淑女的に、きっちりと復讐を致します。【番外編】
今回は、リアナの物語です。
番外編のため糖度は低めになっておりますので、予めご了承ください。
(リアナ視点)
いつも比べられてばかりだった。何でもできる、何でも持っている、そんな彼女と。
◆◆
「本当に、レナ様は素晴らしいご令嬢ですね」
お母様に連れられて、親戚が集まる茶会に呼ばれると、いつもそんな話になる。親たちが紅茶やお菓子を楽しみながら、話に花を咲かせていて、子供の話になるとレナのことを話題に出すのだ。
品行方正を絵に描いたような彼女は、親たちにとって「娘として是非とも欲しかった少女」らしい。
勉学だけでなく、楽器や詩、芸術に至るまで、その才能は多岐に渡る。男でなかったのが残念なくらいだ、とも言われるけれど、自分の息子と婚約させられれば才女である彼女を家に取り込むことができるということで、レナはいつも注目されていた。
本人がいない場で言われることが多かったから、本人はそんなこと知らないんだろうけど。
…私は、彼女のように誇れるものがなかった。
せいぜい人よりも優れているのは、母親譲りの美貌くらい。それでもないよりはマシかもしれない。でも、私はレナのことが羨ましくて仕方がなかった。
彼女みたいになりたくて努力したこともある。でも要領が悪い私は、どれも中途半端で、家庭教師たちからはいつも溜め息ばかりをつかれていた。
「レナ様はすぐに理解してくださったのに。…どうして、リアナ様はこうも物覚えが悪いのかしら」
溜め息だけでなく、実際に口にされたこともある。まだ若い教師で、彼女はレナの家庭教師も受け持っているらしかった。その先生は私のことを特に嫌っていて、逆にレナのことをとても気に入っていたようだった。
分からないなら、分かるまで勉強させられた。間違えたら酷く咎められた。悲しくて、泣きたくて、それでも…誰も助けてくれなかった。
お母様はレナのことがお気に入りだった。その先生もお気に入りだった。他の皆も、口々にレナのことを褒めた。
あんな娘が欲しかったと。私はドレスの裾を握り、唇を噛みながら聞いていた。
私はいつも彼女の後ろを歩いていて、振り返ることもせずに、迷いなく高みへと登っていく彼女の背中を見つめることしかできない。
どうして。レナばっかり。
あれだけ周囲から認められているくせに、自分は誰からも見てもらえていない、なんて顔をするレナのことが…私は大嫌いだった。
◆◆
少し、魔が差しただけだった。
レナが縫いぐるみを見せてくれて、「私のお気に入りなのです」と嬉しそうに教えてくれる。それは、私のことを嫌う家庭教師が彼女に贈ったプレゼントだった。
それを聞いた途端、私はその縫いぐるみが欲しくてたまらなくなった。
それは、承認の証みたいに見えたから。それを持てば私もレナみたいに、皆に認めてもらえると思ったから。
欲しくて、欲しくて。私は泣きわめいた。私のものだと無茶を言って。
本音も混じっていた。お母様に褒めてもらう権利は私にだってあるのではないの? どうしていつも貴方ばかりが褒められるの? どうして? なんで?
誰か、私を見て。皆に認めてもらえる権利が、私にもあったはずではないの?
私を見つめて困り果てるレナに、声をかけてくる人がいた。レナの母親だった。
私は彼女のことが苦手だ。上品なドレスを隙なく着こなして、目付きは鋭く、いつも冷たい雰囲気を纏っている。
「レナ。何を騒いでいるの」
「お母様。リアナが私の縫いぐるみを欲しいと…。先生に頼んだら、もう一ついただけるでしょうか…?」
「…その必要はないわ」
彼女はそう言って、レナから縫いぐるみを取り上げ、私に差し出した。
まさか本当に渡されると思っていなかった私は、「え…?」と思わず驚きの声を上げる。
宝物を取り上げられたレナは、どうして、お母様、どうしてですか、と泣きながら叫んでいた。
「ほら、欲しかったのでしょう。受け取りなさい。これでもう騒がないわね」
驚いて固まる私に、レナの母親は縫いぐるみを押し付けて、泣く娘を連れて去っていく。レナが泣いている。母親が「あんな安いもの、また買ってあげるわ。貴方なら我慢できるでしょう。泣き止みなさい。みっともない」と叱る。
私は何が起こっているのか分からず…呆然と、レナの持ち物だった縫いぐるみを見つめる。
さっきまで。レナの腕の中では、キラキラと輝いて見えたそれは、私が持った途端にくすんでしまったように思えた。
◆◆
もしかしたら、レナのお母様は私のことを見てくださっているのかもしれない。
求める度に、レナの母親は私の欲しいものを与えてくれた。それがたとえ、娘の持ち物であったとしても。私は次第に、そんな期待を持ち始めて、私は彼女を慕うようになっていった。
けれど、私が屋敷へ来る度に、レナは嫌そうな顔をするようになっていく。私が来れば彼女の持ち物は減っていくのだから当たり前だ。
私たちの間には一生埋まることがない溝ができているのは、明らかだったけれど、私はそれをどうにかしようとは思わなかった。
羨ましい。その才能も、母親も。いつもレナばかり。
私と取り返っこしてくださればいいのに。
そんなことを考える私に、お祖母様は言った。
「リアナ。人を羨んではなりません。自分を哀れんではなりません。人を羨めば自分が劣ったもののように思ってしまいます。自分を哀れめば、世を恨むようになります。世を恨めば、心は醜くなり、その心はいつか貴方を不幸な道へと歩ませようとしてくるでしょう」
お祖母様の言葉は、当時の私にとっては難しく、理解ができないものだった。お祖母様は私の頭を撫でて優しく諭した。
「リアナも、レナも。私の大切な孫娘です。貴方はレナのことを最も優れているように思っているのでしょうけれど、貴方にも素敵なところは沢山あります。感謝の心を忘れぬようになりなさい。人を羨むのではなく、世を憎むのではなく、今ある幸せに感謝をすればよいのです」
貴方たちの、お母様たちのようになってはなりませんよ。彼女は後悔を滲ませた声でそう言った。
私はよく分からず、首を横に傾げる。
後日、お祖母様はすぐに寿命を迎えて、その言葉の意味を問うことはできなかった。
◆◆
「リアナ? あぁ、あの子ね。どうしてあの子にばかり甘いのかって…関わるのが面倒だからよ」
レナの母親が、メイドとそう話しているのを、偶然私は聞いてしまった。
「本当に妹そっくり。あれが欲しい、これが欲しいと五月蝿くて、まるで子供の時の妹を見ているようだわ。私はずっと妹に我慢させられてきたの。あの子に似たリアナなんて…できるだけ話したくないのよ。ものをあげれば、リアナも大人しくなるでしょう」
この人は、私を好いてくれていた訳ではなかった。
◆◆
「アンタがリアナ嬢? へー、いかにもいいところのお嬢さんって感じだ」
年頃になった私には、婚約者が用意された。相手は偶然にも、レナの婚約者の弟。口調がぞんざいで、態度も飄々としていて掴みどころがない人。
「まぁ、ある程度はよろしく? あはは。その目、俺のこと好きじゃないっしょ」
「…嫌いだわ。貴方」
「ひっでぇー。…ま、俺もだけど。そこの縫いぐるみ、妙に見覚えがあるんだよねー。昔、レナがめっちゃ気に入ってて、どこにでも連れ回してたやつにそっくり。マジ、そっくり。すげぇね。オソロで買ったの?」
「それは…」
「違ぇよね。ほら、ここ。ここの小さな傷は、レナが俺たちと遊んでいた時についた傷だ。これ、レナのだよな? 何?…盗んだ、なんて言わねーよな?」
「…」
「あはは。令嬢が盗人の真似事とかウケる。ふぅん、お前」
彼は私の顔を覗きこんだ。
「自己承認欲求の塊みたいな奴だね。そんなに人と比べて生きて、人生楽しい?」
私は思わず、彼の頬をぶっていた。嘲笑するみたいな声色に腹が立ったからだ。それに、まるで心を覗き込まれたみたいな気がして、気持ち悪かった。
彼は真っ赤に腫れた頬を押さえて、暫く沈黙する。そして何事もなかったみたいに明るく笑った。
「暴力じゃん。さっそくDV? リアナ嬢と結婚したら、俺、やべぇことになりそー」
「…何、貴方」
「…レナの従姉妹なら、ちょっとは楽しい奴なのかなって思ってたんだけど、期待はずれだったわ。つまんね」
あーあ、と彼は空を見上げて、心底残念そうに言った。
「アイツはこんな俺のこと、ちょっと変わってるくらいで受け入れてくれたんだけどな。…アイツと、一緒になりたかったな」
彼の言う、アイツとは誰のことなのか私には分からなかった。
◆◆
レナの婚約者に近づいた。それはいつもの通り、レナの持ち物が欲しくなったから。それは人も例外ではなかった。
それを手に入れれば、私はいつか彼女みたいになれるんだと、そう信じて疑わなかった。
幸運なことにレナの婚約者は馬鹿な男だったから、唯一彼女に勝っていると言ってもいい容姿を使って、彼の意識を自分に向けさせる。彼と話している内に、あぁ彼もなのね、と同族意識を覚えた。
彼も比較されていた。優秀なレナと。婚約者は優秀なのに、貴方は不釣り合いだとずっと言われてきたようだった。
確かに会話していると、思慮の浅さが透けて見える。少しおだててやればすぐに機嫌をよくしたし、随分と甘やかされて育ったのだろうな、という印象を持つ。
それでも、彼もまた、レナと比較されていることで自分への自信を失っているのだと思うと…哀れみと少しばかりの親近感を彼に抱いた。
レナから婚約者を奪った。そこまでは…いつも通りだったはずなのに。
レナは私の婚約者であった、ルーカスと婚約を結び直し、私に幸せそうに、そして不敵に微笑んで見せた。
「人のものを見てあれが欲しい、これが欲しいと言わず、自分のものを大切にする方が有意義ですのに。リアナは素敵な男性を捨ててしまったのですね?」
じゃあ、どうしたらよかったと言うの。
どうしていつも貴方ばかり、先に行ってしまうの。
◆◆
ウィリアム様を捨てて、ルーカスを取ったというのなら。またルーカスを取り戻さなくては。そんな焦りに駆られ、私はパーティーで彼によりを戻さないかと告げた。
無理矢理、笑顔を作って。猫を被って。彼に向けたことがない猫撫で声で媚を売った。
でも、彼は私の誘いを断った。私は目を丸くした。誘いを断られたことにではなく、彼の表情を見て。
「すまねぇな。リアナ嬢はタイプじゃねぇ。ナシよりのナシだ」
初めて、彼の本当の笑顔を見た気がした。本当に、幸せそうに。息苦しいところから出られて、やっと呼吸ができる、そんな顔で、彼はレナの隣で笑っていた。
アイツと、一緒になりたかったな。
かつて彼が悲しげに言っていた言葉を思い出して、アイツとは誰なのかを、彼の顔を見て理解した。
そう、貴方はずっと…。
兄の婚約者に、普通なら叶うはずもない、不毛な恋をしていたの。
私は言葉を失って立ち尽くした。敵わない、と初めてそう思った。レナから彼を奪うのは無理だと悟ったからだ。
あぁ、やっぱり。私はいつも、レナに敵わない。どうやっても負ける。どうやっても勝てない。いつも、いつも…。
「俺は今、すげー気分がいいから、ちょっとだけアドバイス。誰だって人間は、ありのままの自分の方が格好いいと思うぜ。レナだってそうだろ? 男の好みに合わせた青より、今の赤の方がずっとレナらしくて綺麗だ。いや、すげー美人じゃん。俺の婚約者。ヤバ、今さらだけど、めちゃくちゃ可愛い…じゃなくて。うん。つまりー、言いてぇのは…」
彼は共に会場を去る時、レナに気付かれずに、そう言い残していった。
「リアナ嬢もさ…レナの真似事は止めてみたらいいんじゃね? まぁ? リアナ嬢がどれだけ魅力的になったところで、俺はレナ一筋だけど」
◆◆
「レナの真似事って何よ」
灯りが一つもついていない、真っ暗な自室で、私は呟いた。
真似事って何。私は鏡で改めて自分の姿を見て…そして愕然とした。指摘されて初めて、自分の姿がレナを強く意識しているものだと気が付いたのだ。
化粧も、身につけるアクセサリーも。クローゼットを開ければ、かつての彼女がよく着ていた青を中心としたドレスが入っている。まるで彼女になりきろうとしているみたいに。
レナみたいになりたかった。レナのことが羨ましくて、そして…憧れでもあったから。
強くて、綺麗なあの子みたいに、なりたかった。
「ばっかみたい…」
涙が溢れ落ちた。
真似をしてこの様よ。馬鹿みたい。
惨めだった。悔しくてたまらなかった。鏡に映る自分が醜い化け物みたいに見える。化け物が泣いている。
「私は、どうするのが正しかったの…?」
ねぇ、誰か教えてよ。私はどうやったら幸せになれたというの。
◆◆
「リアナ!」
いつの間にか寝落ちしていて、気付けば朝になっていた。目が赤く腫れていて充血している。頭痛がするし、気分は最悪だった。
気分転換をしようと外に出て一階へと降りると、お母様が心配そうな顔をして駆け寄ってきた。私の酷い泣き顔を見て、「あぁ!!」と大袈裟な声を上げる。そしてハンカチで私の目元を拭う。
「リアナ。あぁ、なんて可哀想な子。どうしたの? 誰かに苛められたのかしら? お母様に話してご覧なさい」
「…平気です、お母様」
「平気なものですか! あぁ、あぁ、こんなにも目が腫れて…。可哀想に。怖い思いをしたのね。貴方は辛い思いなんてしなくていいのよ。貴方は弱いんですもの。守られていればいいの。ほら、お母様とお父様に話して」
「…」
「大丈夫だから、ね? いざとなればお姉様にも頼るわ。ほら、貴方の伯母様、レナのお母様よ。お姉様は頼りになるからきっと力になってくださるわ。だから…ね? 可哀想に。貴方は何も苦しまなくて…」
可哀想で、弱くて、頭が悪くて、親から甘やかされてばかりの私。
いつもそうだった。困ったら両親に相談して、両親はレナの母親や誰かに相談して、どうにかしてもらう。…自分で、どうにかしようとは思わない。
脳裏に蘇るのは、不敵に笑った赤いドレスの彼女。強くて、綺麗で、困難が立ちはだかっても自分の足で乗り越えてしまうレナ。
リアナ。人を羨んではなりません。自分を哀れんではなりません。人を羨めば自分が劣ったもののように思ってしまいます。自分を哀れめば、世を恨むようになります。世を恨めば、心は醜くなり、その心はいつか貴方を不幸な道へと歩ませようとしてくるでしょう。
ねぇ、お祖母様。私は可哀想ですか?
「…それは、私が決めることよね」
死者は答えをくれない。どれだけ問うても、返事をしてくれない。だから、自分で答えを探さなきゃいけない。
私はレナに比べれば弱くて、醜い女の子だろうけれど。それでも、これ以上醜くならないようにすることは、できるかしら。
私は差し出されるハンカチを断り、お母様に微笑んだ。
「お母様。私は平気です。心配なさらないで」
ねぇ、レナ。最後にもう一度だけ、貴方の真似をすることをするのを許してくれる? 私、貴方みたいに強くなりたいわ。
今度は私らしく。私らしい強さが欲しい。
だから、貴方が強くなった方法だけ真似するわ。
レナの真似事はこれっきりにするから。
もう手遅れかもしれないけれど、私は…レナじゃなくて、"リアナ"として生きたいの。
◆◆
私は、青が元々好きだった。
でもレナが着ていたような、落ち着いた海のような青ではなくて、空を切り取ったような鮮やかな青が好きだった。
レナは、派手過ぎて自分にはこの色は似合わないと滅多に身につけず、いつも落ち着いた赤や青といった色のどちらかを選んでいたけれど、私は本当は淡くて鮮やかな色が好みだった。
一目惚れして、ずっとクローゼットの中にしまってあったドレスがある。それを着て、目元は同じ青のアイシャドウを重ね、髪はアップにする。
鏡に映る自分は、レナとは正反対だった。
長くて綺麗な髪をそのまま流しているレナと、髪をアップに纏めた自分。
耳飾りを好んでつけるレナと、耳には何もつけずに首飾りをつける自分。
赤のドレスのレナと、青のドレスの自分。
装いを少し変えただけで、雰囲気ががらりと変わって…。こうやって見ると、レナと私が全く似ていなかったことに気が付いた。
…そうね、私はレナじゃなかったわね。
私は鏡の自分に笑いかけた。
◆◆
めかしこんで向かった先は、今の私の婚約者である、ウィリアムの屋敷だ。
彼がまたレナを意識しているのは知っている。元々意思が弱い男だった。綺麗になったレナを見たのだから、惹かれるのは当たり前だ。レナの魅力は私が一番嫌というほどに知っている。
私は案内しようとするメイドを追い越すくらいの勢いで進み、彼がいるという庭へとたどり着く。
「ウィリアム様!」
花を見ていた彼が振り返る。私はそのままツカツカと彼に歩み寄る。
私のただならぬ雰囲気に、彼はじりじりと後ずさった。しかし、運良く彼の後ろにあった木のおかげで、彼の退路はなくなる。
私はそのまま、ドンッと、彼の首あたりへと手をついた。
「は、はひぃ!」と間抜けな悲鳴を上げる彼の胸元を掴み、ぐっと顔を近付ける。何故か彼は顔を赤くさせた。
「私、レナではありませんの。残念ながら」
困惑している彼に私は言った。
「貴方が気の弱くて、頭の弱い男であることも存じております。ですがまぁ、変に優秀なレナと比べられて苦労したという点で、貴方に対してはかなり好意的な感情を持っていますわ。それにあれだけ大勢の前で、レナとの婚約破棄、そして私たちの仲を見せつけたのですから、今後、他の縁談がくることはほとんどないと考えていいでしょう。よくない噂も立っているようですし」
彼は、恐る恐る頷く。
「となると、今、貴方に婚約を破棄されれば私は嫁ぎ先がなく、困ってしまいます。この年齢で他の婚約者を探すとなると、他は婚期を逃した男性ばかりですからね」
「あ、あぁ…?」
「ですので」
「…?」
「見ず知らずの、歳が離れた男性と夫婦になるくらいでしたら…。私、貴方が相手がいいですわ」
つまりですね、私は彼に顔を近付ける。目をそらさず、力強く言ってやった。
「惚れ直させて差し上げます。私が婚約者である以上、他の異性に意識を向けることは許しません。破った時は…お分かりですね?」
「…う、あ」
「返事は?」
「は、はい…」
顔を真っ赤にさせて頷いた彼に満足し、私は木との間に、彼の身体を挟むようにしてついていた手を離した。
◆◆
「やっべぇ!!! 兄さん、口説かれてやがんの。えっ、マジで?! レナに手紙書こ! えっと、"愛しのハニーへ。今、うちの庭で前代未聞のことが起こってます。兄さんがヤバい。口説かれてへろへろになってる。それと、お前の従姉妹はやっぱお前の従姉妹だったわ。吹っ切れたらやべぇ。あ、でも、俺はレナ一筋だよ、マイハニー"と。いやー、従姉妹揃ってかっけぇわ。俺たち、男が負けるレベルの男前だわ。二人とも」
二階の窓から、二人の様子を眺めていた男は愉快そうに笑った。
「…ま、あれならレナとも仲直りできっかな。期待してるぜ、リアナ嬢。あんなこと言ってたけど、なんだかんだレナもアンタのこと気にしてたんだから」
レナが笑ってくれるんなら、それが一番だ。
男は嬉しそうに目を細めた。
◆◆
「レナ様」
ウィリアム様との問題を片付けて数日後、次に向かったのはレナの屋敷だった。彼女は追い返すことはせず、無表情のまま出迎えてくれる。彼女の顔は、怒っているようにも呆れているようにも見えた。
震える足を叱咤し、私は頭を下げた。これまでの非礼への謝罪を彼女は暫く無言で聞いていた。
「私ね、聞きましたわ。お母様に」
「…」
「どうして、リアナばかり贔屓していたのかと。今まではそう尋ねる勇気もなかったのですけれど、ルーカスが『そういうのはズルズルと引きずるよりハッキリさせた方がいい』と言ってくれましたから」
「贔屓ではなくて、あれはっ…」
「…その様子だと知っていたのですね。贔屓ではなく、あれは一種の拒絶だったのだと」
私と、お母様の相手は面倒だから。だからレナの母親はものを与えて、少しでも静かにさせようとした。まるで幼児の扱い。
私のお母様と、レナのお母様は姉妹で昔から仲が悪かった。
妹は純粋に姉を慕っていると自分では思いながら傲慢になり、姉はそんな妹に耐えることを強いられ終いには妹のことを毛嫌いするようになっていた。そして、私のことも、その妹と同様に。
「私は知りませんでした。貴方はいつも特別扱いをされていたのだと思っていました。誰もがリアナを贔屓して、終いにはウィリアム様まで貴方のものになって。なんて…見る目がない、馬鹿な人たちなのでしょう、と心の奥底では思っていました」
「…」
「…でも、貴方も苦しんだのですね。思えば私たち、きちんと話したことも喧嘩をしたことも…ありませんね。いつもお母様たちや他の人たちから、横槍を入れられて。私は…貴方の顔をしっかりと見たこともなかった」
私はレナに何も言えなかった。無言の私とは対照的に、彼女は言葉を続ける。
「ルーカスから手紙をいただきましたわ。あの人の手紙、いつも支離滅裂なのです。『やべぇ』だの『すげぇ』だの、具体的なことをいつも書かない。彼の自由奔放さは美点でもありますが、そこだけは直していただきたいものですね。…でも、先日もらった手紙から、貴方が変わろうとしていて、それを彼は嬉しく思っている、ということだけは文面から受け取りました」
ねぇ、リアナ。レナは私の名前を読んで、手を差し出した。
「私、誰かと大喧嘩をしたことがありません。当たり前ですね。貴族の令嬢は、感情を表に出すのは咎められますから。ですが、私は貴方と一度、大喧嘩をしてみたい。貴方と腹を割って話してみたいのです」
私、本当は…貴方ともお友達になりたかったのですよ。レナは微笑んだ。
◆◆
「レナ、この縫いぐるみさ。アレじゃね? リアナ嬢に取られたってやつに似てねぇ? 仲直りの印に返してもらった感じ?」
「いいえ。前のものとは違うわ。リアナも持っていますけれど」
「…? つまり?」
「ふふ。お揃いの縫いぐるみを、用意してもらいましたの。仲直りの印に」
「あーなるほど。…嬉しい?」
「すごく」
「そ。かっけぇレナもいいけど、馬鹿みてぇに笑うレナも俺は好きだぜ。一件落着って感じじゃん。リアナ嬢には感謝しねぇとな」
「…今、さらっと馬鹿って言いました?」
「エ、"言葉の綾"ッテヤツダヨ。ソンナコト言ッテナイヨ。本当ダヨ」
「ルーカス、そこに座りなさい。貴方はもう少しですね、礼儀というものを…」
「あー! はいはい! 何も聞こえねぇ!! 俺、耳が爺ちゃんみてぇになってっから! なぁんも聞こえてねぇー」
◆◆
レナ。私もね、本当は…貴方と仲良くなりたかったの。こんな私だけど…友達になってくれるかしら。