ツイッターというサキュバスの虜になっていた私
発達障害なのは診断からほぼ確定的だと思いますので、書き直します。
それと人称の混乱があったので、ガブリエルの出ない回は一人称を私に統一します。
私のハンネでもあるベリーは、元は地淵育生という男性名だったが、急にアイコンを女性にして名前まで変えてしまった。理由は、女言葉でツイートしたかったから。私自身、最近になって解離性人格障害めいた症状が出てきた。たまに女性の私が出てきて女性言葉で話し、行動する。
今の所、母の買い物ついでに女物の衣服を見たりしている程度なので、実害はないが、外出した時に女性言葉で会話してしまい、一般客の注目を浴びた。
やはり介護で駆けずり回っているせいか、体重が減り始めて、今では60キロ台まで落ちている。かっての脂肪に包まれた体躯は今やその面影を見事にそぎ落としている。が、運動による減量ではないためバッドシェイプは誰の目にも明らかであった。南方に潜伏中の日本兵のように、胸にあばらが見えるほどやせ細っていたのだ。本来ならば自分の健康状態に警鐘を鳴らすべき事態だが、能天気な私は「努力せずに痩せた」と喜んでいた。
最初、ツイッターは小説の宣伝目的で始めた。正直あまり期待はしていなかった。ところが、発達障害と自己紹介文(BIO)に書いたら、フォロワーがネズミ算式に増えていき、軽く百名を突破してしまった。過去にもツイッターに登録したことはあったが、フォロワーは一桁だったのだ。
今までいなかった異性のフォロワーさんもでき、私はちょっと有頂天になっていた。だんだんツイッターの交流の方が主体になっていき、小説書きがおろそかになっていく。ついに交流のあった作家さん達から絶縁もされたが、それでも私の目は覚めず、介護の合間のツイッターにいそしむ日々が続いた。まるで仙人が空から降りて、人間たちの営みを覗くように、ネットの海での交流にとらわれ虜となった。
何せ私は非モテの代表みたいな男で、生まれてこのかた女性の友人は一人しかいなかったのである。その一人にも数年前に見捨てられ、女友達は0になった。私の浮かれようは激しく、昇竜の頭に跨り天上界を駆け巡るがごとく幸福に酔いしれる。数名の女性フォロワーさんと連日、DMで会話をし、人生を謳歌した(ネットだけど)。私のメンタルは藤原道長状態だった。
ある日の朝、知り合いの編集者さんの本が出ると知り、その購入方法がわからないで困りはて、そのことをツイートしたら。オオ〇ミ書房のサイトのURLを、フォロワーさんの一人から教えてもらうことになる。
オオ〇ミ書房はガロ系の流れをくむ出版社でちょっとエログロ系。苦手な人は行くのも大変だと思われた。いわゆるアングラ系コミックスの出版社なのだ。
それまでは、フォロワーさんの一人としか認識されていなかったが、親切にされたことで気にかけるようになった。非モテ男子は親切に弱く、私も例外ではなかった。対話をしてみると介護していたことと、時代のサブカルチャーに共通項があり、話がはずむ。彼女は、私にはない視点をもっていて、その発言が目からうろこだった。ただし頭脳面では大きな開きがあった。私は日東駒専レベルの大学しか出ておらず教養が全くなかった。大学時代は、放課後ゲーセンに通いゲートボールをしたり、少年ジャンプを回し読みしていた。落研の練習のない日は連日飲み会。そんな私に一般教養が身に付くはずもなかった。唯一のまともな書物といえば、大学の図書館に置いてあった『朝〇ジャーナル』のみ。そこでもお堅い記事には手も足もでず『はいすくー〇落書き』だけを読むが精いっぱいだった。
学生時代の私は、落研でギャグの勉強をしながら漫画家を目指していた。だが彼の絵は下手くそでデッサンは狂いとても漫画家になれる腕前ではなかった。ここら辺が発達障害ゆえの認知のゆがみであろう。そもそもギャグは勉強して身に付くものではない。持って生まれたセンスに影響される。なぜ、漫画家を目指したのか。サラリーマンになれる自信がなかったからだ。子供時代から勉強はできるが係の仕事や家の手伝いをやると失敗ばかりで、なんとなく社会に適応できないと感じていた。
やがて、私は複数の異性と会話していることに罪悪感を持つようになる。これはあまり同性の友人との交流がなく、それゆえの間違った認識という物だろう、何せ女性とまともに会話したことがなかったのだから仕方がないとも言える。やがて、私は親切にしてくれた女性との交流から、相手に合わせることを学習した。といっても、私は自分の世界をかたくなに守る傾向があるため、自分の殻を壊すのは並大抵ではないのだが。なにせ学生時代「女の子にモテるよ」と言われてテニスを練習することを勧められたのだが決して「うん」と言わなかったのだから。ただ、当時はあまりにも幼く、男女交際に関心がなかったせいもある。
普段はおいしくるメロンパンなどのスニーカー系(?)ロックバンドや、彩冷えるのようなビジュアル系を好む私が、別のジャンルの音楽を聴くようになったのは、一般人にとってはたわいのない事だが、自分にとっては大いなる一歩だった。何せ人が勧める音楽や書籍を、「興味が無い」と、ことごとく無視していった男なのだから。ジャズもフュージョンもブラックミュージックにも手を伸ばすことはなかった。
今後はどうなっていくかわからない。おそらく女性心理に疎い私がヘマをやらかして、人間関係が壊れるなどと、悲観的な予想をしているので、それが引き寄せにならないことを祈るばかりだ。何はともあれ、また小説畑に私が戻ってきたことは、誘惑に弱い発達障害者にとっては奇跡に近い(お前だけだよ)。
私は、昔のように小説一本で活動できるのだろうか。それは未来だけが知っている。なにせ気が多い発達障害者なのだから、スペイン語をやりハングルもやりイラストを描いて小説も書く、そして介護と多忙な日々を送っているようだ。といっても大半は寝転がってyoutubeを聴いている時間が多いのだが。自分でも何とかしたいのだが、何をどうしていいのかわからないのだ。思い付きで日々が過ぎ、時間だけが足早に駆けていく、計画表を持たぬ生活者を地軸に残して、地球は一日を消費する。
注 ゲームセンターでゲートボールとはおかしいと思われるかもしれませんが、当時そういうビデオゲームがあったんですよ。