“守りたかっただけ”の意味
その時、わたしは少しばかり困っていた。みんなが、当事者のわたしの意見をまったく聞こうともせず、「天野さんの横暴を食い止めよう!」と勝手に盛り上がってしまっていたからだ。
ただ、その手段を聞いてわたしは少しばかり安心した。
誰が言い始めたのかは分からないけど、「天野さんを呪ってもらおう」という事になっていたからだ。
呪いなんて効くはずがない。
黒宮さんという女生徒がわたし達の高校にはいるのだけど、その彼女には“人を呪える”という噂があるのだ。もちろん、それは単なる噂で、信用なんかできないと思う。何しろ当の彼女本人がそれを否定しているのだから。
ところがそれでもその噂を信じて、彼女に呪いの依頼をしてしまう人が時々いるらしい。今回もそんなケースの一つだ。彼女は迷惑をしているのかもしれない。
放課後、わたし達は黒宮さんがいるという図書室を訪ねた。テスト前になると、彼女はよく図書室を利用して勉強しているらしいのだ。
噂の通り、彼女は図書室にいて廊下側の奥の方で勉強していた。少しだけ薄暗くて、なんだか彼女に似合っているように思えなくもない。
みんなは彼女を見つけると、迷惑になるのも構わずに騒々しく近寄って行った。その時、図書室にはもう一人利用者がいて、黒宮さんとは反対側の窓際の席で難しそうな本を読んでいた。
鈴谷さんだ。
彼女の事は少しなら知っている。図書室の常連で、民俗学とかそういう系が好きな変わった女生徒だ。
皆、鈴谷さんの存在は気にせず、というかほぼ無視して黒宮さんに呪いの依頼をし始めた。
呪いの依頼なんて、普通は他人に聞かれたくないだろうにお構いなしだ。つまりは、みんな、本気でそんなものを信じている訳じゃないのだろう。
「天野さんって女生徒を呪って欲しいのよ」
そう誰かが言うと、黒宮さんは面倒くさそうに頬杖をつき、それから「何があったの?」と馬鹿にした感じでそう訊いて来た。
すると、みんなは事の経緯を説明し始めた。
少し前、わたしは今のようにみんなと一緒にいる事は少なく、孤立しがちだった。そしてそんな立場にいる人間は往々にしていじめの対象になりがちだけど、その例に漏れず、わたしはクラス内のあるグループから、少しだけいじめられていた。
そして、天野さんもその一人だった。
もっとも、彼女は率先してわたしをいじめている訳ではなく、ただ単に他の人達に合わせているだけのように思えた。
しかし、その時は違った。
何が切っ掛けだったかは忘れたが、彼女はわたしをいびり続けたのだ。わたしは様々な悪口を言われ、泣き出してしまいそうになってしまった。
ところが、そんなところにサイトー君が現れ、わたしを助けてくれたのだ。彼は天野さんの頬を引っ叩いて彼女を止めた。
彼は昔から彼女の知り合いで、だからこそできた事なのかもしれないけど、クラス中がそれに驚いた。
みんなから注目を浴びた彼は「守りたかっただけ」とそう言った。もちろん、わたしを、という意味だろう。
それで彼はわたしを好きなのだと、みんなはそう思うようになったようだった。
そしてその事件を切っ掛けにして、天野さん達のグループに対抗する一派がクラスに現れ、よく分からない流れで、わたしもその一員に組み込まれた。
孤立しがちだったわたしにとっては、有難い出来事だったと言えるかもしれない。
その事件がショックだったのか、天野さんはそれから随分と大人しくなった。ところが、最近になって、“文化祭の貸出係”を決めるクジを操作して、自分とサイトー君がペアになるよう彼女が画策しているという話が飛び込んで来たのだった。
そして、それに対し「サイトー君と一緒に行くべきなのは、あなたよね?」と、みんなはわたしに口々に言い、そして俄かに「天野さんを呪おう」なんて話が盛り上がってしまったのだ。
確かに裏でクジをいじくって、サイトー君とペアになろうだなんて、あまりよろしくはない事なのだろうけど、だからと言ってムキになって止める程でもないと思う。
そりゃ、もしもサイトー君がわたしを本当に気に入ってくれているのなら、それはそれで悪い気はしないけど、本当にそうなのかどうかいまいちわたしには分からない。
あの件以来、サイトー君はわたしにあまり関わろうとして来ないし。
――だから、わたしは困っていたのだけど。
説明を終えると、黒宮さんはにやにやと笑いながら「請けるかどうかは分からないけど、取り敢えず、そのサイトー君の電話番号を教えてよ」とそう言って来た。
天野さんのではなく、何故、サイトー君なのかは分からなかったけど、みんなはそれを教えてしまった。
「それで、呪ってくれるのでしょう?」
終わると、一人がそう言った。すると黒宮さんはそれには答えず、何故かわたし達の背後を見たのだった。
なんだろう?
そう思った瞬間、こんな声が聞こえた。
「止めた方がいいわよ。“呪い”は本当に効く場合もあるから」
それは鈴谷さんだった。
静かにわたし達を叱っている。そんな印象をわたしは持った。
「鈴谷さんって呪いみたいな超常的な力にも詳しいの?」
鈴谷さんを知っていたらしい誰かが、それを聞いてそう尋ねる。すると彼女は「超常? 違うわよ」と澄ました顔でそう言うのだった。
「呪いは摩訶不思議な力でも何でもない。自分が呪われているなんて知ったら、嫌な気持ちになるものでしょう? その呪いを周りの皆が肯定していたら、なおの事。それで精神が削られていく…… それが呪い」
その説明を聞いて、皆は目を白黒させた。
「それでも別に構わないわよ。わたし達は、天野さんをとっちめたいだけなんだから」
そう言った一人を、鈴谷さんは冷たい目で見つめる。
「“人を呪わば穴二つ”って言うでしょう? 誰かを呪えば、それは自分にも返って来るわよ。もちろん、これも超自然的な力なんかじゃない。誰かを呪ったりなんかしたら、社会的に軽蔑されて当然でしょう? それが呪詛返し。因みに、誰かを呪って逮捕されたなんて事例もあるはずよ。罪状は、“脅迫罪”だったようだけど」
それを聞いて、みんなは少し怯んだように思えた。
警察沙汰はかなり困る。
その隙を鈴谷さんは見逃さなかった。
「それに、話を聞いていて、少し気になるのよね。その天野さんって人、本当に嫌がらせのつもりでクジをいじくろうとしているの? その事件以来、そこにいる彼女に嫌がらせをしていないのでしょう?」
それでみんなの視線がわたしに集まった。
わたしはそれに大きく頷く。
それを受けると、鈴谷さんはこう言った。
「そのサイトー君って人と、天野さんって人は昔っからの知り合いだったのよね? それで彼は彼女を引っ叩き“守りたかっただけ”と言った…… それって、本当はそこにいる彼女にじゃなくて、その天野さんって人に向って言ったのじゃないの?」
その言葉に、みんなは顔を見合わせる。どうして、そうなるのか分からなかったからだ。鈴谷さんは言った。
「サイトー君って人は、天野さんがいじめを行ってしまうような、駄目な人間に堕ちないように“守りたかった”のじゃないか?って私は言っているのよ」
みんなはそれを聞くと、やや驚いたような顔を見せた。そして一呼吸の間の後に、「それは考え過ぎなのじゃないの?」と誰かが言う。ところがそんなタイミングだった。黒宮さんがこう言ったのだ。
「多分、その解釈で合っていると思うわよ」
スマートフォンをぶらぶらさせながら。
「サイトー君に伝えてみたのよ。“天野さんがあなたとペアで文化祭の買い物に行きたがっている”って。
そうしたら、
“彼女がそうしたいのなら。僕も話したい事があるから”
って返って来たわ。多分、お互いに仲直りがしたいのじゃない?」
どうやら、さっき黒宮さんがサイトー君の電話番号を訊いたのはこの為だったらしい。多分、もし、天野さんがわたしに嫌がらせをしたいのなら、“告げ口”は効果覿面だからだろう。
「呪いなんか使えない」と明言している彼女らしい解決方法ではあると思うけど、凄い事をする人だ。
みんなはそれを聞いて、さっきまでの盛り上がりが嘘のように静かになってしまった。その変な空気の中で、なんとなく、わたしは天野さんの気持ちが分かった気になった。
きっと、彼女もみんなの空気に逆らえなくて、さっきのわたしみたいに、流されるようにしてわたしをいじめてしまったのだろう。自分でもどうにもならなくて、もしかしたら、苦しんでいたのかもしれない。だから多分、本当にサイトー君は彼女を助けたんだ。
そして、わたしはそんな彼と仲の良い彼女を、なんだかとても羨ましく思って、ちょっとだけ落ち込んでしまった。