第五話:黒毛の狂虎
インベントリにまだ余裕があるからと採取をしつつ、冒険心の赴くままに木々を分け入り、気が付けば森の奥へ来ていた俺。
「おっ? なんか開け――」
開けた場所に出た、その瞬間に俺は言葉を失った。
森が開けた場所にあったのは小さな泉だった。色とりどりの花に彩られた美しい泉だ。時間があったなら、ここに留まって気分を安らげたいとすら思える癒しスポット。
だがそんな泉に乱暴に頭を突っ込み水を飲んでいる、この場に似つかわしくない存在がいる。
ポリゴンモデルとは思えないほど緻密に作りこまれた毛並みは、特徴的な黒と灰色のストライプ。
トラックのような巨体を誇る虎だ。
頭上には敵対モンスターであることを示すアイコン、そして『黒毛の狂虎』の名。
狂虎は泉から顔を上げ、のこのこと背後に現れた俺をゆっくりと振り返る。目があった。そして直感で悟る。
――これ、絶対に今のレベルで勝てる奴じゃねぇ。
所詮はゼロとイチで構成されている電子データ、だがしかしそうとは思えないほどの威圧感。VR空間でそんなはずはないのに、背中に嫌な汗をかいている気がする。
愚かな獲物を視界に捕らえた狂虎の目が細められる。吠えることはなく、ただ静かに身をかがめ。
「回避ぃぃぃぃぃぃ!?」
直後、転がった俺の真横を巨体が勢いよく通り過ぎた。踏みつけられた花々が無残にも散る。
巨体による突進は軽々と木々をなぎ倒し、地面には抉れた爪痕が刻まれている。掠っただけでHP全部持っていかれそう。
今避けられたのはほとんど偶然のようなものだ。
「暴走トラックでももうちょっと大人しいんじゃねぇの?」
狂虎はゆっくりとした動作で俺を振り返る。隙だらけの動きだが、それは強者の余裕というものだろう。
日本刀を鞘から抜いて構える。前に突き出した切っ先が妙な緊張で微かに震える。
だがなぜだろうか? 緊張と同時に、ここで偶然出会った強敵にワクワクしている自分がいる。
一人のプレイヤーとして、自分がどこまで通じるのか試してみたいような気持ち。初めてのVRゲームが楽しくて浮かれている自覚はある。
「タダでやられるのは嫌すぎる。悪あがきさせてもらうぜ!」
声を出して自分を鼓舞し、刀を振りかぶる。
駆け寄り、乱雑に投げ出されていた狂虎の前足に一太刀浴びせる。しかし刃は肉を断つことなく頑丈な毛皮に弾かれた。
「硬っ!?」
武器の性能もステータスも、両方があまりに足りていない。
だがそのささやかな抵抗が狂虎の癇に障ったのだろう。
「グルル……」
低く低く、地の底から響くような呻き声。煩わしい羽虫を追い払うように前足を動かし、
「速っ……!?」
神速のネコパンチ。空気を切り裂き襲いかかる前足に対して日本刀でガードを……いや、絶対に押し切られる!
咄嗟の判断で受け流しを狙う。直撃の瞬間に刀を添えて威力を逸らし……!
「ぐぅ……!?」
受けきれずに吹き飛ばされた。天地が二、三回ほどひっくり返って三半規管がシェイクされる。
一撃で死にはしなかったからギリギリで受け流せていると思いたい。ただ受け流したはずなのにHPが一撃で九割以上持っていかれた。
タイミングは合わせられたはず。ただステータスが足りなかったかタイミングが甘かった……!?
狂虎はネコパンチで沈まなかった俺がお気に召さなかったらしく、再度身をかがめて突撃。地面を大きく転がってどうにか回避。
突撃した先で、哀れにも一匹のフォレストドッグが巻き込まれていた。
地面に横たわるフォレストドッグに狂虎は顔を近づけて咥えると、ガブリとかみ砕いた。口の端からポリゴン片をまき散らす姿は獣性を感じる。
「せめてもう一太刀、当ててから……!」
今の攻防だけでもよくわかった。これは頑張ったら勝てるとかゲームセンスを発揮してどうにかできるとか、そういう問題ではなさそうだ。普通に切ってもダメージ出てなさそうだもん。
プレイヤースキルがカンストしてるタイプの人なら勝てるんですかね、これ。
ただ、ここでこんな強敵に出会った何かの偶然、せめてもの抵抗として一撃くらいは綺麗に攻撃を決めたい。
毛皮は硬すぎてまともに攻撃が通らない。刃が通るくらい柔らかい部位はどこだ?
第一候補は目。次点で口の中かな。どちらにせよあの虎の顔に近づかなければならない。
どうにか隙を作らなければ。
いや、隙そのものはあるのだ。この虎はどう考えても全力を出していない。全力で襲われていたなら今頃すでにHPはない。
ならば足りないものは何か?
そう、アイツの脅威に負けない勇気だ。
「集中しろ――!」
フォレストドッグをかみ砕いた狂虎が振り返る。
後のことは考えない。成功することを祈るしかない。
狂虎は三度目の突進モーションに入る。ゆっくりと身をかがめる、わかりやすい溜めモーションだ。あとは勇気を持って迎え撃つのみ。
狂虎の突撃。だが今度は避けない。思考が加速する。一瞬をさらに刻み、タイミングを合わせろ!
「その鼻っ柱、へし折ったらぁ!」
スキル〈横薙ぎ〉を発動。ゲームアシストを受けて半自動で動き出す俺の体、日本刀の切っ先が狙うは狂虎の鼻の先だ。目や口よりも確実に狙いやすく、鋭敏な感覚器官。
突撃のタイミングに合わせてそこへ切っ先が吸い込まれる。硬い毛皮とは違う確かな手ごたえ。クリティカルヒットの感触。
そしてそんな手ごたえを吹き飛ばすほどの強烈な衝撃が腕に伝わる。
そりゃ、こんな暴走トラックみたいな突進に真正面から剣をぶつけたらそうなるよな。
体が後方へ吹き飛ばされる。正面からぶつけた日本刀の耐久値が一気になくなり破損する。残り僅かだったHPはあっけなく消し飛んだ。
しかし代わりに見られたのは、鼻先に叩き込まれたダメージに驚き怯んだ狂虎の顔。いいぜ、ざまぁ見やがれ。
「――次は勝ちにくるぜ」
そして俺はあえなくリスポーンした。
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