短編の中に生まれる君へ ~『悪役令嬢大逆転! すっきりざまぁした後に没落したおバカな王子が縋りついてきてももう遅い』~
少々膨らみ過ぎましたが、どうしても短編として投稿したかったのでどうかお目こぼしを……。
昨今、異世界転生がブームになっているのは、普段ライトノベルに触れない層でも、アニメや漫画に手を出している人ならば知っているだろう。
もちろん、異世界転生「物」の作品がブームなのであって、異世界転生「する」ことがブームなわけではないのだけども。
しかし。
俺、畑山浩一はどうやらその異世界転生を果たしてしまったらしい。
飲酒運転らしき車が歩道にまで乗り上げてきた記憶を最後に、見も知らぬ場所に、赤子として俺はいた。
うわ、ありがち。
そう思われても仕方がない。俺自身、自分がこんなことになるとは思っていなかったし。
しかしだ。少し聞いてほしい。
今の俺に与えられた名前、シュバルツ・ロクセル・アーデンベルクを聞いた瞬間に嫌な予感がしたんだ。
ここは、〝短編小説の世界〟ではないか? と。
俺は一般人でも小説が投稿できるサイト、『執筆家になろう』をよく利用していた。読み専ではあるが、アクセスしない日はないほどにどっぷりと浸かっていたんだ。
そこへ投稿される小説はプロにも負けない出来のものもあれば、そうでないものもある。
そして最近、特にファンタジー・恋愛系の小説に多く見られる、とある流行があった。
その一つが『悪役令嬢』であり、『ざまぁ』と呼ばれる物語だ。
簡単に言えば、乙女ゲーの世界に悪役令嬢として転生した主人公が、バカな婚約者やヒロインのキャラクターに対して反撃し、最終的に幸せになり、やられ役たちは没落の一途を辿る……といったものである。
ところで話は全く変わらないのだけど、俺が死ぬ間際に、信号待ちの間に読んでいた短編小説のタイトルは
『悪役令嬢大逆転! すっきりざまぁした後に没落したおバカな王子が縋りついてきてももう遅い』
というもので、その中に登場する没落する第二王子の名前がシュバルツ・ロクセル・アーデンベルクというんだ。
…………さて、どうしたものやら。
乙女ゲーの世界の悪役令嬢に転生した主人公がいる短編小説世界、に転生した俺。
もう意味がわからないな。もはや何を主体に存在している世界なのかもあやふやな気がするし、そもそもこれは本当に現実なのか。単に走馬灯が読んでいた短編小説を勝手に解釈して流しているだけとか。
そんな益体もないことを考えているうちに、意識が沈んでいくのがわかる。
ああ。
目が覚めたら家のベッドで起きられたらいいのに――――
***
この世界に生まれてから、十年。
三千回以上の目覚めを経ても、俺は俺の世界に帰ることはなかった。
まあ、三年目くらいからこれが今の俺の現実である、と飲み込み始めてはいたのだけれど。
この世界にも、人がいる。
そんな当たり前のことに当初は驚きを隠せないでいた。
なんせ〝短編小説〟の世界だ。日々生み出されては消費されていく数千文字程度のインスタントな物語に、作者がいったいどれだけの世界観を詰め込んでいたのか、今となっては知りようもない。
しかしここには確かに世界があり、国があり、人が生きていた。
小説で描かれていなかった人々にも彼らの人生があって、ひとりひとりが一生懸命にそれを全うすべく生きている。
水に触れれば手が濡れて、地面に触れば土で汚れる。それくらい当たり前の認識を獲得するのにも、だいぶ時間がかかってしまった。
世界を甘く見ていた俺も、今はこのアーデンベルク王国の第二王子として生きていかなければならないと、改めて思い直したのだ。
さて、そんな第二王子の立ち位置であるが。
これがまた微妙なものとなっている。
この世界には魔力というものがある。
訓練すれば魔法として出力できたり、そうでなくとも魔道具なるアイテムを用いて様々な現象を引き起こせるエネルギーなのだが、それを、俺は全く持っていなかった。
貴族であれば大抵の者が、平民であっても僅かに持っている、遅くとも十歳までには発現するはずのそれを、よりにもよって王族のシュバルツは持ち得ていなかったのだ。
魔力持ちがいて当然の城内にはそこかしこに魔道具が設置されている。明かりをつけたり、綺麗な水を生み出したりするための物。そんな中で俺は一人では何もできない、出来損ないなのである。
毎日のように聞こえてくる宮仕えたちからの陰湿な声。
国王たる父、その側妃たる母からの失望の眼差し。
そして優秀に過ぎた兄の王太子。
なるほど短編で描かれたシュバルツの荒れ具合はここから来ていたのかと実感したものだ。
知ってさえいれば乗り越えられるものではあったが、何も知らず、たった一人でこれを受け止めていたシュバルツの精神状態は如何程なものであったか。そんな中で自己を肯定してくれる存在が現れたなら、まあコロッといってもおかしくはないのかもしれない。
所用があって行われた父王との謁見の帰り道。
広い通路の端で頭を下げる使用人たちがその下でどんな顔をしているのか考えないように歩いていると、曲がり角から兄の王太子が姿を現した。
「シュバルツ」
「兄上。如何なさったのです?」
第一王子のジェラルドは外見も中身も完璧な、まさしく「王子」と呼ぶに相応しい人物だ。腹違いの弟で、しかも「魔力無し」の俺にも優しく接してくれるし、醜聞などひとつも聞いたことがない。
だが、俺でないシュバルツにはそれが眩しすぎたのかもしれない。
「聞いたぞ、婚約者が決まったそうじゃないか」
「耳が早いですね。私はたった今、父上から聞かされたというのに」
「まあ、な。婚約者の選別には私にも意見を求められていたからな。ロアルガーデン公のご令嬢は優秀な子だと聞いている。大事にしてやるといい」
「勿論ですとも。ロアルガーデン公には申し訳ない気持ちもありますが」
自嘲するつもりはなかったが、ははは、と笑った声が空しく響く。ジェラルドは困ったように眉根を寄せた。
俺の婚約者に決まった、クローディア・ド・ロアルガーデン公爵令嬢。
彼女こそ俺が短編小説で読んだ物語の主人公である。
それを聞かされた時は、やはり小説と同じように進むのか、と思ったものだが、情勢を考えれば当然の政略結婚だった。
ロアルガーデン公爵家に生まれた偉才、近年稀に見る魔力の大きさを持った少女。それがクローディアだ。
ともすれば既に決まっている王太子の婚約者に挿げ替えてもおかしくないほどの逸材。だが長年国王の右腕として宰相を務めるロアルガーデン公に、これ以上の権力を与えると王国の情勢が不安定になりかねない。
持つ力が大き過ぎるがゆえに、他国に嫁がせても損失が大きい。
それを危惧した国王と公爵は政略として「魔力無し」の俺に彼女をあてがい、二人纏めて一代の公爵として国内で飼い殺そうとしている、というわけだ。
……いや、少し悲観が過ぎる言い方だな。
父からは臣籍降下するとはいえ俺に王族としての暮らしを与えようという愛を感じたし、公爵にも国に対する忠誠が見て取れた。
要はバランスの問題なのだ。
力を持ちすぎるクローディアを王族を嫁がせる、という傍目には権力の増長に見える事柄を、俺が「無能」であることを殊更に見せることで周囲を納得させる。そして実態としてはクローディアの使い方次第で王家よりも力を得られるやもしれない公爵家を抑えようとしている。
そのために父王も表立って俺を守るようなことはしないし、期待を見せることもない。
それを理解しているか否か。これだけが『シュバルツ』と今の俺の違いである。
「父上も私も、それに公爵もだ。おまえを思って結んだ婚約だ。どうかそれをわかってほしい」
不安そうに揺れるジェラルドの瞳を見て苦笑する。
大丈夫。わかっているとも。そんな意思を込めて真っすぐ顔を向けた。
「理解しています。俺にはもったいないくらいのご令嬢ですよ、クローディア嬢は」
きっとこの婚約を、『シュバルツ』は快く思わなかっただろう。
周囲の冷たい目。期待もない父。優秀で、婚約者も自分で見つけた兄。
『シュバルツ』は何一つ自分で選択したことがなかった。
生まれも、生き方も、何一つ。
ただ、俺は、そういう生き方も別に構わないと思っている。
レールを敷かれた人生と揶揄されようとも、安定していることは悪いことではない。それに、レールを敷いた人たちは、その上を歩む俺のことを思ってそうしてくれているのだ。
なんら不満はない。しいて言えば、面倒をかけて申し訳ないといったところだろうか。
ほっとしたように表情を緩めたジェラルドは、正面から俺の隣に移動して、歩みを促すように背中を押した。
「顔合わせは来週だったな。ロアルガーデン公からクローディア嬢の好みを聞き出しておいたぞ。聞くか?」
「ありがたいですね。緊張してそういったことを聞くのを忘れていました。教えてくれますか?」
今世での家族愛を身に沁み込ませながら、さて、と思う。
クローディアは、〝短編小説〟のように前世の記憶を持っているのだろうか、と。
***
「お初にお目にかかります。ロアルガーデン公爵家が長女、クローディアと申します」
十歳の少女とは思えない見事な礼で名乗った彼女を、俺はどういう気持ちで見ていただろう。
一目見て、美しいと思った。
艶やかな金髪に、白く柔らかそうな肌。大きな瞳からは意志の強さが見て取れる。
次の刹那には、この子は誰なのだろう、と思った。
クローディア。短編小説に登場した、誰かが転生したクローディア? それとも短編小説ではタイトルも出なかった、乙女ゲームの悪役令嬢?
俺は、この世界に生きる人は人間だ、という認識を持った。
では、あの短編に描かれていた人は、どうだろう。前提となった乙女ゲームすら架空の存在として紡がれた物語に、登場人物として描かれた存在。
人なのか、キャラクターなのか。それが俺にはまだ判断がつかなかった。
「初めまして、私はシュバルツ。そう固くならないで大丈夫だ。今日は会えてうれしく思う。君のことをたくさん教えてほしい」
少し気障ったらしい話し方だが、そう教育されたのだから仕方がない。
俺の言葉にぱちくりと瞳を瞬かせたクローディアは、少し安心したかのように頬を緩めて席についた。
「王族の方にお目通りするのは初めてでして、少し緊張していましたが、お優しそうな方で安心しましたわ」
そう言って朗らかに微笑む彼女は、非の打ちどころのない貴族令嬢であった。
同席していた父王や公爵との会話もそこそこに、俺は二人きりでの対話を求める。
「クローディア、庭園に見事な花が咲いているんだ、一緒に見に行かないか。父上、公、構いませんか?」
「ああ、行ってくると良い」
「娘を頼みましたぞ」
「ええ」
小さな手を取って、庭園の花畑に向かう。
ガーデンアーチをくぐったそこは、整えられた生垣が小さな迷路にもなっていて、訪れた人々を楽しませる憩いの場だ。
ここなら誰にも、俺たちの会話は聞こえないだろう。
「少し、話し方を崩しても構わないだろうか」
「もちろんです、殿下」
「ありがとう」
崩れない貴族令嬢の顔を、少しずつ、ゆっくりと、剥がしていこうと試みる。
「君の評判は聞いているよ。君も、俺の評判は聞いているだろう?」
「ええと……はい」
「君はこの婚約についてどう思う?」
稀代の偉才と、無能の烙印を押された王子。
情勢を見て結ばれた政略結婚について尋ねると、クローディアは凛然としたままに答えた。
「国王陛下も父も、いつだって国を思っていらっしゃいます。私も貴族家に生まれた者として、与えられた責務を果たしたいと思っております」
「ふふ。俺との結婚は責務なのかい」
「あ、いえ、そのようなことは……申し訳ございません」
「いや、すまない。意地悪な言い方だった。謝るのはこちらだ」
「滅相もございません」
少しだけ崩れかけた彼女の表情を見て悩む。
〝短編〟では二人の出会いなど綴られてはいなかった。そも、ありがちなテンプレをなぞっていたそれには、世界観や大まかなストーリーなど「そういうもの」として深く描かれてはいなかったのだ。
だから俺は、「こう言えばこう返される」といった類の確かめ方も持ち合わせてはいない。
さてどうしたものか。
「クローディアは優秀なご令嬢だとは聞いていたが、その忠誠心は思っていた以上だね」
「もったいないお言葉ですわ」
「君は、俺と実際に会ってみて、何かイメージと違ったりしたかな」
「そう……ですね。思っていたよりも、穏やかなお方だな、とは」
「なるほど」
もしかしたら乙女ゲーのシュバルツは、出会いの時点でつんけんしていたのかもしれない。まあ、これまでの自分の扱いを鑑みればさもありなんといった感じではあるけれど。
「確かに、荒れそうになったことは何度もある。わかっていたこととは言ってもね」
「それは……どういう意味でしょう」
大きな瞳に、疑問が浮かぶ。
ここで、核心を突いてみるとしよう。
「クローディア。君は生まれ変わりって信じるか?」
「っ、生まれ変わり、ですか?」
「ああ。前世の記憶や違う世界のことを知って生まれ変わる。そんなことがあると思う?」
「殿下は……もしかして」
ああ、この反応は。
彼女は『悪役令嬢大逆転! すっきりざまぁした後に没落したおバカな王子が縋りついてきてももう遅い』に……長いな、これ! 略して『悪ざま』に登場する転生者なのだろうか。
「『地球』や『日本』といった単語に覚えはあるかい?」
「………………あります」
やはり、と頷く。
「そうか。なら話が……早くもないんだけどさ」
「え?」
疑問に疑問を重ねたような声音。
ああうん、聞かなければいけないことはもう一つある。しかしこれを口に出すのは憚られるんだよなあ。
「その、なんだ、俺もその記憶を持って生まれたんだけどさ……」
「は、はあ」
「君は、その……『悪役令嬢大逆転! すっきりざまぁした後に没落したおバカな王子が縋りついてきてももう遅い』って知ってる?」
「…………は?」
しどろもどろになりつつ尋ねた質問の返答は、何言ってんだコイツ、と言わんばかりのたった一文字であった。
「いやこれ俺が考えたんじゃないからね? そのー、あっ、『執筆家になろう』って知ってる? そこに投稿されてた短編小説なんだけどさ、俺はその記憶を持って生まれたっていうか、クローディアに転生した物語を知っているって形なんだけど――」
「ちょ、ちょっと待って、落ち着いて!」
「ご、ごめん」
羞恥のあまりべらべらと喋ってしまった俺を、クローディアがなだめる。
とりあえず彼女も転生者であることは間違いないらしい。ただ、同じ転生者といっても俺と彼女では若干ニュアンスが異なってしまうかもしれないのだが。
「ええと、つまり? あなたは『ティアブレ』のシュバルツに転生した日本の人ってことよね?」
「そうだけど、ごめん、『ティアブレ』って何?」
「『マジック&ソード 虹色のティアーブレイド』よ、知らないの?」
「いや聞いたことない。短編にも乙女ゲーのタイトル出てこなかったし」
「その短編ってのもよくわからないんだけど」
「マジ? じゃあ『執筆家になろう』は?」
「知らない」
『執筆家になろう』を知らないとは驚きだ。いやまあ知らない人もいるのは確かだろうけど、アニメやゲームに触れる人間ならば知ってておかしくないはずなんだけどな。
『なろう』のことや投稿されていた短編のことを教えると、彼女は難しそうに唸って頭をひねった。
「じゃあ話を纏めると、あなたは『ティアブレ』に転生した私を題材にした、物語の世界に転生した、ってこと?」
「簡単に言うとそうなる」
「はあー? 『ティアブレ』のキャラをまんま出すなんて、盗作なんじゃないの? それとも何、コラボとか?」
「いやそこなの? や、ともかく、俺の世界には『ティアブレ』っていう乙女ゲーはなかったよ、たぶん。その界隈は詳しくないからアレだけど、短編にも名前までは出てこなかったからギリセーフなんじゃ?」
言いつつ俺も「そこなの?」と自分で思う。
だがクローディアは引っ込みがつかないようだ。
「名前をそのままにするだけでもダメでしょ! 『ティアブレ』は乙女ゲーとして出されたけど超大作として一般にも広まって、今度アニメにもなるって話だったんだから! それを、よりにもよって素人の書いた短編ですってぇ? しかも何そのあったま悪いタイトル!」
「だから俺が考えたんじゃないんだって!!」
二人して論議の内容がぶっ飛び、ぜぇはぁと肩で息をしながら見つめ合う。
クローディアの貴族然とした雰囲気はとうに消え去り、俺もシュバルツとして生まれてから初めて素のままに言葉を発していた。
「どうにも、俺たちの〝元の世界〟は違うみたいだね……」
「そうね……。『ティアブレ』を知らないでシュバルツやクローディアのこと知ってるのもおかしいし、それなのにここが乙女ゲーの世界だなんて思うはずないし」
「なあ。俺の前世の名前、『畑山浩一』っていうんだけど、君は?」
「私? 私は……『浅倉美空』」
「そっか」
改めて名乗り合ったあと、二人で〝元の世界〟の記憶のすり合わせをした。
年齢はぼかされたが、彼女は前世では社会人であり、『ティアブレ』を一通り攻略した後のやりこみ要素のために、攻略本を読みながら歩いていたところを足を滑らせて階段から落ちたらしい。
あんまり人のこと言えないけど、少し間抜けな死因だな、と思ってしまった。
だが、俺は少し安心した。
短編には出てこなかった名前。『ティアブレ』とやらもそうだが、それを聞いて、俺はようやく、きちんと彼女を一人の人間だと思うことができたのだ。
きっと短編作者も深くは考えていなかっただろう彼女の前世。今も連続しているそれを知って、彼女の人と成りと同時に一人の人間である、と、そう知り得た気がする。
「ところでさ」
「ん?」
前世の話で盛り上がってしまったが、ふと冷静になって思うことがあった。
「君はこのまま『クローディア』として『シュバルツ』と結婚してもいいの?」
「あー……」
前世の記憶があるとはいえ、生き方の選択肢が少ない俺たち。だが他に全くないというわけではない。
クローディアには他の、忠誠心の篤い別の貴族に嫁ぐという道もあるし、俺には、まあ、終生独り身で過ごすという手もなくはない。
彼女は、浅倉美空は、クローディアとしての人生をどう思っているのだろう。
「まあ、日本にだって廃れかけているとはいえお見合い結婚とかもあるし? 別にいいんじゃない?」
「軽いな……」
返ってきた答えは、思っていたよりもずっとふわっとしたものだった。
「それに、ちょっと差異があっても同じ〝日本人〟だし、他の人よりは話が合いそうだし」
「それはまあ、たしかに」
「いきなり恋人みたいにはなれないかもだけどさ。そういうのは追々……というかいつの間にかなってるものでしょ」
「うん、そうだね。……じゃあ、その、よろしく」
「……ん、よろしく。名前、シュバルツって呼んだ方がいい?」
「あー、そうだな、二人きりの時は前世の名前で呼ぶのはどう?」
「じゃあそうしましょっか」
二人して、子どものようにくすくすと笑った。
実際子どもだけども、似たような境遇の人物に会えた安心感からか、生まれて初めて心から笑えた気がした。
「もう少し話したいことがあるんだけど、そろそろ戻らないとまずいかな」
「そうね、けっこう話し込んじゃったし」
「それではレディ。どうぞお手を」
「プッ! やめてよいきなり。大事な場面で思い出し笑いしそう」
「こういう教育されたんだから仕方ないだろ」
お腹を抱えた美空は、ひとしきり笑ってから手を取る。
そして、まじまじと俺の顔を覗き込んだ。
「性格がいいシュバルツって、もはやただのイケメンよね」
「やめてくれ、前世で顔面を褒められたことがないからむず痒い上に空しくなる」
「悲しいわね……。まあ、私も同じようなもんだけど」
「君はまるで絵画のように美しいよ、クローディア嬢」
「やめてー!」
手を繋ぎながら大笑いしていると、結局俺たちを探しに来た侍女に見つかってしまった。
庭園のガゼボに戻ると、その様子を父たちに告げ口されてしまい、何をそんなに盛り上がっていたのかと詮索されて誤魔化すのが大変だった。
***
無事に婚約が結ばれてからは、ちょくちょくと美空と顔を合わせている。
婚約者の義務として、という体もあるが、話したいこと、話しておかなければならないことがたくさんあったからだ。
今日も茶会と称して城の庭園で顔を突き合わせていた。
「なあ、もうすぐ学院が始まるだろ?」
「そうね。いよいよストーリーが始まるのね」
話しておかなければいけないこと、そのうちのひとつが貴族学院のことだ。
美空の言う『ティアブレ』のメインストーリーであり、俺の知る〝短編小説〟の物語の舞台である。
「ヒロインもやっぱり転生者なのかな」
ヒロインのマリナ。彼女は平民ながらも強大な魔力を持って生まれたというキャラクターだ。それもあって貴族学院で力の使い方を学ばせるべく入学させられるのだが、果たしてこの世界ではどうなっているのか。
「うーん……。私はまだあなたの言う〝短編小説〟っていうのが飲み込み切れてないんだけど」
「それは仕方ないと思うよ。ただでさえゲーム世界に転生したってだけで奇想天外もいいところなのに、それを架空のものとして扱った小説の世界とか、俺から見ても意味わからないからね」
「まあねぇ……。私から見たあなたは、『ゲームの登場人物に転生した日本人』だけど、あなたから見た私は『ゲームの登場人物に転生した日本人、の物語に登場した人物』……なわけでしょ?」
「うーんめんどくさい」
「まったくね」
相変わらずごちゃっとしているなあ、と思わざるを得ない。俺も美空も嘆息する。
だがそれでもこのとんでも話を飲み込んだうえで聞いてもらわないといけないことがあるのだ。
「俺の認識だとヒロインも転生者で、卒業までに俺を含む攻略対象者を巻き込んでクローディアを嵌めにかかるんだけども」
「でもそれって『シュバルツ』があなたであるだけで破綻してない?」
……む? それもそうか。いやしかし。
「それでも『なろう』だからな……。なんやかんやして婚約破棄にまで持ち込む可能性も捨てきれない」
「いや『なろう』って言われてもね」
俺自身なんか曖昧な表現に過ぎると思うが。
けれども懸念は捨てきれない。
『なろう』を甘く見てはいけないのだ。どんな理不尽・不条理を超えてでも「ざまぁ」して「もう遅い」に持っていく展開力は、もはや常識の壁を二、三枚軽くぶち抜いてくるのだから。
「俺の知る短編だとヒロインはシュバルツ推しみたいだったから、それなら俺がしっかりすればいい話だけどさ、他の攻略対象者を狙われても情勢的にあんまり無視はしたくないんだよね」
「んー……」
攻略対象者は複数人いるようだが、多くが高位貴族であり、その婚約は国と家がバランスを考えて結んだもの。木端とはいえ王族としてはあまりかき回してほしくないのだ。
だが美空はあまりいい顔をしなかった。
「正直、あなた以外を攻略するのなら放置でもいいと思うんだけどな」
「どうして?」
「だって、『ティアブレ』は乙女ゲームなんだよ? ヒロインが攻略対象者とうまく行ったら『幸せに暮らしました』で終わるんだから、平和になるんじゃないの?」
「……ううむ」
たしかにそれは一理ある気がする……。
クローディアが嵌められて婚約破棄されたのは、俺の記憶ではヒロインの暗躍があってこそだった。
だがそれは、その物語が『ティアブレ』ではなく〝短編小説〟であったからだ。
クローディアに転生した美空がいたからこそ虐めも何も起きずに、ヒロインがあの手この手でクローディアを嵌めようとしたに過ぎない。
美空が転生していなければクローディアもヒロインに対して何かしらのアクションを――
「そういえば『ティアブレ』のクローディアってなんでヒロインのこと虐めるんだ?」
「なんでって、なんで?」
ふと湧いた疑問に、美空は何を当たり前のことを聞いているんだ? と首を傾げた。
「いや自分で言うのもなんだけど、『クローディア』にとっても『シュバルツ』ってたぶん出会いの時点で嫌な奴だったんじゃないの?」
短編でのシュバルツは「クローディア・ド・ロアルガーデン! 貴様との婚約を破棄する!」とか言っちゃうただのバカのイメージが強すぎるが、シュバルツとして生きた今ではどうしてああなったのかの一端は知っている。
そして『クローディア』は両家合意の婚約とはいえ、偉才を持っているのにも関わらず無能を押し付けられ、厄介払いされたようなもの。だとしたらたとえ美空が転生していなくとも、シュバルツとの婚約破棄なんて望外の出来事のように思えるのだが。
そう尋ねてみると、美空は納得したように頷いて、『クローディア』の設定を教えてくれた。
「クローディアはね、〝魔道具マニア〟なのよ」
「は? 魔道具?」
「そう。タイトルにもある『ティアーブレイド』っていうのも魔道具でね、王家の秘宝として大切に保管されているの。で、王家に連なる者しか触れることも許されないそれを、クローディアは手に取ってみたいのよ」
「そ、そんだけ?」
「そんだけってわけでもないけど。それに私も自分で言うのもなんだけど、『クローディア』も力を持て余したクソガキ……じゃなかった、お転婆なのよね。『ティアーブレイド』は持った人の魔力の量や質で刀身の色が変わるんだけど、虹色が最上級なのよ。それで〝私が最も『ティアーブレイド』を使いこなせるんだ〟って意気込んでるわけ」
「美空とキャラが違い過ぎてイメージ湧かないな……」
「まあ、ねえ。私はあんまり興味ないし。でまあ、そんな『クローディア』の前に自分と同じかそれ以上の資質を持った、しかも婚約者と仲良くしてる庶民が現れたらどうすると思う?」
ああー……それはたしかに。
「目障りに思うだろうなぁ……」
「でしょ?」
立場も目的も、全部かっさらっていきそうな人間が現れたら、そりゃあ排除もしようとするわ。
「で、『ティアブレ』のシュバルツルートを辿ると、ヒロインのマリナを守ることでシュバルツにも自信が芽生えて、周りの反対を押し切って結婚して、マリナが『ティアーブレイド』を虹色に輝かせることで認められていく、って感じね」
「それで『虹色のティアーブレイド』なのか」
「そゆこと。『ティアーブレイド』は王国にとって最終兵器でもあるからね。七色に輝く剣を一振りすると、地形が変わるって言われてるくらい。だから無理に進めた結婚でも、マリナが『ティアーブレイド』を十全に使いこなせるほどの魔力持ちなら、無視はできないってわけ」
なるほどな。ゲームとしてはいろいろと考えられてるわけか。いや俺が読んだ短編の作者は絶対にこんな設定まで考えていたとは思えないけど。だって『ティアーブレイド』の名前すら出てこなかったもん。
「うーん……。じゃあとりあえずヒロインのマリナ? は放っておいてもいいのかな」
「他の攻略対象者にしても、ヒロインと関わらないと不幸になるってほどでもないからねー。まあ、それぞれ何かしらは抱えてるんだろうけど」
「そこは自分たちの問題だからね……」
他の攻略対象者たちも悩みや抱えている闇があるらしいが、それらは彼ら自身になんとかしてもらおう。ヒロインが別のキャラとくっついても問題ないのだから、たぶん大丈夫なはずだ。
ただ、ヒロインのマリナだけは、本当に放置してもいいのか悩むところだ。
なんせ自分を虐めなかった美空を、自作自演で追い込もうとするような奴だ。放っておくには少々危険な気もする。
「納得いかない感じ?」
「んー……、うん」
「じゃあ入学したら、とりあえずヒロインが転生者かどうかだけでも確認しておく?」
「そう、だな」
少々場当たり的な提案ではあったものの、それしかないかと俺は頷くのだった。
***
王立貴族学院。
貴族学院と名付けられてはいるが、貴族のみに入学の権利があるわけではない。
ここは魔力を持って生まれた子どもたちが、その超常の力の制御を学ぶ場である。
とはいえ、「魔力持ち」と呼ばれるほどの者たちの多くは貴族の出であったり、それに関係する人間がほとんどであるために貴族学院と呼ばれている。
貴族以外の出身で入学する主な人物像としては、魔法に出力できるほどの魔力量を持った者、魔道具の製作――王の許可が必要――に携わる者などがいる。
前者であれば貴族に雇われたり養子に迎えられたりなど、やはり貴族との関わり合いが多くなり、後者であれば卒業までに有用な魔道具を開発できればそのまま店を開く許可が下りたり顔を売っておける、といったメリットがある。
簡単に言えば、有能な人材を他国に流さないようにするための施設でもあるわけだ。
そんな学院に、ヒロインのマリナは類まれなる強大な魔力を持った平民として訪れる。
美空によれば『マリナ』の進路は様々で、王子妃になることもあれば、魔道具開発のエキスパートになったり、はたまた国のお抱え冒険者として世界に飛び出したりもするという。
短編小説だと色に狂ったアホみたいな扱いだったのに、けっこうしっかりしてるんだな。
まあ、問題はこの世界に生まれた『マリナ』が何を目的にしているのか、なのだが。
「あの通路の脇の大きな木、あるでしょ?」
美空に『ティアブレ』でのヒロインと王子の出会いの場を説明してもらう。
入学式はすっぽかすことになってしまうが、仕方がない。どうせ何もすることがないし、別にいいか。
『クローディア』も本来なら入学生の代表として壇上に登るのだが、美空が入学前のテストで手を抜き――ちなみに俺は素でわからなかった――こうして共にヒロインの出現を待つことができるのである。
「道に迷ったマリナはあそこで人が集まってる場所を探すんだけど、入学式をすっぽかしたシュバルツがそれを見つけるのよ」
「ありがち~」
「そう?」
思わず出た感想に、美空は不思議そうに小首を傾げた。
『なろう』ではテンプレでも、美空の世界の乙女ゲーではそうではないのかもしれない。
「まあ、シュバルツルートは後からでも入れるけど、ここで出会っておくと気にしてもらえて、向こうから会いに来るイベントがあるから、シュバルツ狙いならたぶん外さないと思うわ」
「了解。マリナが木に登ったら会いに行けばいいわけね」
「一応、私も隠れて見てるから」
「ああ、頼む」
もうすぐ入学式が始まる。
『マリナ』が現れても、まだ彼女が転生者かどうかはわからないが、ここで確かめることができるだろう。
さて、さて、どうなるか。
待つこと数十分。
ようやくそれらしい人物が現れた。
この多色な世界でもあまり見かけない、ピンク色の髪をした少女が、えっちらおっちらと木に登り始めるのが遠目に見える。
そういえば初めて美空に会った時もそうだったが、〝短編小説〟の主要人物に出会っても、ぱっと見でそうだとは思えないんだよな。
悪役令嬢は金髪、ヒロインはピンク頭。そんな表現でしか人物像が描かれていなかったからな。鏡を見ても「あ、俺シュバルツだ」とはならなかったし。
そんな余談は置いておいて、辺りを見回しているマリナらしき人物に近づいていく。
「そこで何をしている?」
「え? え、わ、うひゃあ!?」
間抜けな悲鳴を上げて落下してきた少女を受け止める。
前世だったら「そんなの無理だろ」とか「受け止められた方も首折れそうじゃね」とか思ったりもしただろうが、この世界の人間は前世のそれよりも幾分か頑丈にできているらしい。
他にやることがなくて剣ばっかり振っていたシュバルツ、もとい俺も、たやすく受け止めることができた。
「すみません、助かりました」
「危ないな」
ちなみにヒロインとの受け答えも美空にあらかじめ聞いておいた。
だからこそ、崩していける。
「気を付けなよ。入学当日から怪我なんてしたら始まるものも始まらないぞ」
「は、はい」
地面に降ろしてやると、マリナが可愛らしい顔を小動物のようにきょとんとさせる。
本来であれば俺様王子な『シュバルツ』が不遜なセリフを残して去っていくらしい。
だがここであえて素のまま言葉を交わすことで、彼女が転生者かどうかを見極められるだろう。
不審に思わなければ彼女は『マリナ』。そのまま放っておいても問題ない。
そうでなければ、彼女は王子との会話を知っている転生者だ。
「入学式はもう始まっているよ。向こうの大講堂だ」
「えっと、あの、ありがとうございます?」
この反応は、どっちだ?
不思議そうにはしているが、あからさまに貴族然としている人間を珍しそうに見ているとも取れるような気がする。
「もしかして、俺を知っているのか?」
一歩踏み込んで尋ねてみると、マリナは数瞬考え込むような戸惑いを見せた後、恐る恐るに頷いた。
「ああ、やっぱりそうなのか」
「え?」
平民である『マリナ』は『シュバルツ』の容貌を知らない。
この時点で『シュバルツ』を知っているのなら、『ティアブレ』のヒロインでもなく、〝短編小説〟読者でもなく、美空と同じ世界からの転生者ということなのだろう。
「君も転生者なんだね」
「へっ? えっ!? ど、どうして」
「俺もそうだからだよ」
全く同じ、とは言えないけれど。
混乱ここに極まれりといった体の少女は、俺が事情を伝えようと口を開く、その前に、ひとりでぶつぶつと何かを呟きだした。
「なんで、どうして、シュバルツが……」
「大丈夫か? 混乱する気持ちもわかるけど、ちょっと落ち着いて……」
彼女を落ち着かせようとするも、ぐわっと顔を向けてこられて少々怯む。
「そんな、だって、あなたはシュバルツじゃないの?」
「シュバルツだけどシュバルツじゃない。自分で言っててよくわからないけど、ともかく俺は『シュバルツ』に転生した日本人だよ。君とは違う世界かもしれないけど」
「は? どういう意味?」
美空の時もそうだったけど、いきなり「は?」って言われるとなんか言葉に詰まるんだよな。二人ともそれまでキャラを演じていたから余計に。
どうにか気を取り直して、俺は俺自身の事情を彼女に伝えた。
この世界に転生したこと。
俺視点では〝短編小説〟の世界であること。
ゆえにクローディアやマリナが転生者だと知っていたこと。
このままいけばマリナが攻略対象者を巻き込んで婚約破棄に持ち込むこと……はさすがに言葉を濁したが、『シュバルツ』狙いなら諦めてほしいことを。
それらを伝えると、彼女は顔を真っ青にして、震える身体を抑えるように抱きかかえた。
「な、なに、言って……。小説……短編? 意味、わかんない」
「説明してる俺もそうおも――」
「知らない! 意味わかんない!! 違う、わ、わたしは〝登場人物〟なんかじゃない!!」
マリナはそう叫んで、地面にへたり込んでしまう。
どうしたのか、どうしたらいいのかと俺が戸惑っていると、様子を窺っていた美空が飛び出してきて、震える少女をそっと抱きしめた。
「大丈夫、落ち着いて」
「や、嫌っ!? なんでクローディアが……!」
「大丈夫だから、ね?」
抵抗しようとする彼女を、美空がそれでも抱きかかえ続ける。
そして、非難するように俺を睨みつけた。
「もう、いきなり〝短編小説〟とか言われても、わけわかんないに決まってるでしょ? 私は落ち着いて話せたけど、人によっては『あなたは物語の登場人物です』なんて受け入れられないわよ」
「ご、ごめん。説明を急ぎ過ぎた……」
ようやく俺は己の失態を知る。
美空が平気そうだったから彼女も、なんていうのは、楽観的に過ぎたのだ。
ゲームの世界に、そのキャラクターとして転生しただけでも不可解だというのに、それが別の物語として綴られていて、そこに登場する人物である、なんて。
そこへさらに自分の破滅を告げて回避するよう求める者が現れたら、気味が悪いなんてものじゃないだろう。それは「あなたはゲームのキャラクターです」と説明されるよりも奇怪で不快な予言だ。なぜならここは、ゲームと同じような世界ではあっても、ゲームではないのだから。
「落ち着いて。ね? あなたの名前、教えてくれる?」
「わ、わたし、マリナ……」
「前世の名前。私ね、浅倉美空っていうの」
そっと頭を撫でながら、美空が尋ねる。
「まりなだもん……『桃瀬真理奈』……」
「そう……そうなのね」
ぽろぽろと涙をこぼす少女、真理奈を、美空が今一度抱きしめる。
俺はおたおたと情けない様を曝け出しながらこっそりと、「前世からヒロインみたいな名前だったんだな」などと考えていた。
美空の優しい雰囲気に落ち着いたのか、真理奈も時折嗚咽を洩らしつつもいくつかのことを教えてくれた。
前世は高校生であり、『ティアブレ』に大ハマりしていたらしい彼女は、やりこみ過ぎてふらつき、気づいたらこの世界に転生していたという。
自分が「死んだ」ことを、薄々にしか思っていなかったらしき真理奈は、俺たちの転生理由を知るとまた大きな声で泣き叫んだ。
「もう、帰れないの? お母さんにも、お父さんにも会えないの?」
「…………そう、ね」
「うぅ、ぅああああん……!」
真理奈の慟哭に、俺も美空も、何も言えずに佇むしかなかった。
思えば美空も俺も、独り身が長かったせいか、あまり深くは考えていなかったように思う。
「死んだ」という事実が、「生まれ変わった」という衝撃で塗りつぶされていたのだろうか。真理奈と同じく、残してきた家族がいることに違いはないというのに。
きっと俺や美空の両親も、その死を悼んだはずだ。やるせない気持ちでいっぱいだったに違いない。
けれども大人になって、妥協と割り切りに慣れ切ってしまった俺たちは、それさえも無意識に飲み込んでしまったのかもしれない。
「だって、だって……『ティアブレ』なら、ゲームなら終わりがあるんじゃないの? 終わったら、帰れるんじゃないの?」
滂沱の涙を流しながらそう問う真理奈を見て、俺の言葉がどれだけ彼女を傷つけてしまったのか、再度反省させられた。
きっと彼女は、ここがゲームの世界であることに一縷の望みをかけていたんだ。
だからこそゲームの世界として、ゲームの通りに進むしか今を生きる方法を見つけられなかった。攻略対象者に近づき、虐めを行わないクローディアから虐められていると演じるしかなかった。
迷子になった子どもが、見覚えのある道を必死に辿ろうとするように。
それが、あの短編で描かれたヒロイン、『マリナ』の生き方だったのだ。
そんな彼女に、俺は「それをやめろ」と、「ここはゲームですらない」と現実を叩きつけてしまったのだ。
「真理奈ちゃん……ここは『ティアブレの世界』じゃないのよ。『ティアーブレイドもある世界』なの。ここで生まれたら、ここで生きるしかない。地球でそうだったみたいに」
「うぅ……みそら、さん……」
「あなたは一人じゃない。一人になんかさせない。私たちもいるから、ね?」
「わあぁああああん……!」
美空に抱きついて、その胸に抱かれながら思いのままを吐露する真理奈。
「わた、わたし、『ティアブレ』の世界に来ちゃったから、『マリナ』になるしかなくって……!」
「うん……」
「周りも、ゲームみたいに学院に行くようにって言うし……」
「うん……」
幼子のようにしがみつく真理奈の言葉を、美空は相槌を打ちながら聞いていった。
俺も彼女の悲しみや不安に、胸がざわつく思いで聞き入る。
「はやく、終わらせなくっちゃって思って……」
「うん……」
「ど、どうせなら推しのシュバルツルートがいいなって……」
「うん……うん?」
うん?
「そしたら変に優しいし、変なこと言うし……こんなのシュバルツじゃない!」
「お、おう」
泣いていたはずの真理奈ががばっと顔を上げると、涙の痕が赤く残りつつもぎらついた瞳がこちらを向いた。
「シュバルツは俺様だけど自信のなさが見え隠れするわかりにくい系わんこキャラだもん!」
「ぇあ、そ、そうなの?」
「自信を取り戻した後も黙って俺についてこいってキャラだもん! そんなへにゃっと笑ったりしないんだから!」
「そ、そうか。なんか悪いね……」
「シュバルツはそんなこと言わない!」
「ええー……」
そんなこと言われても……。
「シュバルツであってシュバルツじゃないって言ったろ。ああそうだ、まだ名乗ってなかったな。俺は『畑山浩一』って言うんだ」
改めて前世の名前を名乗ると、真理奈は目を丸くして「ハタヤマコウイチ……?」と繰り返した後、我慢できなかったように吹きだした。
「ふっ、うふふ、あはは! は、はたやまこういち! あはははは!」
「えー……今度は何? なんで俺笑われてんの?」
「さ、さあ」
真理奈の豹変に美空ともども不思議がっていると、泣き笑いの彼女は先ほどとは違う意味で嗚咽を洩らしながら理由を教えてくれた。
「だって、だって、そんなキラッキラの王子様の成りで、ベッタベタな日本人の名前名乗るから……!」
「ブフッ!」
その説明に、彼女を抱きしめていた美空も釣られたように盛大に吹いた。
「だ、ダメよ真理奈ちゃん、人の名前を笑うなんて……!」
「だってえ……ハタヤマコウイチ……うふふっ、ダメだ……!」
「おまえらな……」
なんだろう、理不尽さを感じる。
俺だって好きでこの顔をしてるんじゃないわい。畑山浩一だってありふれた名前だろがい。
それに、同名の真理奈はともかくとして、美空だって似たようなもんだろうが。
「美空も変わんないだろっ。真理奈だって前世からしてヒロインみたいな名前じゃないか」
「あーっ! それ気にしてるのに! キラキラネームだのなんだの、今日日真理奈なんてどこにでもいるっつーのっ」
「知るかーっ!」
こうして、悲し気な空気はどこかへと飛んで行った。
真理奈も美空も俺も、計った様に同時に吹き出し、笑い転げて、仲直り……というと語弊があるが、少しだけわかり合えた気がした。
そしてこの出会いを以て、俺の知る〝短編小説〟は始まる前に幕を閉じたのだった。
***
貴族学院を卒業して五年ほどが経過した。
俺は予定通りにクローディア……美空と結婚し、それと同時に臣籍降下、父王からアーデンベイル公爵の地位と王直轄地の一部を賜った。
公爵は一代限りであるが、公爵令嬢であった美空に付随していた伯爵の位は次代にも受け継がれていくため、これからもこの地は俺と美空の子どもたちが運営していくことになるだろう。
「おかえりなさい、浩一」
「ただいま、美空」
そう、子どもたち。
領内の視察を終えて帰宅した俺を出迎えてくれる美空のお腹の中には、次の世代の命が宿っている。
「歩いて大丈夫なのか? わざわざ出迎えなくても大丈夫なのに」
「ふふ。やっぱり男の人ってこういうことには疎いのね。あんまり横になってても良くないんだから」
「そういうものなのか。でも、無理はしないでくれよ?」
「はいはい。パパは心配性ですね~」
そんなことを言ってお腹を撫でる美空に、ふっと頬が緩む。
「美空の作った魔道具が便利だって、みんな喜んでたぞ」
「そう? よかった」
貴族学院で美空は「魔道具製作」の試験を受けて、見事に合格した。『クローディア』が〝魔道具マニア〟だと言っていた美空だが、彼女は使うよりも作るほうが楽しいらしい。
まあ、俺にはまったくもって使いこなせないんだけどもね。
他の攻略対象者たちも無事に卒業していって、それぞれの道を歩んでいるようだ。
俺は詳しく知らない彼らだが、たまに美空が『ティアブレ』の設定を教えてくれるから、それと王都からの新聞を照らし合わせたりして、話の種になっている。
これからの彼らの活躍を、この地から祈ろう。
そして、ヒロインであった真理奈だが。
「そうそう、真理奈ちゃんからまたお届け物よ。『メッチャ美味しいから食べてみて!』って」
「おう……。今度はちゃんと美味しそうな見た目をしているといいんだけど」
彼女は貴族学院所属時に、『シュバルツ』と『クローディア』の庇護下に入ったと見なされ、平民の出という地位の低さによる嫌がらせややっかみから守られた。
そして卒業と同時に、このアーデンベイル公爵領の領民となったのだ。
「わたし、『ティアブレ』の世界に来たら食べたいものがあるのよね」
その後、そう言って彼女は飛び出し、どこにいたのか聞くことすら恐ろしい化け物鳥を引きずって帰ってきた。
「『鳳凰鳥の丸焼き』! これ食べてみたかったんだぁ~。みんなの分もあるから一緒に食べよ!」
満面の笑みで燃えるような羽の巨大生物を、獄炎の中に放り込んで調理する様はもはや伝説になりつつある。
ちなみに彼女は学院では俺と同じ、騎士科を卒業している。
魔道具アリの決闘ではふつうにボコられた。
真理奈は俺たちの友人であり、公爵領の領民であり、凄腕の冒険者として名を馳せている。
「ヒロインのパラメータはある程度自由にいじれるから」と言ってメキメキと剣と魔法の腕を磨いた彼女は、随分とこの世界に馴染んだように思える。彼女の中でうまく現実と設定の折り合いをつけられたのだろう。
でも美味しいからといって化け物を送り付けてくるのはちょっとやめてほしい。
「今日の夕飯は、『大鬼トカゲのテールスープ』ですって」
「おお、もう……」
「大鬼トカゲってレアモンスターなのよ? 素材もいいもの落とすし」
「いやわからないって」
乙女ゲーとはいったい……?
かつての世界での常識と、美空たちのそれとはまた違うものなのだろうか。
まあいいや、とソファに座ると、美空も倣ったように隣に座る。
「旦那様はお疲れかしら?」
「そうでもないよ。公爵領は平和で、並べてことも無し、だ。領民たちの今日の議題は俺たちの子どもの誕生祝いを何にするかだったしね」
「あはは。それは、うん、嬉しいわね」
そっと美空の肩を抱き寄せて、抵抗しない彼女の額にキスを落とした。
妙な縁で出会った俺たちだけれど、思いのほか、きれいにすっぽりと納まった気がする。
美空の隣は、心地よい。彼女もそう思ってくれていると嬉しいな。
こういう静かな時間を楽しんでいる時、ふと思うことがある。
もし、これが短編小説だったとしたら。
俺の人生の一部が、物語として綴られているのだとしたら。
これを読んでいる誰かもいるのだろうか。
そんな奇跡のような偶然があるのなら。
――次は、君の番かもしれない。
なんて。
そんな意味深なことを言ってみたりなんかしたりして。
……そうだな。
そんな〝もしも〟があるのなら、念のためにここに記しておこう。
〝短編の中に生まれる君へ〟
ここはアーデンベルク王国。
優秀な国王とその後を継ぐ王太子が治める、豊かで平和な国だ。
日本語は通じるし、王都には日本で見かける食材もあるから、食事が合わないという心配はいらないだろう。
この世界特有の料理に舌鼓を打つのも一興だ。
特に噴水広場の脇に店を構える串焼き屋は絶品だから、食べ歩きにおすすめしておこう。
気が向いたらアーデンベイル公爵領にも足を運んでくれると嬉しい。
公爵領とは名ばかりの長閑な農作地だが、精いっぱいのおもてなしを約束しよう。
珍しい魔道具もあるから、土産には困らないと思う。公爵夫人自慢の逸品さ。
時折、桃色の頭をした美人が巨大な魔物を引きずっていることもあるが、まあうちの名物のようなものだからせいぜい驚いてやってくれ。
うん、こんなところだろうか。
おっと最後に。
大事なことを忘れていた。
〝悪役令嬢とおバカな第二王子は、末永く幸せに暮らしましたとさ〟
それでは、まだ見ぬ誰かに届くと願って。
感想・アドバイスなどあればぜひ、お待ちしております。