第7章 現実
「サラ・・・」
サラは、過去にメンタルクリニックで、何かしらの診断を受けたことがある子だ。
サラの肌は白く、鼻柱の横に小さなホクロがある。
幼さが残るその表情は様々な男達を惚れさせただろうが、僕は彼女を女として見なかった。
ちなみに僕は精神疾患の診断統計マニュアルや、臨床心理学に関連する本を200冊、そして何度もオープンコースウェアを通し、様々な大学の講義を聞き、そして多くの患者と関わったり、メンタルのサポートをしたことがある。サラのメンタルのサポートもね。
「サラ」と、僕はカブシキ町の東方シネマズ横の公園でキャッチをしている、メイドのコスプレをしたサラに、言った。
「ここでは、みゃんって呼んで。
さらって…呼ばないで」
「ごめんね」
「ムシロくんだよね、久しぶり。」
ここでは気まずいな。「店に行くよ」
「ありがとう」
彼女の表情は、固かった。多分緊張してるか、僕の対して…恐怖を感じているのだろう。
4年前になるが、SNS上で意気投合した僕は彼女とよく通話する仲になった。
そして、会うと、2人の間に気まずい時間が流れる。
ふんわりと香る香水の香り、シロエの香りだ。彼女を抱いた時それを存分に感じた。
「香水、シロエに変えたの?」
「よくわかるね」
「ドル&ガッバナナから変えたんだ」
「そうなんだ」
気まずい、帰りたい。パチンコ打ちたい。
帰ってゲームしたい。てか、この時間が苦痛だなんて思っていた。
一緒に入った服屋でサラは、僕に服を買ってと上目遣いで、言った。
僕は彼女に服を買った。
別の店に入り試着し、別の服を彼女は、買おうとしていた。僕は買った。
多分その日だけで3万ウェンは使った。
僕とサラはその後カラオケ店に入り、サラを抱いた。
抱いても抵抗しないサラに僕はキスをした。
サラの目から光るものが見えた。
僕は気まずさを感じ、店を出た。
その後サラと会話することは殆ど無くなった。
そのサラとばったりカブシキ町で会うなんて、幸か不幸かわからない。
彼女が案内するコンカフェに入ると、そこには豚と、豚に媚を売るメイドのコスプレをする女達がいた。
ハーフオーク2匹と5人の中年男性。
彼らは、女性と接する機会が極端に少ないのだろう。口から出るのは、滑稽なマウンティング行為だったり、ドヤ顔で"すごくない"ことを語る。しかも彼らの声は大きく、小声のサラの声はかき消された。
こういう時、筆談ができればありがたい。
そして、ノイズキャンセリング対応のヘッドフォンをして、周りの汚い声を聞きたくない。
「・・・」
「・・・」
無言の時間、僕は彼女にドリンクを注いだ。
1hのチャージ料1200ウェン、僕のドリンク代1000ウェン、そしてキャストドリンクは、1500ウェン、サービス料金300ウェンと相場通りの料金だ。
先程のクラブ・モンスターでは12000ウェンほど支払った。本音を言うと、財布が痛い。激痛だ。
「元気してる?」とサラが言う。
「あ、うん」と僕は返す。
会話は殆どない。
俺は5分も経ってないが、緊張で腹が痛む。気まず過ぎる。
そして、中年男性の声がうるさいな。
彼らは、いい歳して何故コンカフェに来ているのかわからない。
カブシキ町の東方映画の公園にいる若者達のことを通称"トウ横キッズ"と言う。
トウ横界隈の人達は、マッシュヘアが大半で他は、金髪や茶髪、ウルフの人もいる。
年齢は10代から20代前半ほどで、彼らは、必ず女を何人も連れて歩く。
彼らは、その女に金を払ってないだろう、だが金を払わなくても女達は積極的にその男達と関わろうとする。
コンカフェに来る通称"負け組"は、高いドリンクを頼んだ上で媚を売ってもらっている。
人生の現実を直視したら、それはあまりに残酷で、悲劇的なものだろう。
特にコンカフェやキャバクラ、ガールズバー に来るような客の未来は目に見えている。
キャバクラは、一部の社会的勝者を除いて、少なくとも敗者の客の未来は残酷なものだろう。
救いを求める信者が集うキリキリ教と本質的には、変わらないだろう。
もしかすると、彼らは、何かしらの疾患を抱えているのかもしれない。
男の場合、心や知能の疾患を患うと同情は、されない。
とあるブロガーのアキナスビ氏は男の精神疾患患者の印象を、ブログでこう書いている。
・モテなそう
・頭悪そう
・金無さそう
・仕事出来なそう
恐らく彼の偏見もあるだろうが、この認識はある程度の共通認識かもしれない。
何故なら、本質的に人間というのは、優れた遺伝子を残したいのだから、本能的に健康的な男性は、愛されるだろう。
恐らくコンカフェに来る客は、女からすると不健康そうな印象を持っており、トウ横キッズは健康そうだからモテる。
…くっだらな。くっだらないけど、俺は理想主義者にはなれなかった。
カール・オジサンや、トマト・ペケティ、ルーニンのような思想家の社会主義的思想には共感はできるものの、それは生物学のアンチテーゼ…弱肉強食の否定であろう。
国力も弱まるし、経済成長率が右肩下がりになる可能性が高まる。
AIやRPAの技術の発展で、もしかしたら、社会主義の方が合理的な時代が来るかもしれないが、現在の段階ではそれはサイエンス・フィクションとしか思えない。
神は弱者を救わない。
現にハーフオークの男やドワーフの彼だって報われているわけじゃない。
それが現実なのだ。
現実を直視して悲観的になるか、現実から逃避して楽観的になるか。
僕は、前者を選ぶ。僕は残酷な現実を直視してその現実と向き合いたい。
その向こう側に何もないかもしれない。
向き合い続けて考え出した結論が、自殺であったなら俺は首を吊る。
だが、僕は感情で死にたくない。理性で死にたい。
自殺の合理性を証明させ上で死にたいのだ。そのために、数多くの書物や論文を手にする。そんな人生は、虚構と感じる。
その人生を惰性でただ生きたところで、意味があるわけない。
だが自殺だって楽じゃないし、痛みや恐怖を伴うのだ。
そんなことをただ考えて、少しだけ悲観的になっていた僕はサラの腕を見る。
「傷跡、増えたね」とサラに言うと、
サラは「あーうん」と返した。
腕の傷跡は、恐らくアームカットやリストカットと呼ばれる自傷行為の一つだろう。
そういえば過去に交際した女、セーラも腕に多くの傷跡があった。
僕は臨床心理学の知識はあれど、少なくとも彼女達は、救えない。
メンタルを病んだ人は、知識で救うことはほぼ不可能だ。
そして、サラと、セーラは共通してメンタルに効く薬を摂取していない。
摂取しないという選択を選んでいる時点でなるべくして、なっていると言っても過言ではないだろう。
治療する気がないなら勝手に病んでろ。
それが俺の本音だ。
まぁ、心理医学の勉強をある程度すれば気づく残酷な現実がある。
それは、本質的な治療は難しいと言う現実。
薬物投与は、感情の起伏を抑えたり、寝付きを良くしたり、多幸感を与えたりするが、どれも根本的な治療ではない。
ここ最近は自立支援医療が中心で、その中でも認知行動療法というのがあり、自分の疾患と向き合い、薬をなるべく投与しない治療の方法があるが、それは本気で治療したい人にだけ効く。
恐らく、"メンヘラ"と呼ばれる本気で治療する気がなく、精神が病んだということを同情してもらいたいだけの患者には、効かないだろう。それはサラもそうだし、セーラもそうだった。
俺は、最初その"メンヘラ"と、"精神疾患患者"の違いを理解していなかった。
医学の知見を深めれば深めるほど、メンヘラと精神疾患患者の相違点がハッキリと理解できた。
同情や憐れみを向けられる女といくら病んで無視される男。
あまりに非情だ。
だが、僕は逃げない、都合の良い妄想に逃げない。
そうやって考えていたら、無言の15分が過ぎた。
「じゃあ僕は行くよ」
4200ウェンの支払いを済ませると、雨が降っていた。
「今日はもう帰るか」と、僕はカブシキ町を後にした。