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天国に夏はありますか

作者: 赤井ナツ

車が止まる。シートベルトをはずして後部座席のドアを開けると、むせ返るような暑さと蝉時雨に全身を包まれた。今年の夏は猛暑だと天気予報士がしきりに言っていたことを思い出す。

私は夏が嫌いだ。電車の中は汗臭くて嫌だし、体育の授業のあとに教室を漂う制汗剤の混ざったにおいも不快だ。日焼け止めを塗りたくるのも、クーラーが効きすぎた室内も、コップについた水滴が手から肘まで伝ってゆくのも。


「うわあ、まだ午前中なのにすごい暑さだな」


「この家、クーラーあった?」


「何年か前に寝室には取り付けたけど」


「ああ、そういえばそうだったわ。早く行きましょ。家の鍵持ってるのお父さんでしょ」


父と母も車から降りてくる。母は徹底して日焼け対策をしていて、毎年この季節になるとつばの広い帽子とサングラス、二の腕まであるアームカバーを付けていた。ボーダー柄のポロシャツに短パン、ぼろぼろのサンダルを履いているだけの父の姿とは対照的に見える。二人が家の中へ入ってゆく背中に私もついていった。

サンダルを脱いで玄関へ上がると濃密な木のにおいがした。遅れて、空気が埃っぽいのを感じる。たったの二週間でも、誰も住んでいない状態に置かれた家というのはこんなふうになるのか。家中に充満した熱気に思わず目を瞑る。


「まずは換気だな。俺は二階をやるから、ふたりは一階の窓を開けてくれ」


「じゃあ菜々子はリビングの窓をよろしくね」


「はーい」


指示された通りに私はリビングへ向かう。

ふと、何年ぶりだろうか、と考える。

おそらく小学六年生以来だから、最後にここに来てから四年ほど経っている。それだけの月日が流れていても、この家はおよそ何も変わっていないように見える。私はあれから背が伸びて、体つきも変わって、化粧を覚えたり恋人ができたりした。時を止めたままのこの家に十六歳の自分がいることが、なんだか不思議だった。

大きな掃き出し窓を開ける。庭に面したものと、隣の家に面したものを二つ。私の目線の高さにある台所の窓は容易に開けられるようになっていた。ジジジジ、ミンミンミン、という蝉の騒音は容赦なく部屋に入り込んでくるのに、期待していたほどの風は吹いてこなかった――それどころか、レースのカーテンはぴくりとも動かない。それでも、しばらくすると家の中に籠っていた熱気はすうっと引いていくような気がした。


「今日も暑いねえ。しっかり水分補給しないと倒れてしまうよ」


背後からそんな声がして、私は驚いて振り返った。しかしそこには誰もいない。この家の、リビングの静寂があるだけだった。


「終わったか。どうしたんだ、立ちっぱなしで」


いつの間にか、父が二階から降りてきていた。既に父の額にはいくつも汗の粒がある。


「お父さん、今ね」


今ね、おばあちゃんの声がした。――そう言うことはできなかった。


「台所の窓が自力で開けられるようになってた。小学生の時は届かなかったのに」


「そりゃあさすがのお前でも、小学生の時と比べたら身長も伸びてるだろう」


父が口を大きく開けて笑う。いつもの笑い方だった。私が咄嗟にごまかしたことには気付かれなかったようでほっとした。


おばあちゃんが死んだのは突然だった。

買い物中に心臓発作に見舞われ、倒れた。搬送先の病院でそのまま息を引き取ったらしい。


高校の期末試験を終えて夏休みがやって来た。暫くは勉強のことを心配せずに部活に打ち込める、そう考えていた八月の始まり。放課後の空き教室で先輩たちとトランペットを吹いていたとき、私は吹奏楽部の顧問に呼び出され、職員室へ連れていかれた。そこで私はおばあちゃんの死を知ることになる。

自分の知っている人が死ぬのは初めてだった。

母方の祖父母は私の物心がつく前に亡くなっていたし、父方の祖父――つまりおばあちゃんの旦那さん――は、私が生まれるよりもずっと前に他界したそうだ。

あの日の職員室では担任の満島先生から慰めの言葉をかけられた気がする。満島先生の目には私が悲しそうに映ったのかもしれないけれど、実際はそうではない。私の生活には死というものが身近に存在していなかったから、おばあちゃんの訃報を聞いてもどんな顔をすればいいのかわからなかったし、何を言えばいいのかわからなかっただけだった。人が死んだ時の正しい悲しみ方というものを、知らなかった。


私にとってのおばあちゃんは「一年に一度、夏に会いに行く人」だ。

夏休みのお盆の時期になると、家族でおばあちゃんに会いに行く。父と母が交代で運転する車で、自宅から移動すること五時間。おばあちゃんの家で過ごす夏の一週間の非日常。私が小学校を卒業するまでは、それは家族の恒例行事だった。

私が中学生になると、恒例行事は自然と終わった。吹奏楽部に入部したことで忙しくなったこと、母がパートを掛け持ちし始めたこと、おばあちゃんが頻繁に体調を崩してちょっとした入退院を繰り返したこと……いろいろな理由が重なった結果だった。一人暮らしのおばあちゃんを心配して、父だけでおばあちゃんの様子を見に行く機会は増えたが、家族三人揃って会いに行くことはなくなってしまった。奈々子が会いに行くと、おばあちゃんは張り切って無理をしてしまうから。父はよくそう言った。

そんなわけで、今の私にとっておばあちゃんは生活の外側にいる遠い人なのだった。だから、おばあちゃんがこの世からいなくなっても、世界が大きく変わるようなことは特に起こらなかった。

こうして冷静に考えてしまう私は、薄情な孫だろうか。


 車に積んできた段ボールを玄関へ運んでいると、母に呼び止められた。


「ねえ奈々子、お買い物頼んでもいい? いつものスーパーなんだけど、駅までの道のり覚えてるわよね?」


「覚えてるよ。やだなあ、暑そう」


「日傘貸してあげるから。はい、いってらっしゃい」


「日傘はいいよ。恥ずかしいってば」


日傘というものは大人の女性が使うアイテムで、高校生には似合わないものだと思ったので断った。それに、黒いレースの優雅な日傘と、Tシャツにジーンズという私のラフな格好ではあまりにも不釣り合いだ。

母にメモを手渡される。それと財布を入れたトートバッグを手に、家を出る。メモには野菜と肉、二リットルのお茶などが書いてあった。きっと今日の昼と夜の食材なのだろう。駅まではそう遠くない。けれど、この真夏の太陽の下、重くなったバッグを持って急な坂道をのぼることを考えるとうんざりする。


久しぶりに通る道も、特に変わっていなかった。少し進めば「向日葵の家」がある。これは私とおばあちゃんが勝手にそう呼んでいたもので、単純に、庭に大きな向日葵が咲いている家だからという理由で名付けた。その向日葵の家を目印にして左に曲がる。あとはまっすぐ道なりに進んで行けば駅前の繁華に辿り着く。

あの頃と変わらず、その家の庭で向日葵は立派に咲いていた。太陽に向かって鮮やかな黄色の花びらを広げて。

なんとなく表札を見ると「佐々木」と書いてあった。この家の住人は佐々木さんというらしい。向日葵の家という名前で呼びすぎて、佐々木さんという人がここに住んでいるという事実が奇妙に思えた。


おばあちゃんと二人でよく訪れた駅前のスーパーに入り、メモで指定されている食材を買い物かごへ放り込む。


「にんじんは茎の切り口が細いのがおいしいんだよ。奈々子、選んでみなさい」


「はい、おばあちゃん」


おばあちゃんとの会話を思い出してみる。スーパーにいる時のおばあちゃんは先生のようだった。私を試すように野菜や魚を選ばせたり、買い物かごに入れたものの合計金額が大体いくらになるか計算させたりした。私はその時間が楽しみで、すすんでおばあちゃんの買い物についていったのだった。小学校では教わらないことをおばあちゃんはたくさん教えてくれた。私がうまくやると、おばあちゃんは「奈々子は優秀だねえ」と褒めてくれた。

私はもう、自分ひとりだけで新鮮なおいしいにんじんを選べるようになっている。褒めてくれる人はもういない。


会計を済ませ、重くなったトートバッグを抱えて来た道を戻る。

日差しがいっそう強くなった気がした。こめかみのあたりから汗が流れだす。サンダル越しの裸足にコンクリートの熱を感じる。頭のてっぺんがじりじりと焼かれる。いっそ溶けてしまえたなら楽になれるかもしれない、とさえ思う。ろうそくのように頭からドロリと。やっぱり母から日傘を借りておけば良かったと、少しだけ後悔した。

帰り道は向日葵の家――もとい佐々木さんの家を右へ曲がれば、おばあちゃんの家が見え始める。

おばあちゃんの家。

家主だったおばあちゃんは、もういない。だったらあの家をなんと呼ぶべきなのだろうか。

向日葵の家もそうだ。向日葵の咲いていないあの家は、ただの佐々木さんの家に成り果ててしまうのか。

この土地が夏以外の季節にあるとき、そこは私の知らない場所なのではないか。


再び玄関に上がると、濃密なにおいは随分と薄れていた――暑いことには変わりはないし、蝉も相変わらず裏山で鳴き続けていたけれど。それでも家はすっかり息を吹き返していた。換気をしたせいか、先程とはどこか別の家のように感じる。淀んだ空気はもうここにはない。

台所へ向かうと、母はシンクを掃除しているところだった。私の帰りに気が付いた母はエプロンを付けて昼食の準備を始める。一階に父の姿は見当たらないが、二階で物の整理をしているのだろう。するべきことも特にない私はとりあえず母を手伝うことにする。

冷蔵庫の中には、とっくに賞味期限の切れた牛乳や豚肉が、未開封のまま残っていた。


おばあちゃんはいつも忙しなく家事をしている人だった。家事をするか、買い物に行くか、庭の手入れをするか、することがなくなったら裁縫をする。すべて一人で、他人の手を借りずにやる。そうして生活はまわっていて、おばあちゃんはその日常を愛していた。反面、変化や刺激を極端に恐れる人だった。旅行に行こうと父が誘っても嫌がった。

対照的に、母は家事全般を面倒なものだという。できるものならやりたくないとよく言っている。「これはおばあちゃんには秘密だからね。ダメな嫁だと思われちゃう」と笑っていた。「あたしは家にいるより外にいたいの」とも。


母は器用に包丁を扱って、切った野菜を次々とフライパンへ放り込んでゆく。母の料理は嫌いではない。本人は手抜きと言うけれど、時間をかけずに美味しいものを作ることのできる母を私は尊敬している。パートを掛け持ちしながらも毎日美味しいご飯を用意してくれているのだから、私も父も、この人には頭が上がらない。

けれど、不思議なことに、おばあちゃんの家で食べる母の作った昼食はあまり美味しくなかった。


おばあちゃんの作ってくれたオムライス、美味しかったなあ。

昼食を食べ終えて、手伝えそうな遺品整理もひととおりやり終えた。いよいよすることがなくなってしまった私は、二階にある和室に寝転がってぼんやりと天井を眺めていた。午後になると、この部屋がいちばん涼しくなることを私は知っている。そして、昔食べたオムライスのことを思い出す。

おばあちゃんの家は娯楽が少ない。パソコンはないし、もちろんゲームもない。本は難しいものが多くてよくわからない。かろうじてリビングにテレビはあるけれど、おばあちゃんはテレビがあまり好きではなかった。どうやら私たち家族が来た時のために購入してくれたものらしい。

おばあちゃんの家に泊まっている間の父と母は「せっかくこっちに来たんだから」と言いながら、郊外のショッピングモールへ行ったり、ちょっとした日帰り旅行を楽しんだりしていた。私は夏になると外出するのが億劫になるので、おばあちゃんと家で過ごす時間が自然と長くなった。

そういうわけで私はこの家へ来るといつも暇を持て余してしまい、家事を少しだけ手伝う以外はテレビを眺めるばかりだった。そんなとき、午後の情報番組で見た『オムライス特集』に、小学二年生だった私は目を奪われることとなる。

「ねえ見ておばあちゃん。トロトロしたのが出てくる。すごい」

ナイフで縦に切れ目を入れると、ケチャップライスの上にのせた厚みのある玉子が左右に開いて、トロリと中身が溢れ出す。半熟のそれはゆっくりとケチャップライスを覆いつくしてゆく。私は画面の奥のその光景に釘付けになって、興奮しながらおばあちゃんに呼びかけた。台所でぬか漬けを混ぜていたおばあちゃんが、テレビの方を振り返る。


「奈々子はオムライスが好きなの?」


「うん。おばあちゃんはこんなすごいオムライス、食べたことある?」


「うーん、ないわあ」


ゆっくりとした口調で言いながら、おばあちゃんは冷蔵庫を開けてごそごそと何か探し始める。そのあとで私を見て、にやりと口角を上げて、


「じゃあ、夕飯に作ろうか。すごいオムライス」


結果的におばあちゃんは完璧な「すごいオムライス」を作った。テレビで作り方を見ただけでプロの技を覚えてしまったのだ。その日の夕飯、父は私と一緒に子供みたいにはしゃいで食べたけれど、母はどことなく表情が固かった気がする。それ以来、すごいオムライスはおばあちゃんの家で食べる定番メニューとなった。

今思えば、おばあちゃんはすごい人だった。

スーパーで見かけるありふれた食材はおばあちゃんが調理するとご馳走になる。タオルや衣類はおばあちゃんが洗濯すると太陽のにおいがする。床を磨けばたちまちぴかぴかになる。庭で育てる花や野菜は生き生きとした緑色の葉を広げる。器用に針やミシンを動かして、ぺらぺらの布からまるで既製品のような洋服を仕立てる。

おばあちゃんのしわしわの手にかかれば、なんだって輝いた。

まるで魔法使いだ。



ひんやりとした畳の上で寝返りを打つ。

リン、リン、チリン。

まだ小さかった頃の私がねだって、和室の窓枠につけてもらった風鈴が鳴っている。部屋の中にさらりとした風がやってきて肌の上を撫でていく。

目を開けると、部屋は少し暗くなっていた。はっとして上半身を起こす。立ち上がり窓越しに外を覗くと、すっかり日が暮れていた。遠くに見える入道雲ごとやさしいオレンジ色に染まっている。思考は徐々にはっきりと現実を捉え始めた。

贅沢な昼寝をした、と思った。こんなに何も考えずにぐっすりと眠ったのはいつぶりだろう。そういえば小学生の頃も時々この部屋で昼寝をしていた。起きるといつも白くて大きなタオルケットがかけられていたのだ。

ふと足元を見やると、タオルケットが落ちている。広げてみると、薄い水色のデザインだった。なんとなくがっかりしてしまう。

しばらく寝ていたせいか、全身が水分を欲していることに気が付く。

「しっかり水分補給をしないと倒れてしまう」。夏のおばあちゃんの口癖を反芻する。私は飲み物を求めて台所へ向かうことにした。

裸足で廊下を歩くのでぺたぺたと音がする。眠ってしまう前と比べると、家の中はかなり涼しくなっていた。夕方になり風が出てきたからだろうか。

一階へ降りようとすると、階段の横にある部屋のふすまが少しだけ開いていることに気が付いた。ここは確か収納部屋だ。いくつかの本棚とたくさんの段ボールがあるだけの煩雑な和室で、元々は父が社会人になるまで使っていた部屋だったという。

その部屋から、人の気配がする。父がいるのだろうか。

そう思って中を見ようとすると、小さな音が聞こえた。ずず、となにかをすするような音。

私は反射的に足音を消して、ふすまの隙間からゆっくりと部屋の中を覗いた。

 そこは以前見たときよりも散らかって見えた。段ボールの中の物を片付けようとしている痕跡がある。窓から西日が照り付けて、本棚のつくる影がいっそう部屋の中のコントラストを強めた。その中心にいる誰かの丸い影。

音の正体は、父の嗚咽だった。

耳を澄ましてようやく聞こえるほどの、小さな、押し殺された声。

あぐらをかいた父の膝の上には分厚いアルバムが広げられている。目を凝らしてよく見ると、古い写真が貼られていた。男性と女性、その手前には小さな男の子が二人、寄り添って写っている。

きっとあれは、父が子供だった頃の家族写真に違いない。

小さな男の子のうちの一人は父で、もう一人は父の弟の浩二叔父さんだ。男の子たちを囲むようにして立っていた男性と女性は、会ったことのない私のおじいちゃんと――もう会えないおばあちゃん。

わずかに見える父の頬の輪郭を、滴が伝った。

見てはいけないものを見てしまった気分になって、私は物音を立てないように気を付けて階段を降りた。そしてそのまま財布だけを持って家を出た。


足早に家を出たのはいいものの、特に行く当てもなかったので、とりあえず近くのコンビニへ行くことにした。炭酸のジュースを買って、店の前でそれを飲む。コンビニの三倍くらいの広さはありそうな駐車スペースはがらんとしていて、車は一台しか停まっていなかった。

早く喉を潤したいのに、うまく飲み込めなかった。私は自分が動揺していることを嫌でも思い知る。

お父さんでも泣くんだ、と思った。

父の巨体があんなに細かく震えるなんて、あんなに繊細な涙を流すなんて、知らなかった。

病院でも葬儀場でも落ち着き払っていて、泣くそぶりなんて全く見せなかったのに。

つまり私は、父が泣いていたことがショックだったらしい。あんなふうに弱った父を見るのは初めてだったせいかもしれない。

父はよく笑う人だ。なにか良くないことがあっても最後にはあっけらかんと笑い飛ばす、その強さに家族は守られているように思う。母曰く「お父さんは長男だし、途中からは母子家庭で育ったからしっかりしてる」らしい。その父が、泣くなんて。

そうか。

お父さんは、自分のお母さんを失ったのだ。

おばあちゃんは死んだから。

もう二度と会えないところへ行ってしまったから。

この町に来たらおばあちゃんに会えると、心のどこかで期待していた。病院で、葬儀場で、おばあちゃんの死の実感が訪れなかったのは私も同じだ。

急に喉が熱くなって、私は慌てて手の中の冷たい缶ジュースを飲み干した。炭酸の泡がシュワシュワと食道を通り過ぎながら弾けてゆく。山の方では絶え間なくヒグラシが喚いている。急いで歩いて来たせいで顎の下がじっとりと汗で濡れている。

やっぱり私は夏が嫌いだ。キンキンに冷えたジュースのせいで頭痛がするし、蝉はずっとうるさくて鬱陶しい。少し動くだけで体から汗が噴き出るのも、もううんざりだ。


でも、たぶん――おばあちゃんと過ごす夏を、私はけっこう好きだった。


あの母のことだから、まだ夕飯の献立のことなんて考えていないだろう。私は再びコンビニに入って、六個入りの卵パックを買った。

あの家に帰ってオムライスを作ろう。おばあちゃんのようにうまくは作れないけれど。

もう二度と子供になれないお父さんのために。かつて、すごいオムライスを食べて苦笑いをしていたお母さんのために。

私なりのおばあちゃんへの弔いのために。


踵を返して帰路につく。ヒグラシが鳴いている山の向こう側では一番星が瞬いていた。


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