心
「なるほど、長家がそんなことを」
「ええ、あまりにも意外で言葉を失いました」
「確かに。陛下が乳飲み子の頃からそばに仕えているとはいえ、過保護が過ぎましたからね」
私は一体どうすればいいのだろうか。頼近さんはきっと私の好きにすればいいと言うだろう。他の家臣も同様。
元々私は器ではない。父上が病死したためにに不可抗力で祭り上げられたに過ぎない。
それこそ私を引き止めてくれるのは長家さんのみ”だった”。
「陛下は信長様をどう思われますか?」
「どうって……私よりもずっと幼いのに、知識が豊富で、本当にただただ敬服するばかりです」
「確かに彼女は聡明です。それこそ輪廻転生などという頓狂な話を信じてしまうほどに」
頼近さんの言うとおり、普通ならばありえないと蔑む。だが彼女は信じさせてしまう。その圧倒的な風格で。
だからだろう、私がこんなにも自責の念にかられているのは。
「では戦場での彼女を見てどう思われましたか?」
……戦場での、信長さん? 冷静的確な判断力と大胆不敵な謀略に感嘆して――
「――そして恐ろしかったです。一刻前に話をした人が物言わぬ死体になって……、同じ人間が命がけで殺しに来て、そんな狂気に支配される中、返り血を浴びて紅く染まっていきながら、不敵に微笑む彼女が恐ろしかった……! 楽しそうに戦場を闊歩する彼女が恐ろしかった……!」
彼女が立っていた場所が浜辺や草原だったならばただの散歩に見えただろう。観光名所ならば遊覧に見えただろう。
だが彼女が鼻歌交じりに笑みを浮かべていた場所は紛れもない戦場だ。
「楽しそうに……ではないんですよ」
「――え?」
「楽しんでるんですよ、彼女は」
楽しんでる? あの状況を? 一体どうしたらあんな狂気が支配する場を楽しめるというのだろうか。。
「きっと彼女の最初の人生は壮絶なものだったのでしょう。恐らくは人生の殆どを戦に明け暮れた。戦を好む人間はいません。しかし彼女は好きになってしまった。好きにならざるを得なかった。彼女の心はもう、────壊れてしまっているんですよ」
「壊れてる、んですか?」
「戦を指揮するということは戦死した味方の兵士、殺した敵兵全ての命を背負うということです。その際人間は二つに別れます。重圧に耐えきれず逃げるか、総てを背負って前に進むか。しかし背負うにも限度があります。だが彼女はその荷を下ろすわけにはいかなかった。だから彼女は心を壊すことを選んだ。心を壊して荷を引きずり回すことを選んだ」
そうか、だから彼女は僕が壊れてしまうと言い切れたんだ。自分自身が辿った道のりだから、自分自身が壊れてしまっているから。
「彼女の見解は正しい。特に陛下は必要以上に抱え込んでしまいます。どうかご自身の身を第一にお考え下さい」
「これはこれはウェルサンドの姫君がお一人とは珍しいですね」
「文句があるなら牢獄にでも繋いでおきなさいよ」
城内どころか城下にまでお一人とは。いくらなんでも信長様は不用心がすぎますね。
しかし彼女の自尊心の高さから逃亡は考えないという自信があるんでしょうか。事実彼女はこうして茶屋で時間を潰していますし、やはり信長様は鋭い洞察力をお持ちですね。
「貴方の処遇は信長様に一任しております。彼女が必要ないと言えばないのでしょう」
「随分と信頼しているのね」
「と言うよりは信頼せざるを得ない、というところですね。彼女の協力なくしては我が国は潰えてしまいますから」
「正体不明の人間を頼るなんて随分と切羽詰まってるのね」
「まだ余裕があろうとも彼女に頼っていたと思います。貴方も理解できるでしょう?」
「……むかつく」
むかつく、ですか。彼女の口癖か、将又別の意味合いがあるのか。
「それで何のようなの? わざわざ城下にまで探しに来るんだから余程な用事なんでしょ?」
「余程というほどでもありませんが、少々相談したいことがありまして」
「は? 私に? 何で?」
当然といえば当然の反応ですね。身内どころか敵国の姫君になど相談しようとは、私も焼きが回りましたか。
「今まで相談されるばかりで相談しなれてないんです。かと言って長家や陛下に相談するわけにもいかず」
「信長は?」
「私は自分で考える過程も大事だと思っています。彼女は結論を率直に伝えますからね」
「考える……過程……」
「お隣よろしいですか?」
「しょ、しょうがないわね。敵国だけどご飯とか貰ってるし……不本意だけど相談に乗ってあげる」
「ふふ、ありがとうございます」
しかしどう伝えばいいものか。一応大人しくしているとはいえ、完全に信用する訳にはいきませんからね。
「……子供だと思っていた相手が、急に成長しようと階段を登り始めた時、私はどうすればよいのでしょうか?」
「はぁ? 何それ?」
おや、意味が通じませんでしたか。しかしこの言葉以外に妥当な表現が見つかりませんね。
「すみません、言葉足らずでした。その、階段を登っていれば時には挫けたり、疲れて座り込んでしまうこともあるでしょう。その時私はどう声をかければよいのでしょうか?」
「いや、そういう意味じゃないんだけどさ。そんなのほっとけばいいじゃない」
「放っておく、ですか?」
あまりにも意外な返答。目から鱗が落ちるとはこの事でしょうか。
「あのね、ほっといても起き上がるやつは起き上がるし、意気地のないやつは何人で支えようとしても立とうとしないの。だからほっとけばいいのよ」
「なるほど、確かにそう言われればそうですね」
「……そうよ、私は立ち上がってやるんだから」
まるで自分に言い聞かせるかのような言葉ですね。いや、言い聞かせているんでしょう。
今まで一番信頼していた父親に裏切られた。その心情は推し量れません。
「ねぇ、もし私が信長を殺したら…………どうする?」
もし、ですか。恐ろしいことを言ってくれますね。
「そうですね。…………恐らく長家が怒り狂って貴方を殺すでしょうね」
「やっぱりそうよね」
「そして私達も死ぬことになります」
「――え?」
「この国の命運は既に信長様にかかっているんです。もし信長様がお亡くなりになればこの国は為す術無く滅ぼされるでしょう」
この国には定石を知る者が信長様しかいらっしゃいません。隙間時間で教えていただいてはいますが、彼女には足元にも及ばない。 そしてあちら側には定石を知り尽くしている者。万が一にも勝てないでしょうね。
「随分と信頼してるのね」
「してますよ。あなたも理由がお分かりでしょう?」
正直得体の知れない何かを感じていない訳ではない。しかしその不安要素を補って余りある利点と魅力が信長様には存在する。
だからこそ我々は信長様に頭を垂れた。
「さて、相談に乗ってくれたお礼をしたいのですが、何かありますか? 信長様を殺すのを黙認しろ、などというのは無理ですが」
「そんなこと言わないわよ。ここの代金払っといて」
「どちらへ行かれるんですか?」
「……わかってるくせに」
ここで逃げることを選択しない辺り律儀ですが、損な性格ですね。




