ガブリエルは苦悩する
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ガブリエルは悩む。天使として神の命令には従わなければならない。だが、この地淵育生という男、発達障害というハンディを差し置いても、あまり人間性がいいとは思えなかった。
東洋占の一種である四柱推命、これによると地淵育生は天戦地沖の真っ最中だという。四柱推命では天干と地支で一個の人間の命を表す。四柱というのは順に、年柱、月柱、日柱、時柱とわけられ、それぞれ生年月日と生まれ時間を萬年歴で照らし合わせたものが採用される。天干は、甲乙丙丁戊己庚辛壬癸と全部で十。地支は、子丑寅卯辰巳……。省略するが全部で十二個ある。それぞれが組み合わさって運命を形作っている。その月の天干と地支が、大運の天干地支とお互いにぶつかり合う時期が天戦地沖といい、運勢的にはものすごく停滞する。不運な時期である。
「いくら天戦地沖で身弱だからといって、私がつく必要があるのか」あらゆる知識に通じている天使ガブリエルは、当然東洋占にも詳しい。身弱というのは、通根(天干地支に同じ五行があること、これがあると根性がつくと言われる)していない人物の事を指し、おしなべて気弱で、押しに弱く運勢もあまりぱっとしない傾向にある。
「ガブリエル様、はじめまして、地淵の守護霊です」年のころは四十代ぐらいのお侍で、どことなく影が薄い。やはりついている人間に似るのだろう。すすけた茶色の着物を召し、刀を腰に差している。だが、面影は少しぼーっとした顔つきで昼行燈。歩き方ものっそりとして、切れ者というイメージはまったくない。ガブリエルは、ころころに太って羽ばたいても飛ぶことのできない蚕の蛾を想像した。
「地淵の守護、ご苦労様です」ガブリエルは、相手に敬意を表して深々とお辞儀をする。テグスを束ねたような銀色の髪の毛が、守護霊の眼前で揺れた。白い肌は透き通って蝋細工のような光を帯びていた。
「かような者でさえ、何も助言できぬとは、わしがもし守護霊でなければ峰うちのひとつもかましてやるところじゃが」武士は悔しそうにつぶやく、曲げが風もないのに小刻みに揺れていた。
「守護霊殿、お怒りはごもっともですが、わたしたちは彼に対して、見守るのが仕事です」
ガブリエルは守護霊の肩を抱いて、腰を下ろしてくつろぐように促した。気が抜けたようにへたり込んで胡坐をかく武士。ガブリエルは、何故神が、かようなろくでなしの元に自分を派遣したのか、その真意を探りあぐねていた。
ふたつの霊的な存在のため息は、引っ張られた蜘蛛の糸が伸びるかのように、ひたすら長く続いた。空気が一巡したような声がした。