日本語が、通じ、ない。
私は大丈夫です(たぶん)。
まだ回復の兆しもなく、怠惰な日々を重ねてはいるが、身体の体幹に水をたっぷり含んだ海綿がまとわりついて重い。「運動不足かな」と心の中で声を出し自嘲気味に笑う。笑顔は透明の膜になって顔からはがれていき宙に舞う。
ネットで、かけられた言葉は、自分の理解の範ちゅうを超えていて、夢の中で異国人と会話をするようなもどかしさを感じていた。彼らの位は自分より上で、推敲に推敲を重ねた一字一句が通話不能な物としてはねのけられていく。日本語が、通じ、ない苦しさ。何とか妥協点を見出そうとするのだが、波の出るプールの水流にはねのけられるようにして差し出した手は届かない。水が渦を巻いて彼我の差をひろげようとする、神々の嘲笑する声が耳に張り付いて、耳の形を五本の指でつかみかけた食パンのように変えられた気がする。蝶の形に変形した耳介は顔から逃げて、あらゆる音を閉鎖する。
思いのほか受けた衝撃が大きくて、その日は生きている実感が消えうせてしまった。やがて、拒絶される恐怖が別のラップにくっついてしまったラップの膜を引きはがすような徒労感をともなった行為のように膨張して全身をくるむ、精神はアルミ缶に力を入れて押し曲げたようにひしゃげさせられ、自力で回復する力はどこにも残されていなかった。
ただダメージを身体に蓄えている。言葉を発していたが意味が通じない恐怖は住んでいる町が二重のブロックに囲まれているようで、一枚目の壁紙をはがすと二層になった煉瓦が同じ形状を保ったまま引きはがされていく。多層の意味を孕んだ世界に地淵はいるが、その意味は一つしか目のない地淵には見えないも同然だった。果たして、一般の人々は私の見ている世界と違う世界を生きていることに気づいて恐怖となって私を取り巻く。言葉の意味は、世界の辞書から紐解くと三重の解釈ができると夢魔が耳元で囁いてくれる。
「お前は単一の世界の一番表層の言葉しかしらない。今までそれで生きてきて、これからもそれだけで生き続ける」と宣告されていた。どの発達障害の本にも載っていない世界の成り立ちというものの構造が眼前に引き出されてきた。地淵は、このからくりをいくつもの夜と昼を重ねても到達できなかった。定型者がやすやすとクリアできる言葉の持つ裏の裏、どうしても地淵の目には映らない。
世の中の意味は単一ではないということが、驚きを伴って絶望の絶壁に追いやる。複数の意味を地淵は知らないでいる。カレーライスはカレーライスではなく、眺望という意味を含んでいるかもしれない。クリームパフェには、欺瞞と跳躍など複数の意味を重ねたものかもしれない。アニメのセル画をばらすように一枚一枚めくっていくと、複数の意味が浮かび上がるのかもしれない。
地淵は世界の理の深さに、自分の頭を制御しきれなくなっていた。あらゆるものが複数の意味を持ち存在し、世界も行く層にわかれて、他者は自分と違う視点を持ちながら生きている。単一の視点だけで世界をとらえていた地淵には及びもつかない世の中の構造の複雑さに打ち据えられていた。
果たしてこのような混乱した世界を垣間見てしまい、自分の能力の欠如を思い知らされた地淵は再び現実に立ち戻れるのだろうか。それとも混乱した現実に振り回されて自我まで崩壊の憂き目にあってしまうのだろうか。
冷たい世界は、その裏の意味を闇の膜のすきまから、すべすべの胴体をのぞかせただけで、ゆっくりと元の位置へと帰って行った。現世に残された地淵は冥界やスピリチュアルとは違う実存するストラクチャーが隠している異世界への入り口の存在を片側の網膜に焼き付けただけで、処理不能となり寝込んだ。「遊びは終わった」自分が諭すと、嫌々ながら大狂気の世界から現実へと戻る。そう今までのは、キチ〇イごっこ、苦労を嫌がる自分のひとときの逃避行。世間を把握しきれぬまま、かばねを引きずりながら今日も生きながらえる。