ

いけないことは沢山ある。僕がいなくなったら、怪我

で動けないノアの世話は誰がやるのだ。

 しかし、現実は非情である。

 僕の運動能力で、この場を切り抜けることなどでき

るわけもない。僅かにもがくので精一杯である。警察

か誰かが通りかかるのに期待して、ぎりぎりまで耐え

てみせるのが、最低限、この世界で僕に関わったもの

に対する礼儀とも言える。

 僕を見上げて、男は口を開いた。

「初めてだよ、君みたいな子。何人もやってきたけど、

怖がって動けなくなる子達ばっかりだったのに。でも、

おかげで俺、今凄く興奮してる。君は、どんな声で、

痛がって、怖がって、喘いでくれるのかな」

「僕、色気ないから。お眼鏡にかなうとは思わないけ

ど。二日間風呂入ってないし」

「いいや、すごくいいよ」

「まあ、そうだろうね」

 男は僕の顔をじっと見ながら、右手を振り上げた。

 狙いは顔で間違いないが、避けようもない。

 この後は、男にされるがままだ。

 右手が振り下ろされる。

 あえて動かずにいたが、反射的に目を瞑ってしまっ

た。他人に刃物で切られるのは初めての経験で、流石

に怖い。

 だが、直後僕を襲ったのは鋭い痛みではなく、恐怖

を煽るような浮遊感と、全身を硬いもので打ちつけた

みたいな衝撃と鈍い痛みだった。

 理由は分からないが、男は僕から手を離したのだろ

う。

 起き上がりながら目を開ける。

 無抵抗で落下した為、頭もそれなりに強く地面と衝

突していたらしい。目眩がして、視界が歪んでいる。

 その中で視えたものは、大量の赤色と、その中心で

倒れ込む大きな黒色の塊。

 そして塊の背後に立っている、長身の女性。

「正義のヒーロー、参上だよ、なんて」

 大人の女性らしい落ち着いた声で、女児のような話

し方の決め台詞が聞こえてきた。

 僕には女性の正体がすぐに分かった。

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